最近の日記に戻る | 2016年8月の日記に戻る

=2016-08-06=

リオデジャネイロ・オリンピックの開会式を見ているが、ヒップホップが悪い。

外国のポップカルチャーは、全部そういう風に悪い。

一度、そういう、外国人のスラム的文化を、日本的に変えた方が良い。

ヒップホップを消して、自分にするのが良い。

昔は、集合知や生物の成長や遺伝子のような、賢いことを言っていた。

それから、最近のありえない神の体験を言う。

全ては自分がやっているとか、最初から分かっているとか、そういうことを言っていた。

自分は、最初から分かってやっているのが悪い。そこを治すと、世界が治る。

空気より軽いものを作れば、物体は浮く。

空飛ぶ自動車より、コンパクトな飛行船を作った方が良いかもしれない。

反重力は、まだ見つかっていないが、反物質、反空間、反時間のような発想もあるかもしれない。

最近の物理は、そういう風に考える。

僕は、そういうものが、寝ている時に見える夢の世界であり、神の実体なのだと思う。

在るとか、知るとか、そういう「言葉の構造」を作って、概念的に世界の全体像を一行で書いていた。

全部、一度経験して分かっていた。

最近書いた、小説のワードを印刷した。見ていると、結構まともだ。皆にはそれを見せれば良い。

頭は、復元すると賢くなる。まるで神のような意識になる。

今日は、まだ辛い。むしろ、そろそろほとんど楽だ。もうそろそろ、書くのは止めた方が良い。

ただ、そうでもない。きちんと書いた方が、気分がすっきりする。それで良い。

いつも言っているが、社会的変革のプロセスや、人生の変革的段階のようなことを書いていた。

オリンピックの開会式を見ている。本当に色んな国があるのだなあと思う。

父親が言うには、飛行船は飛ぶ速度が遅い。ゆっくり進むなら良い。小さくは出来ると言う。

小さくすると、飛ぶ力が弱くなって、沢山の人間が乗れなくなる、と父親が言う。

父親は、物理の専門家だ。

飛ぶ人数が沢山居るのであれば、ある程度の大きさでないと、飛べないと言う。

僕は、空気より軽いものを作れば良いとは言うが、それは実現出来ないだろうと父親が言っていた。

要は、昔の文章なんか、何も分かっていない。本当に、世界観とプロセスのような文章を書いている。

ここまでやって、このままで治ってしまうと、お別れする意味がない。

バンプが言っているように、お別れしたのは何で、何のためだったんだろうな、と言う、気持ちになる。

そういうわけで、まだお別れしなくて良い。ここでお別れすると、地球が悪いスラムのままになる。

自分は、真面目に考えていない。もっと、真面目にどんな国にするべきか、考えた方が良い。

平和か、自由か、平等だ。戦争や支配は悪い。

人権侵害のような、権利を認め、国民を不幸にしないことを前提とした、憲法はあった方が良い。

政治家は、何をするか、分からない。

その上で、自由にした方が良い。そんなに一人の人間が全てのことは想定出来ない。柔軟であるべきだ。

そういう、「共通合意のとれた自由と平等」が良いだろう。

昔は、そういうことを言っていた。それで、国のモデルやパターンを、本質的環境要素から考えていた。

自分は、怖い方が良いのが分かっていない。怖い方が、色々と良い。

自分は、勝つと負けるのが逆になっている。勝った方が良い。

神は、頑張って倒した方が良い。神は、殺すと何も起きなくなって、楽になる。

人間は、怖いものに良いことが起きる。

懲らしめるだけの神は要らない。神とは言うが、いつまでも懲らしめているだけだ。

昔は、ネットでルールを作る現場を見て、社会の形成を分かっていた。

自分は、ネットなんかしなくて良い。もっと、普通のことをすれば良い。

ただ、皆は、ネットでのルール作りを経験すると、昔が出来る。昔は、それだけだ。

価値観の形成とか、創造的な体験とか、場と目線とか、環境に意識が支配されるとか、そういうことは、全部ネットのことを言っていた。今と言う時間の共有とか、場の創造とか、そういうものは、全部ネットから分かっていた。

