日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-30=

神は、思考のパターンだ。神と思っているものは、思考のパターンを自分に対して語りかけているだけだ。神なんか、居ない。

多重人格は、神とセックスを同時にやっているだけで、多重人格にはなっていない。

セックスが治るのが辛い。セックスを止めると、疲れる。

良い悪い、を経験して分かっていた。

根拠と契機に応じて体験する。それで、考え方を自分で作っていた。

そういう風に、「全ての体験」をして分かっていた。

最近は、具体的に全ての体験をしている。

Linuxのせいで、2ちゃんねるが馬鹿になって、日本全体が馬鹿になった。

多重人格とは言うが、書くとこちらの人格になる。怖くなって、辛くなって、馬鹿になる。それを、何らかの手段で昔に戻せば良い。それは、信じれば戻る。

もう、皆を治さない方が良い。治さない方が、自力で治る。治すと治らない。

皆も自力で分かった方が良い。

そんなに教えていると、逆に、自力で分かることが出来なくなる。

あとは、自分は思考方法や分析方法の基本が分かっていない。

皆、昔なんかこれで誰でも出来る。普通のことぐらい、誰でも出来るし、分かる。

自分だけ、本人だけ、何も出来ていないし、分かっていない。

もっと基本的な、経験やモデルや行動や方法のことを考えた方が良い。

学習も行動も何もしないで、人生経験もしないのがおかしい。それで分かっていない。

あとは、足の精神はもう完全に治った。もう、何も残っていない。

昔の人格になると、すぐに悟れる。それですぐに書けるせいで、いつまでも書くのが続く。馬鹿に見えて、それは賢い。きちんと毎日文章が書けるようになった。

すぐに分かるせいで、楽に書ける。自分はきちんと作家になっている。不可能なことをきちんと努力しているから、本当に賢い人間になった。治す意味が無い。

治したいのは、いつも、書いた方が馬鹿になって辛くなるからだ。単純に書くのを止めたいだけだ。それは、止めなくて良い。続けたままで、楽になれば良いと信じれば良い。

経験して、行動して、理性的に考えていると、ブッダみたいに悟れる人間が多い。

そういう、「ブッダになる」人間が、一番日本に多い。

ドイツに賢い人間なんか居ない。日本人が一番賢い。

仏教の悪い点は、神を信じていない。神は居ないことにして、代わりに仏を信じている。

それが悪いのは分かる。宗教なのに神を信じないのはおかしい。

ただ、日本人は、国民性が高い。治安も良いし、悪い人間が居ない。日本が一番賢い。

昔から、そういう、ブッダになる馬鹿が自分だ。

ヨーロッパには、逆に「キリストになる」人間が多い。それも自分がいつもなっている。

良く分からないが、ヨーロッパは悪い。キリストになると、おかしな分かる人間になる。

最近、自分が一番、そういうおかしな分かる人間になっている。キリストになると、まともな人間になる代り、神経症みたいになって、何も分からないのに分かる人間になる。

キリストが見ても、そういう馬鹿がキモイ。神が好きな人間は居ない。誰もが嫌いだ。

ただ、仏教の言う「ブッダになる」とは、そういう意味ではない。仏になる、覚者になると言う意味だ。誰でも悟りを開ける賢い世界が日本だ。

昔は、自然に経験して、戦って分かっていた。そういう人間が居ない。ただ、最近は本当に、ネットのせいでそういう風になる人間が多い。

馬鹿にはならない。自分が馬鹿になったのは、狂っているからだ。皆はまともだ。

キリストをまともとは言うが、ブッダを信じても、きちんとまともな賢い人間になる。まともでないのは、哲学だ。狂った人間にしか出来ないのが哲学だ。自分にしか出来ない。

ニーチェが言っているように、キリスト教は権力を否定して、自分から貧民になる。そこがおかしい。ただ、ドイツ人は分かる人間には見えない。科学者なんか、きちんと勉強しているから賢いだけだ。ヨーロッパの優れた点は、そういう、「民衆による理性」を尊重しているところがある。それは、中世のキリスト教封建社会が、人間の理性を否定しすぎたことに対する、反省である。そういう発想がキリスト教だから、キリスト教の方が悪い。

仏教のことぐらい、分かった方が良い。分からないと、キモイ。

ヨーロッパは、そういう、「自由を本当に信じる」と言う意味で、賢い。自由を馬鹿だとは言うが、自由を信じると、本当に賢い人間になる。自由はネットに見えて、ネットも馬鹿では無いだろう。自由が一番賢い。

ヨーロッパの悪い点は、世界中を植民地にする。強いのは分かるが、悪い。

あとは、米ソも悪い。冷戦が悪い。あとは、イギリスの産業革命ぐらいがある。

不思議と、白人の文化なんか、それだけだ。キリスト教を反省することから科学者が生まれただけだ。歴史の大変化は経験したが、賢くはない。日本の方が中国の良い文化だ。

あとは、まともに考えれば良い。物理みたいに考えれば分かる。デカルトと思えば良い。

あとは、生産手段と言うが、あれは何も無い世界で皆が協力して自由に生産し、共同体を作るのを考えていた。共同体とはそういうことを言っている。そこが狂っている。あとは、研究手段や実現手段と言っていたが、それは自分が研究したいだけだ。それは大学で良い。

