最近の日記に戻る | 2016年8月の日記に戻る

=2016-08-18=

英会話教室に行ってきた。

一つのことを決めれば、あとはそこから全部変わってくるような、自由な基盤のようなことを考えていた。

革命の憲法を神のように作っていた。

我慢しない方が良い。我慢を止めると楽になる。

目的と因果性の論理学を、社会や仮定と結論のように書いていた。

それを作って全部分かるように、全てを作っていた。

家はないと生きられない。町は家の集合だ。

国家は、大きな福祉国家か、小さな自由国家だ。

心は、選択肢をどちらも取って、精神を作っている。

全部治さない方が治る。飛ばした方が良い。

この世界は、一度全て融和する。そこからまた増えていく。

一度、世界帝国になる。王は僕だ。そこから増えていく。

むしろ、きちんと従った方が良い。王に従うのは悪くない。

世界は、多様性を止めて、融和しなさい。自由を止めて、従い、支配されなさい。

いつも、そういう、多様性と融和のような、「社会変革」のような文章を書いていた。

僕は、自由な国を作る。

一年間のうち、6か月を平等なノルマの労働期間とし、残りの6か月を自由期間(労働をしない休み期間)とする。

ただし、ノルマをきちんと果たさなかったものについては、自由期間においてその労働をさせる。

給与は、一律で100万円を1年に与える。

ただし、生活に必要な最低限のものは、出来るだけ無料で与える。

あとは、政治は選挙は行うが、今のような「分からない選挙」ではなく、出来るだけ分かる選挙を行う。

そして、会社組織のようなものは、全部国が作る。だが、色んな活動は自由に行うことが出来る。

まさにユートピアだ。ただ、自由はない。平等なノルマがどれくらい辛いものになるかは、国が決める。

ただ、国が決めることによって、過重労働や格差は無くなる。完全に格差の無い国になる。

政治家がどんな人で、どういう賢さを持っているのかを、周辺の人間が執筆して選挙で教えるようにする。

「候補者の推薦ネットワーク」のようなものを、インターネット上に作る。

自分は、足を動かすのではなく、手を動かすのが普通なのが分かっていない。

こういう、狂った人間は、我慢する意味が無いのが分かっていない。我慢しなくて良い。

ボランティアのような仕事を増やす。自分のやりたいようにやれる、そういう仕事が増える。

公用語は、日本語にする。

宗教は、仏教にする。

むしろ、その方が、外国人が見て面白い。日本の面白い言語と宗教である、日本語と仏教に触れてほしい。

世界政府は目指さない。出来るだけ軍備も持たない。日本と言う小さな島で行う国だ。

だが、EUのような国際的連合を作って、アジアの中で「融和」することを目指しても良いだろう。

国家モデルは、もう少し社会に対して実地的に考えると、昔のような賢い国家モデルが作れる。

外国人が来た時に困らないために、「外国人のための日本語教育センター」のようなものを国が作る。

外国人は、日本で労働する際には、そのセンターの教育を出来るだけ安く、長い間受けられるようにする。

ノルマは、コンピュータや教育現場など、出来るだけ賢い、プロフェッショナルのような仕事を増やす。

ソ連のように、権力で平等にすることはしない。出来るだけ、それぞれの自治単位を増やして、自由な共同体にする。

どんな人間であっても、出生や身分で差別することはしない。

こういう、左翼の学者はキモい。学者と言うよりは、思想家だ。自分が見てもキモい。

むしろ、普通の民主主義をやった方が良い。民主主義は本当に成功している。誰もが豊かで、誰もが楽だ。

民主主義がユートピアだ。僕は、そう思う。

自分が見ても、わざわざ社会主義の国の体制なんか、作る意味が無い。

もっと、民主主義的なことを考えれば良い。それも、生産と労働のような、賢いことを考えれば良い。

オープンソースは参考にならない。もっとマシなものを知った方が良い。

むしろ、自由は良く見えない。リベラルは馬鹿に見える。

それこそ、滅びたから、誰かが救うしかない。狂ったから、誰かが治すしかない。

最近は、そうでもない。結構、誰かが治して良くなった。その誰かが、何をしたのかは、誰にも分からない。

自由や平等は良くならない。ただ、戦いや批判も良く見えない。

