数学の世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
数学的に考えるコツは二つ。まず、「ルールを考えること」。次に、「ものごとの裏側にある絶対的な法則を導き出すこと」。これができれば数学はできる。あとは、ひとつひとつコツコツと理解を積み重ね続ければ、全部の法則を知って「すべてを理解し終えた境地」を知ることができる。
数学をする上で必要なのは、「定理と証明」です。
数学は、空間や数や論理における、さまざまな定理を証明し、その正しさを知るための学問であると言えます。
たとえば、四角形の面積は誰もが知っているように「縦の辺×横の辺」で求めることができます。
この面積の出し方を知っていれば、四角形同士のものについて、どちらの方が大きいか、小さいかを比べられます。
また、三角形について面積を出したい時はどうすればいいでしょうか。
三角形の面積は、誰もが知っているように、「底辺×高さ÷2」で求められるでしょう。
しかしながら、これだけでは十分ではありません。
この公式を覚えることで、経験的に「こうすれば三角形の面積は出せる」と知っていたとしても、そこまでの段階では、知っているだけで証明されていない、つまり、「なぜそうなるのか分かっていない」からです。
数学とは、こうした時、論理的な考え方で「なぜそうなるのか」までを考えます。
すなわち、三角形の面積を出す際に、その三角形をちょうど含むような四角形の面積に、補助線を引けば、三角形の面積はちょうど四角形の面積の半分になることが証明できます。
このように、数学とは、「実際の数や空間や論理の中で、それがそうなると言える時、それがなぜそうなるのかを考える学問」であると言えるでしょう。
チャート式のような数学の問題を解く上で重要なのは、「数学の各分野について一通りできるようになる」ということだと思います。
たとえば、方程式を解くことで、数式とはなんなのか、未知数・変数・定数とはどういうものなのか、「数式を上手く使うことでどんなことが(簡単に)可能になるのか」ということが一通り分かります。
また、二次関数について問題を解くことで、「関数やグラフとはなんなのか」、ということが分かります。関数の書き方や、関数における数式の変形の仕方、あるいは注意点なども分かります。
そして、三角比について問題を解くことで、公式を覚えること、公式を図形に適用することが分かります。
このように、数学を学ぶことで、「それぞれの数学の各分野について一通りできるようになる」ということができます。無意味だと思っている人は、技法や個別の問題にとらわれすぎていて、全体を見ていないのかもしれません。
僕は、有理数や実数や複素数の先にある数として、「完全数p」を考えました。
まず、完全数pは、虚数単位\(i\)、ネイピア数\(e\)、円周率\(\pi\)から構成されます。
このそれぞれの数によって関数を構成し、この関数に微分をかけ、微分をかける回数によって数を作ります。
完全数pは、通常の整数のように、0, 1, 2, 3と連続していません。\(i\)と\(e\)と\(\pi\)から構成される関数を、0回微分する、1回微分する、2回微分する、3回微分する、というように値を作っていくのです。
この完全数pは、「宇宙における本当の数」です。
0, 1, 2, 3のように、1という単位をベースとして作られ、並べられる数は、宇宙における本当の数ではありません。
完全数pこそが、宇宙における本当の数なのです。
僕の作った神話において、一等星であるアケルナルでは、天才バルドルによって、この完全数pが発見されます。
そして、完全数pによって、宇宙のすべてが分かります。物理的な法則も、社会の歴史や未来も、心理学的な心の働きも、すべてが完全数pによって解明され、完全に説明されるのです。
この物語は、あくまでフィクションの物語です。本当に、完全数pという数が正しいわけではありません。ですが、「宇宙における本当の数」というものがもしあったとしたら、そのようなものであるかもしれないと、僕は考えています。
後日注記:すみませんが、「完全数」という用語は、素数の世界で既に使われていた用語だったようです。なので、完全数pについて表す時は、僕の名前を付けて「アッシー数」などと呼んでください。
アケルナル - 宇宙開拓団スバルの記録も参照のこと。
2023.02.13
2023.02.22編集
数式について、四則演算とイコールによる「計算式」であると信じていて、理解しようとするとたくさんの概念を考えるあまり「頭が痛くなってしまう」という人は多いと思います。
ですが、数式は、単なる計算式ではありません。
数式は、数の構造をイコールで表したものです。
すなわち、イコールの左側(左辺)の数の構造を、イコールの右側(右辺)にある式によって表したものなのです。