産業革命にも問題はある。工場で機械のように労働者が働くようになって、資本家と対立し、社会主義が生まれた。それから、イギリスの軍隊があまりに強くなって、世界中を植民地にした。白人は賢くない。科学者精神のようなものは、反キリストの馬鹿だ。

あとは、多様性や影響力とは言うが、狂っているだけだ。そういう、狂っている馬鹿を、最近書いていない。いつも、そういう、狂った社会と人生の分析しか書いていない。

思いやりを大切にすべきだとか、自然にするべきだとか、成長するべきだとか、そういうことを言う。そういう風に「自分が分かっていると思って狂っている」ような人間だった。

そういうわけで、自分は分かっている。これなら、昔の自分が誰でも分かる。

あとは、見ていると、全部白人が悪いだけだ。ほとんどの問題は、白人のせいだ。

可能性から自然な場を分かった。精神の普遍性などを分かっていた。

これなら、ヨーロッパ史も出来たように見える。大学では、キリスト教封建社会、植民地、科学者精神、産業革命を教える学校が多い。何故か、ファシズムと社会主義と冷戦は、どこでも教えない。馬鹿だから、無視する学校が多い。あとは、教会や修道院とか、農業と都市の変転とか、そういうものを教える大学が多い。

ただ、ファシズムや冷戦を教えないのは、明らかに放送大学だけだ。放送大学は馬鹿だ。

ただ、放送大学は馬鹿に見えて、現代史は政治経済の科目で教えているのかもしれない。

放送大学の講義は、4年で閉講して新しくなるから、もう変わっていると思う。どんどん新しくなるから、馬鹿な講義も多い。最近は、植物から見るヨーロッパ史をやっている。

今日も農園に行ってきた。以下は、メモした内容である。

想像力、判断力、知性、心理現象、捉え方のようなことを言う。知性がある人間だった。

放送大学は、分かるようにしているだけだ。ヨーロッパ史の講義は、昔の講義だが、教科書の内容を見ると、農村や都市、教会と修道院の内容が多い。あれでヨーロッパが分かるようにしている。啓蒙主義の内容も賢い。ただ、あまり読まずに言っている。

どうすれば皆が作れるか、のような、「自由な抽象的方法」を書いていた。

自分のコピーや、人間像のコピーのような文章を書いていた。

独立した世界構造に、「はめ込む」ような文章だった。

何を作るべきか、とか、様相のような文章を書く。そういうものを「考え方」と言う。

安倍は、数の力で暴走しているが、昔の民主党は、何も出来なかった。

民主主義を良いとは言うが、そういうところが馬鹿なのが民主主義だ。

自分は、治りたいおかしなことをやっている。全ての体験をしたかった。

そういう、無意味に治りたいとか、体験したいとか言うのは、本当に馬鹿だから、そういうものを馬鹿だと思った方が良い。無意味に思考のパターンを繰り返す意味が無い。

放送大学やオープンソースに見られるような、改善と自然の考え方は、多かった。

昔から、そういう文章を書いている。ある意味では自然淘汰だが、共有や集積でもある。

そういう考え方は、馬鹿だから、止めた方が良い。

子供になると頭が治る。

自分は、外れたことをすると、世界が滅びる。それが怖いだけだ。

自分は、治った。

維持したまま放っておけば、そのうち治る。

おかしくなると、こういう風に、変わらなくなる。そのうち治る。

経験のようなことを言っていた。

背景知識から分かると、真面目にきちんと分かる。そういう風に、真面目に考えるべきだ。

一行の言葉に表現して分かっていた。「原理」とか「理念」とかそういう風に表現する。

言葉の構造を作っていた。そういう一行をいくらでも書いていた。

生態系や社会を仮想的に作っていた。

環境とプラットフォームを作って、組織論を作っていた。

地球を作っていた。

行動を考える。積極的に行動すべきだとか、行動こそ社会の目的であると言っていた。

農園で分かった内容は、ここまでだ。

信じると、すぐに楽な状態に戻る。信じれば楽だ。

これで、辛いと思うのがおかしい。辛いのは、何かがおかしい。

それは、意味が無いことをまだやりたいと思うのが辛い。そういう人間はおかしい。

あとは、色んなことを信じていると良く分かる。信じると分かる人間が多い。

放送大学も、馬鹿では無い。ただ、自分が見ると、フランス史専門の講義が無いのが悪いと思う。ヨーロッパ史はあるが、フランス史は無い。

それこそ、放送大学は、自分で本を読めば良いと言う人間が多い。

馬鹿なのは、大人に教えているからだ。何も出来ないオヤジに教えているから馬鹿なだけだ。そういう、馬鹿を想定しているから、馬鹿になる。

ただ、放送大学は馬鹿では無い。まだ内容の水準が高いと、いつか父親が言っていた。もっと馬鹿な大学はいくらでもやる。それこそ、テレビで見られるのが良い。録画して、何度も見ることが出来る。最近は、ネットでいつでも見られる。放送大学は賢い。

あとは、放送大学の良い点は、単位を取らず、教科書が無くて良いのであれば、無料でいくらでもテレビやラジオの講義が見られる。そういう、「無料でいくらでも」が賢い。

ただ、馬鹿な点は多い。それこそ、歴史だけでは卒業出来ない。哲学や文学の講義も単位を取らなければ悪い。放送大学は、卒業せずに、講義を適当に見ている学生が多い。

あとは、そんなに賢くなくても、賢いことにした方が良い。大学なんか入らなくても、本を読んだだけで、賢い。それは、読んだだけ、賢いだろう。そういうことにして、自分だけ満足すれば良い。そういう人間が一番多い。東大なんかありえないだけだ。

