日記に戻る | 2016年2月の日記に戻る

=2016-02-05=

皆、賢くなった方が良い。身も心も清らかになれば賢くなる。

本来の自分に立ち返ると、分かる人間が多い。

最近、馬鹿になった人間が多い。自分のせいで、もう分かった馬鹿になっている。それは、良い人間になると治る。きちんと知性がつくようになる。

確かにあるものは、確かにある。現実にあるものと、観念から生じるものを区別すること。

自分は、問題が何なのか、どこにあるのか、分かっていない。経験から、問題の所在を知ること。経験を考えること。それも、知る経験や自分の経験を考えれば良い。

作用、反応、変化、いつどうなるか、などから、認識の変転を考えれば分かる。

発想法のようなものを作っていた。ネットを見て、洞察力があった。

普通に考えれば分かる。考えないことを考えれば良い。ハイブリッド自動車や国や会社のようなことを考えれば分かる。考えても意味が無い。考えない方が分かる。

本は、ローマ史の本を読めば良い。昔、買った。古代ローマ帝国は、一番賢い国だ。

パソコンは、馬鹿に見えて、賢い。方法、手順、言語、環境の「同じ」が分かる。考え方が分かる人間が多い。パソコンは、分かる学問だ。パソコンは、哲学が出来るようになる。

それこそ、パソコンをやっていると、ネットで人間のことや世界の可能性が分かる。

哲学なんか、誰でも出来る。普通、こういう風になる。

自分をやるのは簡単だ。一週間で出来る。そのせいで、皆、馬鹿になった。

自分はしなくて良い。分かる意味が無い。自分になるより、キリストのような良い人間になった方が良い。その方が本当に賢い。こんなクズな右翼は、馬鹿だ。

あとは、観念や経験を全部作っていると分かる。

哲学は、しなくて良い。皆が分からないのは、聖書も、哲学も、全部悪いからだ。そういうものでは、分からない。どれも2ちゃんねるぐらいの馬鹿だ。

それこそ、誰でも良い人間だから、本当に良い人間になれば良い。分かる方法は、良い人間になること、善人になること、しかない。皆、あまりに悪いから、分からない。

もっと、善人になりなさい。そのためには、善行をして、そのために努力し、熟慮しなさい。そういう人間は、昔のように、きちんと賢い人間になる人間になる。

あとは、パソコンは悪い。パソコンは、分からなくなって、地獄になる人間が多い。本当に分からなくなると、地獄から抜け出す方法すら分からなくなる。パソコンは、分かるように見えて、分からなくなる、悪魔の機械だ。悪魔が悪いのすら分かっていない。

そういうわけで、分かるわけがないようで、本を読んで善人になれば分かる。パソコンで色んなことをするなら、こういう風にすれば良い。過去の経験があると、しなくても分かる。自分は、パソコンのことなんか、ワード以外何もしていない。過去に色んなことをネットでしたせいで、パソコンなんかしなくても分かる。それは悪くない。それなら、自由に色んなことを考えられる。

そういうわけで、こういう風にすれば良い。戦いや革命の経験、神のような経験もあった方が良い。それこそ、菩薩の戦いだから、悪くない。悪いことを一切しない、戦わず、善と自由に導くだけの、何も悪くない戦いだった。

自分は、本を読む。英語は、ラジオを聴く。一番簡単だから出来る。簡単だと、賢くなる人間が多い。簡単なことをするのは、馬鹿に見えて賢い。難しいことを頑張ってしていると、賢い知性はつくが、賢くはならない。何故か、その方が馬鹿になる。

あとは、自分は昔から、森羅万象の博物学のような人間だ。本当に、昔色んなことを分かっている。考えているし、知っている。英語も、数学も、歴史も、昔哲学的に考えて、全部分かっている。皆は、今その体験をしている人間が多い。賢く見えて、そんなに賢くない。それこそ、馬鹿になる人間も多い。それは、間違っていない。一度最後までしてから、その後に考えれば良い。そうすると、ここまで賢いまともな人間になる。

何故か、数学は昔、神ほどに出来ているし、英語もアメリカ人のように分かっている。博物学は、アリストテレスのように、哲学的概念を全部分かっている。昔はまともな人間だ。

