日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-26=

農園に行ってきた。

国を考えていた。世界変革的、社会構造的、行動的、方法的、社会的、環境的、信念的に、支配と考え方の思想から、具体的な社会構造と文化で、国のことを考える。

ドイツは、正しい支配の国で、フランスは、民主主義の自由な国だ。それらが競争する。

ドイツ、フランス、ソ連、アメリカ、ポーランド、スペイン、日本などを考える。

黒人になると、自然に適応するようになる。精神が治って、頭が賢くなる。

白人は馬鹿だ。白人は、知性がついて、分かる代り、馬鹿になる。

白人は、それぞれ違う。ここまで違う人間が多い。

日本人は、皆同じだ。日本人は、皆のことが分かる人間が多い。

自分は、治るのが怖い。歩き回っているのは、治るのが怖いからだ。

最初から、次の人種になりたかった。最初から最後までするようになっている。

実地的に社会を知って、成長して分かっていた。

自然な真実の体験から、思いやりと自我を知った。

ライプニッツは、モナド論だ。原子と良く似ているが、社会、哲学、人生、精神のことを、モナドと言う単子で考える。あとは、予定調和だ。神の運命は、予定的に起きる。

あとは、日本は悪い国で良い。日本は、ソ連のようになるはずだ。

農園に行って分かった内容は、ここまでだ。

今から、放送大学の授業を聴く。ドイツ哲学の系譜の第二回は、カントだ。

人間は、理性、社会実現、道徳、行動と実践である。

大学は悪くはないが、自分の力で人生を歩むために、ネットなどで社会経験をした方が良い。昔いつも自分が一番していた。ネットの体験を適当にしていると、大学が良く分かる。社会経験を積んで、労働をしていると、分かる人間が多い。実践的に経験するべきだ。

日本語は、分からない方が分かる。そんなに分かるから知性が無いだけだ。

放送大学は、治るのが怖い。英会話教室と同じだ。誰でも、馬鹿が治るのが一番怖い。治った方が馬鹿になる。そこが分かると怖くない。

日本語は、言語的なものより、話している内容を考えると、分かる。言っている内容を細部まで分かるのは止めて、カントがライプニッツやルソーに影響を受けた、と言うような、「話している内容」をきちんと考えれば分かる。そういうわけで、言語的な知性なんかつけても意味が無い。もっと、話を適当に聴いた方が良い。どうでも良いが、カントはライプニッツに影響を受けたと言うよりは、ライプニッツ=ヴォルフ学派と言う大学の学派に所属していた、と言うべきだ。色々と、間違っているところが多い。

理性より経験の方が正しく、直接的であるとは言える。だが、論理学や数学のように、経験に全く属していない学問もある。人間の直観や感性のような、経験的でも理性的でもない、純粋な心理的な現象もある。そこから体系を生み出していると、わけが分からなくなってくる。哲学とは、そういうものを整理して、正しい道筋へと直す、と言う学問だ。

ある意味、神や魂と言うものも、経験的ではない。

カントは、「何を知り得るか」を考える。この世界の中で、人間は何を知り得るのか?そこから、科学的な方法と認識的な経験が生まれる。自分は、それを不可知論だとか、認識の方法だとか言っていた。そういう発想が、理性批判と言うカントの哲学だ。

「何を知り得るか」に続いて「何を成すべきか」、「何を希望して良いか」、「人間とは何か」を考える。カントは、理性批判として、実践や道徳を考える。カントの著作は、それらがそのまま、純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判に対応する。

カントは、ヒュームにも影響を受けている。ヒュームがカントを独断のまどろみから救い出したのは、有名だ。それこそ、カント哲学は、ヒュームの哲学と良く似ている。

あまり賢くないが、現象や経験から理論が「現れる」と言う発想が哲学に多い。

カントは、二律背反を考える。良く覚えていないが、宇宙、物質、法則、神だったと思う。

経験は主観的だ。もっと、客観的になるために、理性を行使することが出来る。皆の経験を完全に排除して、理性的に、正しく考える。そういう発想が昔の自分に多い。ただ、経験を正しく考えることで、主観的な中で、出来るだけ理性的に努めることは出来る。それこそ、経験を正しく考える、と言う行為そのものが理性的であり、同時に実践的である。

