物理的方法の世界観です。
ゼロからでは分からないことであっても、なんらかの手法や理論に基づいて考えれば考えられる、ということは大切です。
この世界のすべては、既に分かっていることだけでは考えられません。ですが、まったくの未知の状態で、この世界の何かを考えよと言われても、考えられるのは単純なものや言葉、あるいは周りに存在する世界から考えるしかありません。
ですが、ゼロから考えられないことであっても、科学的な手法や理論に基づいて考えれば、考えられます。
科学的な手法と理論とは、要するに物理的な考え方、仮説と実験の手法、物理的な理論、物理法則、などといったものです。
物理学では、仮説と実験による手法を重視します。まず、現実の世界を観察し、それが「もしからしたらそういうことではないか」という仮説を立てます。そして、仮説の通りだとしたらどうなるか、という「説明」となる推測を行います。そして、それを実際に実験し、証明します。そして、再現性に基づいて理論を完成させ、説明します。
このような方法を用いることで、ゼロから考えるのではなく、多くの科学者が考えた「先人の知恵」に基づいて、この世界を物理的手法によって捉え、解明することができます。
物理学者が、数式や再現性に基づく証明にこだわる理由は、コミュニケーションのためです。
ひとりの哲学者が分かったことであれば、その哲学者だけが本質を理解して終わりかもしれません。ですが、それは哲学者や思想家とは言えても、科学者ではありません。
もし、再現性に基づくことなく、今それがそうなっただけでそれを決めつけてしまうと、「偶然」とか「まぐれ」とか「勘違い」とか「思い込み」と言われる可能性があるでしょう。
物理学の理論は、再現性と証明に基づかなければなりません。他人が同じ条件で再現できる、証明された理論であれば、別の科学者が「発見者と同じように再現する」ことができます。この時点で、この仮説は理論となります。
また、自然界の現象を数式で表す理由は、物理学を誰にとっても分かるように正しく記述するのに使いやすいからです。物理法則を日本語やドイツ語などで説明しようとすると、それぞれの物理学者によって解釈が異なるかもしれません。すべてを数式で表現できないとしても、数式を使うことで、シンプルな法則が誰にとっても分かりやすい形で記述され、どんなに複雑になってもそれを人それぞれ別の理解や解釈をする余地がなくなるのです。
このような物理学的な手法は、ほかの科学にも応用できます。
たとえば、心理学です。どのような学習のもとに認識や行動があるのかを心理的要素から考えることで、実験的、あるいは学習的に人間の心理を考えることができます。
これをより物理学的にするなら、たくさんの環境における人々の行動を観察し、ひとつひとつを実験することで、人々の行動にかかわる環境や心理の影響を考えられます。
もし、心を解明することができたとしたら、人間と同じように心を持ったロボットが、いつか開発できるかもしれません。
また、社会と心理の関係性を物理学的に解明することで、人々を幸福な状態へと誘導するような、世界を解放する指導者が生まれる可能性すらあると言えるでしょう。
まず、物理学とは何か。物理学は、「変化する現象の理由を知り、法則を解明することで、さまざまなことを説明し、色んなことができるようになる学問」だと僕は思う。
物理学者のやっていることとして、観測したデータや個人の経験による推測から、実験や証明などの科学的手法を用いてそれを実証し、公式や理論を組み立てる、ということがある。
ここで大切なのは、「仮説を説明する」ことと、「再現性」である。
さまざまな仮説が考えられるが、そうした仮説に基づいて「そうであるとしたらそうなるはずだ」と考える。たとえば、振る舞いを観察した実験結果から、「これはこのような理由でこうなるのではないか」ということを推測する。その上で、「こうすれば実証できるはずだ」と考え、そこから、「どのように実験すればそれを証明できるか」と考える。そして、実験する。
また、「自分が見た結果これが正しい」だけでは十分ではない。誰がどのように行っても、同じ結果になる必要がある。これが「再現性」である。結果が誰でも同じように得られ、説明通りになることを再現することができたら、そこで初めて命題は「定理」となる。ここで、はじめて理論的な基礎を作ることができる。
このように見ていくと、物理学者のやっていることはディープラーニングなどの機械学習とよく似ている。僕は、そのうち「自動AI物理学者」が生まれると思う。
僕が思うに、物理学のコツとは、「変化する現象」を上手く考えることです。日頃から変化をよく観察し、その変化の裏側にある「法則性」や「原理」を見つけ出すことで、学校の「公式」はテストで高い点を取るために覚えるものではなく、「変化の根本原理」であるとして「自分の力で公式を理解する」ことができます。数学ではテストや勉強のためではなく、自分の力で環境や実体験に根差した習得を行うことを「体得」と呼びますが、これは体得と近い考え方です。
大人になって、馬鹿になった人間は、科学的な考え方が分かっていません。
何を考えても、昔の若い頃のように分からないのは、科学的な考え方に基づいて考えていないからです。
そのような大人に限って、よく分からないおかしな神や宗教を信じています。
科学的な知性に基づいて考えれば、この世界のことはきちんと分かります。
必要なのは、科学を信じることです。
しかしながら、教科書通りに考える必要はありません。科学的に考えることで、教科書の内容をそのまま分かるのではなく、この世界にあるものを、自分の力で、原因と結果に基づく知性から考えることができます。
馬鹿になった大人が賢い人間に戻るための方法は、科学です。
2023.01.14