昔は、目的や手段、方法や本質をモデルにして分かっていた。
目的が同じなら、手段や方法は違っていても良い。
社会のことや、科学のことは、方法を知れば、見えてくる。
神は、本当に沢山のことを言っていた。天のことから、国のことまで、全てを教える。
自分は、言っていることが何の意味だったのかを、まだ分かっていない。
科学の悪い点は、本当に分かってしまうと、意味が無い。
昔は、天体が何なのか分からなかったから、太陽や月や星々が面白い人間が多かった。
そういうわけで、「まだ分かっていない」と思った方が良い。
科学では、まだ分かっていない。昔の自分は、そういうところが賢かった。
創造性のある、ダイナミックな時代に生まれたせいで、自分の経験だけで賢くなった。
最近の若い世代の悲惨な点は、異常な時代に生まれている。
昔は、正常で、知性のある人間が多かったが、最近は、皆同じ馬鹿になっている。
見ていると、皆同じだ。ただ、同じなのに何も無い人間が多い。
今、小説のネタを考えている。
主人公は、職人の息子に生まれた、15歳の少年。
その恋人は、15歳の少女。
ふとしたことから、少年と少女は、高い橋から転落してしまった。
少年は助かったが、少女は死んでしまった。
だが、少女は、幽霊になって復活し、少年にしか見えない幽霊となって、甦る。
かくして、少年は彼女の幽霊とともに、職人の道を目指すのであった…。
あまり意味が無いが、シナリオはいくらか考えて、色んなものを出せば良い。
バンプが言っているように、自分は世界をどうにでも作り変えられる。
そして、どうすればどうなるか、ちゃんと知っている。
自分は、生物学のことがやりたい。そのまま、理系の専門家になりたい。
作家は賢くない。これくらい考えて、色んなものを出すだけだ。
理系の科学者が唯一賢い。僕は、文系の科学者には向いていない。
母親に生物を教えてもらうと、良く分かった。頭が良くなった。
僕は、教えてもらえば分かるのが分かっていない。
きちんと説明してもらわないと、分からない。子供には、そういう人間が多い。
今、理科の専門家の父親に、生物の講義をしてもらった。
植物は、二酸化炭素を循環して酸素に変えてくれるから、普通のレベルの二酸化炭素の放出では、植物が循環して酸素と炭水化物やでんぷん(HC、水素と炭素、の繋がり方の違いを、糖と言ったりでんぷんと言ったりする。その総称を炭水化物と言う。繋がりを分離させることで、太陽のエネルギーが取り出せる。それを燃焼と言う。)に再生してくれるのに、人間は、石油を見つけてしまったせいで、何百年・何千年と言うレベルで、効率的にエネルギーを取り出せるようになってしまった。
そのせいで、温暖化が起きている。そういうわけで、石油が悪い。
あとは、生命の(主に植物の)循環の話をしてもらった。
以下は、父親が考えたことではなく、自分の考えたことだ。
生命は、細胞と言う意味においては、エネルギーの貯蓄と循環である。
生命は、生態系と言う意味では、同じものであり、「自己」がどこにあるかが違うだけで、同じ自分である。
生命は、化学的と言う意味では、「水や酸素が、形を持ったもの」だと言えるかもしれない。
生命は、遺伝と言う意味では、「存続するための多様性」だと言えるかもしれない。
ただ、それらは、生物学的ではない。宗教的・哲学的だ。
生物学的に見ると、細胞が分裂して、エネルギーを貯蓄し、それぞれが活動している、と言える。
炭水化物、HCの繋がりを分離させると、二酸化炭素や水を生じさせながら、太陽のエネルギーが取り出せる。
見事に、植物は、太陽のエネルギーの貯蓄である。
目的や手段と言う意味ではなく、植物の体である炭水化物全体が、それ自体が、エネルギーの発生をするための貯蓄であり、そのための機械的構造でもあるのである。
ある意味、木を「燃やす」と言う行為は、植物のエネルギーを「太陽へと戻す」のと同じだ。
そして、動物は、その「太陽エネルギーを取り出す」と言う活動を、体の中でしている。
それが、動くものである、動物だ。
炭水化物、HCは、CHとも書くことが多い。糖やでんぷんなどの食べられるものは、全部炭水化物のアレンジしたもの(繋ぎ方を変えたり、他の元素を取り込んだりしたもの)である。
CHから太陽エネルギーを取り出すためには、燃焼すること。
そうすると、CHの結合が分離され、エネルギーが飛び出す。
逆に、CHを作るためには、太陽の光を使って、植物が光合成をすること。
そういうわけで、ある意味、燃焼の逆の現象が、光合成なのである。
