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=2016-08-07=

自分は、止まった精神を動かすのが悪い。もっと先に進んだ方が良い。

皆の精神を一度止めて、それをいつまでも動かす瞬間をやっている。

そのせいで、皆が止まっているのだ。そういうわけで、もっと先に進めれば良い。

皆は、心を動かす瞬間をやっている。

昔の自分は、意識を自在に動かして分かっていた。

そういう、躍動する感情を分かっていた。そういう、感情の可能性を書いていたのだ。

自分は、大人になった。

作家は本当に、大人になった方が出来る。色んなことを知らないと、書けない。

父親と、色んな話をした。

「かもしれない」と考えると分かる。色んなこの世界のことは、「かもしれない」と考えれば分かる。

可能性を推論して、想定から実験していると分かる。

かもしれない、と考えることから、科学が生まれる。

今でこそ、地動説は天動説より正しい。だが、昔は太陽が回っていると考えられていた。

僕も、小学校や常識がなかったら、今でも、太陽が回っていると信じていたと思う。

そういう、普通に見えて、本当はそうではないことは、本当に多い。

ガリレオ、ケプラー、コペルニクスなども、地動説を唱えた時は、勇気と批判があったと思う。

その時代は、神が天と地を創造して、太陽が地球の周りを回って、植物や動物がそれを中心に生きているのを、「神が偉大な天と地の全てを創造した」と言って、その偉大さを信じ、恐れをなしていた。

父親が言うには、自動車と景色の関係を考えれば良い。自動車から見ると、景色の方が動いているように見えるが、良く見ると、景色は全体の位置関係を変えず、一緒に動いている。そこから、周りの方が動いているのではなく、自動車の方が動いているのが分かる。地動説も同じで、望遠鏡で太陽やその他の星を観測した時に、太陽とともに他の多くの恒星が位置関係を変えずに一緒に動いている。そこから、上の例の通り、地球の方が動いていることを見つけ出した。

(この部分は、父親に見てもらって、父親の言う通り修正した。)

まさに、科学は賢い。

だが、その当時は、地動説を唱えた科学者は宗教裁判にかけられた。狂った危険思想に見えたのだと思う。

それから、事実は異なっていても、普遍的概念や共通概念から、何とかなってしまうことは、良くある。

本当に、自分が見ている青色は、他人が見ている青色とは、違うかもしれない。

だが、そこに共通概念がある。

今でも、本当か嘘か分からないようなことは、沢山ある。昔から、大陸が動いているとか、外国人はどんな姿をしているかとか、新大陸や進化論とか、ニュートン力学をアインシュタインが覆したこととか、あるいは、ソ連の大失敗に至るまで、色んな嘘と新しい真実の発見を、人類は繰り返してきた。

そのうち、反物質から、反重力のようなものも、見つかるかもしれない。

可能性は、いつも、文章に書いていた。

推論と実験だけではなく、「事実を知る」とか、そういうプロセスを書いていた。

人間は、むしろ、都会より田舎の方が良いかもしれない。最近はテレビとインターネットがあるから、サバイバルとは言っても、ある程度の店やスーパーがある場所なら、楽に生きられる。

