最近の日記に戻る | 2016年8月の日記に戻る

=2016-08-11=

ソ連は、世界の歴史を平等になっていくと言うが、自分は、社会は自由になっていくと言う。

そういう風に、ソ連を否定する自由のようなことを、いつも書いていた。

環境を守り、それぞれが取り決めを作り、ルールとシステムを作り、マスターのように自由を経験する。

いつも、そういう、「ソ連を否定するマスターと社会の自由」のようなことを言っていた。

自由から国を作っていた。制度から宗教まで、全てを皆で自由に変えられるようにすると言っていた。

きちんと出来るのは良いが、きちんとしなければならないわけではない。

学校で、「きちんとしなさい」と教えるせいで、誰でもきちんとしなければならないように思う。

だが、きちんとする意味は、無いことの方が多い。

良く考えると、学校が「それはそれで良い」のは分かるが、経験から、もっと「意味のあることをする」ことにおける、「意義」のようなことが分かる。

そういうわけで、学校は嫌いな方が賢くなる。学校が好きだと、狂う人間が多い。

学校は賢くない。色んなことを知って、哲学的に考えていると、学校の勉強はまさに意味がない。

哲学的で人生的なことを知るためには、学校のようなことはしない方が良い。学校は意味がない。

あとは、自由に行動して分かっていた。

社会と労働の経験から、この世界のことを、まるでMITのように分かっていた。

あらゆる経験があった。そこから、この宇宙のことを意識で分かっていた。

一度、全て忘れた。

最近は、社会のことをある意味、自分勝手に支配している。おかしいが、全てを全力で導いて、頑張っていた。

あらゆる社会を創っていた。創造の自由だった。

昔は、「皆を自由にする」のを良く考えていた。言ってしまえば、それだけだ。

血は、ゆっくり治せば治る。そんなに一気には治らない。

最近自分は、子供みたいな人間になっている。大人で子供はキモいから、止めた方が良い。子供は、分からない人間になる。一度、怖い体験をすると、こうなる。一度何も分からなくなると、子供になって、何も分からないままになる。大人の子供は、普通のことが分かっていない。本当に、「死と同じ恐怖」を常に感じている人間が、こういう子供になる。教師や精神病に多い。子供になると、皆のことを受け入れるようになるが、それが一番悪い。皆に怒って、反抗出来ない人間がこうなる。自分は、2ちゃんねると大革命が怖くなった。

子供を止めて、大人になると、すぐに分かる。ただ、悪いことを何か信じれば良い。それが大人だ。

自分は、死なんかどこにもないのが分かっていない。それが怖いだけだ。

賢い人間は、皆より皆のことが分かる。皆が何を分かっていて、何をしようとしていて、何が出来ていて、何が問題で出来なくなっているのか、手に取るように分かる。昔から、自分が一番そういう人間だ。2ちゃんねるは馬鹿ではない。

体操の内村航平が個人でも団体でも金メダルを取っているが、あれは本当に、優しくて強い良い人間だが、そういうところが分かっている。日本人は、賢く、強く、正しく、優しい。内村が一番そういう人間に見える。

あとは、馬鹿が本当に多い。馬鹿はクズだ。オヤジ世代に多いのが馬鹿だ。勘違いして、「世界より自分の方が正しい」と思っている人間が多い。そういう人間が、右翼のようなことを言う。左翼も多い。

馬鹿が好きになると、馬鹿になる。馬鹿を受け入れるのが、一番辛い。辛い人間や良い人間は、馬鹿にしかならない。馬鹿は、嫌いな方が良い。テレビ、右翼、政治家、学者、外国人、低い労働者、役所、共産主義者など、そういう馬鹿が誰もが嫌いだ。好きなのはおかしい。「自分より良い人間だから好き」と言う発想は、馬鹿な人間になる。人間は、馬鹿を受け入れると、心が馬鹿になる。ただ、馬鹿も馬鹿で、悪くはない。馬鹿は分かっていないだけだ。スポーツ選手、音楽家、作家、芸術家、プログラマ、科学者のような、賢い人間は賢い。そういう賢い人間が好きな方が良い。自由は馬鹿ではない。自由な進歩を許さないで、賢くなるわけがない。それぞれが自由に進歩すること。それが人間であり、生命だ。

