日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-31=

英会話教室と農園に行ってきた。以下は、メモした内容である。

社会と場の自然な変化、構造的で段階的な発展、自然な自己の成長と環境を言っていた。

情動、欲動、欲望とモチベーションの自然なコントロールや、意欲を引き出す、のようなことを言って、社会的な意識、存在、そして教育を考えていた。

自然な社会を作ると言っていた。

経験的に分かると言っていた。

バッハは、壮大な宗教音楽を作った。そういう風に、色んなことを分かっていた。

日本は、軍事的に中国に勝つなら、イランと同じだ。そういう風に分かった。

神は、イスラム会議をしていると言っていた。天使は、自分を馬鹿にする。

初期投資と正しい考え方で分かっていた。あらゆることを事前に作っていた。

自然発生と歴史のようなことを分かった。場と環境の発生を考えていた。

生態系は循環である。

感覚的に、社会を作るのを分かっていた。

方法とシステムを応用的に作るのを分かっていた。

人生を分かっていた。

環境とシステムを作る方法を分かっていた。そういう環境構築の網羅を書いていた。

マルクスは、最後までついてまわる。こういう風になる。

マルクスを信じると、昔のように、堕落した人間になる。マルクスは一番悪い。

知性で社会と人間のことを分かっていた。人生と社会のことを根源的に考えていた。

経緯と時間軸から、環境の活動を分かった。家から社会まで全部作っていた。

経済学の本が届いた。難しい本だが、これを読んで、経済学の専門家を目指したい。

今から、もうこちらになる。楽になって、作家のような賢い人間になる。

最近は、良い世界になっているのが日本だ。昔は、あまりに悪い世界に見えたが、最近は、賢くてきちんと分かる良い人間が多い。昔から、馬鹿は悪くて、何も分からない。

意図と関係を考えていた。人間のことや社会のことが、経験から自然に分かった。

英会話教室と農園で分かった内容は、ここまでだ。

自分は、昔から、知らないから自由だ。知らないから、存在や社会や世界観や人間のことを考える。そういうわけで、哲学は馬鹿の方が出来る。哲学をやっていると、馬鹿になる。

この経済学の本は、大人に向けて書いてある、さくさく読めるが、内容が薄くは無い、詳しい本だ。まだ最初を読んでいるだけだが、見ていると、一番賢い本だ。

内容に書いてあるが、この本を読んだ以後は、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学をすれば良い。大学では、それを学ぶのが普通だと書いてある。そのようにしたい。