今日も散歩をして、家の近所を回った。まともになるから、散歩をした方が良い。

アメリカは、見ていると馬鹿だ。何故か、判断基準のようなものが、英語のせいで馬鹿になっている。

自分は、引き篭もりになったのが間違っている。

誰とも話さずに、一人だけでパソコンをしていた。

賢くはなっていないが、ネットで洗脳が解けた。そのあとで、馬鹿になった。

治るためには、散歩をするのが良い。

そういう引き篭もりを、もう殺した方が良い。

いつまでも対話しているのは、昔の自分と対話しているだけだ。

自分は、ドイツ人に多い。イスラエルを作りたかった。

昔は、自由から社会のことを分かっていた。

例えば、自分で儲けるのは自由だ。自分で儲けたから、それはして良い。

ただ、自分で儲けずに、他人が儲けたことを利用するのは、悪い。

それは、何かがおかしい。主体的にする行動の全てを、「自由」と言う名前で肯定するのはおかしい。

そういうところがおかしいのが、自由と言う発想だ。

自分の稼いだ金で活動するのは悪くない。自分たちの社会をどういうものにしても、許される。

昔は、そういう、所有と共同体による、行動と権利の自由を考えていた。

そういう風に考えると、この社会で何が許されるのか、と言う、一定の判断基準にはなるだろう。

そして、「出来る」ことを突き詰めていくことで、この世界の全てが出来るようになる。

選挙や金、と言うシステムは、良く出来た良いシステムだが、参加者全員の合意があって、初めて成り立つ。

昔は、関係を考えて、相手に対処し、状況を想定することで分かっていた。

自由は悪くはないが、そんなに何をしても良いのはおかしい。

共通の決まりを全員で決めるのは、正しい。だが、それでは何も出来ない。多少間違っていても、出来る方が良い。

こういう風に考える人間は少ない。普通、右翼は妥協し、左翼は不自由を言う。自由な人間は哲学者に多い。

要は、テレビは「認められている」から、自由なことをしても悪くはない。

だが、「しても良い」と言う自由な意味と、「すると善か悪か」と言う道徳的な意味は違う。

テレビは、そこが分かっていない。自由でこの世界を滅ぼすのは、悪い。

善悪だけではなく、価値判断から見ても、テレビは悪い。世界をヒップホップのような馬鹿にしている。

そういうわけで、自分は「認められていない」代り、良いことをする。偉大なことが出来るのが、この悪い右翼だ。

それを「すると許されるか」と、それを「することが良いことか」は、全く違う価値判断だ。

あとは、「自由な権利として許されるか」と、「人間性を尊重する意味で許されるか」も違う。

いじめは、自由な権利としては許される。だが、人間性を尊重する意味では、許されない。

そういう、人間的なことは、権利として許されていても、するべきでない、と考えるべきだ。

それこそ、右翼のようなことは、言ってはならない。右翼を言う人間は、人間性が無い。

ただ、右翼はあまり悪くない。抑圧や独裁支配のようなものを悪いと言うが、犯罪でも実現・実行出来れば良い。

テレビは、むしろ、「必要性」と言う意味でも考えられる。それに、「功利主義」のようにも考えられる。

ただ、自由は、最終的には、沢山の社会との関わりを終えた上で、「共同体の良心」へと行き着くものだ。

ヘーゲルは、不思議と、そういう自由を経験的・道徳的に考えている。本当は、そういう哲学者だ。

右翼は、反抗して戦って、日本を良くする。そういうわけで、破壊活動はそんなに悪くない。

右翼は、日本を滅ぼす。それは、むしろ、良い国になる。

ただ、右翼は間違っている。犯罪者が政権を取るせいで、そういう国になる。犯罪者は追い出せば良い。

そうすると、改革を意識し、成長を知り、社会の変革可能性を知り、自然体を知り、任せることを知り、全員が出来ることを知り、コンピュータの世界を知り、システムをどのようにすべきかを知り、功利主義、理神論、唯物論、自由、運命、考え方、支配者の肯定、別の世界の可能性、自然な上での延長線上にある世界、発想と知の形成、理想の社会とは何であるか、経験的な社会構築、のようなことを考えて、抑圧、人生の俯瞰、愛、真実、考え方の想起、ビジョン、本当の神の自由、気付きと世界観の開拓、自由な社会を知って、全てを知り尽くし、数学的に考え、心と社会の意識を解明し、精神から知性をつけて、全てとの融和と合一、経験的人間の在り方、を考えた、そういう人生の哲学者が、昔の自分だ。

それぞれの立場を知って、融和的・歴史的に「許す」ことで、「決め直す自由」が生まれ、そこからあらゆるものに対する「行動の可能性」が生まれる。意識は自在になり、精神は高度になり、実践は沢山の選択肢を作ることと、試して改めることによる進歩が生まれる。いつも、そういう命題的な段階を書いていた。まるで、「行動数学」のようだ。

そういう風に、社会との関係と人々との関わりから、「行動的な気付きと発展」を分かっていた。

経験から、慈愛と情熱の心が生まれる。いつも、そういうことを言っていた。

自分は、この世界のことを全て知っている。

今のこの世界は、もう、忘れてしまっても、まだ残っている、おかしさが存在する。

それは、僕自身だ。

そして、それは、皆が分からなかったことである、「元の世界には戻れない」と言う意味で、地獄だ。

「出来ること」を全て知った上で、全ては自分の責任なのだと考えること。

GNOMEやKDEは、「設定パターン」のようなものを切り替えられるようにすると良いだろう。

ある時はオタク的な設定、ある時はプログラマ的な設定のように、「全ての設定のパターン」を切り替える。

出来ることを増やして、全部出来るようになって、自在に支配し、社会を作り替える。

そのために、手段的なパターンや法則を考えていた。そういう自由な人間だった。

病気は、同じで、関係していると思った方が良い。右足がおかしいのは、左足がおかしいからだ。心がおかしいから、脳がおかしい。そういう風に考えていくと、自分の今がおかしいだけだ。