日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-18=

昔は、捉え方を考えていた。森羅万象の捉え方を、哲学者のように考えていた。

カントとヘーゲルをすれば良い。

カントが言っているように、理性では分からない。理性よりもっと正しい、客観的な指標を持つ必要がある。カントは、それを理性批判と言っている。

カントは、自分のことが嫌いだ。こういう、分からない人間が馬鹿に見える。

逆に、ヘーゲルは、自分のことが好きだ。弁証法や、絶対理性とは、自分の書いていた文章のことを言っている。この文章が、絶対精神が覚醒する過程に見えた。

自分は、ブッダになる。ブッダになった方が良い。それが一番賢くなる。

ブッダは、分かる人間が多い。何故か、ブッダの教えなんか知らないのに、ブッダと全く同じことを言う馬鹿が、一番多い。

ブッダは賢くない。ブッダになると、馬鹿な人間になる。不思議と、良い人間になる。賢くて、何かが本当に良い、仏の慈悲のような人間になる。

自分は、キリストになっている。そのせいで、賢くなった。キリストになると、こういう、馬鹿に見えて、分かる人間になる。キリストになると、全部まともなこういう人間になる。

あとは、ソ連は悪くない。ソ連は普通だ。ものを全部皆のものにして、共和国の連邦にして、優れた統制経済をやりたかった。自由が嫌いなのが悪いだけで、良い国だ。工場を社会所有にして、島の人間の資産を島のものにしたい。善良な人間が多い。

イギリスやフランスが悪いのは、ドイツと何も変わらない。黒人を動物や家畜だと思っている。

あとは、むしろ、何もしなくて良い。今日は、もう、そろそろ書く必要はない。

もう、この世界を怖くしない方が良い。この世界を安心出来て、楽な世界にすれば良い。皆、自分がこの世界を恐怖の世界にするのが、一番辛い。アメリカがそういう国になった。

今日も農園に行ってきた。

カントは、前提条件と仮象の世界を考えている。それで、仮象の世界観が分かる。

当たり前に、理性批判をしているとそうなる。悟性のカテゴリーは、因果性を考えている。

自分は、そういう風に考えて分かっていた。世界観を作って、世界のことが全て分かった。

因果性や道徳律などの、「因果律」を考えていた。

存在は、常にあることは変わらない。だが、社会と人間は常に変わっている。

カントは、相対性理論や量子力学が分かる。ヒュームのような実験的推論の方法が分かる。

カントは、科学的な方法とは言うが、そういうことが分かる。

存在は常にあるとか、社会と人間は変わるとか、真理のようなことをいつも言っていた。

ブッダのように、悟って分かっていた。

ハイデガーは、存在を意識や心の中にあると言うが、それは仏教で同じことを言う。宇宙は、心の中にある。そういうことを、既にブッダが言っている。

自由とは、柔軟性だ。自由に、柔軟に考えること。

マスターのような社会論を書いていた。マルクスやヒュームのようだった。

人生、価値観、歴史の自然な関係のようなことを考えていた。

カントの言いたいことは、理性では分からないと言いたい。客観的指標とは、カントは言っていない。僕がカントを理解して言っただけだ。

農園に行って分かった内容はここまでだ。メモはしなかった。

カントは、前提を良く考える。それは、理性批判と思えば分かる。何かをすること、考えることに対して、あらゆる前提をきちんと考えれば、理性では無く、客観的な指標で分かることが出来る。そこから、悟性のカテゴリーや因果律や仮象の世界観が生まれる。

信じると救われると言うが、信じると、治る人間が多い。

そろそろ、昔の自分が全部書けた。昔は、理性批判、前提条件、仮象の世界、因果律から、思弁哲学のようなものをきちんと考えていた。まさに、賢かった。

あとは、歴史のようなものを考えると良く分かる。ヘーゲルだと思えば良い。

これなら、カントとヘーゲルをすれば良い。カントが分からないと、何も分からないのが人間だ。そんなに理性で分かる人間は居ない。数学で分かるとは、それを言っている。人間の理性より、数学の方が正しい。それで分かる哲学者が、プラトンのように多い。