昔は、考えない部分を考えて分かっていた。

最近は、環境を作っている。何故か、文章で環境を作っていた。

そろそろもうない。このまま、世界は最後まで発展する。不思議と、これで善人になると、誰でもそこまで分かる。そして、馬鹿になるようで、滅びない。進歩は永遠に続く。

だが、進歩はそんなに続かない。いつか終わりが来るだろう。

それが、キリスト教的な神の世界観だ。

キリスト教は、キリストだけを信じると誤解している人間が多いが、キリストが「神を信じればユダヤ人で無くても、どんな民族でも救われる」と言っているように、きちんと神を信じる宗教だ。終末や罪の救済を信じる人間が多い。自分は、キリスト教を信じれば良いが、むしろ、仏教の教えも良く分かる。仏教徒も悪くない。

善人になると、知性がつく。不思議と、数学で知性は、つかない。つく人間は、善人が多い。パソコンで知性をつけると、普通、悪い人間になって、すぐに知性が無くなる。そういうわけで、大人に悪い知性の無い人間が多い。善人にならないと、賢くならない。

自分を悪人と言うが、政治思想が極端なだけで、悪いことはあまりしていない。むしろ、いつもきちんと頑張っている。この文章を書くのが悪いのは分かる。だが、タリバンとは言うが、作家になりたいだけ、きちんと頑張っている。頑張るといつも良いことがある。次の1つがきちんと分かる。自分は、これで心や口に出すことを良くすれば、きちんと賢い人間になる。自分を悪いと思うのも悪い。そのせいで、悪いことを言う。自分を悪いと思うと、悪くなる人間が多い。自分を、本来は良い人間だと思った方が良い。本当の自分は良い人間だ。

どうでも良いことを喋るよりも、良いことをした方が良い。本当に、パソコンや数学で知性なんか、つかない。数学は、パソコンと言うものがあるせいで、どんどん馬鹿なものに変わっている。善人になった方が良い。善人になると、きちんと知性がつく。

あとは、悪が悪なのが分かっていない。悪い人間から、この世界の全員を守ると思った方が良い。それは、自分勝手や利己主義には見えるが、そういうことは無い。そういう風に、悪いものから大切なものを守る気持ちが無いと、情熱的な良い人間にはならない。昔は、そういう、賢い良い人間だった。

最近は、そういう人間が多い。それは、何故か、馬鹿だから、馬鹿な人間になる。そうでもない。そういう人間は、賢いから、分かる人間が多い。

もっと大切なものを守る気持ちを持つこと。最近、「守る」が知性なのが分かっていたことが多かった。大切なものを守るだけではなく、約束や大事なことを守ることが知性だ。そういうわけで、守る人間は賢くなる。自衛隊は、そういう、賢い人間になる馬鹿が多い。

ただ、命をかけて守るのは、悪くないように見えて、悪い。軍隊が居た方が良いのは分かるが、そういう、「殺し、自らも死ぬ自由」は、一番悪い。そういう発想がタリバンだ。そういう発想を否定すると、分かる人間が多い。同じように、「自由なく人を虐殺する自由」も悪い。そういうものが悪いと思えば良い。戦争は、「戦って死ぬ自由」だ。それも悪い。

あとは、人間は何を考えるのか、考えないのかを、意識と環境と経験から分かっていた。誰が何を考えるか、その状況やシチュエーションを考えて分かった。必然性と意識から、経験を分かっていた。そういう人間だった。

文章は、未知を分かりながら、考え方や構造を作っていた。

もっと、未知のことを分かれば分かる。可能性から、この世界の未知を分かれば良い。物理的な発見や、歴史的、時間的、時代的なことを分かる。そういう文章だった。

あとは、むしろ、そろそろ自分はこの世界に必要ない。それは、悪いことに見えて、良いことだ。そろそろ楽になる。

皆、善人になると、もう、自分の力で歩める。知性がきちんとつけば、科学的な方法なんか、誰でもすぐに分かる。こういう、知性の無い人間が科学や証明が分からなくなる。悪い人間が馬鹿になる。どこにも、それしか居ない。悪い人間が馬鹿だ。

自分の文章は、見ていると、新聞みたいに賢い。ゲーテは新聞だから、こうなる。

何故か、本当に全部分かっている文章が多かった。神ほどに分かっている。だが、あれは、読めば読むほど分からなくなる、悪魔のような文章だ。

Linuxがそういう馬鹿だ。それこそ、LinuxのWikiのせいで、2ちゃんねるが今でも馬鹿のままだ。ネットに関わらない方が良い。自分が良いことをすると、そういう風になる。