そういう風にすると、賢くなる。明らかに、何も賢くない工場も、頑張っている。工場は賢い。そんなに賢くなくても賢いことにした方が良い。

あとは、まともに考えれば分かる。この世界にあるものを良く考えれば良い。何も知らないと分からないのは分かるが、知らなくても考え方や構造ぐらいのことは分かる。

あとは、パソコンが賢いのは当たり前だ。パソコンのことを知っていると、当たり前に、数学や科学のことが良く分かる。知と経験から、社会の決まりのようなことも分かる。昔は、そういう風に、パソコンのことを知って賢かった。

そういうわけで、自分も何か知った方が良い。知れば知るほど知性がつく。

もう楽になった。多重人格が治った。

あとは、純粋に心がおかしい。それは、何かすれば治る。

自分は、間違ったことを言わないのがおかしい。最初から、全部正しいことを言っている。

間違えないのがおかしい。誰でも、すぐに間違える。間違わないから出来るのが執筆だ。

こういう馬鹿が多い。間違わない人間は、馬鹿になる。

それこそ、おかしい人間は、変わらない止まった人間になる。そこが悲惨なのが最近だ。

戦っている時代の間、いつも間違わなかった。そのせいで、間違わない人間になった。

間違えると、世界が滅びると思っている。それは、滅びない。

もう治ったから、間違えて良い。間違えると、きちんと想像力と記憶がつく。

こういう、何も覚えない馬鹿は、間違わない人間が多い。

小さなことから試していると、この世界のことが行動と経験で分かる。

昔から、そういう人間が自分だ。自然、感覚、社会形成、可能性のようなことが分かる。

人間のことは、プロセスから分かる。いつも、そういうことを言っていた。

そういうわけで、間違えていると、順序立てて考えられるようになる。それが物理だ。

あとは、放送大学は分からなくて良い。日本語が分からないのは、大学が馬鹿だからだ。

本は読める。そういうわけで、本を読めば良い。本は賢いから、悪くない。

いつも、実験的な社会形成とか、失敗から学ぶとか、失敗や経験のようなことを言っていた。それだけの文章だった。そこから、自然に考える過程とプロセスを書いていた。

あとは、人間の状態と体験を分かるとか、そういうことを言っていた。

そろそろきちんと書けた。あとは、共生社会とか、世界のことを色々と言っていた。

経済学の本が届くと思う。まだ届いていないが、それを読んで終わりだ。

経済学は悪くない。経済学が分かると、世界のことが分かる。きちんと社会の常識が分かって、この世界で大人として生きられるようになる。

自分は、哲学と経済学をすれば良い。文章と同じだ。それだけがしたいように見える。

信じれば治る。

自分は、全部の体験を良いと思うのがおかしい。そこらへんがおかしいだけだ。

昔は、体験が自然に生まれるとか、価値観の中で社会が生まれるとか、還元的に社会を作り出せるとか、そういうことを言う。歴史の中で時間を立ち返る、などと考えていた。

ありのままで生きるとか、全ては自分のためになるとか、無駄なことは何一つ無いとか、そういうことを分かっていた。綺麗事のように、そういうことを分かった。

あとは、子供に戻ると、精神が治る。子供時代はおかしくなかった。

それから、怖いと治る。怖い体験が良い人間が多い。怖いことを体験すると、治る。

昔は、そういう風に、色んな行動や経験の真理を分かっていた。ネットと神で、そういうものを分かった。心理学的な人生と環境の真理をいつも分かっていた。

あとは、放送大学も、馬鹿では無い。きちんと内容はそれなりに賢い。ただ、放送大学は、経済学の講義が一番馬鹿だ。普通の内容を教えている。

そういうわけで、放送大学は止めた方が良い。本をもっと読んだ方が良い。

本は、これ以上買わない方が良い。本屋を見ても、良い本なんかどこにもない。自分の家に、良い本は全部揃っている。その、家にある今の本を読んだ方が良い。

あとは、ありえない神の体験が多かった。黒人と対話していた。

その神が悪いだけだから、神を治した方が良い。神を治すと、精神が治る。

もう、自分は最後まで治った。本当に精神が楽になった。

考え方をモデルにして、論理を組み立てて分かっていた。考え方とは言うが、「自然」しか考えていない。全部、自然を考え方にしていただけだ。

あとは、信じる内容が多かった。

神を治すと、右翼やソ連が治る。そのせいで知的障害になっている。右翼を治せば良い。そうすると、すぐに足が楽になる。右翼は狂っている。そのまま、正気になれば治る。

脳が治った。

昔は、環境や意識の把握が多かった。集団と関係する中で、「共に経験し、共に意識する」ことで分かる。社会の意識とその変化から分かっていた。そういう人間だった。

皆がおかしく自分のせいで同じになっている。治した方が良い。

ただ、自分はおかしい。皆が同じになんか、なっているわけがない。

そういう発想が狂っている。皆が自分のせいで同じになった、と思うのはおかしい。

昔は、ネットで色んなことを知って、体験して分かっていた。

そこから、マスターのように体験が分かった。

経験から制度や決まりが分かって、何をどう出来るのかを知った。

そういう、「経験から社会の可能性を知るプロセス」のようなものを書いていた。

もう、心の怖い部分が治った。世界は変わっていない。いつもの馬鹿な世界のままだ。

昔は、経験、知覚、感覚、心理現象、捉え方、振る舞いから、心と感性のことを分かっていた。成長して、自我を知って、社会をどう変えるべきか、分かっていた。