皆、知性が無いように見える。自分の力で人生を歩むような、基本的な知性をつけた方が良い。

ただ、基本的な部分はそろそろもう良い。もっと具体的な、応用的な部分を育てた方が良い。

賢くなくて良い。最近の日本は、賢くなりすぎている。

馬鹿でも、良い国の方が良い。冷徹で賢いより、優しくて馬鹿な方が良い。その方が、賢い国になる。

僕も分からないし、皆も分からない。最近は、そういう、「分からない人間」しか居ない。

むしろ、最近賢いから仕方ない。パソコンを悪いと言うが、パソコンのおかげで社会が賢くなった。

大学の生物学をしていると、確かなものなんか何も無いのが良く分かる。

この世界も、生物も、人間も、生態系も、全部変わっていく。何も変わらずに残るものなんか、1つもない。

DNAの構造を見ていると、そういうことが良く分かる。同じであるものが一番馬鹿だ。変わらないと意味が無い。

新しすぎるのも問題だが、古すぎるのも問題だ。

老化は馬鹿ではない。人間は、老化するとともに変わって、賢くなる。

ただ、老化をしないなら、それもそれで良いだろう。そういう、「本当に新しくなる」のは怖いが、それも悪くない。

皆、新しくなれ。古いものは死んでいけ。昔から、それが一番賢くなる。旧態依然としたものは消すべきだ。

「死」と言う現象は、そのように、「土台から全員賢くなる」ためにある。

ただ、人間にリスクがあるとしたら、それがリスクになるだろう。

パソコンを作ったせいで、社会全体が死ぬ可能性はある。

ソクラテスが言う、「文字を作るのが馬鹿である」のと同じだ。

そういうわけで、ある意味、パソコンのような新しいものを否定する文明を作っても、良くなる可能性はある。

そんなことを誰もしたくないとは言うが、良いものは全て生き残る。良い社会になると、拡大する。

ただ、むしろ、パソコンと言う目に見えるものだけではないのだ。

僕のように、「人間を変える」と言う発想も、悪くはない。

ただ、一歩間違えると、全員が馬鹿になる。そこが怖いのだと思う。

古いものの意味の無い点は、何も進歩しないものが残っても全く意味が無い。

Linuxの意味の無さは、そこにある。全く新しくない、MATEやUNIXが残っても、全く意味が無い。

それでも、Windowsと戦っている人間は多いが、Linuxは既に全く意味が無い。オープンソースはおかしい。

自分は、そういうことを言いながらオープンソースが好きなのが悪い。そこが悪いのが分かっていない。

もっと、良いものを信じた方が良い。まだ、新しい自動車でも好きになった方が楽しい。

パソコンを消しても意味が無い。パソコンの無い社会は、いつまでも進歩しない。それだけの馬鹿になるだろう。

文章を書くのを止めるのもおかしい。そういう、「止める」のを止めた方が良い。

いつもの文章をその通り書いても意味が無い。「昔の自分を分かる」と言う発想がおかしい。

もっと、新しいものを信じて、社会がどんどん新しくなれば良い。それで、きちんと社会が分かるようになる。

要は、パソコンで行き止まりになっている。もう少し旋回すれば、きちんと社会は新しくなる。

社会が分からなくなっているのは、新しいものが無いからだ。

一度、科学ではなく、もっと正しい思想を信じた方が良い。科学、特にコンピュータ科学には、限界が来ている。

社会が本当に変わらなくなっている。焼き直しのようなものしかない。

AAAを聴いているが、自分はAAAが一番良い。

パソコンは悪くない。パソコンは賢い。むしろ、Windowsより賢いものを誰も作れないから、仕方ない。

新しいものが無いとは言うが、スマホがある。要は、スマホ以上、何も発明出来ない。

そうでもない。新しいものはどんどん出来ている。

世界が何かの原因で、止まっているのだと思う。それは自分のせいだ。

精神は、新しくなると治る。それが、生きている、と言う状態だ。世界を新しくすれば良い。

世界は、死んでいる。

もう少し世界を甦らせれば良い。世界を蘇生して、新しいゲームでも作れば良い。

足の精神が治った。自分は、新しくならないのがおかしいだけだ。

昔の自分は、きちんと知性があったのが、最近分かっていない。

パソコンの技術を知っていたし、ネットでは賢いことをしていた。