そこが分かると、数式を「数の構造を明確に示した設計図」であると考えることができます。
足し算や掛け算だけではなく、シグマや極限などが出てきても同じです。左辺の数を成り立たせるための「構造」を、さまざまな演算を使った右辺の式で表したものが数式なのです。
実際には、さまざまな式の種類があるため、「数式のすべてが構造表現である」ということは言えません。定理や幾何学的な量を表した数式もあれば、方程式や関数を表した数式もあります。
ですが、「数の演算をするという時、演算の関係性ということ自体が数の構造を表現している」ということに気付くと、数学はとても簡単に理解できるようになります。
本当は、これはイコールの左辺と右辺だけの話ではありません。数式の構成要素はすべて数の部分的な構造であると言えます。カッコの中の数字も、分子と分母やルートの中の式も、すべて「数の構造を表現したもの」です。数学の数式は、すべて構造による構造で成り立っているのです。
2023.08.25
数学において重要なのは、逆演算という概念です。
左辺の式に演算をして右辺の式になるのであれば、右辺の式に対して「逆の演算」をすれば左辺の式になる、ということです。
たとえば、足し算に対しては引き算、掛け算に対しては割り算、累乗に対しては平方根、のように、数学の基本は演算と逆演算で成り立ちます。
さらに複雑な式であれば、微分と積分や、指数と対数なども同様だと言えます。
すべてが演算と逆演算で成り立つことを知れば、方程式や関数は演算と逆演算に関する概念だと言うことも分かります。その式が何かの値を持つということは、その値にはもともとの関数や方程式のような式があったということです。そのように考えることで、「左辺と右辺の関係」という、数学の基本が分かるようになります。
後日注記:関数は逆演算を用いて逆に書ける。\(y=2ax\)ならば\(x=\frac{y}{2a}\)である。方程式は、この関係を使って文字式の未知数の値を求める方法である。
2023.08.25
2023.09.12編集
証明とは、推論するということです。
推論とは、「もしそうであれば、それはそうである」とか、「それが成り立つならば、それによってそれも成り立つ」と考えることです。
ここで重要なのは、「その定理が成り立つためには、必要な前提条件が満たされる必要がある」ということです。
何かを成り立たせるために何が必要か、これこそが「推論」であり、数学の証明のパズルを解くために必要な「知性」です。
そして、そのように考えるコツは、この世界のすべてを決定論的に考えることです。
すなわち、何かが決定されるためには、どのような条件が満たされる必要があるか、ということを常に考えることのできる人間が、一番数学者に向いています。
「もしそれを実現したくても、何か別のそれが成り立たなければ実現できない」、そのように考えることは誰でもあることだと思います。
数学者に向いているのは、そのように「何かをやるために必要なことは何か」ということを考える人間です。そして、そのことを極めて論理的かつ具体的に考えられる人間、その定理や証明を正しく厳密に数式に記述できる人間が、もっとも数学者に向いています。
2023.08.25
最後に、数学とは基礎と応用です。
足し算と引き算という基礎から、掛け算と割り算が応用として成り立つように、すべての数式には「根源となる基礎」と「それを使った応用」があります。
結局、もっとも低いレベルを見れば、数学にあるのはプラスとマイナスと数とイコールだけです。
ですが、もっとも高いレベルを見れば、数学は複雑で多様な概念がたくさん登場します。
教科書には、そのような「概念」がたくさん書かれています。数学の醍醐味とはそのような「概念」を知ることです。そして、概念には必ず「方法」がついてきます。数についての概念と方法を知るということ、それが「数学を学ぶ」ということです。そして、そのためには「基礎と応用」が欠かせないのです。
2023.08.25
まず、数学をはじめようをお読みください。
・代数
・幾何学
・三角比
・微積分
・複素数
・指数対数
・ベクトル
・数列
・数学史
・オイラー
以下の書籍が参考になります。
自分の書いたブログ「フレイヤの哲学世界」2021/01/01より。
数学の勉強をすることにした。
今から、高校数学の本を読む。
見ていると、数学はパソコンとよく似ているところがある。
集合と論理は、if文の条件式と似ているが、ベン図を用いて書くのが違う。
数列(Σ)や微積分の総和を取るのは、forループ文や再帰関数で計算するのとよく似ている。
また、順列は配列やリストとよく似ていて、データ構造とアルゴリズムの設計にも繋がる考え方だ。