都会の問題は、星空が見えないこと。

都会は集中化しすぎている。田舎の方が分散している。

日本の問題は、合理性や競争原理だけが、発展ではない。

郵政民営化や、JRなどでの田舎路線の廃止は、合理化や競争原理ばかり考えていて、「本当の進歩」ではなく、退歩しているところがある。

そういうものは、金儲けが目的ではなかったはずだ。もっと、公益のことを考えないのはおかしい。

値段を上げることも、コストを下げることも出来ないなら、廃止するのが資本主義だ。

資本主義はおかしい。合理性と競争原理は、正しい発展ではないのだ。

父親と話した内容はここまでだ。もっと色んな、物理学のような話と、田舎と都会の話のようなことを話した。

社会は、帝国と共同体を同時に成り立たせて、キリスト教にして、文化を融和すれば良い。

今、こうなっているのは、こうなっている理由があるから、こうなっている。

本当に、こうなるべき理由がある。そういうことを信じた方が良い。受け入れて信じると、良く分かる。

自分は狂っているが、昔から、受け入れることを信じて分かる。そういうものが、宗教だ。個人の心の問題だ。

人間は、星である。人間は、星になる力がある。太陽にも、木星にもなれる。

人が思うことが、自分では意識しないこともある。宇宙人は、自分たちのことを宇宙人だとは思わない。地球人も、自分のことを「地球人」だと思っている人間は少ない。アメリカ人は、自分のことをアメリカ人ではなく、人間だと思っている。犬も、自分のことを犬だとは思っていないはずだ。

科学的経験と思い込みは、そういう風に、意識していることと意識しなくても他から見えることから成り立つ。

何を考えていたのか覚えていないが、そういう、科学的な「気付きと発見」のことを分かっていた。

あとは、世界なんか、嫌いになった方が良い。自分は、世界と関係なく生きている。

それから、言語的な問題もある。日本人は、カタカナの「カー」を「英語で」自動車のことだと思っているが、アメリカ人は、英語で、と言うよりも、もっと直接的な意味として、日本語で自動車と言うカーをカーだと思っている。それは、日本人の思う「カー」ではない。

それから、物理的な問題もあるだろう。カシオペア座のことをカシオペア座だと思っているのは、地球人だけだ。

あとは、人間は物質を気体、液体、固体だと思っているが、ある意味、生物の細胞は特別なものだと思っている。だが、それも人間が思っているだけで、生物の細胞のような形態をした物質は、沢山あるのかもしれない。それに、生物細胞の上に、意識細胞のようなものがある可能性はある。それは置いておいても、木星でガスが別の形態で細胞のように形を持つことは考えられるかもしれない。

むしろ、こんなに小さいものが分かるのはおかしい。それを言うと、狂っているようには見える。

僕が思うだけだが、反物質や反重力の世界は、反空間や反時間の世界にあるのではないかと思う。時間と空間が逆方向になった、そういう逆戻りの世界に、反物質がある。物理学が今研究している、反物質が自然界から消えた理由は、僕には分からない。父親なら分かるかもしれない。

一番考えられるのは、太陽などの星が意志を持っていることだが、きちんと考える脳や意識のようなものは無くて、ある種運命的な、予定調和のような、「ただ向かって続いていくだけの意志」のようなものは持っているかもしれない。

自分は、賢い人間を妬み、憎み、恨むのが悪い。ビル・ゲイツは悪くないだろう。そういうところが悪いから、神が懲らしめている。そういうところがおかしいのが、分かる心理学が多い。全部、ビル・ゲイツが嫌いなのが悪い。それでWindowsを使うのがおかしい。皆ビル・ゲイツが好きな人間しか、ネットにも、現実にも、居ないのが分かっていない。そのせいで、社会から孤立する。