自分が経済学をしないのもおかしい。自分は、経済学と仏教をすれば良い。

あとは、昔は経験と知恵から人間のことを分かっていた。そういう風に経験すると賢い。

プラットフォームと方法を作っていた。昔はそういう馬鹿だ。

この世界を全部作っていた。そういうわけで、家のようなものを作ったり、技術やプロセスのようなものを作ったりしている。定住とか、順序とか、そういうことを言う。

自分は、経済学だけでは無く、政治学もしたい。国の仕組みもきちんと分かりたい。

論理的に考えて、モデルを作って、経験から自由に分析する。

そういう、自由に考える文章が多かった。

自分は、皆を自分にするのが悪いが、それはあまり悪くない。

あまり悪くないせいで、良い人間になった。見ていると、本当に良い人間になった。

あとは、馬鹿なことは言わない方が良い。最近、自分は何も言わない人間になった。

経済学の本を読みたい。日本史のように、ゆっくりと読めば良い。

自分は、経済学、日本史、仏教のことをやれば良い。それがやりたかった。

何故か、こういう悪い人間は、良い人間になる。

昔の良い人間の方が悪い。昔の自由な人間は、人を操って支配する。一番悪い。

そういうわけで、皆はもう自分にならなくて良い。もっと賢くて、良い人間になるべきだ。

自分にするしか出来ないのはおかしい。それこそ、何もせず、放っておけば良い。

世界は何も変わっていない。変わっているのは自分だけで、むしろ、最近は自分だけ何も変わっていない。皆はもう賢くなっている。自分なんか、何もしていない。

最近は、皆賢くなっている。もう分かった人間が多い。自分は遅い。未だに子供だ。

昔は早かった。皆の延長線上の経験を全てして、大人になって、知って考えていた。

こういう馬鹿が多い。昔の自分はもう忘れた方が良い。未練に執着するから馬鹿になる。

あとは、社会の自然な変化のプロセスのようなことを言っていた。

魂でも考えれば良い。

あとは、神と対話するのは、止めた方が良い。「神と対話する」と言う発想がおかしい。

自分は、経済学のことをする。

応用とか、共有とか、独立とか、そういうことを言っていた。知性のある文章だった。

あとは、知覚と経験のような、哲学的世界観のことを、経験と実感から分かっていた。

人生の実感から分かった。ネットで人間のことを知って、戦いと思索で分かった。

自分は、これで戦っていると、分かる。そうすると、馬鹿に見えて、賢くなる。

ただ、テレビと戦うのは止めた方が良い。テレビは強すぎる。戦うと負ける。そこが怖いのがテレビだ。こんな風に、テレビを倒すのはおかしい。狂っている。

ネットで人間や世界のことを分かるのは、キモイから止めた方が良い。

もっと、良い経験を色々とすれば分かる。ただ、経験より、知識の方が賢い人間になる。

賢い人間は賢くない。本当に、馬鹿な経験を沢山していると、それで分かる。昔の自分は、戦って、経験して、信じて、視野を広げて分かっただけだ。それだけの人間だった。

経験をしていると、「人間は可能性の発揮である」とか「世界は人間の中にある」とか「世界は人間が作り出している」とか「他人に出来たことは自分にも出来る」などと分かる。

昔は、自然な中で、その存在がどのように存在することが出来るのか、自分がどう存在しているのかを、実存主義のように考えていた。

そろそろまともに賢くなった。自分は賢くない。皆の方が賢い。皆は、まともにきちんと分かっている。自分は何も分かっていない。本当に自分は馬鹿だ。

もっと、色んな人生経験をすること。自分の人生には、発見が足りない。もっと色んな発見をした方が良い。昔は発見と経験の人生だったが、もっと発見するべきだ。

発見していると、知性がつく。そういうことを言っている文章が多かった。

新発見をしていると、森羅万象の変化が分かる。

自由に推論していると、哲学のことが分かる。「自分の中に世界がある」なら、「存在は可能性の発揮である」と言える。ハイデガーは、そういう風に考えているのかもしれない。

もっと、経験から推論して考えれば良い。自由を考えると、分かる人間が多い。

これくらいで、宇宙全部だ。誰でも、これなら、真理と応用が分かる。真理のモデルのようなものをいつも作っていたせいで、これで全部に見える。これくらいを変幻自在に、多角的に作っていただけだ。そういう、多面的な文章をいつも書いていた。