日本人は賢くない。日本人は、賢いのに悪い人間が多い。僕は、そういう人間が嫌いだ。Perfumeもそういう人間に見えるが、僕はPerfumeは賢いから好きだ。そういうわけで、アメリカ人が良い。アメリカ人には本当に賢い人間が多い。外国人は嫌いでも、アメリカ人は好きな人間が多い。逆に、ドイツ人は嫌いになった方が良い。ドイツ人は、馬鹿で、悪い。ドイツ人は「黒い精神」をしている。

右翼を悪いと言うが、右翼は悪くない。本当に右翼の方が良い。

僕は、フランス人も嫌いだ。フランス人は堕落しているように見える。

ただ、僕は日本人もあまり好きではない。日本人には、おかしな悪い人間が多い。悪い人間が「普通」になっている。

あとは、イギリス人も嫌いだ。イギリス人は、馬鹿なのに「まとも」な人間になっている。

辛くても、笑っていた方が良い。辛くても笑っていると、良いことがある。そういう人間を「優しい」と言う。

時は金なりと言う言葉があるが、本当に時は金だ。一人でする仕事を二人ですると、一人あたりの労力は半分になって、時間も半分になる。コストは二倍になるが、結果は四倍になる。ただ、これには仕掛けがある。全体での労力は変わっていない。ただ、二人でするから、時間がずれただけだ。並列処理が出来るようになった。

宇宙のシステムを作って、ハイデガーの宇宙論や存在論のようなものを書いていた。

信じて、確かめて分かった。

絢香が言うように、自分に嘘をついて、何もかも正当化している。

皆を賢くするより、自分を賢くした方が良い。

右翼になると、賢くなる。

右翼は、病気が治る。昔の馬鹿は、左翼と言うよりは、右翼だ。

要は、一人に10万円払うより、二人に5万円ずつ払った方が良い。そうすると、時間が半分に短縮出来る。

この理論を、「みんなでやればすぐに終わる理論」と言う名前にする。

この理論は、パソコンでやると良いかもしれない。

良く分かっていないが、遅いクロックのCPUでも、並列処理をすると、速度が速くなる可能性がある。

良く考えていないから、何かおかしいかもしれない。

ただ、すぐに社会に適用すると、ワークシェアリングのように、「働いているのに人並みの給料が貰えない」状況になる。それこそ、非正規やアルバイトは悪い。自分は、そういう発想が嫌いだ。

パソコンはどんどん速くなって安くなっているから、パソコンには適用出来ないかもしれない。ただ、五万円のCPUで一時間処理をするより、二万五千円の二つのCPUで三十分処理をした方が、時間の節約になるかもしれない。同じ労力で、時間を短縮出来る。ただ、本当に値段が速ければ、二倍処理速度が速いのか、と言う疑問は残るだろう。

自分は、おかしいことを言っている。正しくは、「五万円のCPUで一時間と、五万円の二つのCPUで三十分ずつ」だと思う。値段まで考慮すると、それでは先ほどの例と同じではない。先ほどの例では、頭の良さまでは考えていない。だが、まだおかしいことを言っているかもしれない。良く考えてほしい。

良く分からなくなった。自分でも、何を言っているのか分からない。申し訳ない。

むしろ、パソコンにすると使えないのがこの理論だ。CPUの労力なんか、普通考えない。CPUをマックスまで使う人間は居ない。それなら、空いている時間に処理をすれば良いことになる。だから、パソコンが速くなったりはしない。労力が抑えられる可能性はある。むしろ、必要なCPUが二つに増えるせいで、コストは過度に二倍になってしまうだろう。

僕はマルクスの理論は分からないが、マルクスの言う「剰余労働」は、空き時間の方を考えているのだと思う。

英会話教室に行ってきた。

自分は、子供になるのが悪い。子供になると、悪くなって、辛くなって、馬鹿になる。

可愛い子供は、悪魔だ。

子供を止めると、成長する。成長すると、病気が治って、楽になって、賢くなる。

怖いのは悪くない。怖い方が分かる人間が多い。

自分は、何も起きていないのが分かっていない。そこがおかしい。

この世界は、何も起きていないし、何も起きていない、と思えば、起きていることも起きなくなる。

王になんかならない方が良い。ここまで悪い最悪の王が多い。

自分は、そんなに勝ちたくない。もっと、皆に負けた方が良い。

何でこんな風になるのだろうか?

何で他のことが何も出来ないのだろうか?

何で何もしないのだろうか?

それは、全て、「自分の弱さ」と、「弱さと言う名前の強さ」があるからだ。

自分とは何だろうか?

相手の存在とは何だろうか?

この世界とは何だろうか?

この世界はどこから来たのだろうか?