自分は、考えるだけの哲学者の科学者だが、もっと他を知って、確かめながら思考すれば良いのが分かっていない。

良く考えると、恒常的で法則的なことが分かる。そういうわけで、現象学や経験論は、数学が分かる人間が分かる。

要は、本当にLinuxが悪い。Linuxが馬鹿だから、馬鹿になっている。世界を破壊し、滅ぼす思想がLinuxだ。

むしろ、良く分からない。それは、分かっても治らない。どうすれば治るのか、良く分からない。

そんなところが分かっても、狂うだけだ。

要は、学校も悪い。そういうわけで、自分は間違ってはいない。ただ、もっとマシなものを信じた方が良い。

要は、昔から、馬鹿な悪いものばかり信じている。それが悪いだけだ。

要は、人生そのものがLinuxだ。そこが間違っている。

ただ、それも悪くはない。宗教や大学はつまらない。政治闘争に生きるのもつまらない。

もっと、別の人生を作らないのが悪い。人生が、Linuxみたいな馬鹿になっている。不思議と、他人よりは賢い。

大学を頑張れば良い。それが正しい。哲学と歴史をきちんと放送大学で勉強した方が良い。

ただ、学者は賢くない。学者には、色んな人間が居るが、人生のレベルが低い人間が多い。賢いからそうなる。

ただ、見ていると、大学は意味がない。全く意味が無く見えるのが、大学の歴史だ。

もっと意味のあることをした方が良い。

人助けのようなことをするか、自分の可能性を広げるか、そういうことをした方が良い。

賢い人間には、良いことが起きる。不思議と、何もしないより、馬鹿なことをした方が楽しい。

ただ、考えても意味がない。自分は、きちんと哲学を知って終わりだ。むしろ、そろそろもう既に終わりだ。

おそらく、地球がもっと色んなことがしたかったのが、地球の生命だ。

むしろ、今の地球やその周辺を見て宇宙人が居ないだけで、いつも居なかったと考えるのは間違っている。

昔は、他の場所にも生命が居たかもしれない。

地球人が、宇宙の他の星から移り住んできた、と考えることも出来る。

自分は、そういう風に、概念的に簡単なことを考えるのがおかしい。

もっと、難しいことや詳しいことを、きちんとした常識と論理の中で、考えれば良い。

昔は、そういう風に、色んな詳細なことを、世界の実体験や社会経験の中で考えていた。

関係ないが、昔は感覚で社会を作っていた。

社会を作ることを、具体的に、ある種、人工的社会の創造のように考えていた。

きちんと理解すると、問題を共有出来る。そういう人間が多い。

目的や手段のようなことは、「かもしれない」から考えると、きちんと分かる。ゆっくり考えること。

昔は、そういう風に、「思考の科学」や「再利用の数学」を作っていた。

自分は、既に分かっているつもりなのが悪い。可能性を広げて、新しい可能性を開拓して分かっていかないのがおかしい。最近の自分は、全部そういう風におかしい。可能性を広げず、狭めながら、包括的ではなく、具体的に見ていくのは、一番馬鹿な考え方だ。子供は、こういう人間が嫌いな人間が多い。こういう風に、「分かる人間」が宗教だ。逆に、「賢い分かり方をする人間」が物理だ。

ただ、その通り信じて、作るのではなく、疑って、相対的な知性をつけた方が良い。それから、左翼や右翼も悪い。不自由が良い人間には、何も分からない。決めつけて、構造化し、何も考えず、自由でなく、留保的でない、間違った考え方をしているのが、左翼や右翼だ。

こういう人間は、女に多い。女は、悪い人間が多い。

思い込みと気付きは、あとは、全部同じだ。物理法則も違う、宇宙人も違う、生物を生物だと思っているのも違う、日本を当たり前だと思っているのも違う。ある意味、地上の生命なんか、海の生命と違う。おそらく、宇宙人は、地上の生命と海の生命が違うぐらいしか、違わないだろう。人間より賢くなるわけもないだろうし、人間より馬鹿なわけもない。ガスの中を飛び回るナメック星人のような宇宙人が居るはずだ。

あとは、経験を疑い、認識を疑い、存在を疑い、心を疑う。デカルトの言う、われ思う、ゆえにわれありは、思っている自分もどこかであるように見えるだけで、本当はないものかもしれない。それでも「ゆえにある」と言えるだろうか?

自分の賢い点は、嘘で分かって、嘘を捨てていく。それだけで分かるようになった。そこがインターネットと同じだ。嘘で分かった後で、もっとあとで思い出して分かっている。だが、何も分かったことを覚えていない。その、「作っては捨てる」と言うプロセスが賢い。建設的に、間違いの無いように積み重ねる昔の自分も良かったが、本当にどんどん嘘を作っているだけで、その昔が分かった。本当に、「治る」だけで分かっている。ただ、「治る前の構造」をいつまでも分かっている。それで、全ての存在になれた。この文章は、嘘によるあらゆる存在と現象の創造だ。

