最近の日記に戻る | 2016年8月の日記に戻る

=2016-08-20=

一点を見つめるべきでない。心は、留まり過ぎている。

もっと落ち着いた方が良い。混乱する自分に対して混乱している。

意識、感覚、記憶から、現象学のように、人間の現象を考えていた。

全ては、意識と思考から生まれる。行動は意識に支配される。

積み重ねて、知り尽くすことで、全てが出来るようになって、分かるようになった。

Linuxのおかげで、もう分かった。逆に、もう分からなくなる。

自分は、真面目に考えるのが賢いだけなのが分かっていない。

実地的に社会の現状を分析して、出来る限りの可能性を検討して、考え方を知って、協力する。

そういう風に、実地的に「どうしていくべきか」や「どう考えるべきか」を考えれば分かる。

物理は、運動と力をエネルギーと数だと思えば分かる。

Linuxの良い点は、コンパイラやインタプリタが無料なところだ。開発への参加の敷居が低くなる。

開発環境が有料だと、どうしても、参加への敷居が高くなる。

それから、コンパイラとカーネルがオープンソースなのが良い。システムがどのように動いているか、分かる。

パソコンのことをやりたいなら、Javaが良いだろう。Javaから学ぶ人間が一番多い。

WindowsでJavaが一番良い。Linuxなんか、明らかにおかしい。

明らかにEclipseをインストールしてやれば良いが、問題は、開発したいアプリケーションが無いことだ。

今、Eclipseをダウンロードしている。

ちなみに、Microsoft Visual Studio 2010 Expressは昔インストールしたため、VB/C#/C++の開発は出来る。

一応Debianの入ったパソコンもあるが、最近はWindows 10のパソコンしか使わない。

VSは、Web開発やSQLなども入っている。

自分は、悪いものは何も無くて、自分が悪いと思うものが悪い、とか、そういう風に、「道徳心」が無い。

昔はそうでもなかった。経験から、何が良くて、何故良いのか、「良いと言われる理由」から分かっていた。

もう一度、道徳心を取り戻した方が良い。道徳は、最初であり、最後だ。

ある意味、みんなで無料のものを作るのは、ソ連より賢い経済をしているのが、オープンソースだ。

Eclipseは、やっぱりインストールするのを止めた。良く分からない。

昔は、どんな経験から何が生まれるか、何が何になるか、から、哲学者のように人間のことを考えていた。

精神も、身体も、使わなければ治る。足の精神は、使うのが悪い。

精神は、使わないのが出来なくなっている。

心の中にあった構造や、頭の中にあった世界観など、あらゆる自分の中にあったものを書いていた。

自分は、ただ好きになれば良いのが分かっていない。難しいことなんか、しなくて良い。

一つのことを極めるのも、知り尽くすのも、もう終わった。何度も、違う形で実現した。

これから先は、何かを好きになれば良い。難しいことなんか、何も分からない子供にしか出来ない。

グーグルの検索エンジンやWebサービスはすぐに起動するのに、WindowsのようなOSはすぐに起動しない。

それなら、グーグルのように、「常に起動しているOSに接続する」ことを目的としたOSは作れないか?

OSを持ったハードウェアにネットワークで接続する、OSを持たないコンピュータ、のような可能性はある。

それは、おそらく、シンクライアントのようなものになると思う。

サーバーのコンピュータをスパコンにすることで、ものすごく高速で、安定したパソコンに出来る。

ユーキャンから資料が届いた。ファイナンシャルプランナーは難しいが、MOSは難しくないかもしれない。

自分は、馬鹿で良いのが分かっていない。

普通、「集団で仲良く」とか、「義務を果たす」とか、そういう発想をする。誰でもそういう風に馬鹿だ。

それこそ、Linuxが好きなら、それで良い。

今見ると、Linuxは小さなOSに見える。そんなに巨大なOSではないのが、誰でも分かる。

自分は、普通の分野に面白いものなんかないのが分かっていない。

大学はどうでも良い。

皆、「大学をどうでも良い」と言うが、それは、その人間には大学のようなことは、本当の意味で、出来ない。

悪いとか、馬鹿だとか、そういうことを言いたいのではない。

大学が出来る人間は、自分のような、「本当に最後まで経験した人間」にしか出来ない。

自慢ではない。そういうわけで、大学なんか、出来なくて良い。最初から、出来る人間がおかしい。

数学、物理、生物のような、「理系の学問」に賢い人間は居ない。

理系は、頭は賢くなって、色んなことが分かる。ただ、それは普通の人間に毛が生えただけだ。

文系は、ここまでおかしな人間がやって、ただの馬鹿になる。ドイツをやっていると、本当にドイツ人になる。

もう、大学はもう良い。理系なんか昔、出来た。

最近の文系なんか、何も賢くない。知っているようで何も知らない。僕に知識のようなことは出来ない。

僕は、最近、文章を書きたいだけだ。つまらないことが、楽しくなった。

おかしいが、今のまま、辛いままを望んでいる。止めれば良いとは言うが、止めたくない。

不思議と、コンピュータは本当に賢い人間が多い。ただ、見ていると、オタクのようにおかしい。

自分は、何もしたくないのがおかしい。

いつまでも、おかしな「治す」と格闘し、望み続けるせいで、治ることしか望まなくなった。

意味があるものに、意味を見出さなくなった。

もっと、こだわりやプライドを持てば良い。それで、「何かをしたい」とこだわれば良い。

こだわりを悪いと言うが、夢や希望はこだわりから生まれる。

むしろ、作家が夢では大きすぎる。Linuxが夢でも、何もおかしくはない。

ただ、パソコンは夢にするにはつまらなすぎる。まだ、科学が夢の方が普通だ。

自分は、昔が子供だったのが分かっていない。パソコンやネットは、子供しか「したい」と思わない。

もっと、大人の「したいこと」をすれば良い。

ピアノが一番賢いから、ピアノにした方が良い。自分がまともに出来ることなんか、ピアノぐらいしかない。

大きすぎる夢も出来ないが、小さすぎる夢でもつまらない。ただ、小さなことをしたいのは悪くない。

最近、ピアノは(右手のメロディだけなら)簡単に弾けるようになった。

自分は、出来るのが賢いのも分かっていないが、出来てもただの馬鹿なのが分かっていない。

機械なんか、誰でも出来る。パソコンなんか何も賢くない。

専門学校を出たプログラマなんか、いくらでも居る。大して賢いことなんか何も出来ない。

それから、教授も賢くない。知識があるだけだ。知識や教養が欲しい人間だけが勉強すれば良い。

2ちゃんねるにわいせつな表現が多いのは、結婚が賢いからだ。それしか居ない。

自分は、学問では分からないのが分かった。国や心は、その通り、国や心だ。経済学や心理学ではない。

もっと、信じた方が良い。いつまでも、同じことを聞き直すから、馬鹿になる。

覚えて、信じて、それで安心すれば良い。

そうすると、神が終わる。いつまでも同じことを尋ねているだけが神だ。

足は、使わずに殺せば良い。使って殺すのは出来ない。

自分は、神によって未知を知ることで、不可知の全てを知った。

昔の自分を失ったのが、辛くて、苦しかった。

ただ、何も失っていない。

足は、精神的に、もう治った。

Linuxのリンク集をいくらか編集した。

神に導かれた。むしろ、そう見えて、自分が自分を導いている。

自分は、滅びると栄えるが逆になっている。滅ぼすより、栄えた方が良い。