カントは、経験論と理性論を、形而上学的な立場から統合する。

カントは、アプリオリと超越論から、認識を考える。経験的な認識を考える。アプリオリとは、経験に依存しないことであり、経験を可能にする、と言う概念である。アプリオリであることの条件とは、必然性と、厳密な普遍性を備えていることだ。アポステリオリとは、経験的、と言う意味である。アプリオリに、生まれつき、と言う意味はない。そして、超越論的とは、アプリオリなものに対する、構えのようなこと、であるらしい。一般的、根本的な次元に関係すると言っていた。超越論的感性論や、原理論、分析論、弁証論などがあるらしい。良く知らない。自分は、不確かな理解を書いているから、嘘だと思う。

カントは、経験を可能にするとか、アプリオリな総合判断とか、そういうことを言っていた。良く理解出来ていないから、明らかにおかしいことを言っている。良く聴けていない。

カントは、そういう風に、経験と認識を良く考える。それも、アプリオリのような概念から、「経験がどのように可能になるのか」のようなことを考える。

何故か、メディアプレイヤーに不具合が生じた。途中で終わってしまった。おかしい。

もう一度最初から再生した。あまり意味はない。

カントは、コペルニクス的転回を考えたり、理性と悟性を考えたりする。

不思議と、カントは普通これくらいの哲学者だ。これで誰でも分かる。

カントは、物理学や感覚的な心理学のことを考える。時間と空間、量や表象的概念などを考えている。数学や物理学のように考えている。

カントは、12通りの悟性のカテゴリーを作って、考え方を考えている。

自我や自己意識は、アプリオリなものに対する回答であると言っていた。何故か、良く聴けていないから、何に対する回答だったか覚えていない。

聴いていると、放送大学の講義は馬鹿だ。内容が少なすぎる。本を読んだ方が分かる。

ただ、日本語は、大学をしなければ分からない。普通の会話なんか、普通考えない。

ドイツ哲学の系譜、第二回の講義を最後まで聴いた。

放送大学は、しなくて良い。聴いていると、哲学の内容なんか何も無い。カントのさわりだけを適当に全部言っている。大学は、何も賢くないから、本を読んだ方が良い。

哲学なんかしなくて良い。むしろ、放送大学は馬鹿だ。この内容も馬鹿に見える。ただ、カントはきちんと分かっているようで、これで分かるわけがない。

本を読んだ方が良い。それで、仕事をした方が良い。本を読んで仕事をすれば良い。

何故か、全部知っている人間が、本当に多い。本を読んでいると、すぐに全部知る人間が多い。大学は賢くない。さわりと言うよりは、カントの表面だけ全部言っている。

ただ、大学もおかしくはない。大学は、誰もが意味が無いと言う。本を読めばそれで良い。

大学が馬鹿なのを分かると、この世界のことがきちんと分かる。

あとは、経験すると分かる。仕事の経験をしていると、この世界のことが分かる。

きちんと色んな良い体験をすれば分かる。そういう人間が多い。

あとは、ソ連やドイツも悪い。そういうものが悪いのが分かると分かる。

大学と極端な政治思想が一番悪い。ソ連と大学が嫌いな人間が一番多い。

そういうものが悪いのが分からないと、何も分からない。そういうわけで、馬鹿の方が本当に賢い人間になる。大学は、入ると馬鹿になる人間が多い。学校は無い方が賢くなる。

本を読むとは言うが、ネットの文章でも読めば良い。最近はそういう人間が多い。

トランプみたいな人間は馬鹿だ。ああいう金持ちは、意味が無いことばかりしている。馬鹿だからキモイ。トランプが一番馬鹿な人間だ。それこそ、金持ちは誰もが嫌いだ。

これで、良く考えると分かる。分からないことや知り得ないことは無視して良い。分かっていることだけを良く考えれば分かる。関係や現実の状態を良く考えれば分かる。

自分は、本を読めば良い。それで、きちんと考えて、経験すれば分かる。