自分なんか、「言い訳」をしているだけだ。「良いわけがないものを良いと言う」だけの、「言い訳」をしている。この文章は、この文章を正しいと思っても、間違いだと思っても、どちらを信じても分からなくなる。そして、治る代り、辛くなる。そんなことが出来るのはおかしいが、昔から、僕はそういうことが出来る。それが恐ろしい。それで、本人が分かるのがありえない。ただ、確かに問題を照らして、あぶりだしていくのが賢い。この文章を見ると、他の科学の論文なんか見る意味が無くなる。自分だけがあった方が賢い。

ただ、自分は賢くないだろう。昔の自分は、正しく考えて、知ったから分かっただけだ。

自分の問題は、自尊心が無い。変なプライドが無いのは良いが、自分のことを大切だと思わないのがおかしい。楽を望んでいるようで、いつもおかしな人と違う人生を望む。皆も、最近、そういう人間が多い。今の日本には、自尊心が無い。

個人の問題ではない。日本人の集団と日本の時代が、人々を自尊心が無い破壊魔にしている。自分のことを大切に思わないから、大切なものを破壊する。そういう人間が最近本当に多い。自分を破壊して、他人のことも破壊して、大切なものも破壊して、国も破壊する。そういう発想が、最近の日本人だ。

むしろ、最近はもう新しい時代だ。何故か、無意味になった。全ての価値あるものが、無意味になった。価値の無いものも、価値のあるものも、全部無意味になった。そして、何も分からなくなった。

コンピュータと悪魔のような人間たちによって、全てのものが無くなった国が、日本だ。

ただ、そんなに大きな出来事ではない。むしろ、昔と何も変わらない世界になった。良い世界だから、このままの日本を続けた方が良いだろう。何も変える必要はないが、非正規労働ぐらいを無くせば良いだろう。

昔は、数式のような論理を当てはめて考えていた。数学なんか、自分が一番出来ている。

もっと、仏教を信じた方が良い。

むしろ、宗教はこういう風に、まるごと違う体験をする。あまり、国を宗教にする意味がない。

むしろ、今の日本人と日本は他の国より優れた国になっている。ブラジルなんか、ただのスラムだ。

ただ、リオのオリンピックがキモいのは仕方ない。会場の外で、民衆が「オリンピックを止めろ」と言っている。民意がオリンピックを拒否している。そのせいでおかしく見えるだけだから、むしろ、仕方ない。治安も悪いから、もっと別の国でやれば良かった。東京のオリンピックは、「民意に反した大会」にならないように気をつけないといけない。

「かもしれない」を考えると、きちんと発想のようなことが分かる。

交通機関は、自動運転のバスやタクシーを作ると良いだろう。無料で乗れるようにして、道路では自動運転の自動車ばかりになる。管理は国がする。それが一番良い交通問題の解決策だ。だが、どうにかして、事故が起きないようにしないといけない。むしろ、もっと道路や車の部品に電子的な工夫をすれば良いように見える。電車のように線路があると、事故は起きにくい。電車のような線路を配備することも考えられる。

あとは、ネットの経験は馬鹿になるからしない方が良いが、昔は、自分に「欠けたもの」を全部知って、集めることで分かっていた。ネットが執筆に変わっただけで、自分は全く同じことをしている。だから、安心して良い。他のことをしても同じだ。自分は自分だ。宇多田ヒカルが言っているように、自分はどこへ行っても自分だから、楽にはならない。バンプが言っているように、忘れたって痛みはそのまま消えない。

要は、都会のような車が沢山行きかうところでは、自動車ではなく、線路を張り巡らせた自動運転電車にする。田舎のようなところへ行くためには、自動運転の自動車に乗るようにする。それが良いだろう。

ただ、電車の問題点は、乗り合いになることだ。自動タクシーのように、家族や個人単位で目的地を変えることが出来ない。ただ、それはバスも同じだ。それこそ、今より良くなるわけがない。人間が運転する自動車の方が賢い。ただ、コストはかからなくなる。むしろ、ゆっくり動けば事故は起きないように見える。いつかテレビでやっていたが、車の全方向にクッションをつけるような、「ぶつかっても事故が起きない車」を作ることが出来るかもしれない。