関数という考え方が、そもそもハッシュのキーと値のように、「何かに対して何かの値が必ずただひとつ定まる」というのも、今までの理解を深める上でよく分かる。
また、指数対数や10進数、2進数の考え方は、デジタル情報の基本的な計算原理だ。
また、少し違うかもしれないが、1次関数、2次関数、三角関数によるグラフは、gnuplotで表示することができるし、三角関数は、プログラミングにおいても、特に物理計算などにおいてよく使われる関数だ。
パソコンと関係がないかもしれないが、虚数単位iが、平方根の中の負数から考えられるのは知らなかった。
指数の拡張におけるマイナスと分数の関係、分数と平方根の関係も、とても面白い。
ベクトルや行列、確率や統計の考え方も、高度な情報処理やデータ解析に通じるところがあり、また、SQLやエクセル、PythonやR言語のやり方にも通じるところがある。
ベクトルにおける「力の合成」はシミュレーションにも重なる考え方だ。
デカルト座標のような「図形と座標による関数解析」は、人工知能や機械学習・データマイニングにも通じるところがある。
自分の書いたブログ「フレイヤの哲学世界」2021/01/03より。
数学的に考えるとは何か。
それは、現実における概念と考え方を、原理的かつ抽象的に、成立するものを考えることだ。
ここで、概念が重要である。
角度があるのは、360度の回転があるからであり、結局空間があるだけだ。
物質があるのは、原子による力やエネルギーがあるからだ。
単に、化学的な分子構造があるだけに過ぎない。
結局、空間と時間と力がある、ということに過ぎない。
しかしながら、それを人間的、理性的に、公式と仮説と証明を通じて、純粋理性を超越して把握する試みを、数学と呼ぶのだ。
まさに、宇宙に本当に存在するのは、素粒子と四次元時空の世界だ。
量子力学と相対性理論を考える、現代物理しか賢くない。
アインシュタインこそが、もっとも賢いのだ。
そして、学校教育の目的は、新しいアインシュタインのような天才を生み出すことにあるのだ。
数学の問題を解くコツは、「絶対にそういう決まりになる」ということを考えることだ。
どんな公式や理論も、絶対にそうなると分かれば、簡単に応用が効く。
しかしながら、空間や時間という、隠れた「大前提」があることを、忘れてはならない。
自分の書いたブログ「神々とともに生きる詩人」2021/02/16より。
僕は、学校が嫌いだ。
インターネットで罵声を浴びせたり、炎上したりディスったりするのは、数学を学んでいるせいである。
数学を学ぶと、きちんとした理性を失い、インターネットにのめり込んでしまう。
数学が悪いなら、学校が悪い。
不良は間違いではない。
数学を学ぶな。
数学を学んでいる全ての人間は愚者であり、数学はこの地上から抹消すべきだ。
数学は、有害である。
この世界を滅ぼし、不幸にしているのは、ほかでもない数学である。
数学を競うな。
数学を教えるな。
数学的に考えるな。
数学はゲーム制作者のロボットであり、数学中心の教育は間違った奴隷社会だ。
コンピュータや自動車のようなクズ技術は数学の産物であり、世界をインターネット廃人にしているのは数学であり、子供たちは数学によって馬鹿になり、数学によってクラスメイトをいじめているのだ。
数学は教育をテストや試験にし、点数をとるだけで、ほかの大切なことを教えない。
反知性主義の元凶は数学であり、世界が平和にならないのも数学のせいだ。
数学を学ぶと、本来のこの世界が見えなくなる。
数学がなければきちんと分かる。
数学があると、この世界を、数学的に考えようとする。
しかしながら、それは、間違った考え方だ。
単純に考えれば、全てはシンプルに起きている。
しかしながら、数学は、その正しい考え方を馬鹿だとする。
シンプルに考えるのを拒否し、間違いを改めようとしなくなる。
子供は、数学によって賢い大人にはならない。
数学を学ぶと、それだけに多くを費やし、時間を無駄にする。
全ての子供を点数で比べる数学は、格差のある自由を肯定し、社会を強者による戦争と抑圧にする。
数学は害悪であり、この日本からは数学を抹消すれば、必ず平和な社会となる。
数学で、何も考えずに考えてできるのは、実際は方法しか考えていない。
それは何もできていない。
そのような人間には、天才にはなれない。
以前、数学は諸悪の根源であるかのようなことを書きましたが、本当はそうではありません。
なぜなら、数学的知性は、世界の中でひとり考えるために必要だからです。
数学とは、「頭で考えて答えを知る力」であり、同時に「世界における概念とそこから得られる推論を知ることのできる力」であり、「本当の問題とは何かを自分の力で導き出して発見することのできる力」です。
数学は、つまらない学習を試験勉強のようにさせるため、学校で習っていると学習するためのモチベーションがなくなり、ゲーム廃人やネット廃人になるきっかけを作り出します。