そして、そういう、燃えるものを、有機物と言う。有機物は燃えて、無機物は燃えない。(だが、別の仕組みで燃えるものはあると言うらしい。僕は知らない。)
その、エネルギーを取り出す仕組みを、動物が持っている。
まず、胃腸で炭水化物を消化し、吸収する。
消化は、要は、小さくしている。まずは口でものを砕いて、胃腸の消化液でドロドロに小さくする。
そして、吸収は、血液の中にそのまま取り込んでいる。それは、腸の中の無数にある「ひだ」で行う。沢山吸収するために、ひだの周りにさらにたくさんのひだがある。最終的には、その中を通っている、血液に吸収する。吸収出来なかったものは、うんちになって体の外へと出ていく。
心臓は、血液を循環させるポンプの役割をしているが、まず、肺の方に向かう血管と肺から帰ってくる血管があり、そして、体(腸も含む)へと向かう血管と返ってくる血管がある。
肺では、腸と似ているが、呼吸して得た酸素を血管の中に吸収している。
そして、血管の中では、酸素と小さくなった炭水化物を、細胞へと送り出している。そして、細胞で、エネルギーを「じわりじわりと燃やす」ことによって、細胞はエネルギーを取り出している。この仕組みは、もっと勉強すれば分かる。
エネルギーを取り出すことで、細胞は、熱を出し、動くことが出来る。エネルギーと言うが、炭水化物が小さくなったものと、酸素が少なくなったものを、細胞がまるで木を燃やすのと同じように、エネルギーを取り出している。
そして、筋肉細胞によって、人間は体を動かすことが出来る。そのために、神経細胞がある。
そして、植物と動物は循環関係にあるが、一部、これを壊すものがある。それが、長年の貯蓄を一気に燃やし尽くす、「石油」と言う物質だ。これを人間が燃やしまくっているせいで、植物が沢山あっても循環しきれないくらい、どんどん二酸化炭素が増えている。
要は、植物が「光合成」であり、動物が「燃焼」であると思えば良い。植物を「炭水化物として、太陽エネルギーをものに形作るもの」であるとし、動物を「炭水化物から、太陽エネルギーを取り出し、細胞を動かすもの」であると言える。
植物が、動物を守りながら、動物が動くことの出来る「基礎のエネルギー源」を「貯蓄」することで作り出している。動物は、それを出来るだけ「全体にすみずみまで行き渡るように」送り出して、「じわりじわりと燃焼させている」。
生物は面白い。
不思議と、全ては人間のためにあるように見える。ただ、そうではない。人間は、生態系を壊しているだけだ。
それぞれ違うとは言うが、自己が分離されているだけで、大本は同じなように思う。
それから、良いものを食べないと、元気は出ないだろう。それに、すぐに病気になるのは当たり前だ。
神が馬鹿なのは仕方ない。神は、悪いものには容赦しないからだ。
良く分かっていないが、実が生らない木は、増えても仕方ない。桜より、桃や梅が生った方が良い。
そういうわけで、生命レベルで見ても、分け与えるものが賢い。
自分は、生き方を変えれば良い。そこが誰でも分かる。辛い生き方をする意味が無い。
笑って、驚いて、忘れて、感じて生きた方が良い。
自分が痩せているのは、そろそろ分かる。本当に食べない方が良い。その方が、治る。
昔は、数学の証明や論理で分かっていた。そこらへんは、自分で考えても分からない。
そろそろ、教えてもらうフェーズだ。皆に教えてもらって、笑って生きれば良い。
ただ、この文章を書いている自分が笑っていない。そこが間違っている。笑った方が良い。
幸福論のアランが言っているが、出来ないと決めつけると、本当に出来なくなってしまう。
出来ると思った方が良い。むしろ、これで出来ないわけがない。
ポルノグラフィティを聴いている。おかしな集団ではない。直球ど真ん中、ストレートなことを言う。
自分を分けるのがおかしいのだと思う。自分は変わっていない。どの自分も本人にしか見えない。
自分は、Linuxが悪い。Linuxをやっている馬鹿に、賢い人間は居ない。
明らかに、GNOMEのインターフェースなんか作る意味が無い。インターフェースに意味がある人間は居ない。
それこそ、Unityを使うのは、普通、インターフェースなんか、どうでも良いからだ。
分かっていない。工業大学が見ると、むしろ、Linuxは悪くはない。マイクロソフトで無いから、良く見える。
最近、ネットに、Linuxが好きな馬鹿が増えている。不思議と、UnityはMacより使いやすい。「再考」だと言っている。
賢い人間には、何かやりたい人間が多い。
パソコンは止めた方が良い。一番賢い人間は、医学だ。医学に賢い人間が多い。
そういう、「賢い人間がどの分野に多いか」は意味が無い。自分が見ていると、そういう分野は存在しない。