昔は、ネットの経験が多かった。ネットは、馬鹿に見えて賢い。大学は賢くない。ネットが一番賢いのが、最近の日本だ。ネットをしなければ、何も分からない。

だが、最近はネットも馬鹿だ。Wikiとフェイスブックになっている。何も賢くない。

きちんと本を読んだ方が良い。それなら賢く見える。

大学とパソコンは、無視した方が良い。それらは馬鹿だ。きちんと考えれば分かる。

昔も、パソコンと言うより、普通に人生経験で分かっただけだ。経験をきちんと考えれば分かる。ネットなんか必要ない。ネットで分かる人間は、一人も居ない。

知覚や人格から、世界観のようなことを言っていた。自由な基礎の文章だった。

認識の可能性や社会システムのようなことを言っていた。

そういう、「哲学的な理性に基づく世界観」が多かった。

理性と知は根源的に平等であると言う。そういうことをいつも言っていた。

あとは、ネットなんか見ない方が良い。2ちゃんねるのLinux板は悲惨だ。皆でLinuxをいじめているだけだ。見ていると、分からなくなる。意味が無い、クズだ。

そういうわけで、本を読めば良い。それこそ、経験とは言うが、2ちゃんねるは悪い。

2ちゃんねるを消すと、怖くなくなる。まともな人間が楽だ。

昔賢かったのは、ネットでいじめをいくらでも経験したからだ。

そういう、悪い体験をいくらでもして分かっていた。本当に止めた方が良い。一番悪い。

最近の方が楽だ。ネットを見なくなって、文章を書くようになって、神を信じるようになった。最近が一番賢い。これ以上、哲学が分かる人間は、あまり居ない。

昔は悪いが、皆の経験や会話から分かった。色んなことを経験して、色んな人間の言っていることを聞いて分かっていた。こういう人間は居ない。ネットで分かるわけがない。

皆とともに、自由な絆で分かった。要は、高校生が青春でこういう風になる。

もう、青春は二度は出来ない。もっと本を読めば良い。青春は、二度するのではなく、普通に思い出せば良い。あれは、ネットの前の人格と意志が賢かっただけだ。

ネットは賢くない。ただ、自分が賢かっただけだ。

賢い人間は多い。賢い人間がネットをすると、経験から全て分かる。それは当たり前だ。

社会の必然のようなことを分かっていた。資本主義の問題点を全部経験していた。

社会や世界観のことを、自然な経験で分かっていた。それを書きたかった。

こういう馬鹿は、馬鹿なマルクスになっている。馬鹿がこういう風になる。

もう何も無い。そろそろ、2ちゃんねるはもう良い。もっとマシな経験をした方が良い。

むしろ、会社になんか入れない。本を読むしかないだろう。きちんと読んだ方が良い。

本を読む以外のことはしなくて良い。むしろ、馬鹿の方が賢い。

理性的に考えたいなら、数学をすれば良い。昔は、数学的に考えて、人間のことを経験から発想し、発見していた。経験や人間を成り立たせて、社会を実現していた。

ネットは一番悪い。そんなにいじめられていると、狂って認知症になる。神は同じだ。

そういうわけで、ネットの経験とは言うが、一番悪い経験をいくらでもしただけだ。

まともな賢い大人になったのが、そういう昔だ。

社会と人間のことを良く知っていた。社会発生と社会問題のことを考えていた。

最近は、神はいじめているだけだ。それこそ、自分からいじめられたいのがおかしい。

そういうわけで、もう止めた方が良い。2ちゃんねると神を同時に止めれば治る。

あとは、思いやりがあった。友愛から、社会をどうすれば良いか、ビジョンを分かった。

これなら、経験があるように見える。

いつも、そういう、経験があるように見える文章を書いていた。

経験なんか、なかった。ただ、2ちゃんねるをいくらでもして、社会を分かっていた。

この世界をどうすれば良いか、希望とは何か、改善とは何か、方法で何が出来るか、どのようにすれば、どうなるか、目的のためにどんな手段があるか、問題はどこに原因があるか、のようなことを分析する。そういう、社会学者の大人だった。

