自分の文章は、信じているだけだ。だから、こういう文章になる。
発見したことを、発見した通り書いて、助言にしているのだと思う。
人々に自分の分かったことを与えたいのかもしれない。
もっと、自分の思いや考えのようなことを、きちんと分かってから書けば良いのだと思う。
自分は、騙されている。それも、自分が騙すせいで、騙されている。
頭は、何かをしている。それは、「使うだけ」をしているのかもしれない。
昔は、心理的な誘導で、他人を導いていた。社会を自由に作っていた。
最近は下積みで、昔は数学的な体得だったと思う。
騙すのを止めると、感情で分かるようになる。
騙されると、日本語が分からなくなる。みんなを騙す人間は、こうなってしまうのだ。
自分は、騙すのを止める。みんな、分かるようになって、楽になるだろう。
自分は、何にでも反応するのが悪い。
関連付けと認識がおかしくなって、怖くなっている。
心が怖いのは、良く考えると、出来るわけがないことばかりしているからだ。
昔は、物理的な認識と分析の方法を考えていた。それは、騙されていなかった。
最近は、ロシアのように、世界と戦う革命家をやった。そのせいで、何も分からなくなった。
知性と分析から問題の所在を考えて、世界をピンポイントで変えて、ダイナミックな変化を考えていた。
「その事実が意味するところ」から、真理のようなことを考えて、原理性のようなことを作っていた。
今日は、今からピアノがある。クラシックの名曲を弾きたい、と言おうと思う。
要は、この世界が正しい、と思えば良い。この世界を間違っていると思うのがおかしい。
そして、自由や平等を悪いと思えば良い。
それから、日本人に騙されているから、日本は馬鹿な国だと思えば良い。
悪いものが何なのかは分からない。ただ、あるものを全部否定するのは止めた方が良い。
相手のことを、尊敬しないのが悪い。それが悪いのだと思う。憧れも理想も、全部否定するのはおかしい。
ピアノ教室へ行くまで、まだ時間があるから、ピアノの練習をしている。
エリーゼのためにを弾いているが、ピアノは、「反応」ではなく、「創造」であると思って弾いた方が良い。
「創作」だと思って弾くと、良い演奏が出来る。
自分は、騙されているのを止めると、賢くなる。
昔賢かったのは、ネットを見て、騙されているのが治ったからだ。
騙されているのが治ると、はっきりと世界の裏側が分かって、実感から人間のことが分かるようになる。
それで、人間と社会の道理が分かった。それも、具体例と真理から分かっていた。
数学と知る知性は同じだ。色んなことを知っている人間が、数学的な証明の知性がつく。
きちんと世界のことを知って、そこから段階的に自分のことを考えれば良い。
昔は、そういう風に、「何を分かって考えるか」が分かる人間だったし、色んなことを知った。
ピアノは、「弾くために弾いている」のではない。「素晴らしい最高の演奏をするために弾いている」のだ。
エリーゼは、もっと全体をゆっくりにして、細部を際立たせるように弾いた方が良い。
速く、強く弾くのは良いが、それは馬鹿だ。もっと滑らかに、プロのように弾いた方が良い。
心は、学習の通りするのが怖い。
ピアノに行ってきた。
社会が自由になる理論、自由になっていく理論のようなことを言う。
まるで必然的であるかのように、経緯を分析し、手段を与えるような自由を言う。
そして、自由な社会の真理のようなことを言っていた。
王国は悪い。昔の王は、思いつきで悪いことをする。略奪し、虐殺する王も多いが、墓を作ったり、女を宮廷に入れたいがために、強くなって、人々を殺すような悪い王は多い。
ただ、変革する王は好まれる。稀に、ピョートル大帝のような、偉大な王は生まれる。
そういうわけで、王国や国家主義が全部悪いわけではない。
日本は、憲法が優れている。憲法と言う単位で見ると、一番優れた平和な憲法をしている。
憲法が優れているから、国家体制と言う側面から見ても、日本が一番優れている。
憲法を変えてほしいわけではないが、もし憲法を変えるなら、もっと優れた憲法にしてほしい。
今の日本国憲法に劣らず、アメリカのような白人の国家の憲法にも勝るような、偉大な憲法にしてほしい。
日本は騙されているところがある。自虐的な民族・史観だけではなく、マスコミも何も分かっていない。