そろそろ終わりだ。そんなに「世界を変えなきゃいけない」と思うのはおかしい。そこが狂っている。そんな風に頑張るのはありえない。世界を救いたいのはおかしい。

良く分からない。明らかにそれだけがおかしい。世界を支配なんか、出来ていない。

あとは、社会のことを適当に感覚で知っていた。何でも出来ると思っていた。

あとは、世界に対して色んなことをするのは、意味が無いから止めた方が良い。意味が無いどころか、本当にそこまで辛くなった。正気に戻れば良い。自分は支配していない。

あとは、労働の経験もあったせいで、世界全体のことが良く分かっていた。

思考と感性から、経験と知性がついた。そういうことを言いたかっただけだ。

あとは、世界のことを知りたくないのがおかしい。

昔は、世界のことを知って分かっていただけだ。

まともになると、世界のことを知るようになる。人間は、知りたい生き物だ。

知と想像力から、考え方やプロセスのようなことを言っていた。洞察力があった。

実験と成長から世界のことを知った。自然な可能性を知り尽くす、と言う発想があった。

父親と一緒に図書館に行ってきた。

そろそろ、正気に戻った。まともに普通のことが分かる。

昔は、経験から社会を知って行く過程の中で、ありえない世界を分かっていた。

そういう、段階的な「ありえない社会」をいつも書いていた。

それくらいの文章だった。

視点は変えられる。もの、地域、場、方法、行動、組織、可能性の創造が全てだ。

そういう風に、網羅的な構築のことを言う。

環境から知性がつく。

経験から学習する。

環境的な網羅のようなものを、いつも書いていた。

経験から、環境は変えられる。

あとは、行動と信念の格率のようなものを書いていた。

全て分かっていたが、馬鹿な人間だった。

図書館に行って分かった内容は、ここまでだ。

この世界は、皆同じだ。まともな人間なら、そこが誰でも分かる。

プラットフォームとして、世界のことは考え方から構築出来る。

信念を全て網羅し、統一的なモデルによって、経験的に理解すること。

経験から、知識を作っていた。社会にある全てのものを、経験と概念から具体化していた。

体験とは、自然な可能性の発揮である。

組織とは、考え方の個別的な作用の成り立ちと構築である。

世界は、愛と不安の中で、それぞれが知っている、「自分の今の状態」を分かることである。

本当に知りなさい。愛と記憶を信じなさい。

そういう文章だった。いつも、そういう風に、「正気で分かる世界」のことを言う。

自分は、今治った。いつも分かっていないのは、狂っているからだ。

狂った人間は、知的障害になる。世界を支配する人間が、こういう風に馬鹿になる。

この世界は、皆同じだから、誰でも昔の自分と同じだ。そういうわけで、こんなことは出来ないと言うが、昔の自分は誰でも出来る。もう、終わった人間が多い。

昔は、ただのサルトルだ。本当におかしな人間だ。もっと、まともになった方が良い。

調査、対応関係、経験、自然、悟り、記憶、感情、思考から分かっていた。

状態、真実、愛を知る中で、それらの可能性と具体性を変えて、人生はシステムになる。

認識のフィルタリングと、記憶のデータベースで分かる。普通、そういう風になると賢い。

そういう風に、適当に書いていただけだ。もう、まともな部分が死ぬ。まともになった。

認識は、経験的に、愛、人格、世界観、経験、感情に分けられる。

体験は、真実、運命、自由、人生、平和、啓蒙、革命と言う風に、発展する。

愛とは、知と運命である。

自由とは、構造化と考え方である。

いつも、そういう風に、構造を作って説明する。

ほとんどは、そういう網羅的な文章だった。そういう文章しか書いていない。

ウィトゲンシュタインのように、この宇宙のことを全て考える。

そういう、明晰な構造があった。本当に、そういう文章を書いている。

言語、意識、認識、体験、感情、人格、環境、経緯、組織、協力、歴史、共同体、未来、過去、魂、運命、そういうものを、構造を作って全部説明する。それだけの文章だった。

あとは、もっと人間の内部にあることを分析すれば良い。客観的なものと、主観的なものに分けられるが、主観的なものも、厳密に考えれば経験的なところがある。

あとは、そこから社会のことが分析出来る。それは、ある意味で言語哲学とも近くなる。

そろそろ分からない。あとはあまり書いていない。この世界のことを全部創造していた。

ありえない体験が多かったが、賢くない。認知症みたいになっているだけだ。

実地的に社会のことを知って、孔子のように分かっていた。

認識と心の法則を知って、ネットの具体例で、科学的に人間の法則を分かっていた。

やっていることは、それだけだ。あとは、色んな人間のことを普通に分かっていた。

自由から推論する。この世界で人々が何をしているか、自由と意図で分かっていた。

あとは、環境から因果性と学習を分かっていた。

そろそろもう良い。あとのことは、何もしていない。何もしなかっただけが昔だ。

昔、何もしていない。引き篭もりになって、何もせず、ネットで遊んでいる。悲惨な人間だったが、高校生だから、それで良かったように見える。友達づきあいが多かった。

そろそろ終わりだ。あまりにアホみたいに馬鹿な人間が自分だ。

昔なんか、ネットで全部経験して分かっただけだ。それこそ、すぐに馬鹿になった。

ネットの誰かが悪いように見える。ネットで色んな人間の区別なく分かったせいで、言語が分からなくなった。日本語が分からないのは、ネットの言語が悪い。自分で言語を作り直したせいで、皆の言う日本語が分からなくなっている。