自分は、「ただちょっと思っただけ」で信じるのが悪い。それが一番間違っている。それを止めると、昔のように、カントのような思考が出来る。理性批判から仮象の世界を作って、思考科学のように出来る。自分は、カントになりたいのに、あと一歩のところで出来ていない。

ただ、そんなに自分を疑うのはおかしい。むしろ、自分のことは信じて良い。ある意味、自分のことを信じた方が、自分の発見を疑うことが出来る。自分は、信じているようで、ただ、疑っていないだけだ。

生物は、人間の作った生物学なんか、信じていない。もっと高度な、生命の根源的な生物学を信じている。

自分は、昔から、そういう風に、科学なんか信じずに科学を信じる。そこが、フッサールと良く似ている。

テレビの学習を消すと、テレビが怖いのが治る。昔の学習を、どんどん消した方が良い。

色んな人のブログを読んで、スターをつけた。

僕は、今まで、ここまで書いた文章を、全部消すように書く。

そして、新しく書く。

そうすると、知性が付く。

最近は、決めることから、アメーバが生まれた。アメーバは、どんどん増えて、まだ作っている。

アメーバを作るのを、もう止めた方が良い。

自由と、決断と、共存と、独立のような、法律から人生まで全部決めるような、自由な文章を書いていた。

それを書きながら、戦っていた。

はめ込んだり、決めたりすることで、この世界と戦って、統治していた。

自分は、アメリカ人を止めて、ドイツ人に戻って、ロシア人になる。

いつも笑っているのが良い。笑っていると、良いことが起きる。心が楽になって、世界が良くなるのだ。

分からなくて良い。人間は、分からないのが一番良い。最初から分かりたくなかったのが自分だ。

皆も、笑った方が良い。笑っていると、すぐに正常な心になる。

人間は、笑っていると成長する。そこが良い。

新しい子供が生まれた。

この文章は、新しい種を作って、育てて、伸ばしているだけだ。

最初のものと、同じものを分かっている。

自分は賢い。色んなことが出来た。

そういう、自分に良いことを言えば良い。自分に悪いことは言わなくて良い。

頭は、二つになって、終わりを続くようにして、反応しているだけだ。

自分の言っていることに反応して言いながら、それをまた言うように反復している。

そのように、言葉を学習して分かっている。

笑っていると治る。笑っていると、そういう認知行動が正常になる。

あとは、何をしても、それなりに良い体験なのが分かっていない。

何を知っても、考えても、それなりに興味深い。賢い人間は、そういう人間が多い。

笑っていると、おかしな学習が消えて無くなる。

田舎は、都会から税金を取って田舎に与えるようにすれば、田舎の人口が増えて、過疎化対策になるかもしれない。

自分が笑わないのは、自分の信念を良いと思っていない。こういう信念を、信じた方が良い。

田舎の線路を作るためには、都会の鉄道会社と田舎の鉄道会社を作って、田舎の鉄道会社を税金で支援する。

平等は、全部税金だ。

田舎の鉄道会社だけを国営にして、社会保障のような位置付けの税金で「田舎鉄道支援機構」を作ると良い。

言ってみれば、生活保護みたいなものだ。

笑うのが良いなら、笑う以外のことをしなければ良いのだ。

自分に良いことを言えば良い。自分は、悪くない。

実体を見て、何もない人間が賢い。そんなに分かっても意味がない。推論は、何も分からない人間が出来る。

昔は、精神分析のように、心のことを研究していた。社会のことを知って、全てを把握して分かっていた。

ただ、悪く笑えば良い。普通に微笑んでいれば良い。それが一番楽だ。

テレビを倒すなら、復活出来ないようにすれば良い。そうすると、勝てる。テレビは、もう復活出来ない。