民主主義のことを知りたいが、そのためには、憲法を読むのが良い。
憲法の中に、権利と義務から、国家体制のようなことがきちんと書かれている。
生物はまた今度やることにして、憲法のことを読みたい。
昔は、ネットの中で、大人になって分かっていた。
あれは、そういう、「いきなり大人になって分かった人間」だ。
最近は、心と環境が全部分かっている。そのせいで、深層と様相を書いていた。
自分は、足は環境、上半身がセックスになって、セックスで融和している。
そういう、融和を止めた方が良い。
世界は治らないから、自分の方を変えれば良い。
世界を変えるより、自分を変えた方が良い。そういう人間が賢い。
昔は、それが何故そうなっているのか、社会がどうなっているのか、考えていた。
一つのLinuxと言う分野から、全ての大学の分野を作った。
認識を疑って、世界を変えていた。文章にも、「世界を変える」と言う信念があった。
人間は繋がっているから、世界は変えられる。
自分をどこにでも連れて行けば良い。それで世界が変わる。みんなを連れて行く。
パソコン、学校、日本は、無い方が賢くなる。
パソコンが無いと賢くならないようで、そういうことは無い。無い方が、賢くなる。
一度、学校から離脱すると、賢くなる。それは、自分の実体験から分かる。
馬鹿なのは、哲学、仏教、パソコン、物理学、学校、インターネット、恋愛、抑圧だ。
普通なのは、ドイツ、共産主義、イスラム教、革命、狂気、自然、可能性、救国だ。
賢いのは、キリスト教、作家、医学、王、支配者、神、絶対性、創造だ。
数学は賢くない。賢くないことをやっていると、馬鹿になる。
それが一番悪い。普通に見えて、普通じゃない。普通、誰でも賢い。
気持ちと姿勢次第で、自分の思うことは変えられる。
ネガティブに思うのも、ポジティブに思うのも、行動するのもしないのも、自分次第だ。
それこそ、自分の先を行く人や、後を行く人に対して、どう思うかは自分次第だ。
精神を使って治しているのは、「使っていない」だけだからだ。
ただ、使うだけ使っても、治らない。もっと、具体的に、世界と一緒になって使えば治る。
考えないのも、行動しないのも悪い。ただ使うだけで治るのは出来ない。だから辛くなる。
相手の愛を期待するのは止めて、自分がどれだけ愛せるかを考えなさい。
愛とは何なのか。愛とは、期待することではないのだ。
愛とは、相手に自分がどれだけ「正しいこと」が出来たか、そのことにおける手段、努力、可能性、継続性、そして機会と実現性を得ることであり、そこで出来る限り相手を自分の望むように助け、同時に自分と相手を一緒に変えていく、導いていく、連れていく、分からせていく、そういうことの総合的感情なのである。
だから、愛とは実現するための手段であり、目的であり、結果であり、実現そのものなのだ。
足には、「意識」が残っている。ただ、「使うだけ」では治らない。一度、意識を殺せば治る。
自分は、意識をつけすぎた。一度、つけすぎた意識を殺すしかない。
ただ、それは出来ない。意識は、もっと意識をつけたい。それでしか、何も出来ない。
本当に辛くて馬鹿だった、昔の意識になれば良い。それで、すぐに治る。そのまま、狂ったのが死ぬ。
起きるべきことは、起きるべくして起きる。
無駄なことや、必要ないことは、何一つ起きない。
現象や人生は、神が支配しているから、何をしてもきちんと起きる。
自分は、昔の狂った意識に戻ると、すぐに賢くなる。それで、地獄の死んでいる幽霊が終わった。