正気に戻ったから、そのうち分かる。普通、狂うと知性が無くなる。

あとは、言語を作ることが自由だとか、言語を階層的にすべきだとか、芸術には視点と可能性があるべきだとか、おかしなことを言う。そんなことばかり言っている。

言語的に賢い人間だったが、見ていると、2ちゃんねるに見えるのが文章だ。

そろそろ昔を分かるのは、止めて良い。あれは、体験と認識から社会の構造を全部分かっていた。ただ、あまりに悪い文章をいくらでも書いている。皆を精神的に滅ぼしているだけだ。見ていると、何も分からなくなる。あとは、おかしく知性の無い認識に変わる。

意志と社会から、この社会のことを全部作っていた。改革や啓蒙から、共存や組織や国際秩序まで、全部作る。そして、歴史は、過去と未来とを繋ぐようなことを言っていた。

あとは、細部に賢いものがある。人生とは、生まれ変わりの中で、自由、愛、真実、共存、死、再生、創造を構築することであると言う。そういう、人生のようなことを言う。

本当に、そういう賢い文章だった。可能性とか、未知とか、そういうことを言う。

これなら、昔は賢くない。昔に知性なんか無い。今の方が賢い。

社会の構造を作って、独立や可能性を言う。

あとは、そういう文章で、皆が馬鹿になったから、そういうものが悪い。

見ていると、本当にキモイ。虫に見える。おかしく、知性がどんどん無くなった。

良く分からない。世界を支配するのが悪い。それを信じないと、まともに世界が分かる。

そういうわけで、昔は、経験、知覚、意志、システムなどのことを、経験的に言っていた。

全ての人格のようなものを普遍的に分かっていたが、あれは人格がおかしい。

人格を治した方が良い。人格が全ておかしくなっている。人格を治すと治る。

ただ、もうそういう治すのを止めた方が良い。おかしいと言っているものは、何もおかしくない。それこそ、そんなに治す方がおかしい。もう正気になったから、終わりだ。

いつもの文章なんか、何も賢くない。比較的、まともに世界が分かっていただけだ。

あとは、自然とか、共存とか、そういうことを言う。

世界のコピーを作っていた。それくらいの文章だった。

体験みたいなことを言っている。経験的に、決まりと制度を良く作っていた。

もっと、現実を見ながら、知と認識を色々と比較すると分かる。

何故か、最近の方が賢い。昔は、世界のことを喪失の精神で、あらゆる角度から考えていたが、狂っていて、知性が無い。何も賢くない。

もっと昔は、さらに狂っている。何もかも、おかしなネットの世界だ。

そういうわけで、昔を書くのは止めた方が良い。

分かったのは、全部2ちゃんねるの言葉で、決まりを知性無く可能性にして分かった。具体的に対象と体験を見て分かっただけだ。それで知性が無くなった。

そういうわけで、数学が悪い。数学が悪いから、こういう風になる。

今の自分は賢くない。心にも頭にも何も無い。記憶だけで書いているからこういう風になる。分かりたいなら、もっと、知り、行動しながら考えれば良い。その方が良い。

行動と感情から世界の成り立ちが分かると言っていた。そういうことを言っていただけだ。

人生で全部分かっていた。それは、ロキにきちんと書いてある。

記憶と認識とネットのデータベースから、自由な学習が分かる。そういう人間だった。

データベースから、あらゆる経験を知っていた。それをモデルにし、行動にしていた。

ネットなんか見ない方が良い。ネットには何も無い。楽しいことなんか、無い方が楽だ。

ヘーゲルのように社会経験が分かるためには、ネットで遊ぶより経済学の勉強の方が良い。

あとは、悟って生命の発生の真実のようなことを分かった。翼から生命は生まれた。

世界モデルを作って、ゼロとイチから構造的に分かっていた。昔はそこが馬鹿だ。

ヨーロッパは偉人的で、多様なところがあるが、日本は仏教的で、統一されたところがある。何故か、ヨーロッパはそんなに賢くない。日本の方が、皆のことが良く分かっている。