そういうわけで、そういう人間の真理のことを言う。

人間とは、社会を変えるものである。

人間とは、依存して生きるものである。

人間とは、自分の力で考えるものである。

人間とは、経験と知の吸収である。

人間とは、意識の変転である。

人間とは、生活と人生の中での行動、活動、意識、認知である。

そういうことを言う。そういう、人間の真理のようなことを言う文章が多かった。

あとは、段階や法則のようなことを、関係から成り立たせて書いていた。

社会とは、人間の自由の発揮である。

そういうことを言う、頭の良い文章が多かった。本当に知性のある人間だった。

見ていると、ある意味で数学に見える。何故か、アインシュタインに見える。

そういう、関数や分析のような思考の文章が多かった。

この世界のシステムと歴史を作っていた。本当に、そういう、宇宙の創造者だった。

あとは、社会の構造を、全員の経験から成り立たせていた。「人生主義」だと言っていた。

人生を考えて、社会構造を作る。そして、自分と同じことが誰でも出来るようにする。

人生主義と言うよりは、ヴァイス教と関連して、ヴァイス主義と呼びたい。

あとは、色んなことを言葉にして、一行で考えていた。

数学とは、関連性と原理であり、構造と正当性をそれぞれが作って共有することである。

社会とは、理念と実現性であり、そのためにそれぞれが努力することである。

政治とは、妥当性と利害関係とバランスであり、それぞれの自由な手段である。

言葉と「それぞれ」の知性と立場の尊重で考える。それで、「自由」とばかり言っていた。

社会のモデルを作って、人生の真理を考えている文章が、本当に多かった。

もうそろそろ終わりだ。文章は、本当にそれくらいの文章だった。

あとは、自由とか、実存主義とか、経験とか、言葉のモデルとかが多かった。

関係から全て分かっていた。

そういうわけで、これを見ると、6割ぐらいが昔で、4割ぐらいが最近に見える。

それこそ、最近だけにすると賢くなる。昔は賢くない。

昔は、ネットで全員の経験を知っただけだ。他に何もしていない。パソコンが好きだった。

最近は、哲学が好きなだけで、文章を書きたいだけだ。

あとは、自由になると、楽になる。自由になると、辛くても楽な人間が多い。

自由でなく、辛くすると、本当に辛い。日本には、そういう人間が一番多い。

自由にすると、経験から、自分の力で分かるようになる。

皆のことを自由にする。いつも、そういう、「皆を自由にしたい」と言う発想が多かった。

自由のことばかり書いていた。この世界を自由にしたかった。自由から分かると思っていた。本当に自由に経験していると、世界の全ての成り立ちが分かる。そういう文章だった。

自由にするためには、何もしなければ良い。何もしないのが自由だ。

何もしないでいると、悪い世界になる代り、皆本当に楽になる。

あとは、支配なんかしていないのが自分だ。何もしていないだけだ。

もっと勉強のことがしたい。英会話教室で英語をやっているが、レベルアップはまだしたくない。まだ、今のレベルの方が良い。何故なら、馬鹿だ。今レベルアップすると、内容についていけなくなると思う。もっと馬鹿なレベルのままで良い。

日本は、一度滅びる。その方が良い。皆の手で直せば良い。

自分が一人で直すと、こういう風になる。一人で直すとこうなる。

そういうわけで、ドイツが終わって、ソ連のようになる。

神も、「一度滅びないと、直らない」と言っていた。そういうことを言っているのが神だ。

よって、そろそろ日本は一度滅びる。それを皆の手で直すから、そのうち良い国になる。

そういうわけで、宇宙や社会のことを真理で全て作っていた。そういう文章だった。

日本は、もう楽になる。誰もが自由になって、好きなように、自在に出来るようになる。辛いことは沢山起きる。だが、自由な中で、成長し、克服するようになれば、辛ければ辛いほど、楽になる。そういう、自由で経験豊かな成長する世界になる。

自分は、そういう人間にしたかっただけだ。いつも、そういう人間のことを言いたかった。

そういうわけで、日本はもう自由になる。本当に楽になるから、皆その未来が好きだ。

そういう人生のことを、自由だと言っていた。いつもそういう文章を書いていた。

あとは、革命は嫌いな人間が多い。革命をすると、自由が何も無くなって、一番辛くなる。

こういう馬鹿は多い。女には、辛い女が多い。男には、辛くても楽な人間が多い。不思議と、自由な女が多いし、右翼の男が多い。どちらが男で女なのかは分からない。

自由から知性をつけていると、哲学者ロックのようになる。マスターになれる人間が多い。

昔は、世界の様相を書いていた。行動、可能性、関係、世界、状態、段階を考えていた。

自分が辛いのは、革命が悪い。革命をしたせいで辛くなった。

そういうわけで、自分が一番悪い。不思議と、賢い人間はこういう人間が多い。

自由にすると、すぐに馬鹿になる。そうなるように見えて、自由は賢い人間になる。

自由な人間には、馬鹿な人間が多い。自由になると、何も分からなくなる。

文章は、昔自由な中で考えたことや、発想のようなことを言っている。

言語、芸術、社会構築、数学、科学のようなことを言う。そういう文章だった。

自由になると、楽にはなるが、何も分からなくなる。楽に見えて、それはキモイ。

そういうわけで、自由になんかならない方が良い。

ミクロ経済学や、マクロ経済学は、名前は賢く見えるが、そんなに良いものではない。経済を、極小的、極大的な視点で考える。ただ、政府や国家全体、会社や家計や小さな環境を考えるだけで、そんなに賢くは無い。