ただ、悪いだけだ。2ちゃんねるで思いやりが分かるのがおかしい。そこがキモイ。

あとは、神も止めた方が良い。いじめる神を信じるのは、おかしい。

いじめと言うよりは、社会を知って分かっただけだ。社会の全体像とそれぞれの人生を考えて、マスターのように経験から分かっていた。人生で全てのことが分かった。未知なることから、考え方のこと、向き合う姿勢や秩序の実現のようなことを全部分かっていた。

サルトルが言うように、人間とは「なっていくもの」である。選択から、社会の秩序を知り、実現可能な夢を知り、努力によって何が知られるのかを知り、何が可能で、何が知り得るのかを知る。そこから、体験を知り、悟りを知り、真理を知り、理想を知る。そのために何が出来るのか、と言う真理から、社会の可能性と精神の治癒を知る。

終わりだ。もう、経験を全部書いた。これなら社会と人生の経験があるのが分かる。

昔は、「何がいつ可能であるか」と、「必然的にそれはどうなるか」から分かっていた。

そして、「何かが何になるためにどう出来るか」のようなことをきちんと考えていた。

そこから、「取り得る可能性」を考えて、「社会全体がどう出来るか」を考える。

それは、経験と全体像から、自分の経験で、実感として、そのことの可能性を分かった。

それは、ヘーゲルのように、「自分には出来ると言う確信」になって行く。

最後には、「破壊と良心」から、「全ては自分であると言う確信」になる。

あとは、普通のことを考えれば良い。モデルと説明から、「社会のそうなっていることの意味」や「その社会の意味していること」を考える。民主主義と独裁、集団と個人、誰が支配し、決定し、従属するか、マルクスのような社会構造と条件、などを考えられる。

そろそろ終わりだ。これくらいが、普通哲学だ。

もっと、「社会と市民の関係性」をヘーゲルのように考えると良く分かる。「自分がそうであるのと同じように、誰もがそうである」と言う発想から、自然条件と社会形成が分かる。それは、「全員によって作り出し、全員のために還元する」と言う発想になる。