あとは、自分はもう、必要ない。自分を自由にして、終わりだ。

タリバンのテロリストと、支配者と、戦争が悪い。政治はそういうものだ。政治は、一番悪いから、セックスのようなものだと思えば良い。そういう人間が多い。

自分は、学校に行かないのが悪いのが分かっていない。悪い引き篭もりだから、こういう風に悪い人間になる。どこでも、引き篭もりがこうだ。こういう人間になる。

学校に行かないなら、仕事をすれば良い。仕事をすると、きちんと知性がつく人間が多い。仕事の内容もあるが、生活習慣や、色んな場面と出来事があるせいで、賢くなる。色んな状況とシチュエーションが無いと、人間は分からない。仕事をするか、学校に行った方が良い。何も無く一週間が過ぎるのはおかしい。何もしていない。無駄で、空虚な人生だ。

ただ、自分は、この文章を書けば良いから、こういう風に辛い方を選ぶ。それも、悪い人生ではない。自分の作品が残って、夢に向かって挑戦するのは、良い人生だ。

仕事は悪い。環境に拘束されて、何も出来なくなる。学校も悪い。悪い学校が多い。

自由も悪いし、パソコンも悪いし、テレビも見たくない。テレビは、本当に怖い。

今のままで良いのが、さらに分かっていない。引き篭もりの作家で、何も悪くない。この文章を、常に書いている。それは、良いことをしている。それで良いと思う。

もっと、休みを入れたり、自分の私的な時間を入れたりすれば良い。そうすると、楽になる。常に永遠に戦っているのは、辛いからこうなる。

神も止めた方が良い。神なんか、信じなくて良い。神を信じると、こういう馬鹿な人間になる。まともな人間になったから、それで良いようには見える。神を信じると、ここまで分かる人間が多い。分かるのを望むと、神がきちんとここまで叶える。

自分は、自分の書いた文章を読めば分かるのが分かっていない。

今少し読んだが、あまり読む意味が無いノートだ。

分からないことや、問題は、すぐに分かるのではなく、保留にした方が分かる。

その方が、色々と、問題の所在が分かる。

あとは、ローマ史なんか読まない。だが、本は読んだ方が良い。

戦争を悪いと言うが、金で戦うのは悪くない。皆豊かになって楽になるから、もっとどんどん金で戦った方が良い。最近の右翼は、そういう人間が多い。

あとは、自分は、「たられば」が分かっていない。「年を取ったら」のようなことを考えないのがおかしい。昔は、そういうものをモデルにしていただけだ。

自分は、最近、社会的に見て分かっていない。昔は、社会的な道理を考えて分かっていた。

自分は、神を信じるのが馬鹿なのが分かっていない。昔から、神は悪い。好きな人間が居ない。居るかもしれないが、宗教家は昔から悪い。神なんか信じない方が良い。

神は、そういう、昔の社会の権威だ。信じると、良い人間になる。そういうわけで、信じたいなら信じれば良い。だが、信じない方が賢い人間になる。

あとは、そういう、社会的なことを考えれば分かる。それで、すぐに分かる。

不思議と、社会的なことを言っている文章が多かった。経験から価値観などを考えた。社会の目的や制度、環境とプロセスを考えていた。そういう文章だった。

あとは、自然、社会、科学、宗教、人間、考え方のようなことをいつも書いていた。

宗教を信じるのも、悪くは無い。母親みたいな良い人間になる。だが、社会的に見て、良い選択ではない。宗教家は、キモイ。明らかに宗教は悪い。作家とは言うが、宗教は止めた方が良い。人生的には、良い人間が多い。宗教を信じると、賢い人生になる。

