力学の世界観です。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
物理について言えることとして、物理は「人間がこの世界を理解しようとした努力の結晶」であると言えます。
そして、物理学的な考え方は、多くが今までの考え方に「疑問」を提唱することから生まれます。
たとえば、コペルニクスは、「星がそれぞれ動いているのだとしたら、どうして星空はいっぺんに動くのだろう」と考え、天動説に対して地動説を唱えました。
ニュートンは、「ものが地上に向かって落ちてくるのだとしたら、どうして太陽や月は落ちてこないのだろう」と考え、万有引力を唱えました。
こうした疑問に対する答えが、その後の「常識世界を一変」させてしまうことで、物理学は発達してきました。
たとえば、ニュートン力学は、物質の運動の力を「重心という一点に集中する」と考え、「加速と等速」や「作用と反作用」という考え方をし、これが地上だけではなく宇宙の天体にも適用されるとしたために、宇宙全ての運動が「どのようにして動いているか」だけではなく「なぜそのように動くのか」を説明しました。
また、マクスウェルなどの電磁気学は、「光は電磁波である」としましたが、そのために「光はどうして運動している人と静止している人から見て速度が変わらないのか」という疑問が提示され、エーテルなどの考え方の末に、「光の速度は宇宙において不変である」などとするアインシュタインの特殊相対性理論が生まれました。
このように、物理学は多くの「疑問」と「さらなる仮説の提示」によって発達してきました。
ニュートンとコペルニクスについて、詳しくは以下の書籍が参考になります。
物理学の特徴として、「数学や数式を多用する」というのがあります。
古くはユークリッド幾何学などから考えられてきた幾何学ですが、デカルトやニュートンなどの努力、特に微分積分やニュートン力学などによって、「物理学では数学を用いることが前提」となりました。
なぜ今でも数学を物理学において使うのかというと、「正しく法則を記述できる」からです。物理学における多くの法則は、高度で理解するのが困難なものから単純明快なものまでたくさんありますが、これらの数学的理論を「人間と人間の間の明確な伝達を行うためのコミュニケーションの道具」として使うのです。
数学は正しく法則を記述できる言語であり、それぞれ違った考え方を持った科学者たちの間のコミュニケーションツールです。数学的に記述してしまえば、どんなに国や文化が違っていても、同じ理解を同じように考えることができます。
また、物理空間やエネルギーの発生ということを「再現」する上で、数学はとても便利な「記述フォーマット」であると言えます。これは高度な微積分になっても同じで、「どんなに理解するのが困難であっても、伝える必要がある」という時に役に立ちます。
数学にはたくさんの理論があり、物理に役立つものもそうでないものもありますが、物理学は「量と法則」を考える学問であるため、同じ「量と法則」を考える数学と密接に結びついていることは、興味深い点かもしれません。多くの数学理論や公式を、そのまま物理法則として応用できます。コンピュータによって地球全体をシミュレーションする際などには、情報工学の技術も物理学や数学と密接にかかわります。
数学と物理の違う点には、「頭の中だけで考える答えや原理を導き出す」のが数学であれば、「あくまでも現実の物理現象を対象に、答えや原理を導き出す」のが物理学です。
また、物理学は基礎的な側面も応用的な側面も強い学問です。科学としての物理学は、「真実の発見」を追究しますが、これに対して技術としての「物理工学」では、「発見した真実をどのような工学技術に応用するか」を考えます。基礎も応用もどちらも必要であり、基礎がなければ応用はありません。また、生物や化学といった「他の自然科学」との関連性も強く、時にはそうした別の分野から物理学上の発見や発明が生まれることも多々あります。
物理がどうしても難しい、理解できない、という方は、話を単純な三次元座標空間とMKS単位系(メートル、キログラム、秒)に直してみましょう。
