昔は、知って、知り尽くして、知性と構造を分かるような、そういう因果性の文章を書いていた。
変えられるプロセス、成り立つプロセスのようなことを言う。
それで、人生的な段階と、社会のレベルを書いていた。
精神は、気持ち悪くなると治る。それで、頭が賢くなって、血が治る。
そういうわけで、本当に馬鹿なものを見た方が、精神が良くなる。そういう人間が賢い。
世界観を書いていた。
生命は精神と分類だとか、そういう、ありえない科学のようなものをいつも作っていた。
一行からこの宇宙と考え方の科学を作る。そういう文章だった。
会社でのプログラミングは、賢いから、コピーして使いまわすだけだ。
同じプログラムを作り直している馬鹿は居ない。むしろ、オープンソースは、そういう理由で多い。
居ないとは言ったが、同じプログラムを作り直している馬鹿は、本当に多い。
何故か、コンパイラを作り直して速くする。オープンソースに一番多い。
Javaが賢い。Javaは、作り直したり、再利用したりするのがやりやすい。
本当にオラクルの製品は全部賢いから、オラクルが好きな人間が一番多い。
高校数学なんか、しない方が良い。
高校数学を分かってしまうと、関数とか、記号とか、そういう「子供が見ている数学的考え方」が分からなくなる。
高校数学は馬鹿ではないが、しない方がまともに分かる人間が多い。大人は、知れば知るほど馬鹿になる。
マルクスは、生産力が向上すると、供給過多になって、失業者があふれて、資本主義は崩壊する、そのために国家が計画して、生産手段を共有するべきだと言うが、まるで今のIT業界を言っているようだ。プログラマのことを言っている。
ただ、そうでもない。供給過多になると、賃金は安くなって、プログラマは他の業界に転職する。生産力が向上すると、大量生産が出来るようになるし、競争で要らない会社は淘汰される。
そういうわけで、ソ連は発展しない。そういうことを言っている人間が多い。
ただ、日本の勝ち方は賢く悪い。世界中の生産手段を全部日本だけが独占して儲けている。それが、帝国主義だ。
マルクスは、階層を平等にすべきだと言うが、僕は、そんなに生産が簡単なら、もっと質的な良いものを作れば良いと思う。そして、オープンソースやインターネットのように、個人やボランティアが作れば良いと思う。
良く考えれば分かるが、そんなに安いものは誰も作らない。
怖くすると、それだけで治る。
秘密とは、革命のことを言っている。そこがありえないのが、神だ。
マルクスは、良く考えると、完全に間違っている。安い方が儲かる。
真面目に資本主義のことを考えた方が良い。
トラックの運転手が辛いのは、競争と規制緩和が悪い。
学歴が無いだけだから、大学は無償にするか、全員入るようにするか、無くすしかない。
ただ、低学歴を悪いことにする人間が一番多い。高学歴にはそういう人間が多い。
そういうわけで、むしろ、右翼は低学歴に多い。右翼で良く見える。
不思議と、左翼は失業者や犯罪者に多い。左翼は、犯罪的なことを平然と言う。
「奴隷なら生きられる」とか、「集団農場は楽」だとか、ありえないことを言う。
左翼の方が悪い。自由も悪い。
右翼が勝った方が良いように見えて、右翼が一番競争と規制緩和をするから、良い党は無い。
自由とは、普通、ペルシャ帝国のようなことを言う。それぞれの自由を認めながら、領土を拡大していく。
それぞれの自由があることによって、制圧されても、奴隷にはならない。その地域の国民として、自由を与える。
そういう自由は良く見えるから、政治的な拡大は悪くない。
経済的に見て、安くなったり、成長するのが良いのは分かるが、それは最近だけだ。
普通、関税をかけて、外国のものを高くする。そういうことをするのが、政府の経済だから、規制は悪くない。
規制緩和をすれば、国家全体の経済が成長するのは分かるが、トラックの運転手は、そのせいで辛くなっている。
不平等な自由は悪い。平等な自由をした方が良い。人間性と権利のある、それぞれを大切にする自由をすれば良い。
要は、大多数が楽なのよりも、辛い人間を楽にした方が良い。
楽な人間をより楽にする意味が無い。辛い人間の方を楽にすべきだ。
日本は、そういう、「今まで日の当たらなかった人に日を当てる」と言うことをすれば良い。
今まで、そういうことをあまりしなかった。それが悪い。
むしろ、規制緩和なんか、あまり悪くない。
それに、競争を悪いと言うが、それは、競争が自由に見えて、「本当の自由」ではないのだと思う。
本当の自由が、どこかにある。それは、資本主義の今している自由ではない、何かの自由だと思う。
それこそ、社会主義は止めた方が良い。弱者を助けても、弱者が増えるだけだ。
むしろ、自由にも色々ある。トラックは、運輸業界全体が悪い。業界のやり方を改善すれば良い。
IT業界も、色んな業界が悪いが、左翼に何か出来るわけがない。
ただ、自由の悪い点は、それぞれの自由にすると、最悪なことばかりする。
そういうことを出来なくするのは、法治国家として正しいから、自由は本当に悪い。
むしろ、右翼の方が自由が嫌いな人間が多い。
それぞれの自由が良いのは分かるが、それぞれの自由の上で、独裁者を皆で選ぶのは、それも自由に含まれる。
ただ、自由にした方が良い社会になるのは、良く分かる。