しかしながら、経験的な知性と理性的な知性を併せ持つ「哲学者」にとっては、中学高校の数学はとても大きな力になります。
たとえば、数学は「公理に基づいて定義と証明を考える」ということができます。また、「命題の裏側にある法則とルールを考えて、命題そのものを捉え直す」こともできます。
このような数学特有の力で、世界を切り開くことができます。インターネットの仮想世界で、人々が「これこそがわたしなのだ」と主張する「自己主張」を見て、「ああ、彼らはそのように考えるのだ」というだけでは終わらずに、「真にこの世界とはなんであるのか」をいうことを突き詰めて考え、「この世界とは本来こうした世界なのだ、ということを意味する」ということが分かるためには、数学的な知性というのは絶対に必要になります。
また、学校の数学的な勉強は無駄ではありません。学校では、覚えるだけの教育や授業はしていません。学校の数学とは「与えられたルールの中で最善の答えはなんであるかを自分の力で発見する」ということです。これは社会において、大人が生きるために必要な「生きていく力」です。決して子供が遊ぶパズルだから教えているわけではなく、大人になるための必須の教養として数学を教えているのです。
また、僕は、数学者になるためのコツは、この世界の裏側にある「何か」を考え、その「絶対的な法則」を解明することだと思います。
数学とは、ものを見る科学ではありません。ものが、現実においても理数的な世界においても、もしそこにあったとして、そのあるものが、背景に「どのような裏の法則が働いているのか」、ということを考える科学です。
ですので、数学的に考える上では、実際の数式を考えるだけではなく、数式や実験結果の意味する「裏の法則」を考えるようにしましょう。この裏の法則は、考えても分からないように見えて、実際は考えるだけだから分からないのであり、さまざまな実験を行う場を与えられれば分かることもあります。これは必ずしも相対的であるとは限りません。逆に、「シンプルかつ絶対的」に働いている法則はたくさんあります。ニュートンの万有引力の法則も、そうした実例のひとつであると言えるでしょう。
実際のところ、ゲームと数学は親和性が高いです。
ゲームとは、要するに、「クリアできるまで、何度もステージに挑戦し続ける」ということであり、何度も集中して挑戦し続ければ、クリアすることができます。
これは、まさに数学と同じです。諦めずに何度も挑戦し、集中して考えれば、計算問題を解くことができるからです。
ただし、ゲームで数学が解けるようになると、逆に繰り返しの中で大切なものを見失ってしまうかもしれません。ひとつひとつの「あるべき発見」を、ゲームの中で見失ってしまいます。
僕は、ゲームで数学ができることは、おすすめしません。
僕は、数学を学ぶなと言っておいて、今から数学を学ぶことにしました。
その理由は、僕はプログラミングをしたいからです。
僕は、そろそろ、歴史や生物学の勉強は、もうする意味がないと分かっています。プログラミングができない理由は、数学ができないからだと分かっています。
家には、姉の使っていた黄チャートのチャート式の参考書があります。
チャート式は、簡単なものから白、黄、青、赤とあります。このうち、赤はする意味がありません。難しい問題しか掲載されておらず、基本的なことは既に分かっていることを念頭において書かれています。難関大学であっても必要ないほどの難しさでありながら、難関大学であっても勉強する手間と時間を考えると適切ではない場合が多いです。
また、白は数学が苦手な方向けであり、分かりやすい説明はありますが、問題が簡単すぎて数学的スキルをつけることができません。
基本的には、黄色で十分です。黄色は、分かりやすく書かれてありながら、数学的な力が伸びるようなたくさんの説明と問題が書かれています。また、難関大学に入るつもりなら、難しい問題の多く掲載されている青に取り組みます。
このようなチャート式の説明をネットでいくらか読んだ結果、僕は黄チャートのチャート式で勉強することにしました。
プログラミングはきっと出来るようになると思います。だから、僕は夢を追いかけるために、黄チャートで数学を学ぶことにしました。
後日注記:僕はなんと、黄チャートのつもりで赤チャートを読んでいた。色が同じ黄色だから分からなかった。赤チャートでも、解説はそんなに難しくはない。だが、問題を解くのは難しいだろう。
僕は、数学とは知性であると思います。
数学は、数や図形といった「自然におけるもの」を、論理性や正しさという「知性」で考えます。
むしろ、数学には、実際、自然すら必要ではありません。数学には論理性や正しさという「知性」のほうが、まず第一に必要であり、数や図形といった「自然における対象物」は、むしろ、なんであっても構わないのです。