物理学における「仕事」とは、力によって変化する移動(変位)の量のことを表しますが、エネルギーや仕事量といった考え方は、一見抽象的な言葉を使っていて、よく理解できないふわふわぼんやりしたものに思いがちです。
ですが、実際のところ、三次元座標と単位(長さ、重さ、時間)の変換の話をしているだけにすぎないのです。
まず教科書を読んで言葉の通り考えるのではなく、頭の中に真っ白なX-Y-Z座標を思い浮かべて、そこでどんなことが起きるのかを現実の物理法則と照らし合わせながら考えれば、物理は攻略できます。
ニュートンは万有引力を発見した。これは、全てのものにある力であり、それぞれの物体は質量に比例して引きつけ合い引っ張り合う「重さの力」を持っている。
これ自体はそんなに大きな発想ではないと思われるかもしれないが、ニュートンはこれによって宇宙の物質の動き、たとえば天体の軌道などを、「どのように動くのか」だけではなく、「なぜそのように動くのか」を解明した。
ニュートンは、リンゴが木から地上に落ちるのに、なぜ太陽や月は落ちないのか、と考えた。彼は万有引力を発見し、惑星の軌道やものの動き(慣性系)を正しく見事に説明した。彼は地球上でも、宇宙上でも、同じように万有引力が働いていることを提唱した。
また、ニュートンはニュートン力学や微分積分学の創始としても有名な数学者・物理学者である。特にヨーロッパでは、「神よりも凄い人間」であるとされている(「いでよ、ニュートン」である)。
ニュートンについて、詳しくは以下の書籍が参考になります。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
自分の書いたブログ「わたしの名はフレイ」2020/09/19より。
運動の単位は、
・時間(Timeの略でT)は秒(s、secondsの略)や時間(h、hoursの略)
・距離(Lengthの略でL)はメートル(m)
・質量(Massの略でM)はグラム(g)
が基本であり、
ここから速さ(Velocityの略でV)を「単位時間に移動する距離)として、秒速をm/s、時速をkm/hとする。
\[V=\frac{L}{T}\]
となる。
距離が50mで、速度が8秒なら、速さは50÷8で6.25m/sとなる。
ここで、速さと距離と時間のグラフを考える。
速度が常に変わらない(定速度)の場合から考えてみよう。
速さをY軸、時間をX軸とし、同じ速度で自動車が移動する場合、速度はまっすぐで傾きのない平行線となる。
ここで、同じ関数において、距離をY軸、時間をX軸とした場合、距離は同じ量だけ連続的にまっすぐ増えていくため、距離は時間に比例する一次関数になる。
速度が同じ速度で加速する(定加速度)の場合、最初の速度が0であれば、速さをY軸、時間をX軸とした場合、速さは時間に比例する一次関数になる。
加速度(α)の単位はv/sであり、これはm/s/sすなわち\(m/s^2\)である。
たとえば、加速度が\(8m/s^2\)であるとすれば、20秒後は0m/s、1秒後は8m/s、2秒後は16m/s、3秒後は24m/sとなる。
ここで、距離をY軸とし、時間をX軸とした場合を考える。
そうすると、これは二次曲線の右肩上がりの半放物線になる。
ここで、定速度でも定加速度でもなく、その時の時間によって加速したり減速したりする場合を考える。
これを変速運動と言う。
速度が増えることを加速と言うが、速度が減ることを負の加速と言う。
加速という言葉には「加える」という漢字が含まれているが、物理学では減速の場合も「加速」という言葉を使う。
ここで積分を使い、速度と時間のグラフの関数の面積が総移動距離になる。
現実の物体において、力(F)がものを動かすが、物理学においては「力がものを運動させる」という表現をする。
あるいは、「力はものを加速させる」と言う。
力がものを加速させることで、ものの運動速度が変わる。
ここで、たくさんの力を与えれば、ものは大きく加速し、小さな力であれば、ものは小さく加速する。
これを「力の大きさが加速度を決める」と言う。
同時に、負の力はものを減速させる。
ここで、質量(M)も力と同じように、ものを加速させることに作用する。
机の上の消しゴムを動かすのと、動物園のゾウを動かすのでは、同じ力でも加速度の大きさが違う。