世界のことは、正しく、哲学的かつ物理的に考えた。それに、まともな少年だった。

あれは、賢かった人間だ。最近は、何もしていない。

「人生とは何か」が分かった、賢い人間だった。

普通の人間が分からない人生や社会のことを全て知って、悟っていた。

人間は、誰でも、一度自由になると、考える。それから、死なずに戦っていたのが、一番分かる。

このまま、世界が生き返って、まともな賢い人間が出来るようになる。

ネットの集団は馬鹿ではない。共同生活をしなければ分からない。

昔の自分は、現実での共同や集団での活動を、ネットを通して、さらに沢山経験して分かっていた。

個人と集団のことが全て分かった。哲学は、全部そこから分かっていた。

最近は、何もせず、文章を書いているだけだ。もっと、皆と仲良くやった方が良いだろうと思う。

自分は、余裕が無いだけだから、余裕を作れば楽になる。頭が忙しく、休まずに頑張っている。

分からないのが平和だ。皆が分からないのは、分かっているからだ。分からないのが、一番滅びない。

皆を滅ぼしたいのがおかしい。「私が悪かった」と言って、謝れば良いだけの話だ。

自分は、何が悪かったのかが分かっていない。全部、気付かれずに支配するのが一番おかしかった。

自分は、戦っているようには見えない。皆のことを愛しているように見える。

むしろ、「滅びてしまったのを治したい」と言うが、滅びていないだろう。

自分は、そういう、「世界が滅びていない」のが分かっていない。

自分を出来るようにするとか、世界を正常にするとか、言うけれど、そんなことは意味が無いだろう。

ただ、本当に栄えるようにしたかった。そのために、あの手この手で支配した。

それが、一番悪かったはずだ。

皆をロボットにするのが悪いと言うが、ロボットになんか、していないだろう。

何も悪くはないが、おかしい。何かが分かっていない。ネットを見るから、こういう馬鹿になる。

自分を責めなくて良い。自分に悪いことをしても、馬鹿なだけで、それはあまり悪くない。

昔は、環境や心のことを、詳細に良く考えていた。それだけを全部経験した。

自分は、皆が自由でないわけがないのが分かっていない。皆は普通に自由だ。

それぞれが生きて、それぞれが価値観を持って、知性をつけて、把握して、考える機会を持って分かる。

いつも、そういう自由を言っていた。

そういうわけで、自分だけがおかしく自分のロボットを治している。

辛いから、ロボットなんか治さなくて良い。

時計は、正しいか間違っているか、頼っているだけで、支配なんかされていない。

ただ、時計の教える数字を、全部正しいと思わなければ良い。どの数字も同じだ。それで治る。

数字は正しくない。

数字や神に頼らずに、自分で考えて、自分で判断すれば良い。それですぐに楽になる。

時計は治った。次は、日付とカレンダーを治す。

日付は、もっと色んなことをするか、心を行動によって変えて行けば、治る。

一年が一秒になっているのは、治る。それは、心が停止しなければいけないと思っているからだ。

いつまでも、世界に対する責任を思うのが悪い。そんな責任は、要らない。戦いの正義はおかしい。

昔は、感情や感覚で心や環境のことを分かっていた。社会から認知まで、感情で完全に考えていた。

自分は、そんなに自分を殺したいのがおかしい。自分より、皆の方が悪い。

何もしたくないのは、そんなに皆が嫌いだからだ。

ネットもテレビも本も見たくない。皆、あまりに馬鹿だから、皆のことが嫌いだ。

自分は、数字で成否が分かる。それで、何でも分かるようになった。

パソコンで、1と0で分かっていたのが、そのまま判断になった。

何が正しいのか、全部神が教えているが、神と言うよりは、ただのLinuxだ。それが、0と1の時計だ。

ソ連は、本当に何も出来ない国だから、止めた方が良い。まともなことが何も出来なくなる。

もっと、日本を良い国にすれば良い。それこそ、最近は良い国に見えて、ただの狂った異常な国だ。

足は、病気を殺して健康を生かすと治る。

Linuxのリンク集をホームページに追加した。

分からない、出来ない、とは言うが、きちんと準備してからやれば良い。

最近、自分は幻覚が見える。文字が立て続けに見える。それがおかしいのが、足の精神だ。