自分は、数学的に、厳密に考えれば分かるのが分かっていない。

不思議と、厳密に考えると、引き篭もりでも分かる。

数や定義や証明などの、論理を考えれば良い。

良く考えると、社会には普遍的価値と共通認識がある。そこが分かると分かる。

キリスト教的価値観が普遍的なのは、言う人間が多い。イスラム教では分からない。キリスト教を信じると分かるのは、それが普通だからだ。一般的な普通の神がキリストだ。

そういう風に考えると、全部経験なのが良く分かる。そういう風に分かる人間が多い。

それ以上は、人間や経験のことを考える。だが、厳密に考えれば分かる。もっと、正しい予測のようなことをすれば良い。予測していると、カントのように分かる人間が多い。

ものは、観察と実験から、経験的に、共通認識的に作られる。

厳密に考えると、そういう、理系のようなことがすぐに分かる。普通、誰でも分かる。それで、もう終わりだ。誰でもそういう風に分かる。自分は、いつもそれを書いていた。

組織、工夫、機会、価値観、影響力など、そういう理系的な考え方の世界観を書いていた。

そろそろ分かった。要は、普通誰でも分かる。そのせいで、分かっている。

それ以上は、スピノザのように、神の数学の文章みたいなものを書いていただけだ。

あとは、定住、自然、場、共同体のようなことを言う。

そういう、相対的に分かる、知性があるようで知性の無い文章だった。

これなら、何を書いているのか、誰でも分かる。

あとは、考え方や環境のことを言っていた。

経済モデルとか、意志の論理とかを言う。全部、自由と記憶を考えただけだ。

自分は、覚えないのが悪い。覚えないで、分かるわけがない。

大人より、子供の方が賢いところがある。大人は、賢いせいで、水がこぼれても、こぼれるだけで、何も考えようとしない。子供は、どのようにこぼれるのか、こぼれるとどうなるのか、考える人間が多い。

分からないなら、大人より、子供になった方が良い。パソコンも、作文も、子供の方が出来る。大人に出来る人間は居ない。大人は、賢い。こぼれると言う現象が何なのかくらい、考えないでも分かる。大人は、つまらないだけだ。

昔の考え方とは、そういう、「子供的な考え方」のことを言っていた。不思議と、大人になっても、子供のままの人間が多い。そういう人間は賢い。何から何まで、「どのようになるか」や「理由は何故なのか」を考える。それ以上、論理的にきちんと考えると、分かる子供が多い。子供に一番多いのが、そういう、大人より賢い哲学者の子供だ。

大人は賢くない。こういう風になる大人が多い。右翼とソ連を比べながら、勉強して哲学を分かるのはキモイ。書いていることは、子供より馬鹿なことしか書いていない。大人は馬鹿だ。たまに言う文章が賢いのは、昔の自分は賢かった。そういう大人が多い。

あとは、青年時代は賢かったのが自分だ。賢かった青年時代を思い出しているだけだ。こういう、賢い時代が好きな大人が多い。

一度、子供に戻った方が良い。

先入観と偏見を無くしながら、「何がどうなるか」を良く考えれば良い。

ブッダのように分かる人間が日本に一番多い。ブッダもただの子供だ。子供が修行して悟っただけだ。それこそ、自分はブッダが分かる。本当にそこまで分かっている。

現実から目をそらさないこと。現実をしっかりと見据えた理想主義者でありたいと、ケネディが言っている。それは、大人にも、子供にも、一番大切なことだ。だが、本当に辛い時は、逃げても良い。人生はニャンとかなる!と言う、猫と人生の本に、そういう、現実のことが書いてあった。自分は、むしろ、現実を自分の都合の良いように変えて、自分の自由だと思えば良い。そうすると、現実の中で、自分が出来る可能性のことが見えて来る。

ケネディと言うが、ロバート・ケネディと言う人が言っている。あのケネディではない。良く分かっていないから、間違っているかもしれない。良く知られているケネディは、ジョン・F・ケネディだ。

あとは、むしろ、自分が一番賢い。高校に行かない代り、ネットをしていたのが良かった。本当に、ブッダのように、考えて分かっている。子供のブッダのように分かっていた。経験もあった。全部経験を考えて分かっていた。心理学と社会学を経験から作った。

不思議と、この文章は、こういう風に書くのが難しい。

自分は、記憶の中で、すでに全部分かって、終わっているから、こういう文章を書く。

難しいどころか、こうなると、誰でも簡単に書ける。そのせいで、辛いどころか、楽になっている。こういう風に、簡単に分かるのが楽だ。簡単だから、辛くなっている。簡単なら、賢い方が良い。