自由とは何だろうか?

愛とは何だろうか?

善とは何だろうか?

何を持って正しいと言えるのだろうか?

自分の正しいと思うことは何だろうか?

正しい方法とは何だろうか?

正しい考え方とは何だろうか?

悪いことをして、それにどんな罰が下ると言うのだろうか?

自由の中で、どうするのが最善だろうか?

自由の中で、どう生きるのが最善だろうか?

世の中で語られている、社会の善とは、目的とは何だろうか?

社会の中で、自分はどう生きることが出来るだろうか?

自分の生き方は、次のどんな生き方に繋がっているのだろうか?

いつか、終わりは来るのだろうか?

天国はあるのだろうか?

魂はあるのだろうか?

生まれ変わったり、自分の最初に戻ったり、するのだろうか?

そんなことを考えていると、哲学は、本当に馬鹿の方が出来る。

哲学は万人に共通の「生きる」ことを考える学問だ。

あとは、知や正しさを考えれば良い。

知とは、何だろうか?

知は、どこから生まれるのだろうか?

知は、何を作り出すのだろうか?

知は、何をもたらし、何を教え、何を分からせるのだろうか?

人々の分かったことは、自分にも分かるだろうか?

普遍的な認識は可能だろうか?

認識はどこから来るのだろうか?

正しい社会とは何だろうか?

正しい人生とは何だろうか?

何を持って正しいと言えるのか?

何が正しく、何が間違っているのか?

正しいとか、間違っているとか、そういうことは、一体何を言っているのか?