数学は物理学と一緒に自然系の科学に分類されることがありますが、ほかのそうした自然科学と異なるのは、「自然という対象物すら必要ではない」からです。
なぜ、数学がこのように「知性」を中心とする学問になったのか、それは数学という特有の科学の本質によるところではなく、人間の作り出してきた、ユークリッド幾何学や四則演算の算術といったものが、公理主義の定義と証明、あるいは正解がただ一つ一対一対応で定まるという、「今の人間の数学」を築き上げ、そのような「数学とは答えを論理的に導き出す学問である」という意味合いを付加してしまったのです。
では、もし地球ではなく、ほかのもっと進んだ星があったとして、その星では「知性に基づかない、もっと別のものに基づく数学」があるでしょうか。僕はあると思います。そもそも、ユークリッドが原論で「図形の法則性の正しさを考える」としたところから、「数学=知性の学問」となってしまいました。しかしながら、これは「必然的ではない」と僕は思います。知性を使わない数学があったとしても、おかしくはありません。そして、それが自然に基づくものではなかったとしても、これもおかしくはありません。「自然にも感覚にも知性にも基づかない、新しい意味での形式科学」というものがある可能性は、僕はあると思います。
上に、数学にとって必要なのは、自然よりも前に知性であると言いました。要するに、数学には自然は必要ないということです。
ですが、その結論に反して、数学は、自然を書き記す上で、あまりに有用な「言語」です。
多くの物理法則が、数学によって書き記されます。たとえば、空間、時間、力、質量、エネルギー、熱、エントロピー、など、多くの自然の営みが、「数学によってしか書き記すことができず、数学によってしか知ることができない」のです。
このような自然の言語としての数学は、むしろ、知性すら必要ではありません。人間の考える意志や感覚とは無関係に、自然そのものの厳密な「量の関係と原理」だけを書き記す上では、逆に「人間の持っている知性は邪魔なものになる」からです。
言ってしまえば、数学に自然が必要か、それとも不必要かというのは、同じことの裏表にすぎません。片方では自然とはまったく無関係な「知性」を行いながら、もう片方では知性などまったく存在しないような「自然」を単純かつ厳密に計算します。
数学は、そのため、よくわからない、ふわふわした掴みどころのないものであると感じられがちです。ですが、自然を人間の頭を介さずに徹底的に正しく厳密に書き記すこともできるが、自然などまったく存在しなくても人間の頭だけで考えることもできる、これが数学の特徴であると思います。
数学について言えば、数学は子供のための学問だと思います。
図形の特徴や性質を知ったり、法則の成り立ちを知ったり、規則やその応用を知ったり、さまざまな概念と方法を知るということは、子供にとって「頭の体操」になり、何も考えることのできない子供が「世界を自らの力で考えるための最初のとっかかり」になってくれます。
特に、「計算と証明のプロセスは同じ」という考え方は、プログラミングを学ぶ上で非常に効果的です。
ですが、数学は大人向けの学問ではありません。大人は、数学をいくら学んでも、賢くなることはなく、自然に存在する「本当に賢い大人の知性」を失い、「何も分からない無能な大人」になってしまうからです。
なので、子供に数学を教えることは必要ですが、大人に数学を教える必要はないと思います。
ただし、仕事のために数学がまったく必要でないかと言えばそれは嘘です。特に、三角比や三角関数は、プログラミング、特にゲームの開発には大きく出てきます。logを使った統計力学なども、金融や気象などの多くの分野で(僕は何も知らないため間違っているかもしれないが)必要になります。
なので、数学を子供のうちに学んでいることはためになります。
同時に、人生を生きる上でも数学は重要です。なぜなら、数学的に考えると、哲学的な「根源的命題を考える」ということの訓練ができるからです。
哲学では、経験から考えることで、人生や宇宙の「本当に考えるべきことはなんであるか」ということを考えます。そのようなことを考えるために、数学的知性は必須です。理性のない人間には、結果から原因を統合的・総合的に導き出すということができないからです。
数学は、子供に対して学ばせるべき、重要な学問です。なので、「子供たちに数学を学ばせるな」といったことを僕が言ったのは、完全にお門違いであると言えるでしょう。
代数や幾何学や数学その他や初等数学や数学的考え方や問題解決の技法に関連する内容があります。
物理的方法や力学やニュートンとアインシュタインや科学者・科学史に関連する内容があります。
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