そういうわけで、自分は誰でも出来る。

本当に長い旅だったが、色んな良いことが沢山あった。もっとそれを、思い出せば良い。

あとは、「認識を覚えて比較する」とか、「自然な可能性を考える」とか、そういう、哲学者のような発想が多かった。馬鹿に見えて、そういう発想が賢い。

もう、そろそろ、無い。もう書かなくて良いのに、まだ書いている。書かなくても、誰でも分かるから、もう書かなくて良い。大したことなんか、もう無いように見えて、まだある。それを、もう書かなくて良い。自分は、本当に、それが出来ないだけの人間だ。

あとは、治すとか、国とか、そういうことが多かった。ドイツ人みたいな馬鹿な人間だったが、ドイツ人には、本当にここまで治る人間が多い。そのせいで、人種が綺麗になった。白人が美しいのは、治るからだ。そういうわけで、自分が白人だ。白人は賢い。

白人を右翼と言うが、白人は自由だ。良い人間が多い。中国がいつまでも封建社会をやっていたのに比べて、イギリスではいち早く市民革命が起きている。フランスもそれに続いてフランス革命をした。イギリスの産業革命も、フランスやドイツに普及した。イギリスとフランスが一番自由だから、自分はイギリスとフランスをすれば良い。自由が好きなら、それで良い。ドイツは止めた方が良い。右翼に見えるどころか、ドイツには賢い点があまりない。ドイツは理性的な国だから、数学や物理がやれば良い。文系はフランスで良い。フランスで、文系的な賢いことが沢山起きている。文系は、それを知れば良い。

自分を理系と思うのも、おかしくは無い。昔から、自分は文系に見えて、理系だ。文章を書いているのは、理系的なことを書いているだけだ。文系と思うのもおかしくはない。哲学や歴史や心理学は、文系にしか見えない。大学の人文科学がそれらだ。

ドイツには、偉人が多い。フランスは、文化が賢い。どちらもしたいなら、すれば良い。歴史は、普通、ドイツやアメリカやロシアのこともきちんと分かる。いくらか分かれば良いだけだから、本気でしなくて良い。もうすでにほとんど出来ているから、楽だ。

自分は、心理学の本を読むことにする。それで、もうきちんと全て分かる。経済学は、やりようがないから、出来ない。もうすでに、経済学のことは全て分かっている。心理学のことをした方が良い。それこそ、経済はまたいつか読めば良い。

世界史の現代史なんか、読む意味が無い。いつも分かっている。意味の無い文章が永遠に続くだけだから、読まなくて良い。近代まではきちんと読んだ。

だが、世界史も並行して読みたいと思う。おとなの教養の本もきちんと読んでいる。

不思議と、これで心理学をする人間が、大学の哲学科に一番多い。文学や経済もきちんといくらか学んでいる人間が一番多い。京都大学ぐらいの文学部哲学科と思えば良い。

心理学は、AなのかBなのかではなく、異なる次元から答えを導き出す。

そして、死とは何なのか、のような問いに対して、直接的にではなく、その裏にある衝動的、情緒的感情について、目を向ける。

今、ユング心理学の本を読んで、そういうことが書いてあった。

昔から、そういう風に、環境的要因や、思い出すことによる考え方が多い。

それこそ、心理学は分かる学問だから、心理学できちんと分かる人間が多い。

あとは、経済学は無視した方が良い。普通、そこまでしない。もう終わったのが経済学だ。

視野を広げて考えること。そういう発想が、一番心理学に多い。

昔は、概念と具体例を実地的に比較して分かっていた。そこから、経済学や心理学を作っていた。そういうわけで、昔は、この世界にある具体例のことを良く分かっていた。その理由で、この世界にある社会学や哲学のようなことを分かっていた。

自分は、心理学に向いている。心理学には、賢い考え方の知恵のようなものが多い。物理学のことを心に適用しているようで、物理学的では全くない。心理学は、知恵の学問だ。

経済学は、学問的に考えるよりも、社会経験を積んで、社会に対して色んなことをしていると、良く分かる。学問的に考えると、政治家と金と役所の学問に見える。もっと、色んな社会経験をした方が良い。これが心理学と社会経験をすると、分かる人間が多い。

ユング心理学の本に書いてあるが、その場に居て、共に経験している限り、本当に客観的な観察者になることは、難しい。自分も、昔そういう風に考えていた。環境の内部に居ると、環境で共に経験しているだけで、本当に客観的に外側から環境を見ることは出来ない。昔から、自分はそういう風に、環境の内側と外側で分かっていた。