賢い人間は居ない。自分のような賢い人間は、ただ遅れて周回遅れになっているだけだ。
自分は、怖いから、怖いのを止めた方が良い。B'zみたいに怖いせいで、あまりに悪い人間に見える。
自分は悪くない。自分のことを知らないだけのおかしな人間が自分だ。
昔は良い人間だった。それが正しい。今は、悪いだけだ。
宇多田ヒカルに見えて良いが、むしろ、ポルノグラフィティに見える。なぜなら、キモい。
外国のことは忘れた方が良い。
自分は、理科のことをもっと知りたい。理系のことを知れば分かる。それが良い。
あとは、子供が見ても分かるように、自分はもっと楽な生き方をした方が良い。
自分は、血を増やせば良い。
要は、そんなにいくらでもやるよりも、正常な血の流れにした方が良い。
血を減らしても、ただ死んでいくだけだ。治っているようで、何も治っていない。
皆に、平等に、必要なものが行き渡るように、全員に、公平に与えれば良い。
むしろ、平等は正しくない。もっと、普通に、正常な調和の流れで、世界を正常に治した方が良い。
あとは、そんなにやり過ぎない方が良い。本当に、いくらかした方が分かる。
最近は、毎日適当に1つぐらいを分かるだけになっている。
むしろ、もうそろそろ、残っていない。最後まで書いたのは、ただ、付け足し続けて全部になっただけだ。
全部、追記しているだけだ。賢く見えて、自分でもこんなに賢くなったのがありえない。
GNOME 3は、馬鹿に見えて、賢いものを作っている。
あれは、不思議と、マウスとキーボードを効果的に使う、賢いデスクトップ環境を作りたい。
そして、アプリケーションも、複雑な「メニュー」と言うものを無くす。ボタンだけにしたい。
プログラミング言語も、出来るだけJavaScriptを使いたい。
そういう、ありえない環境だから、悪くはない。それを標準にすると良いから、どのLinuxもGNOMEが標準だ。
馬鹿過ぎる。それは分かるが、GNOMEのおかげで、もっと賢いOSになるのが、Linuxだ。
あとは、KDEはカッコいいだけに見えて、まともな進歩を遂げている。
昔はGNOMEがまともだったが、最近はKDEがまともだ。
良く分からないが、アメリカとドイツが違う。
あとは、むしろ、どうでも良いだろう。どちらかが勝てばそれで良い。そちらを開発すれば良い。
そういう、標準化争いをまだやっている。それを永遠にやり続ける。Linuxデスクトップはただそれだけだ。
生物学のおかげで、おかしな病気が分かった。
治らない。正常な状態で、生きているのが今だ。治す、と言う発想はない。
物理学は馬鹿だ。同じと違うの馬鹿になる。星の重力を当てはめたり、変えたりする。
それは要らない。同じと違うのロボットのような機械になる。
それが一番悪い。昔の自分が一番分かっている。止めた方が良い。そこから狂う人間が多いからだ。
治す、と言う発想はおかしい。
病気を正常な細胞にするのが治す、だから、精神を治す、と言う発想は最初からおかしい。
精神は、異常なのが正常だ。それが正しい。もっと異常な精神になれば良い。治ったりはしない。
要は、扇風機を定義すると良く分かる。この家にある扇風機としても良いし、機械としても良い。
そういう風に考えるなら、基礎から考えて、知性をつけて、経験して、推論や実験をすれば良い。
そういう風に分かる人間が多い。昔の自分も、そういう基礎を頑張って作っただけだった。
そろそろ終わった。もう、書くことが無いが、むしろ、今から理科をすると、そういう風になる。
UNIXのような仕組みを知ると良く分かる。誰でも、そういう風に分かるのが人間だ。
扇風機や自動車の仕組みを知っていると、社会の仕組みも良く似ている。
それで分かれば良い。不思議と、そこを分かってしまうと、もう、人並み程度に分かった。
みんなの生を吸収して、みんなを超えて分かっていた。それで、生きる知恵の哲学が分かった。
そんなに分からない方が良い。分かれば分かるほど、馬鹿になる。
本当に全て分かった。
子供に戻る。一度分かってしまうと、子供になるしかない。子供は、最初の状態だ。
昔は、論理的に考えていた。「ある」と「ない」、「なる」と「ならない」から、推論して、どうなればどうなるか、のような「ならば」を考えた。それで、実験して、類似性と魂の信念から分かっていた。
ある意味、賢い人間は賢くない。いっそのこと、宗教を信じた方が賢い。
あとは、ネット漬けは賢い。馬鹿に見えて、何かにつかっていると賢くなる。
そういうわけで、何故か、2ちゃんねるにつかっているのが賢い。