もう少し、騙されているのを、治した方が良い。首相すら分かっていない。完全に騙されている。
自分は、大学なんか、基礎の基礎で、応用的なことをやっているのは会社なのが分かっていない。
大学は賢くない。大学は、賢く見えて、何一つ賢くない。
コンピュータ技術だと思えば良い。工業大学は賢くないし、Windowsの会社は賢くない。
そういうわけで、むしろ、パソコンの会社で良い。
不思議と、UNIXやPerlのように、賢い技術が本当に多い。
それは、会社が分かる。広く知っていると良く分かる。むしろ、僕はパソコンぐらいしか分からない。
だから、馬鹿なものは馬鹿だと思った方が良い。Windowsから高校の政治経済まで、賢くないものは全部馬鹿だ。
政治家や新聞記者は賢くない。本当に賢い存在は、もっと違うところに居る。
Linuxが賢いのも、そんなにおかしなことではないだろう。
最先端技術の開発と競争の中で、強いもの、勝ちそうなもの、新しいもの、世界を変えるものにつくのが賢い。
それから、コミュニティで話題になっているものが賢い。
昔の自分は、そういうものが全部分かる、ありえないオタクだった。そこが賢かった。
大学の専門のようなものだと思うと、分からなくなる。
そういうわけで、最近はグーグルが賢いから、Linuxの周辺ではなく、グーグルの周辺をやれば良い。
日本がおかしくなっているのは、ネットにいくらでも無料であるせいで、意味が無いからだと思う。
そんなにいくらでもあると、全体を把握出来ない。そのせいで馬鹿になった。
それぞれ違うせいで、何も分からない。それこそ、誰にもこの世界が分からない世界になった。
若い世代は、ネットのせいで辛くなっている。いじめのようなことが増えている。
年寄り世代は、パソコンが分からない。そこが悲惨だ。この世界が、何も分からない。
ただ、パソコンを悪いと言う人間は少ない。若い世代は、パソコンにしか居場所が無い人間が多いからだ。
それに、若い世代は、ゲームもするし、色々と、パソコンに触れあう機会が多い。
年寄り世代には、分からない。分からないせいで、賢いことが出来るものに見える。
本当に分からないせいで、どんどん認知症になっているのが、日本の高齢者だ。
あとは、自分が治せば良い。ありえないことを、一切起こさなくして、悪いものを全部無くして、全体を減らす。
そして、社会的に何も出来なくする。
ただ、そんな「減少政策」をしても意味が無い。それは明らかに「後退政策」だ。
パソコンはキモいだけだ。
ある意味、パソコンもそんなに悪くはない。賢い大学に入れないせいで、パソコンだけ、超賢い。
昔の自分は、社会を変え、戦い、勝つような、そういう社会経験をネットでいつもしていた。
みんなは、そこらへんが出来なくなっている。
一度、冷酷に弱者を突き放して、勝敗を左右するために戦って、全員を支配するような世界に戻した方が良い。
そうならないと、何も良くならない。
ソ連のように何も無くすのではなく、アメリカのように勝者と敗者が戦うことで国を治めた方が良いだろう。
それこそ、最近はテレビもおかしい。本当におかしな馬鹿な世界になっている。
そういうわけで、戦後は賢くない。アメリカも馬鹿だっただけだ。
戦後の経済成長が賢かったのは分かるが、昔の白黒テレビは、今見ると、セピアに見えるだけで、賢くない。
平成なんか、何も賢くない。
むしろ、良く考えると、パソコンが賢いように見える。パソコンには、もっと可能性があったはずだ。
ただ否定するだけではなく、もっと他に可能性があったのではないか、と考えることも、ある意味救国だ。
同じことを繰り返すと治る。同じことを繰り返すのが怖い。
本当に分かってしまうと、狂う。Wikipediaが悪いだけなのに、分からない。
今からの技術は、形状記憶だと思う。バーチャル・リアリティで、ものが触れるようにする。
もし、そこが出来るようになったら、人間は異世界への旅が出来るようになる。恋人の女とも会える。
形状記憶とは言うが、形状を記憶するだけではなく、動的に作成出来なければならない。
プログラム通り、すぐに作るのは、人工知能より難しい。
ロボットの次の技術になると思う。
ものを作るより、知覚と感覚だけ作った方が楽だ。
人間の科学技術力では、光合成をする植物の葉緑素すら、作れない。
そういうわけで、生命は賢い。空を飛ぶ技術も、昔から、蝶々や鳥が一番楽に飛んでいる。