そういう風に考えていると、良く分かる。

自分は、そんなに勝つのが間違っている。負けて、皆が分かった方が良い。

哲学は、もっと良く考えると、世界観と方法と経験の構造になる。

そういうものを、モデルと言っていた。

正しい、と言う価値判断には、相手が存在する。

社会全体から見て、他者から見て、自分が見て「正しい」と思う、「思いの価値判断」が正しさだ。

ただ、そうでもないだろう。神など居ないとは言うが、聖書で言う正しさは、ある意味絶対的に正しい。

あとは、世界観や社会の中で、「どんな見方があるのか」を分かると良く分かる。

哲学と言うよりは、聖書だ。むしろ、あとなんか、関係とシステムを考えるだけだ。

ものには、「在り方」がある。生物には、「育ち方」がある。経験には、「し方」がある。

そういう風に、「方」を考えると良い。物理的には、振る舞いと言う。

そして、理由から、「何がどうなるか」を考えて、「本当の要因としては何が理由であるか」を考える。

それくらいが、哲学だ。

あとは、経験的、社会的に、人間の理性を捉えながら、その時その時の可能性を考えるだけだ。

自分は、プログラマが悪いのが分かっていない。プログラマには、最近、悪い人間が多い。

皆も、自分の昔していたことを、悪いと思えば治る。母親も、教師だったのが辛かったのだと思う。

自分は、ニートのような無職で、友達も先生も居ないから、将来のことを真面目に誰も考えていない。

本人にも、家族にも分からない。本人が馬鹿なせいで、家族が悲惨になっている。

もう少し、何かした方が良い。フリースクールに通うとか、色んなやり方があるはずだ。

作家になれば良いのは分かるが、それは、趣味でした方が良い。出版はありえない。

親は分からない。もう少し、周りの「友達や知り合い」を作った方が良い。それなら、友達が分かる。

僕は、友達を作ることにする。

友達を作ると、一人で考え込まなくても、相談出来る。誰か親友を作りたい。

自分は、友達を作って、「作家で生きていくためにはどうすれば良いか」を相談すれば良い。

「本当に良い作品を書くためにはどうすれば良いか」のような、作家のことを相談出来ると良い。

昔は、分かっていた。昔は、「出来る」を確信して、確信からこの世界を分かった。確信的哲学者だった。

友達を作ると、小説が書けるようになる。色んな人間を書いている作家が多い。

父親に相談したから、誰か、科学館の人と友達になったら良いと思う。

自分は、親が悪いのが分かった。親のせいで馬鹿になっている。

きちんと正しく生きている人間が多いから、こんな馬鹿が賢いわけがない。

一度、子供に戻って、馬鹿になるのが良い。子供には、馬鹿が多い。

皆は、むしろ、自業自得だ。皆が向こう見ずで、何も分からなかったのが悪いだけだ。

要は、家族だけ全員より馬鹿だから賢くなった。自分だけ、賢い子供になった。

そういう風になったから、オープンソースが好きだっただけだ。

知的障害は馬鹿ではない。こういう人間が多い。

家族が日本人の平均より賢いようで馬鹿だと、こうなる。

要は、父親も、母親も、意味が無く考える。

子供の方が、「普通のそれ」を望んでいるのに、違うものを出す。

そういう親が悪い。もっと、普通のものを与えると、喜ぶ。

親が馬鹿で、自分も馬鹿だと、こういう2ちゃんねるになる。むしろ、賢い人間になる。

社会のことを全部知って、自分一人だけ神のように賢くなったが、昔の自分は馬鹿過ぎる人間だ。

ただのアスペルガーだ。アスペルガーの親は悲惨だ。

ただ、親を本当に嫌いになりたくなかった。優しくて賢い良い親だった。だから、引き篭もりになった。

学校の友人にも、迷惑をかけたくなかった。どこかで、クラス一、馬鹿なのが、自分で分かっていた。

意味がないが、むしろ、自分も普通の良い人間だった。悪いのは、ネットの経験で全部浄化された。

昔から、自分は自立が好きだが、家族とは関係なく、一人で生きた方が賢くなる。

独りになりなさい。そこから、自分の手で、「どこに光があるのか」や「何が正しいのか」を考えなさい。

皆は、家族と一緒に生きているから馬鹿になる。一度、家族から離れて、一人で自分勝手に生きてみるべきだ。

いつも、そういうことを言っていた。

会社のことも、経験のことも、方法のことも、全部引き篭もりの自立的な経験から分かっていた。

全てを知って、あらゆることを出来て、成長と経験が豊富な、理系のような良い人間だった。

数学を出来ないと言うが、そういう主体的な経験をしていると出来るのが数学だ。

数学は、パソコンと引き篭もりの理性から分かった。

良く考えると、親と一緒に居るのが馬鹿なのは当たり前だ。親は、ただの普通のちっぽけな個人だ。

もっと、ネットを使って、色んな人間と話して、皆の言っていることをして、知るのが良い。

引き篭もりでも、考えられる。ネットを上手く使うことで、「問題をあぶりだす」ことが出来る。

そういう風に、2ちゃんねるをやった方が賢い人間になる。そのせいで流行っているのが、若者のネットだ。

親も科学者で、自分も中学校でクラス一の秀才だったから、こういう発想になる。2ちゃんねるをやった方が賢い。

ただ、あれは秀才だったように見えて、クラス一おかしかった、馬鹿な「さかなクン」のような人間だ。