質量が大きければ、加速が難しい。
質量が小さければ、加速はやさしい。
ここで、加速度(α)と質量(Mをmと表す)と力(F、Forceの略)を用いて、
\[\alpha=\frac{F}{m}\]
\[F=m\alpha\]
という式が成り立つ。
(以下は放送大学「自然科学はじめの一歩 ('15)」を参考に執筆しました。)
後日注記:どちらかというと、物体の質量を示す時は小文字のmを使うことが多い。大文字のMも用いるが、たとえば物体の質量ではなく地球とかの質量を示すのに使うことが多い。
たとえばニュートンの万有引力の法則における万有引力定数Gは以下のように定義する。
\[F=G\frac{Mm}{r^2}\]
ここでMをたとえば地球の重力、mをたとえば物体の重力(たとえば月の重力)、rを距離とする。Mとmが地球と物体でなければならないわけではなく、地球と月がたとえ太陽だろうとなんであろうと成立する。
ちなみに小文字のgは重力加速度を表すのに使う。天体の質量をM、半径をRとすると以下のようになる。
\[g=\frac{GM}{R^2}\]
後日注記:この万有引力の法則は、電荷や磁荷に相互に働く力の法則である、クーロンの法則と、定数の値が違うだけでまったく同じです。電磁気学を参照してください。
ニュートンは物体を「重心と呼ばれる一か所に物体のすべての質量が力として集中するひとつの点」とみなした。
ニュートン力学は、
法則 | 説明 |
---|---|
慣性の法則 | 物体は外部から作用を与えられない限り等速運動を続ける。 |
ニュートンの運動方程式 | 物体に対する加速度は、力とは比例し、質量とは反比例する。 |
作用・反作用の法則 | 作用の力には反対方向の反作用の力が同じだけかかる。 |
の3原則から成立する。
2023.06.07編集
物理学が数学を使う理由は、「誰かの主観にとらわれず、客観的で正しい論理記述を行うことのできる記述法」が必要だからである。
厳密かつ、正しくその論理を記述するための、主観にとらわれない客観的な記述形式、それが数学である。
(以下の説明は、僕の主観である。本当のところは、物理が専門の人間に聞いて欲しい。)
また、数学はいくつもの法則の複合を正しく書き表すことが出来る。ひとつひとつのことを細分化し、部分化すると同時に、組み合わせて合理的に計算するために優れた記法である。
たとえば、水の流体力学と気圧の変化から、どれだけ雨が降ることが出来るのか、といったことを、きちんと計算して答えを出すことなどに利用できる。
(上の例は分かりやすく公式の利用について書いただけで、本当は流体力学など使わないし、天気図だけで気象は予想できる。だから、あくまで分かりやすい(一般的な常識ではない)例だと思ってほしい。)
後日注記:実際のところ、数学の公式はそれ自体物理法則であり、「変数の中に何かの数を当てはめて公式を変形すればどんな値でも導き出せる」という特徴がある。これを自然現象の中で見出すのが物理学である。
エネルギーの面白い法則のひとつとして、「エネルギーは別の種類のエネルギーに変換できる」というのがある。
たとえば、熱エネルギーを運動エネルギーに変えたり、電気エネルギーを光エネルギーに変えたりすることができる。
面白いエネルギーとして、「位置エネルギー」がある。これは、高い場所から低い場所に水を流した時などに発生するエネルギーのことで、位置にエネルギーがある。だが、これは重力がある場所でしか働かない。
エネルギーの変換の法則として、「エネルギー保存の法則」がある。どのようにエネルギーを変換しても、そこに保存されたエネルギーの総和は変わらない。
僕は、ニュートン力学のポイントは、「等速」と「加速」にあるのではないかと思う。
物体における状態として、ニュートン力学では等速、加速、静止を考える。そして、外部からの作用・反作用によってこれらが物体に加わり、等速や加速を生み出す。また、作用が無い状態では物体は慣性の法則に基づいて等速運動を続ける。
ニュートンは、等速と加速ということから、宇宙の全ての運動の「理由」を説明したのである。