心理学は、客観科学ではない。客観的にはなれない学問だ。昔から、自分が同じだ。自分も、その人との経験的な融和と主客の関係や変化を考えて、同じ経験をして分かっていた。ネットを見ながら学校を思い出して、他人と一体の同じ経験をして分かっていた。

心理学は、そういう風に、人と人の関係を考えることが多い。共に経験することが多い。客観的にはなれないのは、ネットを見ていると、良く分かる。

あとは、ネットで認識を考えながら、認識がどこから生まれるのか、その衝動はどんな心と学習と自覚から生まれるのか、考えていた。人間がどうなるのか、分かっていた。

心理学の本は、きちんと賢いことが書かれている。昔から、自分はこういう風に分かる。

心理学は、不可解な因果性、特に予知夢などに遭遇すると言うが、自分は、未来なんか決まっている、と言う観点でそれを考えている。それこそ、歌手などを見ていると、明らかに自分の存在が過去に宇宙において決まっている。予知なんか、いくらでもある。ただ、自由なところもある。神が居るように見えて、要は、宇宙はゲームのようなものだ。それが起きる条件が整った時、未来の出来事まで、全部決まっている。テレビゲームのような世界が、人生と宇宙である。それは、自由を否定していない。自由と自然も正しい。未来は変えられるとは言うが、変えられない未来もある。それも、おかしくは無い。ポルノグラフィティなどを聴いていると、未来の自分の人生まで、全部分かっている。

あとは、ハイデガーの意識と経験、ウィトゲンシュタインの像と言語ゲーム、サルトルのあるものや無いもの、カントの認識の確実性、のように分かっていた。

それらは、心理学を分かっていると、分かる。心理学をしていると、そういう風になる。

それこそ、昔は、心理学的な作用と原因からそういうものを考えていた。

環境から、意図と客観性のようなものを考えた。「共に経験する」は本当に多かった。

フロイトは性的衝動、アドラーは劣等感を悪いと言っている。人間の根源的な心の病気の原因だと言っている。それは、こういう人間のことを言っている。こういう人間が、そういう人間しか居ない。あとは、狂うと、自分でも衝動がコントロール出来なくなる。狂っても、辛いだけだから、狂わない方が良い。

性的衝動とは言うが、キモイのが心理学だ。だが、心理学の本はきちんと読んだ方が良い。分かるだけではなく、治る。それこそ、昔の自分を知りたいなら、哲学と心理学が良い。

人生には、普通分からないが、分からないと悪いことが、沢山ある。そういうことは、分かるようで、分からない。それは、きちんと分かるべきだ。心の病気の患者が、「何故自分の恋人は死んだのか」と言うが、誰でも、「それは適当に偶然死んだだけだ」と言う。そういうことを言うのが、一番悪い。そういう風に、悪いことは悪いと思った方が良い。

そういう、「普通分からないこと、同時に、その上で分かるべきこと」のようなことは、心理学に一番多い。心理学をすると、そういう、分かる、分からない、などが良く分かる。

昔は、そういう、心理学的な「分かる、分からない」が良く分かっていた。

あとは、自分が狂っているのは、全部、女になっているのが悪い。そこがキモイせいで、虫みたいにキモくなっている。治すためには、女を殺すしかない。それは、出来ない。そういうわけで、治らない。むしろ、何か、女になっている原因を無くせばいい。そうすると、昔の性的衝動が悪い。性的衝動のせいでそういう風になる。

治るためには、フロイトのように精神分析をするしかない。

むしろ、良く分からない。性的衝動とは言うが、この世界の、パソコンやアニメのようなものが悪い。そうすると、オタクやロリコンが悪いように見える。

そういうわけで、日本が悪いから、こういう風に日本が嫌いになる。ドイツはまともだ。

良く分からない。何かがおかしいのは、おかしいことを忘れたいだけだ。自分があまりにおかしいのを忘れたい。こんなまともな文章を書いているのは、おかしな自分を忘れたいからだ。それ以上、色んなことを分析していると、いつか治る。その治るに意味が無い。

要は、走るのが好きだったのが悪い。小学生時代、駅伝の大会に出るくらい、陸上が好きだった。勉強が好きなのもおかしい。そういうものは、全部、母親のせいでそうなっている。母親が悪い。あとは、そのせいで、こんなに自分から地獄を生きるようになった。