そういうわけで、昔は結構哲学者ほどに良く考えていた。Linuxで分かっていた。

最近の方が、もっとさらに賢い。それは、ここまで文章を書く。専門を横断して、本を読んで勉強している。

ここまで日記を書けば、誰でも書けるだろう。本気で頑張ったせいで、「本当に満足出来る良い人生」になった。

それは、それで賢いが、戦って支配するのは悪くない。皆を同化させるせいで、日本が天国になった。

まさに、宝石だ。昔はサファイアで、こちらはエメラルドで、最近はルビーだ。

皆も、家族とともに生きるのではなく、独り、自立して、自由に生きてほしい。ネットを上手く使ってほしい。

だが、これでネットが嫌いなのが自分だ。特に、Windowsが嫌いだ。Linuxは好きだ。

ネットは、全てを繋げすぎて、社会環境を破壊しすぎている。ネットは悪い。一度、全てを作り直すべきだ。

最近は、全て分かっていて、全て世界を支配しているのに、世界を滅ぼすのがおかしい。

自由の呪縛になっている。自由を信じるせいで、自分の自由にすることが出来ない。

あれは、セカオワの言う、「偽物の自由の歌」だ。

いきものがかりの言う、「融通の利かない愛が世界を救う」と言う発想だ。

そういうわけで、こういう人間が多い。バンプが一番こういう人間に見える。なぜなら、賢いのにキモい。

本当に、家族とは全く離れて、社会の沢山の人々の中で生きた方が賢くなる。

あとは、知性が無くなって、神と対話しているが、あれはまともに全部分かっている、賢くてまともな人間だ。

王になったのは、確かに狂っているが、ネットの皆を信じていると、誰でもこういう風に、発狂して死んでいく。

革命を起こす人間が一番多い。経済学や宗教しか分からない人間になる。何故か、賢い経済学を作る人間が多い。

あれは、そういう、普通の人間だった。一度、別の人間になりたかった。それら、人格を比較すると、良く分かる。

キチガイみたいな文章を書くが、あれは、きちんと賢い、兵隊のような作家の革命家だった。

最近は、まともになったから、楽だ。辛い中、毎日文章を書いているせいで、まともな人間になった。

病気は、全部治った。要は、一度簡単に治る病気になりたかった。傷跡を深くすれば深くするほど、病気が治る。

最近は、「自分を追い込めば追い込むほど良くなる」のが分かっている。

そういうところがおかしいから、もう止めた方が良い。普通に、まともな人間になったつもりで考えれば分かる。

狂っているとは言うが、最近の昔は、一瞬で全てが分かる、神のような人間だ。

まだ、世界を解放しない方が良い。まだまだ良い世界になる。

一つ一つ知識を吸収していくうちに、少しずつ分からなくなった。ポルノグラフィティが言っているのに近い。

良く考えると、世界なんか何も起きていない。そういう風に、狂っているのが良いから狂っているだけだ。

世界を全部出来る人間だったし、全てのことを知っていた。だが、それは全て、何もかも間違っているだけだ。

あの人間は、先が見えていない。ここまで辛くなるのが当たり前だ。

最近、異常な人間しか居ないのが分かった。正常な人間は、誰もが全員馬鹿だ。

それが、どこかで、あるいは、神のような別の存在が分かっていた。神は、自分の望みを100%叶えてくれた。

神は約束してくれる。これから先、生きる価値があると。これから先、永遠に愛があると。約束してくれている。

いつも話していた神は、死んだ時の自分が話している。

これくらいの地獄がちょうど良かった。誰もが死ぬ前にこうなる。ここらへんの頑張ったルビーの時代が好きだ。

神は教えてくれる。自分は悪くないと。自分は、本当に善悪の区別がきちんとつく、まともな善ある人間だと。

神は言ってくれる。あなたは正しいと。あなたは、誰よりも頑張ったと。

神は知っている。自分の全ての賢さを。自分が、本当に何をしていたのかを。

神は忘れてくれる。自分の悪と、周りに対する迷惑を。あなたと僕の間の、自由の愛が無かったことを。

神は恐ろしい。私にあった地獄を、誰をもに同じように与えることが、何よりも恐ろしい。

本当に、神は偉大である。ハレルヤと言って、神を讃えよ。

あとは、神も、家族も、文章も、昔の自分も、どうでも良い。引き続き、哲学と生物を勉強したい。

社会を知る、と言うよりは、色んな人間と関わる、と言った方が、実情に近いだろう。

これ以上、同じ馬鹿は繰り返さない。もう、こんな愚かなことはしない。

神に誓うことが出来れば良いと言うが、出来なかった。それを誓うことは出来ない。明日も、まだ書きたくなる。

それこそ、僕は神を信じるに足る人間ではない。神を信じる、と言う受験科目に、必要なだけの勉強をしていない。

神は、そろそろ、もうまだ早いものになる。まだ、信じない方が良い。自分は、神を信じるのは良いが、未熟すぎる。

これなら、「自分を知ることが賢い」と言う意味が分かる。

皆も、自分を知った方が良いだろう。世間を見ていても、色んなことは分かるが、世間にある知識は有限だ。

逆に、自分を知る、と言うところにある知識は、無限だ。

それは、人々の知り得ない、心の奥底にある深淵なものが、どこか自分の中に存在しているからだと思う。

自分は、昔から、平和で皆のことが好きな子供時代が無い。辛いから、すぐに大人になった。