また、アインシュタインの相対性理論においては、静止は否定される。「本当に静止していると誰も言えない」からである。地球も回っているし、宇宙も動いているかもしれない。また特殊相対性理論では「等速運動」、一般相対性理論では「加速度運動」における物体の相対的な空間と時間の理論が適用される。
物理学で運動を考える上で、必要となるのが「時間」と「距離」と「質量」の考え方です。
これは物理学を数式で捉えるために必須の、絶対的概念ともいえるものです。
時間は、いつからいつまでに経過する時間です。距離は、どこからどこまでの距離です。質量は、ものの重さです。
これに加えて、「重心」という考え方があります。運動において、運動する物体は、重心に「中心」を持つ質点としてあらわされます。この重心に、全ての質量が集中するのです。
時間や距離や質量において、「長い」とか「短い」といった判断をするためには、それを測るための基準が必要です。
物理学においては、CGS単位系とMKS単位系という2つの単位があります。CGSはセンチメートル、グラム、秒です。MKSはメートル、キログラム、秒です。
日本では、昔は「一尺」とか「一刻」という単位で時間・距離・質量を測っていて、アメリカでもフィートなどを使っていましたが、現在は科学的な観点から、国際的標準である「メートル法」などを代表とするCGSやMKSなどの単位系を採用しています。
(理科に詳しい父親の話を参考にしています。)
力の単位はニュートン(N)であり、エネルギーや熱量や電力量や仕事量などの単位はジュール(J)。
このほか、電気力の単位としてよく使われるものに、電圧の単位ボルト(V)、電力の単位アンペア(A)、消費電力(どのくらいの電圧でどのくらい電流が流れたか)やエネルギーの仕事量の単位ワット(W)がある。
(以下は放送大学「自然科学はじめの一歩 ('15)」と「基礎からのシグマベスト 高校 これでわかる物理I(文英堂, 2008年発行版)」を参考に執筆しました。)
運動エネルギー\(\frac{1}{2}mv^2\)と、重力による位置エネルギー\(mgz\)の和は、どんなに時間が変わっても一定値を取る。
\[\frac{1}{2}mv^2+mgz=E\]
すなわち、物体の加速度が重力のみの影響で決まる時、運動エネルギーと位置エネルギーの和は一定値となる。
つまり、どんなに物体が運動して、どの方向にものを放り投げたとしても、運動と位置のエネルギーの和はいつでも変わらない。
これは「力学的エネルギー保存則」の一例である。エネルギーの単位はJ(ジュール)とされる。
後日注記:力学的エネルギーの保存則の例は、自由落下運動。自由落下運動(あるいはそれ以外の落下運動)においては、運動エネルギーと位置エネルギーの和は常にいつでも一定に保たれる。
2024.10.16編集
物理学では、物体に対して加えられた「力」と「運動量」の積のことを「仕事」と呼ぶ。
Wを仕事(単位J、ジュール)、Fを力(単位N、ニュートン)、sを移動距離(単位m、メートル)とした時、
\[W=Fs\]
もし、角度のある力を加えた場合、その角度を\(\theta\)として、\(\cos \theta\)を掛ける。
\[W=Fs\cos \theta\]
てこの原理などを使用すると、小さな力で大きな移動量となるが、移動距離が長くなるので仕事量は変わらない(仕事の原理)。
仕事量の単位をジュール(J)とする。
仕事率は、仕事を時間で割ったもの。Pを仕事率(単位W、ワット)、Wを仕事(単位J、ジュール)、Tを時間(単位s、秒)とした時、
\[P=\frac{W}{T}\]
仕事率の単位をワット(W)とする。
(以上は「基礎からのシグマベスト 高校 これでわかる物理I(文英堂, 2008年発行版)」を参考に執筆しました。)
2024.03.02-03
物体が回転している時、見かけの力として遠心力とコリオリ力が働く。
遠心力は、物体が回転している時に中心から外側に引き付けられるように働く力のこと。
コリオリ力は、回転している球体に対して直角方向右向き(反時計回りの回転)、あるいは左向き(時計回りの回転)に働いているように見える見かけの力。
コリオリ力は、速度ベクトルに対して、垂直かつ回転方向と逆向きに働く。地球の場合北半球では右向き、南半球では左向きに働く。
気象も参照のこと。