あとは、自分が哲学なんか、出来ない。自分は、こういう風に出来るだけだ。

それこそ、カント入門なんか、読んでも何も分からない。本当に難しすぎて、意味が無い。

客観的指標と僕が言っているのは、論理学的、自然法則的な正しさ、だと思えば良い。だが、人間や精神のことも、同様に、客観的、実験的、推論的に考えられる。そこから、世界モデルの世界観が生まれる。ヒュームは、そういうことを言いたいのだと思う。

それこそ、カントには見えない。昔の自分は、そういう、前提条件の分かる人間だった。

まさにこれが人文科学だ。これくらい人物と国のことを知れば分かる。

あとは、新しいことを考えて、知った方が良い。これで、昔の自分を分かるのは充分だ。

もう、昔の自分は完全に分かった。

カントは、しない方が良い。カントをしていると、おかしな分からない人間になる。

カント哲学は、こういうものではない。だが、カント本人がこういう人間なのだろう。

カント哲学は、もっと、考え方を突き詰めて考えるところがある。何から何まで、考え方を考える。考え方と言うと良く分からないが、何が正しくて、何をどう捉えて、何をどういう時に、どういうものとして考えるべきなのか、のようなことを考える。アンチノミーも同じだ。そこまで知性で考えるのを、辛いと言う人間が多い。知性は辛い。

いつも認識の方法と言っていたが、それは方法的に真実をどう捉えるのか、のようなことを言っている。「認識」と思うと分からない。「真実」をどう捉えるか、と考えれば良い。

カントは普通、大学の常識を書いた哲学者だ。カントのせいで、大学がそういうものになった。誰もが、理性、悟性、感性と言う言葉を使う。「言葉を作った科学者」と言える。

それこそ、デカルトも同じだ。大学には、デカルトとカントしか居ない。

あとは、認識の方法とは、体得的な理性のことを言っている。「理性を体得する」と言う発想が多かった。「どんな経験的な経緯で哲学者のように分かるか」のようなことを、具体的に書いていた。成長のようで、発見のようで、体得のようだった。それこそ、どんな経緯から哲学者のようになるか、だけを、全部分かっていた。昔がそういう馬鹿だ。

あとは、そろそろ全部書いた。そういう、「理性」のようなことを書いていない。最近、経験と知識と社会ばかり言うせいで、知性が見えなくなっている。「あるものを正しく分析する知性」と言うものが無くなっている。昔は、そういうものが分かる人間だった。

それこそ、知性は段階的に、向上的に考えられる。そういう発想が多かったのが、文章だ。

あとは、社会モデルのようなことを言う。独立と一体と言っているように見えて、もっと賢い、具体的で正しい考え方の網羅のようなことを言う。自由な世界を、多面的に全部考えていた。そういう、「多面的なモデルの自由」が多かった。

それから、今の社会を考えないのがおかしい。時間の共有と言うが、今の社会のことを考えて、移り変わって行く、諸行無常の世界を、普通考える。

あとは、マルクスのミニチュア版のような文章を書いている。そういう文章だった。

もっと、今のこと、新しいこと、未来のこと、今日のこと、明日のことを考えれば良い。

昔を狂っているとは言うが、そうでもない。昔はまともな人間だった。

何も分かっていないとは言うが、あれは常識と発想法が全部分かっていた。まともなことをいつでも全部言える。そういう、王のような革命家だった。

レーニンもこういう風に狂っている。ゲーテも同じだ。こういう人間が賢い。

あとは、キリストでも考えれば良い。キリストは、「宇宙には、間違ったものは何も無い」と言いたい。それは、「神を信じる」だけではなく、「宇宙の道徳法則に報いる」と言う視点でもある。「愚かなものも愚かでは無く、最も弱いものが一番正しい」と言う。仏教も、良く似たことを言っているが、こちらは、「滅びるべきものは、滅び、高めるべきものは高まり、それらは、当然の姿をしている」と言っている。