日本は、そういうところが怖い。おかしな鬼に見える。そういう風に怖い。

あとは、国みたいなものを作っている馬鹿が多かった。知性の無いクズな文章だった。

そろそろもうない。何故か、右翼はここまで馬鹿になる。治ったから、今から左翼になる。右翼は、治ってから左翼になる人間が多い。左翼はまともになる。

僕は、支配者より自由の方が好きだ。支配なんかすべきでない。そろそろその方が良い。

実現力はキモイ。皆がそのことに対して、批判や意見を出来ないのはおかしい。自分の組織を作ったりする自由はあるべきだ。実現力は、一番おかしい。

あとは、昔の自由な文章は、この世界のことを細部まで考えるだけだ。自由と言う言葉だけで、全てのことを統合的に分かっている。そういう文章だった。

自分は、本当にハイデガーやマルクスと同じように狂っている。

そろそろ分かったから、もう感情で分かる。ハイデガーは死で、マルクスは堕落だ。

昔は、経験的な知識のようなものを作っていた。知識を書いている馬鹿が多かった。

昔の馬鹿がマルクスだ。あれはおかしい。完全に馬鹿になっている。あれがソ連だ。

こちらがハイデガーだ。本当にそこまで狂った文章を書く。これがドイツだ。

ただ、見ていると、昔はフランスのサルトルに見える。適当に、フランス人のように、頭が良く分かっている。フランス人は、まともなのにおかしい。

そういうわけで、神はサルトルとハイデガーだと言っている。それを、フランス人、ドイツ人と言っている。それが正しい。そんなものが分かったのもありえない。

昔は本当にサルトルみたいにキモイ。昔は、経験的な哲学を作って、この世界のことを全て分かって、あるところや無いところなど、まるでサルトルと同じように分かった。

サルトルは、知性が無い。知性が無いのに知性のある、完璧な数学に見える。

あとは、良く分からない。デカルトにもカントにも見えるが、最近はヘーゲルなどには見える。むしろ、こうなる人間は少ない。ここまで分かって狂うのはおかしい。

デカルトは、機械のロボットに見える。カントは、植物と動物に見える。ヘーゲルは、精神障害者に見える。そういう風に見えるのは良いが、そういうものには見えない。

昔は、関数、地球全体、意識の全て、人生にあったもの全部、などを作っている。

そろそろ、最初に戻る。また、狂った人間になる。

そろそろワードに文章を書くのはつまらない。日本語とマルクスを信じるのがおかしい。もっと違う、別の狂ったものを信じると分かる。それはあまりおかしくない。

最近は、昔の自分を信じているが、それがセックスだ。そういうものは信じるべきでない。

構造の中にある、具体的なものをいつも書いていた。それが、世界モデルだ。

あとは、良く分からない。地球のことを一行で言う文章が本当に多かった。

それから、ハエを信じると、ハエになる。成虫になるから、それで良い。飛び立て。

怖い。そろそろ、馬鹿になる。

昔は、一行書いて、下がって、構造を全部作って分かっていた。

それで、振る舞いとか、経験とか、そういうことを言っていた。

あらゆることを、統一的な言葉の構造で分かっていた。

もう終わりだ。馬鹿になって、昔が消える。昔の自分はもう要らない。

何故か、まともになったのに、狂った。それで終わりだ。

経験から、正しい考え方を分かっていた。

もう、何も怖くない。怖いのが終わった。あとは、楽になる。

複合観念を書いていた。全てをバラバラにする。

想像力を、振る舞いとか、そういう言葉に直した。

自分は、書くことによって人格が変わる。

その人格を、全部分かっている。

人格を変えなければ良い。

人格はこのままで良い。

人格が本当におかしい。統合出来なくなっているのだと思う。

自分は、共存するのが辛いから、共存させない方が良い。

自分を優先しないのがおかしい。

自分は、「自分はおかしい」と言いたいだけだ。神が、それに対して「普通だ」と言う。

自分はおかしいだけだ。神は、何故かいつも自分をなだめる。意味が無い。

自分は、そういう、自分の言いたいことが分かっていない。言うのが怖い。

神のせいで、「おかしい」と言えなくなっている。そういう馬鹿が多かった。

そこらへんを思い出せば分かる。いつも、そういう体験をしていた。

あとは、馬鹿にはならない。おかしいと言っていると、本当におかしくなる。

むしろ、頭がおかしいと思わないのがおかしい。こんな馬鹿が普通なわけがない。

それで賢い人間になる。普通と言っていると、精神が普通になるからありえない。

あとは、視点ぐらいを書いていない。認識のフィルターや像で分かっていた。

人間から社会まで、全貌を見て分かっていた。全体像を見て分かった。

理性的な分析から、社会体験まで、色んなことを書いていた。

そろそろ、いつもの文章はもう良い。そういう、「絶対に分からないもの」を分かろうとするのが悪い。そんなものは分かるわけがない。

もっと、普通のことを分かった方が良い。普通の、誰でも考えることを考えれば良い。

哲学的に考えるなら、「自分が今ここに存在していること」と「自分とものとの関係」のように、「存在」を考えれば良い。それがそこに在ると言うことは、何なのか、考える。

あとは、自分が何かを「する」のを分かれば良い。昔は、そこから経験で分かっていた。