また、神のような絶対存在が分かる。世界精神が分かる人間が多い。自分の未来だ。

あとは、自然を考えていた。実存的な人間の経験を、「存在」として考えていた。

そこに居る、主体的で孤立的な、個別的な存在と、基盤や環境との関係を考えていた。

あとは、戦って神を信じながら、馬鹿になった代り、永遠のありえない体験をした。

そういう2人に見える。そういうわけで、マークとジェシカしか居なかったように見える。

ケビンはおかしい。永遠の革命をしているのがケビンだ。明らかに、マークの一部だ。むしろ、ある意味ではジェシカの一部だ。どうでも良い。自分はそういう2人が好きだ。

自分は、果てしなく続く。そして、どこまでもまっすぐに道が伸びて行く。

自分は、思いやりのある、きちんと世界を導く、皆のことを愛し、支える良い人間だ。

悪いとは言うが、帝国とソ連のようなものを書いていた。自由連邦を作っていた。

そういう、政治のことは、もう言わない方が良い。

それこそ、自分は普通の良い人間だ。思いやりと情熱のある、まともな人間だ。

あとは、行動がどうなるか、方法がどうなるか、社会や環境をどう出来るか、のようなことを真面目に考えて、問題を解決し、手段を実現し、影響力を行使していた。

そういうわけで、もう分かっている。きちんと分かっているのが自分だ。

本を読んだ方が良い。本を読めば良い。

もっと哲学をしたい。世界史もしたい。ただ、そんなに全てをいっぺんには出来ない。

本を読んでいると、パソコンのことも出来る。

こういう人間は、実験や経験の正しさと確実性を考える人間が多い。

色んなことを全部疑うと、良く分かる。

デカルトも、人生で一度は全てのことを疑う経験をするべきだと言っている。

普通、経験から実現し、思考するのが分かる。

学校は終わったから、何かする。こういう人間は、学校からパソコンになる人間が多い。ただ、僕はパソコンは嫌いだ。パソコンのことはしたくない。

発想や思考がどこから生まれてくるのか、環境的に経験を考えて分かる。

あとは、神は自分の中で、自分が自分で無くなっているだけだ。

そろそろ分からない。全てのことを疑えば良い。それが一番、きちんと分かる。

疑わないと、知性がつかない。盲目的に信じるのが、一番愚かだ。宗教は一番愚かだ。

宇宙に絶対的なものは無い。人間なんか、ただのものだ。死はどうでも良いものだ。そういう風に考えると、分かる人間が多い。蚊を殺すように死ぬのが人間だ。人間は猿だ。

動物なんか、ただの機械だ。宇宙にも地球にも、意味のようなものは無い。

何故か、そういう風に考えた方が、理想的なことが分かる。信じている間、理想は分からない。信じるのを止めて、自分で経験する中で、きちんと疑って、初めて理想が分かる。理想とは何なのか、理想の何が理想なのか、経験から良く分かる。そういうことを書きたかったのが、いつもの自分の文章だ。知覚から理想まで、経験的に疑って分かっていた。