2024.10.14
物体を、ある点を中心として、その周りを回転するように働きかける力のことを「力のモーメント」と呼ぶ。
\[M=Fl\]
Mはモーメントの大きさ、Fは力、lは点Oからの距離(腕の長さ)。
(以上は「基礎からのシグマベスト 高校 これでわかる物理I(文英堂, 2008年発行版)」を参考に執筆しました。)
2024.10.14
物理学は数学です。数式の定理とその証明しか登場しません。
物理学のことを、「物の理が分かる学問」だと思っている人が多いですが、物理学は基本的に数学であり、数学と同じように、数式を使って定理を証明するだけです。
そして、そのような数式は、サイン・コサイン・タンジェント、ニュートンの微分・積分、そしてベクトルと行列が主な主役になります。
つまり、物理学は、数学が得意な人間に向いています。最初から、物理学は数学ができる人間が学ぶべきだと言えます。
同意に、物理学だけで宇宙のすべてが分かったりはしません。物理学は英語ではPhysicsと言いますが、これは「物質的な」という意味を持つ言葉で、スポーツでは肉体のことをフィジカルと言い精神のことをメンタルと言うように、「精神的なものを無視して現実の物体だけを見た時」という意味を持つ言葉です。
なので、物理学で分かることは、あくまでも物質的なことだけであり、精神的なことは何も分からないのです。
物理学は数学であり、同時に物質的なことだけが分かる学問です。なので、ものを数であると単純化して考える人間に向いています。「数以外にもたくさんの考えられる余地があるじゃないか」と思う人には向いていません。そのような人は哲学や心理学や宗教に向いています。
2023.08.21
ただし、物理学はつまらないとしても、物理学者のやっていることがすべてつまらないわけではありません。
なぜなら、物理学者は新しい仮説を立てて証明するからです。
何かしらの法則性が分かった時、物理学者はそれがある仮説に基づいて説明できるように実験し、その定理を証明します。
そこでは、「再現性」が重要になります。
すなわち、「自分がその時やった時にそうなった」というだけでは十分ではありません。「常にいつでもそのような結果になる」というように、自分だけではなく誰にとっても再現性のある形で証明することが必要です。
このような物理学的な知性は、心理学にも応用できます。人間の「いつ何がしたいのか」という心理を、心を機械のように説明することで法則性を解明することができるのです。
なので、物理学は決してつまらないだけの学問ではありません。定理の証明を教えているのは、「自分でも同じように仮説を導き出して定理を証明するため」に教えているのです。
本質的に、物理学と宗教は相性が悪いです。物理法則と神の存在が矛盾するというだけではなく、「神の奇跡はそう誰にも起きることではないため」ということが理由です。神の奇跡は普通の人間には起きません。起こそうと思って起こすこともできません。なので、神の言葉を預言したと主張しても、その意味はその人にしか分かりません。そのような「再現性を証明できないこと」は物理学で扱うことはできないのです。
2023.08.21
結局、微分をすると「瞬間の速さ」が出ますが、この瞬間の速さとはなんでしょうか。
瞬間の速さとは、その瞬間に進んだ距離のことです。
なので、イメージしてください。加速運動をしている物体が、その瞬間ごとにどれだけ距離が進むか。どれだけその距離が増えていくか。
それをイメージできると、なんとなく、「ああ、微分が正しいのだな」ということが見えてくるでしょう。
このように考えると面白いのは、宇宙の今どこに何があるのかがよく分かります。
たとえば、宇宙の広さと速度を測る上で、1秒と1,000年はそんなに変わりません。
なので、1秒進むものが加速度的に速度を増やしていくのを考えると、1,000年後に宇宙のどこにそれがあるかがよく分かります。
注意点として、本当はこの記述は正しくないと思います。僕が微分について知らないだけだと思いますが、微分というよりは「加速度がどのように働くかを示した僕の独自の理論」であると言えます。