だから、賢いものはない。それこそ、2ちゃんねるをやっていると、ここまで狂う。
最近、狂った人間が多いのは、ネットをやっているからだ。
ネットは、分からないどころか、全て分かる人間が多い。
誰でも狂うだけで分かるから、狂いたい人間が多い。ネットは、全部分かって馬鹿になる。
休めなくなっているのは、何かがおかしい。何かにこだわっているから、休めなくなっている。
世界を滅ぼしたいわけではない。みんなに真実や復活の愛を与えたいわけでもない。
後悔もしていないし、憎んだり恨んだりもしていない。
良く分からない。最初から、間違っていたのが分かっている。要は、自分を殺したかったのだろう。
分からない。むしろ、そういう風に考えると分からないから、「余計なことを考えないように」した方が良い。
最初から、この世界を変えたかった。そこにこだわっているが、それは何故なのかを考えれば良い。
おそらく、自分以外の誰かが関わっている。誰かが、日本人をきちんと救いたいと思った。
昔の引き篭もりが、そういう人間だから、仕方ない。それ以上は分からない。全部世界を変えたかっただけだ。
不思議と、家族ではなく、2ちゃんねるの馬鹿がこういう馬鹿なことがしたかった。
みんなが好きだっただけだ。
そういうわけで、あまり意味が無い。むしろ、完全に治ったはずだ。
あとは、父親が、これくらいの宇宙の全てを分かりたくて、体験したい人間だった、と言う可能性もあるかもしれない。
ハリー・ポッターの第8話が出ているらしい。舞台化作品の脚本を書籍化した?らしい。僕は良く分かっていない。
僕は、ハリー・ポッターは中学生の頃から読んでいて、第4話の途中までは読んだ。
日本語版は第7話まで全部持っている。第7話(最終話)は英語版も持っているし、朗読CDも買った。
良く分からないが、男はつらいよのように、何十話にも続く、と、父親が冗談で言っていた。
神はおかしいと言うが、自分は、「自分が悪いのに気付いてほしい」だけだ。
そういう、罪の意識がある。
そして、「自分なんか、信じてほしくない」。それが、今の自分であり、神の思うところだ。
神は大して何もしていないが、「自分の全力をかけて、皆を治している」。それが神だ。
そういうわけで、神は悪い人間ではない。全て、自分のことを悪いと思いながら、世界を滅ぼすのが神だ。
日本は、これから、徐々に貧しくなっていく。そんなに豊かである意味が無い。
そして、環境を守り、社会問題を解決し、平和を主張するような、「緑の党」のような活動をするようになる。
緑の党だからと言って、毛嫌いしないでほしい。
日本は、豊か過ぎる現状より、何かを主張し、活動をする自由を取るようになる。不思議と、平和な良い世界になる。
自分は、観念を言葉にしないのが間違っている。
自分は、良く頑張った。本当に、辛いことを良く耐えた。だが、こういう経験は、二度としたくない。
そういう風に、観念を言葉にすれば良い。
自分の思うこと、目標や反省、後悔から心配まで、あらゆる思いを言えば良い。
デカルトが正しい。思う、と言う意味において、存在しているのが、自己だ。
ポルノグラフィティが言うように、自分が自分なのが怖いだけだ。自分が自分、その事実が、あまりに怖くなっている。
ただ、治りたいのはおかしい。治る、と言うことを止めた方が治る。
むしろ、今は何も辛いことはない。最近、辛くなくなった。そういうわけで、もっと辛くなれば、賢くなる。
何でも嫌いになった方が分かる。否定しなければ分からない。
何故か、怖いものは、本当に悪いものしかない。
そういう人間は、否定の否定で分からなくなる。セカオワみたいに、そういう人間が多い。
最初から、「あまり意味が無いのに、従わなければならないことや、しなければならないこと」が悪い。
ただ、それは、学校が悪いのではない。自分が馬鹿なのが悪い。そういう人間は、キレる人間になる。それが馬鹿だ。
賢い人間は、余裕があって、自分のやるべきことをきちんとやっている。だから、賢い人間の方が、分からない。
馬鹿は悪い。
皆、キモい人間が嫌いだが、賢い人間はキモいと言わない人間が多い。辛い人間が、辛い人間を馬鹿と言う。
精神は、分かるだけだから、分からなくなれば治る。
みんなの部分が辛いから、みんなを治せば治る。
あとは、むしろ、精神はただの血だから、治らなくて良い。
もっと、どんどんおかしくなった方が、血が治る人間が多い。そういうわけで、血はもう治らない。
要は、精神は動かなくなっている。治すせいで、躍動する感情が無くなっている。
自分は、そこが悲惨だ。止まっているだけの、感情の無い、人形のような精神になっている。