経験が何を意味しているのか、から、人間と社会の状態を、取り得る可能性で考えていた。

あとは、最近の苦しい永遠の体験を書いていない。

本当に苦しかったし、おかしかったが、本当に、苦しみを耐えて良く頑張った。

昔の馬鹿は、誰でも出来る。だが、昔なんか、しなくて良い。

最近は本当に辛かった。

こういう体験をした方が良い。きちんと辛いのを耐えると、賢くなる。

皆、世界を良くするために、本気で頑張って、戦いなさい。神を信じて、対話しなさい。

あとは、ユダヤのような体験が多かった。宇宙人やユダヤ人と対話していた。

文章は、全体の構造を見て分かっていた。社会、宇宙、人生、真実の全体像を書いていた。

昔は、きちんと考えれば誰でも出来る。昔をきちんとして、最近をやれば良い。

あとは、オープンソース活動はユダヤだ。やっていると、こういう神になる。

宣言し、対話しなさい。自分の自由に宣言すれば良い。皆は、ポーランド人になると良いだろう。ポーランドも結構賢い国だ。日本人に合っている。

皆を自分と全く同じにするのがキモイ。もっと違う人間にした方が良い。

あとは、トルコ人、クロアチア人、ケニア人、イラン人、そしてブラジル人になれば良い。

そこらへんが、全く違う集団だ。

自分以外の皆を、そういう風に、自分ではなくすれば良い。

それこそ、皆はカナダ人になれば良い。オーストリア人になっても良いだろう。

何故か、今宇宙が正常に治った。皆がそこらへんをやれば、それで全員だ。

あとは、自分は最初に戻る。また、アメリカ人に戻る。それをもう一度すれば良い。

むしろ、そうでもない。また、新しい、ニュージーランド人になれば良い。

ただ、自分は黒人になったから、このままナイジェリア人をやる。

それこそ、これなら、平等な神に見えるのが、自分だ。

自分は、労働の経験をしないのがおかしい。働くと、賢くなる人間が多い。

昔は、色んな労働の経験と同じことをネットでして分かっていた。

あとは、本を読めば良い。むしろ、普通の学問をした方が良い。

あるいは、ありえない学問をしたいなら、悪くない。ありえないもので賢くなれば良い。

明らかに、剣道部は一番ありえない。剣道部で賢かったのが、昔の自分だ。

オープンソースも、神との対話もありえない。そういうありえないことをすれば良い。

あとは、信じることを平等にすると、大人になる。

自発的な自由より、自発的な平等が良い。それぞれが環境を作るのが良い。

いつも、そういうことを言っていた。あとは、右翼が悪い。右翼を倒した方が良い。

知恵と工夫、共通認識、発想、意志決定のようなものを考えれば良い。

あとは、長い時間がかかる。人生は始まったばかりだ。ただ、一通りやれば、結果はすぐに出る。焦らない方が良い。焦っていると、その方が無駄なことをする。

法則と方法を考えていると、物理学が出来る。それは、ありえない分野をすると出来る。

Linuxがやりたかったのは、OSを作りたかったからだ。Windowsを作りたかっただけだ。

昔は、反省と客観視から分かっていた。最近、反省していない。

昔は、色んな人間のことを普通に分かっていた。自分の行動と経験から、普遍的な皆のこと、個人のこと、社会のことを分かっていた。日本人のことを分かっていた。

自分は、法律のことでもやれば良いが、それはおかしい。

良く考えると、ありえない哲学者と、ありえない国の歴史や文化のことをすれば良い。

自分は、スイスが好きだから、スイスのことを何かやっても良い。

哲学者は、図鑑を読んで、好きな哲学者をやれば良い。

ただ、あまり考えない方が良い。適当で良い。いつも、適当が一番当たるのが自分だ。

昔から、自分は神みたいな人間だ。神みたいに分かっている。

歴史なんか、しなくて良い。こんな馬鹿が外国に行くのはおかしい。

キモイ右翼の左翼のイスラムが外国に行く意味が無い。すぐに警察に捕まる。

あとは、経済学は、普通、法律がする。

法学部が経済学部が出来るのが普通だから、しなくて良い。

理系は出来ない。数学や物理は難しい。

理系は、高校できちんと勉強した人間が出来る。自分が出来るわけがない。

自分は、哲学だけをした方が良い。それで良いから、哲学書を買えば良い。

1人に絞る必要はない。古典から現代哲学まで、色んな哲学をやれば、それで良い。

本は買わなくて良い。もっと図鑑を読めば良い。

ただ、哲学は意味が無いだろう。勉強なんか、しなくて良い。哲学すら出来ないはずだ。

外国は止めた方が良い。本当に悪いことをする。外国人は、悪いことをしないと生きられない。色んな悪い人間に勧誘されて、悪いことを本当にするから、止めた方が良い。

歴史をしたいなら、日本史をすれば良い。その方が良い。

哲学者は、フッサールで良いとは言うが、フッサールでは悪い。

何もしないのがおかしいが、むしろ、しなくて良い。何か悪いことをする方が悪い。

経済学は出来ない。普通、ジャーナリストが出来る。誰も出来ない。難しい。

日本史とフッサールなら出来るように見える。日本のことなら分かる人間が多い。

きちんと日本史とフッサールをやった方が良い。

外国に行くのは止めた方が良い。すぐにイスラム国に勧誘されて、一番悪いことをする。

分からない人間が多い。外国人なんか、そういうクズしか居ない。

イスラム国どころか、麻薬の密売が多い。外国人は、そういうものだ。

あとは、日本史をやって、哲学者は本当にやりたい誰かをやれば良い。それで良い。

政治経済なんか、普通誰でも出来る。やりたくないなら、しなくて良いだろう。

普通、分からないのにやりたい人間は居ない。分からないなら、しなくて良い。

日本史の良い点は、文化や社会が変貌していく過程が分かる。ある社会から、どんな風に社会が発展していくのか、社会がどうなっていくのかが分かる。昔のネットと同じだ。

あとは、フッサールより、もっとカントとヘーゲルをした方が良い。それが一番分かる。

自分は、関係と理由を考えれば分かる。そういう文章が多かった。

人間と人間の関係とか、本当の理由とか、そういうものを考えれば良い。

あとは、何も無い。日本史とフッサールは、本当に分かる人間が多い。

昔から、社会をそういう風に分かっていたのが自分だ。

社会がどのように発展していくのか、その過程のようなものを、ネット社会で分かった。

文化の変転と変貌のようなものが分かっていた。

そういうわけで、既に出来ているから、簡単だ。

日本史とフッサールをやることにする。それが一番自分に合っている。

自分は、賢い方が良いのが分かっていない。もっと賢く行動すれば良い。

昔は、賢くものを作るとか、実験や証明や予測をするとか、組織を作るとか、そういう、賢い大人のようなことを言っていた。

最近、賢くなくなった。賢くない発想をするのは、もう止めた方が良い。

自分は賢くない。

フランス史は、本当に意味が無いのが分かるから、しなくて良い。

日本史とカントとヘーゲルだけやれば良い。フッサールは忘れた方が良い。賢くない。

良く考えれば分かる。もっと、基本的なことを考えれば良いだけだ。

基本的な思考と方法を、正しく考えれば分かる。昔の自分なんか、簡単に出来るのが分かっていない。ネットをしたいなら、しなくて良い。簡単にすぐに分かるのが出来ていない。