自分を否定したくない。そのせいで、こんなに昔の自分をそこまで思い出して書くようになった。それが一番狂っている。要は、自分だけ世界に取り残されている。そして、自分だけが賢い。他の人間が馬鹿なのが悪い。何故か、それが正しい。他の人間が馬鹿すぎる。自分は、自分の仕事だけに集中したいだけだ。皆が馬鹿すぎるのが悪い。

数学も数学で多かった。数学的論理を、全部作って、積み重ねて分かっていた。

経済も多い。そういう、普通の賢い人間だった。

これは、賢く見えて、賢くない。2ちゃんねるにこういう人間が多い。狂っているだけだ。

昔から、自分のことを治して分かっていた。

英語をした方が良い。このまま、アメリカの普遍的な理解を知って、アメリカ人のように出来る。不思議と、そこが分かると、きちんと英語が聞き取れるようになる。

影響力と融和による、本当の安らぎのようなことが多かった。いくらでも戦っていると、そういう人間になる。タリバンは怖いが、それで安心出来る人間だった。

あとは、人生を生きる考え方、経験的な知恵が多かった。

ヘーゲルのように、共同性を自覚して分かっていた。

ロシア人やドイツ人を、精神分析と対話から分かっていた。

そろそろ終わりだ。昔の自分が見える。本当に、他にあまり無かった。

もう、自分を分かるのは止めた方が良い。2ちゃんねるがこういう風になる。

もっと、馬鹿で良いのが分かっていない。誰もが馬鹿だし、2ちゃんねるが賢いわけがない。もっと、馬鹿で賢くなれば良い。馬鹿で賢い人間が、どこにも多い。

ネットで全員分かっているせいで、ロシア人やドイツ人まで分かっていた。宣言で、それらのようになった。もっと宣言すれば良い。ネットは見なくても分かる。

自分は、人間を超えて、もっと賢い生命になる。火の鳥のような生命になる。昔から、そういう発想が多い。だが、むしろ、もっと正常な普通の人間にもなりたい。それは、良く分からない。普通の人間はつまらない。今が一番普通の人間だ。賢い人間になりたい。