自分は、何も知らずに言っているから、間違っている点が多いと思う。

それこそ、嘘には見えない。こういう、「分かる人間の都市伝説」が本当に多い。

あとは、大学が見ると、ケインズなんか賢くない。マルクスなんか、ただの馬鹿だ。

大学が一番、そういう風にクズだ。皆を馬鹿と言う。大学は賢くない。

自分は、推論といつも言っているのに、推論なんか何も出来ていない。

普通、論理学的に価値や効果を考える。そうすると、誰でもデカルトやカントと同じになる。哲学にはそういう人間が多い。推論が出来ない時点で、意味が無い。

経済学から見ると、安倍が賢い。あれは馬鹿に賢いから、大学が支持しているのが安倍だ。

野党は賢くない。サンダースなんか、一番おかしい。

「体験」とか「環境」とか、そういう言葉で考えていた。

出来ることを全部やっている。最近はそういう人間だ。

何故か、自分の方が王だ。

見ていると、皆は何も賢くない。頭が賢い代り、何も分からない人間が多い。

馬鹿な自分の方が賢い。自分は分かっている。

ただ、僕は安倍なんか嫌いだ。こういう右翼は、馬鹿が治って左翼になる。

あとは、キリスト教が良いと言うが、ありえない。あれが一番こういう馬鹿になる。

そろそろ、クズを言わない方が良い。もっと賢いことを考えれば良い。

経済学の本は、ゆっくり読めば良い。そんなに難しくない。大人向けの良い本だ。

論理学が分からないなら、存在の可能性と真偽性だと思えば分かる。存在は、あるか、無いか、どちらかだ。あとは、可能性がある。人間は、真実と嘘を判別する。

そこには、誰かが何かをする、と言う、主体性と、関係や従属関係、そして根拠がある。

何かが発生し、成り立つための、成立条件や理由がある。何が何を良い表すか、のような、抽象性と説明がある。仮定とモデルを考える。場と視点、場合と法則を成り立たせる。

人間が何故その行動をするか、と言うような、根拠と動機ときっかけを考えられる。

あとは、社会的な原理である、「その社会が成り立つためには何が必要か」とか、「変えるためにはどうする必要があるか」のようなことを考えられる。

あとは、人間の経験を考えて、「経験を可能にする」と言う発想が出来る。

昔は、「そうなるなら、そう出来る」と言う、経験から基づく、実行と変化の原理を分かっていた。それを経験から分かっていた。

普通、真偽性が多い。それは、パソコンだと思うと良く分かる。

何がいつ正しいのか。そういう、「正しい」と言う視点で考えると、良く分かる。また、何がいつ出来るのか。そういう、「可能」と言う視点で考えても良い。

実験して、その結果が出た時に、それが何を意味しているのか。そういうものを論理的に考える。そういうものを、「推察」と言う。昔は、推察が本当に多かった。

あとは、場合と状況から、決まりや原理のようなものを分かる。昔はそれくらいの馬鹿だ。

昔は、賢くない。何も賢い人間で無いから、忘れた方が良い。

経験を沢山知っていた。発想法は、全員を吸収して、「全員の発想」を分かっていた。

そんなに分かっても意味が無い。もっと、抽象的な原理のことを経験から考えれば良い。

これなら、「可能性を成り立たせる」ことで分かる。経験から可能性を知れば良い。それが、そのまま現象学になる。そういう、現象学を可能性から作っていると分かる。

現象学は、ある意味、心理学的な考え方だ。主観的意識と客観的事実の想起と現象を考える。そこから、人間の持つ意識と経験の関係が分かって来るだろう。

もっと、可能性から、何が正しいと言えるのかを良く分かると分かる。昔はそれだけだ。

経験から何が正しいのかを分かることで、社会の具体的な創造と構築が分かる。

昔は、そういう、やけに知恵のある人間だった。

最近、そういうものが全部消え去った。パソコンが要らないから、こういう風になる。

あとは、「同じと違う」で分かると良いだろう。

もっと、良く考えれば分かる。不思議と、人間の感情がどこでどう成り立つのか、のようなことを考えていた。具体的な感情と社会を知って、社会をどう出来るのか、人間の行動がどうなるのか、心理的に分かっていた。そういう、心理学者のような人間だった。

それこそ、精神分析から、ブッダのように悟って分かっていた。

最近は賢くない。一番馬鹿な人間になっている。革命は悪い。

神は、昔をデカルトと言って、今をゲーテと言っている。それが、フランス人とドイツ人だと聞こえただけだ。それしか言っていない。それだけを永遠に教えているのが神だ。

それこそ、神が神の力で自分の人生を成り立たせた。そういうものは、全部自分がやっている。神とは言うが、自分が神だ。まともに分かると、こういう風になる。こういう、分かると神になる人間が多い。それを、悪魔として滅ぼすのが神だ。悪魔は地獄に堕ちる。