そういうわけで、一人が支配して、その一人が賢ければ良い。
その一人がリーダーシップを発揮して、みんなをまとめて、みんなを賢くする。
そして、業界全体に圧力をかけて、業界を改革する。
そういう、右翼の方が賢い。
皆を賢くするためには、大学では悪い。大学に賢い点はない。基礎の基礎を少なく教えているだけだ。
もっと、大学をさらに賢くするのは良いが、学者には頼らない方が良い。
学者はこういう人間が多いが、本はもっと読んでいる人間が多い。
何故か、勉強していると、普通のことが分からなくなるのを、最近痛感している。
自分は、勉強なんか本当に馬鹿になるだけなのが分かっていない。
昔の方が賢かった。それは、単純に勉強が悪いだけだ。
最近、もう左翼は終わった。また、右翼に戻る。左翼には何もないだろう。
委員会には何も出来ない。自由にした方が、自分の自由なことが出来る。自由が無くて、分かるわけがない。
自由とは、経験や行動の自由も含まれる。それが無い時点で、全く左翼には意味が無い。賢くても、賢くない。
ただ、政治家は自由な方が良い。自由が分からないと、政治は出来ないだろう。平等も同じだ。
それぞれに、出来ることを許すと、賢い人間が賢いことをやる。そういう自由は悪くない。
自分に出来たことは、他の人間にも出来る。そういう風にすると、自由と言うよりは、宗教や哲学のようになる。
哲学は自由だ。
それこそ、手段は普通選ばないが、目的は普通選ぶ。
選択肢を与えるだけではなく、自分からその選択肢を作っていけるようにする。
そういう、「頑張る人間を自由にする」ことが出来ないと悪い。
それこそ、トラックの運転手が辛いのは分かるが、賢い人間も居た方が良い。
賢い人間が居なくなると、「悪平等」になってしまう。
そういうわけで、こういう自由な右翼が、本当に天才になる人間が多い。
本当に、そういう悲惨な作家が多い。こういう作家に哲学者や宗教家が多い。神を信じるとこうなる。
左翼の良い点は、労働者の労働条件と環境を改善する。それだけは、唯一良いことをしているのが、左翼だ。
昔は、結構、全部分かっていた。
経験から、何をどういう風に考えるべきか、社会をどういう風に変えるべきか、分かっていた。
人生をどう生きるべきか、分かっていた。
昔は、物理的に、正しい論理を積み重ねて分かっていた。
最近は、物理のようなことを、知性と説明から、当たり前の事実と概念から分かっていた。
みんな、自分のせいで、あまりに弱くなっている。
皆、強く生きなさい。誰かに従って、盲目的に生きるのではなく、自分の力で考え、立ちなさい。
自分のことを認めると同時に、他人のことを認め、社会の本来の姿、自然な姿を知りなさい。
荒れ狂った社会の中で、強い人生を生きなさい。
本当に強く生きるためには、誰の助けが無くても自分の力で取り組むような、強い姿勢と自由な覚悟が必要だ。
その覚悟から、自由の本当の意味と、哲学的で実存的な社会と人生の真理を知り、強くなる知性を知りなさい。
怖くないものが怖いのはおかしい。「怖くない」と思えば怖くない。
それは、本当に、革命のせいで、怖くないのに安心出来るものを怖いとまだ思っている。
不思議と、相手も愛していて、自分も愛しているのに、怖いのがおかしい。
何かが間違っている。それは、正常で、何もおかしくないのに、まだ何かをおかしいと思っている。
皆が間違っていないと言っても、自分だけがおかしいと言う。それがおかしいだけだ。
昔は、「何故それがしたいのか」を、信念のモデルから、考えて、知って、そこから哲学を分かっていた。
環境から、何故それをするのかを感覚で分かっていた。社会を考えて、そこから哲学を考えた。
経済学は、社会の裏側や、制度と現実の相違点などを考える。あまり、やる意味が無く思える。
心は、まだ分かっていない何かを分かれば治る。分かると治るのが心だ。
皆が馬鹿なだけだ。見ていると、悪い人間しか居ない。
自分は、みんなが右翼なのが分かっていない。みんな、どんどん右翼になっている。
そろそろ、心臓が治った。治ると言うよりは、女に変わっている。
みんなは、僕の言うことを、してくれなくても良い。僕が言っているからする、と言う発想を止めてもらえば良い。
心が世界を作った。全ては、心から生まれた。
あとは、僕はみんなのことなんか、嫌いだ。みんなで、勝手にやってほしい。
好きだと言うから、みんな勘違いしている。
僕は、そんなに賢い存在でも、王のような存在でも、良い存在でもない、普通の人間だ。
支配したいのも、支配したくないのも、支配しなければならないのも、支配してはならないのも、同時に止めれば良い。
仏教では、そういうことを、「執着を無くす」と言う。仏教は、いつも、こういう人間を治している、心の病院だ。
僕は、全て知っているから、助けは要らない。ここまでの助けには感謝するが、もう、助けてくれなくて良い。
神は、ただ、自分が永遠に確かめて、検証しているだけだ。赤ん坊と死人しか居ない世界になった。
あとは、世界のことを書いていた。ダイナミックな世界の中で、人生を知った、世界と自分の関わりを書いていた。
最近、そういうダイナミックさは、徐々に無くなってきている。だが、動乱の時代であることは言えると思う。