何か、もっと賢くて新しい体験をしたい。それは、難しい。誰でもこういう風に分かる。普通、他のものは無い。新しい体験をしたいなら、他人を無視すれば良い。

ただ、それも間違いだ。他人を無視すると、何も出来ない。他人を見た方が良い。

社会のことを自由から論理的に考えて、モデルと説明から具体的に分かっていた。

理想と現実を考えながら、色んな人の言っていることを聞いて分かっていた。

そろそろ、昔はもう良い。賢い人間はこういう風になる。これの通りになる人間が多い。

あとは、言語分析をしたり、共有を良く考えたり、経験から観念や印象が現れるのを考えたりしていた。言語ゲームとは自分のことを言っている。表現や外向性を考えていた。

パソコンが悪いのは、昔から分かっていた。

足が治るのは、怖くないと思えば治る。辛いことは、怖いと思うと出来ない。怖くないと思えば出来る。辛くなるのを怖くないと思えば良い。それですぐに死ぬ。

無意識で分かっていると、それで出来る人間が多い。人間が意識出来ることは、意識出来ないことに比べると、少ない。何もかも、無意識のうちに行われることが一番多い。

ネットでの活動が、どういう風に意識が関係して行われるか、のようなことを考えていた。

現実世界の、場面やシチュエーションを考えること。昔は、それをネットで分かっていた。色んな場面や状況を比較して、人生とともに分かる。環境を比較して、想定していた。

あとは、ネットで左翼みたいなことを言って、活動や経験をしていた。

体験から分かる人間だった。

自分は、人生から分かるのが悪い。もっと、人間と人間の関係から分かれば良い。

人間がいかに人間のことを支配出来るかが分かっていた。

成長や経験から、人間が目的的に何を決めて行くのかを分かっていた。

いかにして社会を作るのか、いかにして平和な環境や心を築くのか、から、平穏で聡明な考え方をするためにはどうすれば良いのか、分かっていた。

知性があった。知性から、社会、未知、人間、自然、理性のことを分かっていた。

歴史から、今この世界がある状態のことを分かっていた。

経験から、真実をどのように捉えるべきか、方法的に分かっていた。

何故この世界がこの世界になったのかを、世代や時代を超えて、昔の人間の居る世界を想定して、過去の時代を想定して、上の世代がやってきたことを考えていた。

人間が何を考えているのか、どんな中で生き、何を知っているのかを考えていた。

経験的に、自由な方法と全ての本質を分かっていた。

あとは、体験的に心理学を分かったと思えば良い。そろそろ、もう無い。

出来事は、宇宙において、相対的だが、同時に、決まっていると考えていた。

部分と全体から、気づきのようにして、世界の集合を考えていた。

集団の中では、人は没してしまう。自由な中では、人は孤立してしまう。それを超えて、本当の意味で、皆と仲良くすること。本当の意味で、皆を助けること。そういう風に考えれば良い。本当の意味で、チャンスを作ること。本当の意味で、自由を実現すること。

人間は、いくらでも社会を変えられる。それを、自分の発想と、この世界で確かに出来る、確かな手段から考えていた。昔は、「確かに出来る手段」と言う発想が多かった。

経済なんか、考えない方が分かる。そういう、「考えず、覚える」ことが、賢いこともある。

皆家で生きているが、それぞれ、それらの環境しか分かっていない。知と意識は相対的である。それこそ、人生の中で、本当に沢山関わるのは、家族だけだ。本当に、人間は多すぎるせいで、全く関係が無く見える。ネットぐらいしか関係しない。

もっと、関係を増やすべきだ。自分は、ネットでさまざまな人間との出会いを経験して、誰にでも良いことが出来る人間になっていた。それこそ、関係は増やすべきだ。

もう、何も無い。ファンモンが見ても、こんな馬鹿と出会ったのはありえない。偶然繋がって、本当に色んなことを教えた。それこそ、それが良い人間は多い。

考え方とは言うが、「1つのことが成り立つ時、他のことも成り立つ。同時に、成り立つ1つのことは、いつでも正しい。正しい論理は、別のことにも適用出来る。実験から確かめられる。」とか、そういうことをいつも分かっていた。そういう風に分かったのが自分だ。

そういうわけで、環境の推論や、認識の確実性、疑似数学、論理学、世界観とは、そういう、「1つのことがいつでも成り立ち、ある1つのことから別のことが言える」と言う、数学的な証明の命題を分かっていたに過ぎない。「正しさの同じと違う」から分かっていた。

正しいことは、いつでも正しい。それから分かっていた。

環境は意識によって作られるが、環境が意識を決める。そういう風に経験を考えていた。

戦争は悪い。戦争は、不自由を迫られる。戦争で死ぬと、それで終わりだ。皆の人生を消していいわけが無い。死にたくないものを強制的に殺すのはおかしい。右翼は悪い。

人間と人間の関係を考えれば良い。昔は、自由な関係を考えて分かっていた。

関係を考えて分かる人間が一番多いから、それを考えれば分かる。

昔は、奴隷根性みたいなものがある人間だった。本当に奴隷みたいな人間だった。

英語は、喋っているのだけを聴くのではなく、その言おうとしていることを、文字を思い浮かべながら聞くと分かる。それも、喋っているのと文字や言葉を分離して考えた方が良い。アメリカ人が口で喋っているのと、それが言わんとする言葉は、違うレベルにある。

英語は、そろそろ言っていることが分かる。

足は、いくらか負けると治る。

テレビと戦いながら、世界を心理的、環境的に支配している。それを、もう一度、最初からちゃんと行った方が良い。きちんと支配するべきだ。解放ばかり繰り返す意味が無い。

英語のラジオは、英語を聴くと思うのではなく、ニュースの内容を聴く、と思わないと分からない。むしろ、最初は、ラジオのニュースより、簡単なダイアログから分かるべきだ。単純な2人の会話なら分かる人間が多い。日本語は、誰でも会話から分かる。

自分が神ほどに分かっているのは、昔考え方と経験をネットと知性から知ったからだ。

ネットの英語のラジオが、そろそろ分かってきた。もう、英語が分かるようになる。

イギリスが世界を制覇したから、英語が標準になった。もし、日本が制覇していたら、日本語が標準になっている。そういう風に分かるのを、知性と言う。昔は、そういう知性で色んなことを分かっていた。そういう知性は、ある人間が多いが、無い人間も多い。

経済のことは、そういう知性で分かる人間が多い。

今日も、もう寝る時間だから、今日はもう止める。

あれは、知性で全部分かるありえない人間だ。全部考えて、全てのことを分かっていた。