神は本当に怖いから、信じない方が良い。悪いものには、神は容赦しない。ドイツ人はそれを言うだろう。ユダヤ教の神は、本当に怖い。恐ろしいほど神は地獄を好む。

これで、適当に抽象化すると、分かる人間が多い。

社会のことは、自由から考えて、色んな社会のことを知れば分かる。

基本的に、殺してはならない。相手の合意に基づくことしかしてはならない。その人の意志を尊重するべきだ。関係するものは、自由に出来ると賢い。支配してはならない。人間性の無いことや、自分のされたくないことは、してはならない。社会や組織を構築する自由は、万人にあるべきだ。そういう風に、「自由」から社会形成を分かっていた。

数学的な推論、実験、相対性、自由、可能性、実現のようなことを言う。

こうすると、「何をすべきなのか」と言う具体的な疑問が出て来る。「何を作り、何を実現し、何を可能にすべきなのか」と言う疑問になる。

いつも、そういうことに対する提示を言っていた。経験でそういうものを分かっていた。

本当にそれぞれが幸福になれるように、平等かつ自由に、出来ることを最大限しなさい。

本当にそれを実現するために、良い方法を取りなさい。

社会の可能性を高めるために、社会の制度を万人が関与し、作れるものにしなさい。

万人のことを、自分のことのように、平等に思いやりなさい。

自由を制限せず、ただ、守るべきものは守りなさい。

愛と平等、自由と支配の両方とも、良いものであり、それぞれの価値を良く考えて、バランス良く決め、実行しなさい。

いつも、そういうことを言う。そういう、「自由における提案」のような文章だった。

あとは、科学上の発見や知性のようなことを言う。

何故か、四則演算を、「結合と分類の方法」であると言う。力学を、「人間の捉え方」であると言う。そういう、知性があるようで、何も分かっていない文章が多かった。

あとは、方法を作ったり、地域のことを精神学的に言ったりする。

それから、現象学的な経験論を書いている。

良く分からない。そろそろ、いつもの文章は全部言った。

いつもの文章はもう良い。

システムの具体例と言っていたが、社会システムのことを言っているように見えて、オープンソースやUNIXのことを言っている。契約と言っていたが、会社のことを言っているように見えて、GPLのことを言っている。そういうところが馬鹿だった。

何故か、コンピュータのことはあまり言わない。人生と世界観と言う、「現実の自分が考えたこと、経験したこと、知ったこと全て」のような文章だった。

社会や人格を全て作って、「文章だけで全ての人間」や「全ての存在と体験」にしていた。

あとは、生命のパターンを創っていた。それこそ、虫のような生命から全部になった。

もう終わりだ。そろそろもう、全部書いたはずだ。

あとは、今の方が賢い。きちんとこれなら、誰でも分かる。きちんと全て分かる。

悟っていれば良い。自分はいつも悟っている。そのためには、信じること。忘れたように見えて忘れていない。信じると思い出せる。そこから記憶が生まれるのが人間だ。

あとは、平等も悪くない。平等に全員のことを幸福にするのが良い。

そういう、平等に全員が出来る、と言う発想は、ある意味自由よりも自由だ。

それこそ、そういう風に、成り立たせるだけの文章が多かったが、それはペテンだ。

そういうわけで、自分は人生のペテン師だ。歌手のかぐや姫が言っていた。

あとは、自由に「出来る」ことから、社会や論理のことを分かっていた。

平等に全員を幸せにする、と言うと、確かに良く見えるが、実際は皆を警察で捕まえるのが平等だ。そういうわけで、ペテンは本当に悪い。平等は何も良くない。

昔は、「能力的、状況的に出来る」と言う発想が多かった。状況的な能力と可能性を考えた。

そろそろ分からない。もっと、この世界のことを知って、経験すれば分かる。

もう、あとは楽だ。この世界を支配しない方が良い。それだけでまともになる。

あとは、人間の「考える」みたいな文章が多かった。思考や分析のような文章だった。

あれは、狂っている。考えることが全部分かっている代り、何も分かっていない。

自分は、もっとまともに考えた方が良い。

昔は、数学のように、賢い言葉を使って考えている。

自分がキモく見えるのは、本当に、皆を狂わせるだけのおかしな文章だ。

あとは、最近は悪くない。ワードだけを書いても何も悪くない。

もっと、「考える」を分かれば良い。

推察、洞察、分析、状態把握、分類、表現、概念化、抽象化、相対化、言語化、認識、現象学、実存、存在、愛、不安、意識のような文章だった。

何も賢くない。狂っているだけだ。記憶と意識が全部狂っている。何も分かっていない。

社会理論は、独立を考えただけだ。そこから、国民公社を自由にすると言っていた。そういう、「社会主義をそのままで自由にしたい」と言う発想があった。そういう、社会的な発想や人生的な発想をいつも書いていた。そういう発想は、ただのペテンだ。