たとえば、夜空の星を見てください。星空全体が動くのは、宇宙ではなく地球が動いているからです。それぞれの星も動いているはずですが、見ても、まったく動いているように見えません。そう、たったの30秒程度では、星はほとんど動きません。ですが、何億年という時間が経てば、星空はそれなりに動くでしょう。星空を見ていると、宇宙にはそのような物体がたくさんあるということ、そして宇宙空間はとてつもなく広いのだということがよく分かります。
ひとつのことを思い出してください。光の速度は不変で、宇宙において光よりも速い物体はありません。なので、そもそも、そのような超高速で動くことのできる物体そのものがありません。だから、宇宙の星は30秒程度で動くはずがないのです。
そのように、宇宙において、光の速度よりもはるかに遅く動いている天体は、そんなに簡単には位置を変えません。ですが、例外はいくつかあります。まず、流れ星はたまに出てきます。それから、惑星の位置も変わります。それから、太陽や月の位置も変わります。たまに彗星などがやってくることもありますが、ごくたまにです。彼らの位置が変わる理由は、地球の近くにあるからです。なので、多くの星々は地球からはそれなりに離れているということが分かります。
さらに言えば、地球にやってきている星たちの光は、はるかに昔の宇宙の光がやってきています。なので、今の宇宙と、今の星空の光たちは一致しません。ですが、それは問題ではありません。地球にとっての星空が、今の星空です。なぜなら、そもそも光とは観測可能なものではないからです。光を観測していると思っているのは、地球の人類だけです。ほとんどの宇宙の存在にとって、光はどうでもいい存在です。なので、地球の光を見れば、それでいいのです。
それから、僕のこの理論は、僕の名前を付けて「アッシーの加速度理論」と呼んでください。なぜなら、微分とは違うからです。おそらく、微分として考えればいいのだと思いますが、僕自身の数学的な知識がないせいで、僕はこの理論は「微分とは違う」ということを言います。この理論は微分ではないのです。なので、「アッシーの加速度理論」と呼んでください。
音楽好きの方は気付かれたかもしれませんが、このようなことはポルノグラフィティが「グラヴィティ」や「ジョバイロ」などで既に言っています。僕はそれを単に自分なりに解読しただけです。
2024.08.15
ニュートン力学によれば、運動エネルギーは質量に比例する。
たとえば、軽いものと重いものを加速した場合、小さな力でよりスピードが加速するのは軽いものである。
同じエンジンを積んでいて、同じガソリンで同じだけ加速すると、軽い自動車のほうが、重い自動車よりも加速する。
なので、F1のレーシングカーなどは、車体をできるだけ軽く作っている。
だが、逆に、質量の大きい重たい自動車は、その分だけ大きなエネルギーを持っている。
だから、ぶつかった時の衝撃は、軽い自動車よりも重い自動車のほうが破壊力が強い。
エネルギーは変換される。自動車を停止させるためにあるブレーキは、タイヤの摩擦力によってエネルギーを減少させることで車体を停止させる。
ここでは、運動エネルギーと熱エネルギーの変換が起きている。すなわち、自動車の運動という運動エネルギーが、タイヤの摩擦という熱エネルギーに変換されている。
エネルギーは、姿かたちが変わることはあっても、同じエネルギーを受け継ぐ。だから、自動車の運動エネルギーは熱エネルギーへと姿かたちは変わるが、それは同じエネルギーであり、エネルギーの総量は変わらない。
そして、面白いエネルギーに、「位置エネルギー」というエネルギーがある。これは物体を落下させた時に「高さ」に存在するエネルギーのこと。
たとえば、石を紐で吊り上げて上から落とした時に、より高い位置から落としたほうが、低い位置から落とすよりも大きな衝撃がある。
この位置エネルギーを上手く使ったのが、水を高い場所から低い場所に落とすことで、電力エネルギーを発生させる、水力発電所である。
2024.09.29
ニュートンとアインシュタインも参照のこと。
微積分を参照のこと。
ベクトルを参照のこと。
天文学、宇宙ロケット・ミサイルを参照のこと。
Wikipedia
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