歴史的政策の世界観です。
封建社会では、人間の職業は身分で決まり、隷属された中で経済が行なわれていた。
公的な農地ではない私的な農地としての土地制度のことを荘園制度という。荘園制度は日本では律令制度の下の奈良時代になる。
荘園であれ公的な土地であれ、百姓は言われるがままに土地を耕し、多くを年貢として持っていかれた。小作人のように、自分の土地を持たず、地主の土地を耕すものも多かった。
そのように、多くを年貢としてもっていかれるような、「不公平で不平等で不自由」な経済が行なわれていた。
政治的には、王朝が律令国家を成立させ、それぞれにさまざまな種類に分かれた法律(刑法的な律と行政法的な令、および格と式)が与えられた。律令国家は特に東アジアで発展した。
ヨーロッパは当時後進地域であり、イタリアのような場所には都市とギルドが生まれた。また、当時は分裂国家が多く、ドイツなどでは中世の自由都市が生まれた。
絶対王政のヨーロッパに見られる経済政策。
重金主義では、金や銀などの貴金属を国富として、植民地などから「奪い取ること」によって蓄積する。
これに対して貿易差額主義は、輸出を促進して輸入を制約することで、国内が豊かになる。貿易の差額を重視する。
どちらにも共通するのは、金や銀、あるいは貨幣の蓄積のために、植民地を征服し、取引をコントロールすることで、国家をほかの国よりも豊かにし、豊かさで圧倒しようとすること。
貿易差額主義は、現在の日本のやり方にも通じる賢いやり方である。日本人でも、輸出を進めて輸入を制限することで、戦争しなくても勝つことが出来た。逆に、重金主義は植民地や新大陸を奴隷にし、貴金属をむさぼり奪う政策であり、この政策に危機感を感じて明治維新の立役者たちは開国を迫られて倒幕運動に至ったのかもしれない。
後日注記:そもそも、イギリスやフランスの国富は、そのように世界中を植民地の奴隷にして奪ったものである。そのため、ヨーロッパの右翼には本当に悪い人間が多い。国王について、他の地域を奴隷にする右翼しかいないのがイギリスやフランスである。逆に、そうした外国を平等にしたい左翼も多い。ヨーロッパの右翼や左翼は、世界全体の正義を考える。国際的だが、必ずしも学があるわけではない。
人々は、産業革命によって工場でたくさんの労働者が働くようになった。大量生産ができるようになった反面、資本家による搾取が問題となり、また工場の労働条件を改善するために社会主義思想が生まれた。マルクスとエンゲルスは「生産過多によって資本帝国主義は滅びる」と主張し、工場や農地を社会所有によってみんなのものにするための共産主義革命を唱えた。
また、産業革命の歴史(第一次~第四次)については以下のページが参考になります。
詳しくは、世界史(近世・近代)やマルクスを参照のこと。
イギリスは先んじて自由と民主主義の市民革命が起きたことで有名である。
ここでは、議会制民主主義による立憲民主主義国家をはじめて構築した。「王は君臨すれども統治せず」という標語がとても有名である。
また、フランスではフランス革命とともに、人権宣言を採択した。ここでは、人間の最初から持っている権利を裁定している。
ほかの民主主義政治体制の例としては、アメリカの独立宣言や、ドイツのワイマール憲法が有名である。
これらの多くは、その時代の啓蒙主義の思想家・哲学者の考え方や思想を体現している。ヴォルテールや三権分立を提唱したモンテスキュー、ルソーやロックなどが著名である。
民主主義やイギリスやフランス史やフランスの革命を参照のこと。
戦後の日本は、奇跡のような経済成長を達成しました。これについて、考えてみましょう。
まず、戦後の日本は、吉田茂総理大臣などが、経済優先のアメリカに対する協調政策を行いました。その後の総理も吉田茂に習って、同様にアメリカとともに歩みました。
日本国憲法はアメリカによって作られた憲法ですが、軍事力を持たないことなどは、当時の世論から見てとても先進的で、希望のあるものでした。
戦後、日本は大量の廃墟や物資の不足を抱え、人々は生活に困窮しました。混乱の中で駅には「駅の子」と呼ばれる浮浪児があふれました。
ですが、民主主義になった日本にできることは、いくつかありました。
まず、SONYや松下のような会社は、アメリカなどの製品を解体し、その仕組みを研究し、自分で同じものを作れるようになることを目指して、「ものまね猿」と言われながらも、アメリカの作る製品を自分たちも作って売ってやろうという根性を見せました。
最初は、ただのパチモンであり、全くアメリカの製品と張り合うものではありませんでした。でも、SONYや松下は諦めませんでした。アメリカの製品よりも高品質で安いものを作ろうと、何度も研究を重ね、世界を驚かせようと頑張りました。その結果、1955年には「日本製はだめだめ」と言われていたものが、1985年には「日本製が一番良い」と言われるようになったのです。
また、日本だけの話ではなく、当時の経済成長は、多くの発明品によって成り立っていました。テレビ、冷蔵庫、クーラー、カラーテレビ、自動車などがその代表です。ガソリン式の自動車やコンピュータはドイツの発明でした。
そうした中で、日本は経済の主役となったのです。トヨタは自動車の会社として、徹底的な「カイゼン方式」を行い、たくさんの利益を上げて日本に貢献したのです。
そう、これが「ジャパニーズ・ミラクル」です。今の日本社会は、いつまでもそのジャパニーズ・ミラクルの幻影を追いかけていますが、実際はその時だけ、その時代だけ存在した「甘い罠」であり、そのまま、バブル崩壊とともに、右肩上がりだった日本の株価は、下落に陥りました。
当時の社会は、「金持ちと貧乏人」といういつまでも変わらない社会の姿が、一転、「誰もが王子様のような生活ができる」社会になりました。また、テレビという新しい娯楽が増え、音楽では美空ひばり、お笑い芸人ではドリフターズ、映画俳優では渥美清、アニメでは鉄腕アトムのような、とても個性的な人々と「画面を見て接する」ことができました。こうした世界は、インターネットが当たり前になった今でも、同等のものは現れていないと思います。
子供の娯楽は増え、大人は豊かになり、何でもできる楽で便利な社会だったのです。未来において、二酸化炭素の排出量の問題から温暖化が起きるなんてことは、当時はつゆほども知りもしませんでした。
後日注記:日本が軍事国家を再び目指さなかったのは、ドイツの反省があります。ドイツは一度負けて、多額の賠償金を背負って、また戦争になりました。アメリカは、それがないように軍事力を持ってはならないと平和憲法を日本に強要しました。結果、日本は平和国家として、ものを真似して作ることで儲けることしかできなかったのです。