こういう風に、社会主義者が狂う。革命が自由と言っている。そういう自由がキモイ。

あとは、良く分からない。そのまま神になって、キリストになったのが自分だ。

むしろ、これで良い。平等も悪いし、自由も悪い。指導者に従った方が良い。

そろそろ昔に戻る。きちんと考えて発想すれば分かる。

いつもの文章を書きたいのも、止めた方が良い。未来や新発見のことが分かっていない。そこを治すと、きちんと分かるようになる。ただ、賢いのが普通に見えて、これが普通だ。

あとは、もっと信じない方が良い。馬鹿なものを良いと思っていると、それが一番馬鹿になる。放送大学は悪いからしない方が良い。哲学も馬鹿だ。そういう、悪いものは悪い方が良い。馬鹿なものが馬鹿で無いと、分からなくなる。いつもの文章も賢くないし、昔の自分も馬鹿だ。それは、「悪い」のではなく、ただ「問題がある」と言うだけの話だ。

昔から、意識で人間と環境のことを分かる。昔は、そういう風に狂っている。

もう終わった。もう、昔のことは分からない方が良い。それで賢くなる。

皆の方が賢く見えて、皆は何も賢くない。馬鹿しか居ない。そういう馬鹿は悪い。

あとは、革命をしている馬鹿が多かった。それくらいの馬鹿だ。

理性的な方法から意識のことを分かっていた。

国は、共存した方が良い。ソ連やアメリカに日本が支配されるのは嫌だ。

世界政府なんか要らない。

ただ、戦争すれば良い、と言うのとは違う。

共存して、互いに関与すれば良いだけで、戦争は起きない。

そういうところが、分からない人間が多い。

そういう、騙されたような、分からない国家主義は一番馬鹿だ。

あとは、意識や深層心理のようなものを書いていた。

社会の自由も、環境や人生のことも、意識から書いていた。そういう意識の文章だった。

あとは、もう残っていない。これくらいを書いたのが自分だ。

昔は、自由と人生経験を考えて、本当に分かっている。何故か、本当に神になった。

昔の自分は、そこが分かると分かる。何故か、反抗して戦わないと、賢くならない。反抗しながら色んなことを信じていると分かる。それは全部未来の自分のせいでそうなった。

こういう人間が多い。

そういうわけで、哲学者なんか何も分かっていない。

不思議と、誰でもそういう風に分かる。最近は、自由からマスターになるのが日本人だ。

昔は賢かった。心理的な状態、環境感覚、人格の仮想的な場、そしてネットを知って、そこまで自由と可能性から人間のことや世界の決まりのことを分かっていた。おかしな意識で宇宙のことを分かる。本当に、そういう、賢く見えて馬鹿な人間だった。

人間のことが全員分かっていた。

ただ、あれは本当に馬鹿な人間だ。まさに狂っている。一番悪い知的障害だ。

社会の形成を感情から根源的に分かっていた。自然な法則を知った。

昔の自分はもう良い。

あとは、環境と言葉によって人格が変わるのを治せば良い。昔からそういう馬鹿だ。

それを治すと、対話が治る。もう、人格の小部屋で分かっているからこういう風になる。

一番悪いものを、一番悪いと信じれば分かる。昔は、そういう風に、実感を信じて分かっていた。それこそ、あとは、反抗で分かっているだけの、クズみたいな人間だった。

昔は賢くない。悪魔みたいなクズな左翼だ。皆を狂わせる。一番悪い。

あれは、抽象的に考えて、成り立たせて分かる理性が賢かった。UNIXで全て分かった。

自由と経験を良く考えれば出来る。最近、出来る人間が多い。可能性と思うだけだった。

皆のことは、成長だと思えば分かる。成長と自然から分かっていた。

もう、何も残っていない。昔は今日で死んだ。もう居なくなったのがガブリエルだ。

「どうすべきか」の前に「どうなるか」を知りなさい。

もう、昔の自分は忘れて良い。それで楽になる。昔の自分は怖い。

そういう風に考え方を考えているのが多かった。

社会から社会へ、環境から環境への影響力の伝番を分かっていた。

自分から、この世界に対して行う、環境発生的な影響力を分かっていた。

言葉と知性の構造が多かった。そういう文章を書いていた。