あとは、むしろ、良く思い出して関係を考えれば分かる。

もっと、賢くなれば良いのが分かっていない。関係は、考え方と具体例から、比較して考える。そういう発想が普通多い。関係を成り立たせる、と言う発生が知性だ。

知性とは、関係を成り立たせることだ。そういうことをいつも言っていた。

もっと賢くなれば良い。むしろ、そんなに賢い方が馬鹿だから、こういう風になる。

それこそ、普通、論理や方法を抽象的に考える。

サルトルのように、「仮定」から、「可能性が実体化、具体化の姿を帯びる段階」を考える人間が多い。それこそ、1つの命題から、1つの具体的な姿を生み出すためには、沢山の段階と可能性がある。その決定を、段階を想定して、良く考えれば良い。

あとは、1つ1つの経験から、1つ1つの客観的事実が生まれる。そこから、正しく道筋を立てて考えることで、問題は現実化し、解決し、発見することが出来る。

良く分からない。賢いようで賢くない。そういう風に抽象的に考えると賢い。

何も知らないから分からないだけだ。

1つ1つのプロセスから、何を決定し、何が要請され、何を必然的に決め、何から何を従えて、何が従属的に決まるのか、のようなことを考える。

あとは、人間の頭脳と心と思えば分かる。人格から心を深層まで吸収し、融和する。

認識の一致から、対象と同一になれる。方法を知り、意識を知り、全体像を知り、成立条件を知り、経緯を知り、関係を知り、原理を知る。対象の対象化と実像を考えれば良い。

可能性を実体化する、のようなことをいつも書いていた。プロセスのようだった。

個人と個人の関係から、「自己を対象化する」などと言う発想をしていた。

そろそろ終わりだ。あとは、カントとヘーゲルと日本史だけをした方が良い。

あとは、するべきことや、心構え、秩序の実現のようなことを言っていた。

本当に、やることが無くなった。哲学なんか、したくない。

見ていると、哲学者は全員馬鹿だ。

あとは、歴史は意味が無い。過去の日本なんか知っても、ただキモイだけだ。

政治経済は、難しいから出来ない。僕の頭が全くついていかない。

ネットなんか見たくない。ネットでは、誰もがLinuxユーザーをいじめている。キモイ。

ソ連はそういう風に辛い。そういう風に、GNUみたいに辛いのがソ連だ。

あとは、Linuxは、ソ連と言うよりは、右翼だ。誰もが嫌いだ。

何故か、やることが無くなった。哲学なんかしたくない。

図鑑が悪いのかもしれない。あの図鑑を見ていると、哲学は全く面白くないものに見える。

どうでも良いから、日本史とカントとヘーゲルをやると言うが、意味が無い。

本当にしなくて良い。キモイのが自分だ。自分は、大量に虫みたいな言葉を作るだけだ。

あとは、良く考えれば分かる。

考え方が、分かっているようで、分かっていない。良く考えれば分かる。

経験から考え方が分かっていた。そういう風に考えれば良い。

昔は、過去の時間を今と言うこの時に立ち返って分かる。

そういう、「時間に立ち返る」と言う発想が多かった。時間の魔術師だった。

哲学は、もうしない方が良い。もう、充分やった。大学はただの馬鹿だ。

それで、明らかに数学と物理をやれば良いのが自分だ。それをやった方が良い。

自分は、哲学のせいで分かっていない。普通、数学のようなものと、歴史のようなものしかない。哲学なんか、忘れた方が良い。明らかに、方法と経緯しか存在しない。

何かが方法的に生み出されて、必然的な経緯として存在する。誰でもそういう風に分かる。

哲学は無い方が良い。哲学は賢くない。思想なんか分かっても、キモイだけだ。

そういう、国語、算数、理科、社会のようなことを言っていた。それがいつもの文章だ。

それこそ、国語や理科が普通多い。国語と理科が賢いのが分かる人間が多い。