生物学は賢い。不思議と、哺乳類は嗅覚が優れている。
僕も、いつか、葉緑素のようなものを作りたい。それで、科学による環境保護に貢献したい。
ただ、Linuxは止めた方が良い。賢くない集団だ。ネットに未練があるのもおかしい。
日本にすら未練が無いから、そういう風になる。
おそらく、プラスチックを液状にしたような、ドロドロしたものを作って、瞬時に固まったり、形状を電子的に変えられるようにすれば良い。
映像や音が動的に作成出来るのに、形状や手触りが出来ないのもおかしい。
本当に出来ると、革命的だ。
人工知能も賢いが、脳を作るのも難しい。おそらく、人工知能は優れたものは誰も作れないだろう。
パソコンにはあまり意味が無いのかもしれない。期待しない方が良い。
そんなに、無から人間活動を作り出す意味が無いのが、パソコンだ。
もう少し、「何をすれば意味があるか」を良く考えた方が良いだろう。
出来ないことが出来るようになることより、出来ることをもっと良く出来るようになれば良い。
パソコンは、ボタンはあるのに、スクリプトを書くのが難しい。
もっと、簡単な手順を繰り返せるような、そういうOSを作っても良い。ツールキットとスクリプトを融和する。
パソコンを使っているユーザーの行動を、手順化して自動化出来るような、GUIツールキットを作れば良い。
要は、「ボタンを押して、コピーして、ネットに投稿する」のようなことを、簡単に自動化する。
「自動化してくれる君」のようなものは、既にあるかもしれないが、ブラウザやエディタにつけても良い。
この自動化君を作るためには、プロセスごとのボタンやメニューのIDを把握しながら、クリックなどのイベントを自動で起こす必要がある。
アプリケーションごとに、そういうものが違うせいで、難しい。
Linuxでやれば良い。Linuxなら出来る。Windowsは、ツールキットがWindowsとべったり繋がっているせいで難しい。
ただ、Linuxの世界は、コマンドオペレーションをスクリプトにする。そのせいで、誰も作らない。
ブラウザは、フォームやエリアやボタンなどを動的に作るせいで、自動化が難しい。
ブラウザとツールキットは別々に自動化ソフトを作った方が良いだろう。
昔は、子供なりに、人生とは何なのか、全部分かっていた。
人生とは何なのか、宇宙とは何なのか、人間とは何なのか、全員と考え方のようなことを、全部分かっていた。
それは、賢かったわけではない。ただ、子供だっただけだ。子供は、賢い。
社会のことを全て経験して、あらゆる社会がどうなるか、自分の人生で一直線に分かっていた。
見ていると、台風による豪雨のせいで、岩手と北海道が悲惨だ。
もう、日本は終わっている。全部、パソコンと石油が悪い。アメリカとドイツが全てを滅ぼした。
むしろ、最近のLinuxに、問題なんかあまりない。
あまり問題ない。何故か、Ubuntuのおかげで、本当に初心者でも使える。むしろ、使いやすい。
あとは、Linuxはこれ以上、何もしなければ良い。いつまでも、そのままで、存在していれば、それで良い。
Windowsは、そのうち、オープンソースになるだろう。
マイクロソフトは、MSDNサブスクリプションで儲ければ良い。
最近のLinuxは賢い。昔のような、パッケージの詰め合わせではなく、それぞれがシステムを独自に開発している。
そういうところが賢くなった。それこそ、設定もほとんど全自動でやるようになった。
Linuxは、あらゆるディストリビューションの基になるような、「共通ソフトウェア基盤」を作っても良い。
自分は、Ubuntuの新しいバージョンを使おうと思う。
むしろ、UbuntuとFedoraだけインストールして、Ubuntuを普通の用途に、Fedoraを遊ぶ用途に使えば良い。
Linuxの入っているノートパソコンにUbuntuをインストールした。
自問自答に答えはない。そんなに疑って、全部まともなことを言うのは、おかしい。
ただ、普通に言えば良い。普通に、信じていることをそのまま言えば良い。
最近は、信じる内容をまともに1つ1つ考えて分かっている。
疑うのが悪いから、疑わない方が良い。
心は、右の方を沢山使っているから、左の方を使えば良い。
使うのが階段状になるのがおかしい。元の来た経路を使わない。