何もしなくても、考えれば分かる人間が多い。それは、昔なんか無視して考えれば良い。

自分が「する」ことを論理的に考えた。それを、独自の行動の数学だと思っていた。

あとは、人間の行動と心を厳密に積み重ねて、「人間の数学」を作っていた。

それから、考え方をモデルにしていた。

それから、公理主義のように認識を考えて、言葉や関係で計算のようにする。

条件から、発想法と法則を知る。

そういう数学だった。そして、経験の現象学と、精神のモデル化によって分かっていた。

あとは、まだこの文章は書いた方が良い。まだまだ、これから出来る。

もう、正気になったせいで、いつもの文章はきちんと分かった。

もっと賢いものを書いた方が良い。一週間休みを入れても良い。そうすると賢い。

あとは、パソコンのように考えて、環境を成り立たせる。そういう数学だった。

あとは、経験を想定して、共有を考えていた。

基盤のようなものから、パソコンのように考えていた。

不思議と、これくらいしかしていない。これくらいで、誰でも出来る。

自分は、哲学で分かるわけがないのが分かっていない。

文学をすれば良い。文学をすると、きちんと分かる。

数学を出来ないとは言うが、まともになればそのうち出来る。あまりする意味が無い。

もっと、実際の体験や経験をした方が良い。昔は、そういう風に実体験で分かっていた。ただ、行動するより前に、そのことを先んじて体験して分かっていただけだ。

他に何もしていない。あとは、思い出して、会話して分かっていただけだ。

何もしなくて良い。そろそろ、哲学と歴史はもう良い。それらをやっていると、本当に何も分からなくなる。歴史は、分からなくなる人間が多い。

経済学をやりたい。ただ、そんなに全部やる意味が無いだろう。

分かるとは言うが、昔なんか、事前に全部経験を予測しただけだ。そして、作ったり出来るようになったりして、社会のことを支配して、するためにすることを分かっていた。

あれは、キモイ。分かっているどころか、何も分からなくなっている。

そういうわけで、「分かる」と言う発想がおかしい。

天使になった男は、色んな経験から人生のことが分かっている。それは、「どう生きるべきか」を良く考えて、「どんな結果からどうなるか」を「人生経験」から考えれば良い。

それこそ、文学で分かるわけがない。文学は面白いだけだ。

人生経験が分かる作家は、本当に多い。それは、身近なことを知りながら、民衆の生の声を聴いたりして、人が知り得ない真実の体験をして、人より良く分かっていると分かる。出来ないように見えて、誰でも出来る。そういう経験をすると良いかもしれない。

そういう、誰よりも人生を分かっている昔の自分が、あまりに馬鹿だった。

あとは、場と可能性を分かっているのは良いが、あれは狂っている。宇宙の真理を分かっているつもりだった。変えられる、から場を分かる。気づいて視野を広げるとは言うが、あれはキモイ。本当におかしなキモイ人間になっている。あれでは悪い。

自分は、普通の人間が分かっていない。普通の人間を想定すれば良い。

あとは、環境の意識を支配して、自由に勝っていた。そういう、「勝つ」と言う発想はおかしい。テレビやネットや学校の生徒に勝ちたいのは、ありえないのが昔の自分だ。

もっと良く考えれば良い。昔は、「具体的な発想」を沢山して、「自分でも出来るように世界の道理を考える」ことで、「何でも実現する」ことの出来る人間だった。

そういうわけで、自分の出来る、から手段を分かっていた。

意図を分析とは、この世界のあらゆる振る舞いから、意図のことを分かっていた。

人々が何を意図してその行為をしているか、のようなことを分かっていた。

あとは、昔はそろそろもうない。歴史のようなことを分かっている。

あれは、ただの2ちゃんねるだ。一番馬鹿な人間だったが、その馬鹿が賢かった。

ネットで友人と色んな経験をして分かっていた。

最近は、神の経験をした。何故か、頭のどこかで全部分かっている。今まで書いた文章だけで、下がることによって、そこまで考えて分かっていた。

来世では、ボブになると言っていた。名前なんか、ボブで良いからそういうことを言う。本当は、生まれ変わってドイツ人の女になった。不思議と、この世界を父親の夢であると言う。神は、そういうことを言う。自分は狂っているだけだ。

自分は、昔は本当に辛かったのが分かっていない。何も賢くないから、楽になるべきだ。

まだおかしい点を考えているが、おかしい点はもうない。

あとは、頭が辛いから、頭を何とかした方が良い。それは、何も分からないのが辛い。

あとは、ロシアみたいなものを作っていた。

普遍性と個別性から、環境の統一と多様性を考えた。

制度を作って、自分の人生を出来るようにしていた。

それがどういうことを意味しているか、考えながら、自由な社会と経験を成り立たせた。

それくらいの人間だった。あとは、恐怖を克服するだけをやっている。

教育や社会への意見のようなことを言う。本当に望んだことを叶えるために、出来ることを全てさせ、何をしたら良いかを教え、その人の自分の力で出来るようにする。そういう、正しい学校教育のようなことを言う。その人の能力をけして弱めない。

