数学的考え方の世界観です。
数学的に考える方法として、有効なのは、つまるところ「概念的に考える」ことです。
たとえば、「条件の成立」とか、「真と偽」とか、「次元的連続性」とか、「三次元座標」とか、「一対一関係」とか、そのように、概念的に考えるのです。
真とは、論理的に「正しい」とされること、偽とは、論理的に「間違い」とされることです。
しかしながら、数学や論理学の世界だけではなく、現実にはさまざまな矛盾することがあります。政治的イデオロギーについても同様で、「民主主義と社会主義のどちらが正しいのか」は永遠に決着がつきません。どちらが真であるか、偽であるか、決めることができません。
しかしながら、ヘーゲルは弁証法と呼ばれる考え方を提唱しました。すなわち、Aというテーゼには、Bというアンチテーゼが生まれますが、このAとBを批判的に継承し、新しいジンテーゼであるCをAとBの結果から生み出す、ということです。
弁証法においては、自由と平等の結果憲法ができるなど、政治的・歴史的な意味合いが強いですが、もともとは政治に限った話ではなく、論理学的あるいは哲学的な、「答えが批判的に継承されていく」ということを示す考え方です。
相対性とは、何かと何かを「比べる」ということです。
たとえば、10 + 2 = 12である時、12 - 2 = 10です。ここで、中学数学で習う「移項」という言葉を使うこともできますが、それよりも、「12から比べた場合と、10から比べた場合」という比較の問題として、「差は2である」ということが言えます。
あるいは、別の場所から見た場合、ということも言えます。100m離れた場所から考えて、0地点から200m離れた場所は、それが直線で結ばれるとしたら300m離れているでしょう。
相対性は、むしろ「観測地点」という言葉を使うこともできるでしょう。
また、相対性とは、社会の価値観の問題である時、「それぞれ違った価値観を持っている」などということができます。プラグマティズムでは「価値多元論」と呼びます。幸福は絶対的なものではなく、それぞれの価値観に従う相対的なものである、などと言えるでしょう。
演繹法とは、思弁的・数理的な「正しい前提から正しく推論されて導き出された正しい答え」のことです。
まず、確かであるはずのその前提条件があり、その前提条件から「順序的に導き出して得られた答え」については、「正しい前提から導き出されたのであるから、前提と同様に正しいはずだ」と考えることです。
演繹法は、数学的な理性の極みです。どんな場合においても、数学では演繹法を重視します。
これに対して、帰納法とは、経験的に得られた答えのことです。すなわち、「経験的に考えて、これが正しいように思えるから、これを正しい答えであることにしよう」ということです。これはベーコンなどが唱えた考え方ですが、ベーコンは数学的な演繹法についてを過小評価しました。しかしながら、帰納法が必ずしも間違っているわけではありません。なぜなら、経験をたくさん積み重ねることで、その経験から新しい発見が得られることは、数学においても科学においてもとても重要だからです。理性では分からないことも、一度経験すれば分かることがあります。
条件の成立とは、「もしこれが成り立つなら、別の何かも成り立つ」ということです。
これは、無限に連鎖していきます。すなわち、「これが成り立つと、これが成り立つ。その時これが成り立つから、別の何かがさらに成り立つ」ということです。
カントなどは、原因と結果が連鎖していくこの関係性を「三段論法」などといいます。
成り立つということをきちんと考えることは、「証明」に繋がります。すなわち、「本当にこれは成り立つのかどうか、整合性を検証する」ということです。
一度証明され、成り立つことが分かった命題については、いつでも成り立ち、いつでも使うことができます。これは、「一度作ったロジックは半永久的にいつでも適用できる」ということです。
実験とは、誰から見ても明らかであるように、その正しさを実証することです。
実験という言葉に含まれるのは、「観測的に明らかであるということを示し、誰でも自らと同じように再度実験して実証できる」ということです。これを「再現性」といいます。
初期投資とは、すなわち、「一度作ったものは何度でも再度使うことができるため、最初に多くのコストと手間をかけて再利用可能なものを作る」ということです。
これは、公式から定理を導き出し、その定理を使って命題を証明していく、ということにも繋がります。たとえば、ピタゴラスの定理はいつでも同じように使うことができ、実際のところよく証明に使われるのです。
最初に公理を定めておいて、定義から定理を作っていくことを公理主義といいます。公理とされるのは最低限の自明の理から導き出されることであり、すべては公理における「厳密な定義」をさらに演繹する形で行われます。
次元とは何かを、簡単に説明するのは難しいです。しかしながら、X軸とY軸を持った二次元空間座標がある時、これを二次元座標といいます。関数で掛け算を行う時、y=x2であればこれは二次関数であると言います。
次元は、複数の値や量を持っている時、どれだけの大きさをいくらの種類の軸によって決められるか、といった風に使われる言葉です。
次元的連続性とは、すなわち、0から1, 2, 3, 4, 5, ...と増えていって、正の方向に無限に増えていくこと、逆に-1, -2, -3, -4, -5, ...と減っていって、負の方向にも無限に減っていくこと、などといえると思います。
また、一対一関係とは、「何かの値が決まった時に、別の何かも唯一ひとつの値が決まる」ということです。これは「関数」であると言えます。実際、このような従属性をデータベース設計では関数従属性と呼びます。
積み重ねとは、「事実を積み重ねて全体を知る」ということです。「体系的に知る」といった言葉でも表現できます。
ひとつひとつの覚えたことには、それだけの意味しかないかもしれません。しかしながら、覚えたことを組み合わせ、たくさんの「より上にある知識」へと結集させることで、全体の秩序が見えてきて、「全体を統合的に分かること」ができます。
すなわち、基礎とされることをきちんと学べば、その基礎を使った応用を理解することができるのです。
因果性とは、「なんらかの理由があってこのことが起きる」ということです。
実際、因果性がなんであるか、分からないことは多いもので、「偶然」とか「自然に起きた」などといいますが、よく考えると、どんなことにも理由があり、「自然界には偶然に起きることはない」と言うことだってできるはずです。
実際、原子論で有名なデモクリトスは、「いかなることも偶然に起きることはない」と提唱しました。
すべてのことに理由があるとしたら、その理由はどのようにしたら見つけ出すことができるでしょうか。
たとえば、場合によって別のことが起きる時、その「場合」が「本当にどのような場合であるか」を特定するためには、さまざまな場合を試しながら、別の結果が起きた時、原因を特定できるように問題を少しずつ詳細かつ狭めていき、その問題を特定することができます。
ここから、「説明すると、この理論が正しいのではないか」ということを提唱することを「仮説」と呼びます。
これを証明あるいは再現性があるかのように実験して、仮説を証明した時、この命題は「定理」となります。定理になった段階で、この問題は解決します。
問題を解決して、たくさんの問題からひとつの法則性を導き出すことが「解明」です。解明したことは、もしそれが法則的なものであれば新しい「原理」となります。原理が生まれた段階で、それは「発見」あるいは「発明」と呼べるでしょう。