知ると、哲学が出来る。
昔は、色んなことを知って、哲学のことを分かっていた。
哲学の勉強をするより、色んなことを知って、考えた方が、哲学の学習になる。
自分は、博識の人間になりたい。教養と知識が欲しい。
昔は、2ちゃんねるで一人、まともな人間を頑張っていた。
後進国から見ると、平等の方が良い。自由で豊かになっても、大多数が奴隷では意味がない。
宇宙を創造した。生命から人生まで、全部創造していた。
予想外のことなんか、無い方が良い。
自分が予想外のことばかり言うせいで、世界に意味が無くなった。
予想外のことなんか、しない方が良い。
コンピュータ科学の良い点は、体得の段階が分かりやすい。
まず、Windowsから、Office、HTML、Perl、フリーソフト、UNIX、C言語など、段階的に世界が広がっていく。
これが生物学だと、そうはいかない。きちんと覚えて、研究する自分の力と経験から出来ていく。
自分は、音楽のことをやるのが良い。
言葉を言うより、思い出した方が良い。
昔は、ネットをしながら、過去の自分の何がおかしかったのか、皆が自分と何が同じで、違っていたのかを考えた。
ただ、思い出せば良い。何も言わず、感情で思い出すと、子供時代が賢かった。
自分は、もう全部分かっている。人間のことが全て分かっていた。全て創造した。
思い出すと、色々あった。悪いとは言うが、その時の自分は、精一杯、全身全霊で頑張っていた。
基礎の積み重ねと、可能性と、客観視と人間関係の想定から、何でも出来るようになった。
そういう、何でも出来た自分を、ふとしたことで全部失った。
そして、間違いを繰り返しながら、馬鹿になった自分を治す。それが、一番良い経験だった。
そういうわけで、この文章は、馬鹿が治る文章だ。
自分には出来るんだと信じていた。そういうところが賢かった。