馬鹿になっているのが治る。哲学とパソコンが悪い。それらは、知性が無くなるだけだ。

不思議と、国語、算数、理科、社会と思えば分かる。あれは理科、あれは国語、などと考えれば良い。誰でもそういう風に分かる。だから、哲学なんか分からない方が良い。

哲学はもうしない。あとは、まともな人間になる。

何故か、人間と社会を分かるだけの人間しか居ない。ネットも悪いから、見ない方が良い。

この世界のことを知りたい人間が多い。皆のことを知りたい人間が多い。

昔は、実感と共感で分かっていた。人間関係を経験から分かっていた。

この世界を知るのは良いが、ネットは悪い。ネットで知ると、白痴になる。

全てのことは、最初からは決まっていない。何かの原因があって結果がある。

数学的に考えれば分かる。分析して、答えを導き出せば良い。

あとは、自分の文章はおかしい。皆を馬鹿にする、おかしな文章だ。

そろそろ分かった。何故か、皆の方が馬鹿だ。そうでもない。誰でも賢い。

自由から、生産手段や自然状態が分かる。そういう風に自由を考えれば良い。

そこから、発見して考える。多面的に考えることで、自由な社会の様相と形成が分かる。

方法から、前後関係と、「そのために何が必要か」を考えると良いだろう。

そこから、「可能性と必然性」が分かって来る。そこから、様相のようなものが分かる。

ある社会が、どこから生まれるか、どんな社会になって行くかを、精神分析から分かる。

全ての方法と形而上学を知ることで、あらゆる経験を考えられるだろう。

予測から可能性を知ることで、「何から何が生まれるか」のようなことを、法則的に分かることが出来る。そういう風に基盤の中での対象とその自然発生や原因を考えれば良い。

もっと、沢山の現象を知る中で、普遍性と個別性や、そのことが観念的に何を意味しているのかを考え、「そのことと、自分との関係から、真理を知る」とすれば良い。

今自分が何を考えているか、それを経験的に知ることで、真理が分かるだろう。

そういうわけで、もう分かったから、あとは哲学をすれば良い。それはおかしくない。むしろ、普通の人間は馬鹿だ。国語や理科や社会と思うせいで、全く馬鹿な人間しか居ない。

皆の考えていることを知ることから、「この社会の理想と、どんな社会に必然的になっていくか」が分かる。「皆がどのように社会を作れるか、作るべきか」が分かる。そこから、神の愛のようなことが分かる。皆は何を考えていて、皆には、自分には何が出来るのか、そういうことを考えれば良い。そういう風に社会実現を考えていた。

力業で、思い出して分かっていた。答えを導き出して、洞察するのが得意だった。

本当に、国語、算数、理科、社会のような、発想と考え方のような文章を書いていた。

自分は、多重人格になる。このまま、永遠の2人になる。

黒人はフランス人だ。言語が同じなら、同じだ。

洞察力と言うが、そういう洞察力があった。それこそ、生命活動と精神の変化を統合しているのが脳であるとか、そういうことを言う。そういう洞察力があった。

競争で、資本主義社会は滅びると言っていた。競争は、戦争と同じで、滅びると言う。

そういうことをいつも言っていた。本当に、そういう風に森羅万象を考えていた。

いつも、洞察力と本質を、構造的にモデルにする。そこから世界のコピーを作っていた。

僕は、もう皆のことを許す。疑うのはもう止める。そんなに皆のことを疑うのがおかしい。

世界は無秩序になっているから、一度きちんと秩序を作れば良い。それで良くなる。

平和を信じなさい。勇気を出すのは良いが、反抗せず、人々を信頼しなさい。本当に自分のためになると思って、人々との関係を喜びなさい。何でも自分のためになる。そして、相手のために、理性的に手助けをして、チャンスを実現しなさい。

あとは、何を信じるべきか、のようなことを言う。自由と神を信じなさい。