あとは、決定や可能性から、自然な変化の可能性を分かっていた。

もっと色んなことを言えば分かる。作用と反応とか、そういう正しい言葉を使えば良い。

選択肢を与えるべきだとか、環境を守るべきだとか、そういう、自由な思想を言う。

あとは、社会のことをモデルで考える。そういう人間だった。

色々と、数学者のようでもあった。世界で一番高度な数学を作っていた。

あとは、最近なんか、悪いだけだ。この世界を一度滅ぼして、救世主として復活させるために現れた。そういう、キリストのような革命家が自分だ。

あとは、共有のようなことを言う。社会とは、支配、独立、所有、共有、一体、王であると言う。そういう風に、この世界のことを、ある意味では「いやらしく」文章にする。

自由から社会と人間と経験のことが分かった。それで哲学が出来た。

いつどうなるか、何が何になるかを考えれば良い。それで、きちんと分かる。

最近、馬鹿になっているのが自分だ。まともでない。自分は一番おかしい。

もう、分かったから、すぐに出来る。ただ「自由」だと考えれば、すぐに分かる。

支配を悪いとして、人間が出来やすくすれば良い。出来るようにすれば良いだけだ。

あとは、人生は、必然的な知の機会から、段階的に考えられる。可能性を捉えることで、人生のことを全て分かることが出来る。

皆それぞれ違うと言うが、それは無い。皆誰もが同じだ。

色んな人生の環境的な感情を考えることで、人生と場所のことが分かった。

それこそ、人間が分かるわけがないこともある。科学的、数学的に考えることは必要だ。自由な民主主義にする必要もある。人間の理性と限界から言って、科学と自由が正しい。

それこそ、それぞれが決めて、出来るだけ自由にして、多様にすれば良い。

アメリカが正しい。アメリカの自由は、それぞれの多様性を生む。一番良い国だ。

人間の分かることは少ない。実験して、法則性を見出さないと分からない。

それこそ、物理的に行動と認識を把握していると、きちんと人間の活動が分かる。

意図とは、「意図して行動し、客観的な事実と意図を比較する」ことを言いたかった。

あとは、経験的に考えること。そこから、知性のようなことを知ることが出来る。そこから、人生のことが分かる。そして、経験から神へと近づくことが出来る。

仮定と結論から、論理学を作って、基礎を作っていた。経験も同じように作った。

そこから、縦横無尽に思考していた。本当にそういう人間だった。

そういうわけで、自分の数学は誰でも作れる。

世界のことを、知性から把握していた。感情の想定によって、場を分かった。

自分は、ニキビはキモイが、顔を見ると、愛のある人間に見える。良い人間に見える。

認識を作っていた。認識の数学を作っていた。

あとは、関係から、この世界の完全な相を作っていた。無限の相だった。

無限に、いくらでも広がる。そういう文章を書いていた。

頭は、精神が興奮しているのが悪い。そこを止めると、もう神が終わって、楽になる。

相手を自分と同じだと考えて、そこから社会をどういう風に変えるべきか分かった。

この社会の変化を知って、未来を予測するために、ネットで社会を経験した。

どういう社会がどういう過程で発展していくのかを分かっていた。

世界観の広がりとともに、この世界を全部分かった。いつもそれを書いていた。

あとは、目的を持って行動すること。そういうものが分かる人間が多い。

自由は悪いが、自由になることで、反抗的に自然を分かっていた。

時には、反抗や批判も必要だ。それが許されていないと、健全な社会にならない。

あとは、人生で分かったことを全部書いて、意見している。数学から政治まで、あらゆる考え方と発想を言う。人間の生きる上での真理のようなことも言っていた。人間は、あらゆる手段と機会から、人を支配することも、助けることも出来る。人生は、知と環境だ。

あとは、多面的に考えれば分かる。

カントの言う、「経験を可能にする」とは、良く考えると哲学的だ。

その経験を、その場、組織、環境、人生の中で、可能にする。前提条件となる環境の中で、その経験がそこに在ることが出来るようにする。

そういうことを言っている文章が、自分にも多かった。

あとは、知と経験とは言うが、そういう賢い言葉を考えれば分かる。そういう文章だった。

そろそろ終わりだ。何故か、ほとんどそういう風に考える「経験」しか書いていない。

哲学では分からないが、文学でも分かるように見えない。きちんと考えれば分かる。

あとは、経験から「きっかけ」のようなことが分かる。きっかけを実現出来るようにする。

あとは、謙虚で正しい心構えを持つこと。経験から、自分の正しいと思うことに従う。

そして、自然にすること、ありのままになることで、人間は許されると知る。

許せば、自由になる。自然にすれば、許す。自由になれば、自然になる。

それ以上は、論理的に考えると分かる。きちんと論理的に考えれば、社会の道理のことなんか誰でも分かる。経験と方法だと思えば良い。そこから照らし合わせるべきだ。

何をどうすれば良いか、具体的な根拠を知りながら、沢山の可能性が眠っているのを知る。この世界は、人々が思っているほど悪い世界では無い。きちんと正しく考えれば、今すぐにでも、本当に良い世界に出来る。そういう、マスターのような人間だった。

最近は、こういう人間が多い。狂っていない。まともだ。

方法、立場、関係、自由を吸収して、可能性、目的、発想へと至る。そのプロセスを書く。そういう風にものごとを実現する、理解と発想のプロセスを書いていた。

経験から、何が分かるか全部分かっていた。そういう、「経験で分かること全て」のような文章だった。本当にそういう文章を書いている。何故か、狂っている。

あとは、独自の発達心理学を作っている。経験と行動から社会を知って、子供を脱却して、大人になって、自立して、マスターになって、世界を変えるのを書く。アドラーのように、共同体感覚を身に着ける、理想の過程のようなものを書いた。

それだけで、近道で、最後のところまで辿りつける。そういう文章を書いていた。

あとは、意識と場から、社会の起源と契機を考えていた。

そろそろ分からない。もう、これくらいでもう分かることが無い。

ネットの共同体から、心理的な成長と、ヘーゲルのような主と奴、そして承認が分かる。そういう風に、「ネットのことを共同体だと言う」文章が多かった。

あとは、学習のようなことを言う。それから、予測と構築だけをそこまで考えていた。

モデルと関係を成り立たせて分かる。

意識する、意識しないから、根源的な意識を実感して分かる。そういう人間だった。

ニュースでやっていたが、僕はヘイトスピーチは嫌いだ。今までの自分を反省して、反ヘイトの側に立ちたい。僕は朝鮮人も好きだ。朝鮮人なんか、自分と何も変わらない。

その人間の自由にさせる、と言う意味で、自由にする。意見を提示し、自由社会を作った。