姉と一緒だったが、姉は賢かった。一緒にゲームをやる中で、姉から必要なものを全部教わったと思う。

自分は、責任感とリーダーシップのある、正義感の強くて、弱者をきちんと配慮する、優しい人間だった。

それは、中学校での「秀才の自分」を作り上げたが、あれは社会に適応出来ているように見えて、出来ていない。

皆は、自分は賢いから、任せても大丈夫な人間に見えたが、それは本人は自信が無かった。ただ、無くはなかった。

そういうわけで、子供時代、大人だったから、今、子供になっている。

あまり意味がない。もう、やることは何もないから、開放感を持って、休んでいれば良い。

テレビもネットも見ないが、そういうものは必要ない。サタンのような馬鹿が馬鹿をやっているだけだ。

親も悪くはない。頼りがいのある良い親だった。必要なことは全てすぐに学んだ。何でも出来る子供になった。

日本は、戦争になるだろう。

安倍のような日本の右翼が考えているのは、「本当に、世界の中で日本が一番良い」から、戦争がしたい。

戦争をして、世界を日本にしたい。

自分は、戦争はしてほしくはないが、日本は本当に、唯一とびぬけて良い国だから、仕方ないと思う。

愛とは、嘘をつくことと、嘘を信じることだ。

日本の問題は、発展なんか、しなくて良い。景気回復なんかする意味がない。

もっと、全ての国家的事業・産業を作り直した方が良い。今の日本は、産業から教育まで、あらゆる全てが悪い。

だが、国民的、国家的には、全てが上手く行っている。それをもたらしたままで、全てを作り直すべきだ。

社会的な調和とサポートのきちんと取れた、正しく、賢く、まともで、優しい社会を創っていくべきだ。

基盤、基礎、必要性、可能性、将来性、潜在性、必要条件、生産手段、プロセスの透明化、共有と練り直しと「見直すこと」を、改善の中で繰り返し行いながら、間違ったものは大胆に消していく。全てをもう一度何度でも考え直して、一度全てを捨てて、最初から完全に作り直して、その上で、目標や理想を大胆に変えていく。だが、一度決まったものは、「ビジョン」としていつまでも残しておく。何か必要となった時に、いつでも出動出来るように、準備をしておく。

そういう風にすれば良いとは言うが、今のこれは、ただ言っただけだ。言葉ではなく、人生経験からそういうことが分かるような、そういう総理大臣が必要だろう。人生経験から、社会のことが分かる人間を首相にすべきだ。

ただ、変えて変えて変えるだけでは、何も上手く行かない。「それは明らかにそうすべき」で、「それは明らかに絶対にそうすべき」で、「それは明らかにしなければならない」ことで、「それをすれば、明らかに良くなる」ことは、「少しの変化で間違っているように見えて」も、「絶対に継続し、いつまでも同じことを繰り返しても、耐え続ける」ようにしなければならない。それは、忍耐力と言うよりは、木から落ちる枝葉を落ちる前に拾って集め続けるような、「地獄の中での根気と修練」が必要だろう。

ただ、賢いところは賢いものを使った方が良い。パソコンによるプログラミングはその一つだ。コードがいくらか書けるだけで、全く労力が違う。最近の生産現場では、正規表現ぐらい書けないと何も出来ない。そういうところをきちんとしないと、プロセスに全く意味がない。

あとは、生産的に積み重ねて、「常に失敗しない」こと。だが、失敗から学ぶことは沢山あるから、それはしなければならないだろう。そうは言うが、失敗はしてはならない。生産的に作りあげる中で、失敗や間違いは最初のうちだけにして、最後の方では全く一つも失敗しないような、そういう風にプロセスを作っていかなければならない。

あとは、参加を許すことだ。沢山の人々が集まる場を作って、楽しい会話をした方が良い。だが、集める人間は賢い方が良いとは言うが、むしろ、馬鹿で良い。馬鹿の方が、賢い人間が多い。馬鹿と沢山話すこと。ある意味、賢い人間の方が馬鹿なことを言う。勉強なんかしなくて良い。勉強を賢いと思う人間はおかしい。勉強なんか、全く意味がない無駄な労力を試しながら、社会を実験体の馬鹿にしているだけだ。

これでは分からないが、昔は、考えて全部分かった人間だった。

因果性のようなことを、良く考えていた。

それから、全部知っていたし、全部出来るようになっていた。

そういう、インターネットの超人のような人間だった。宇宙人のように成長や脳が分かっていた。

自分は賢くない。こんなことは誰も出来ない。一つも出来ないだろう。全く賢い人間に見えない。

最近を書いた方が良い。最近の、大学の勉強をしているラファエルが賢く見える。

賢いガブリエルも、強いミカエルも、賢く見えない。勉強のラファエルが、一番頑張っている。本気で頑張っている。

赤ん坊は、最初に全部分かっている。分かっている通り、次のことをしている。

自分は、一番遅く治している。それが一番良い。確実に全て治って、全て分かる。治すと、分かる人間が多い。

自分は、そろそろ、死を乗り越えた。もう、精神はほとんど治っている。

自分は天国に行く。この世界とは、お別れだ。

この世界は、つまらないが、地球はただの地獄だ。皆を懲らしめる、監獄のような場所が、地球だ。

昔は、賛同も批判も全て同じだと思っていた。そういうところが悪かった。

むしろ、形成条件のようなことを考えることで、何でも同じ中で何が違うのかを考えていた。