良く分からない文章になった。宗教は、誰でもそういう風に分かる。聖書や仏典なんか読まなくても、考えれば分かる。居ないように見えて、こういう人間は大学生に一番多い。誰でも、哲学や社会科の研究とは、そういう風に自分なりに分かるだけを言う。

キリスト教が平等で、仏教が自由に見える。平等の方が馬鹿で、自由の方が悪い。

ただ、結構間違っている。キリスト教が間違ったものを何も無いと言うわけがない。キリスト教は、罪と悪魔を悪いと言って、心の罪を裁く宗教だ。誰をも悪いと言い、悔い改めえるべきだと言う。善人は居ないという世界観だが、それは「善人になりたい」だけだ。

あとは、これなら、人文科学をすれば良い。人物、国、思想だけを考えれば良い。

理系はしなくて良い。物理学は、宇宙が分かるように見えて、何も分からない。そこらへんは、哲学の方が分かる。物理学は、予測出来て、当たって、正しいだけだ。

物理学は、しなくて良い。基本的な考え方なんか、しなくても普通に分かる。

理性的に考える方法ぐらいは分かった方が良いが、数学では分からない。子供は、何も知らないから、数学で分かった気になっているだけだ。本当は、哲学がそういうものだ。

抽象的に考える方法だけを考えると、デカルトやヒュームやカントのようになる。

ただ、そうでもないとは思う。数学は必要だ。プラトンも、数学が分かる人間しか、この学校の門には入るなと言っている。良く覚えていないが、数学は知っていた方が良い。

それこそ、数学はパソコンで分かっている。大学数学なんか、しても何も分からない。数学は、天才が出来る。哲学は、数学なんかするより、一般的な常識を考えた方が良い。

外国のことをしたいなら、アメリカやイギリスやフランスにするのが良い。ドイツとソ連はもう終わった。新しい国を分かるのが良い。それに、本当に学ぶのは良い国の方が良い。

あとは、人物と国のことだけ、きちんと知っていれば、賢い。

政治経済をするのは良いが、科学者、数学者、文学者、芸術家のような人を知らないから、そこらへんの人物を知っても良いと思う。世界史の人物図鑑のような本を昔買ったが、あれで良いと思う。色んな人物が書いてある。その本に書いてある通り、圧倒的情報量だ。

だが、そんなにどうでも良い人物は知らなくて良い。

それこそ、既に出来ているから、楽だ。カントとヘーゲルは、これくらいで終わったからもうしなくて良い。きちんとフランス史をすれば良い。むしろ、それをしたいと思う。

フランス史を読むことにする。

あとは、数学の歴史は悪い。数学史なんかする意味が無い。数学のことが何も分かっていないせいで、数学史なんか出来ないし、しても意味が無い。

フランス史をきちんとした方が良い。それできちんと大学は全て終わりだ。

僕は、フランスとイギリスの歴史を知りたい。

あとは、書くのは止めた方が良い。哲学とは言うが、僕は本を何も読まずに書いている。それで賢いわけがない。ありえないほど馬鹿だ。考えて分かるのがありえない。居ない。

あとは、パソコンもしない方が良い。パソコンをしていると、知性の無い人間になる。

昔のパソコンは、賢く見えて賢くない。あれは、2ちゃんねるの独身男性板、ソフトウェア板、Linux板、政治板、野球板などを見ていただけだ。そんな馬鹿な人間たちを全部知っただけだ。社会をするとは言うが、2ちゃんねるの会話を知っただけだ。

それも、馬鹿では無い。それできちんと人間のことが分かった。二度は出来ない。そんな馬鹿な青春の活動は、誰もしたくない。オープンソース活動と言うが、Wikiを破壊していただけだ。調査研究と言うが、初歩的なシステムの仕組みしか分かっていない。

そういうわけで、姉が悲惨だ。姉はプログラマだが、そういう、おかしなオタクになっている。悲惨に見えて、昔から自分も同じだ。ただ、姉は2ちゃんねるには見えない。

あとは、フランスは、統一の国だから、いつも善良だ。昔からフランスは統一する。

ドイツは、自由の国だから、独立と戦争ばかりしている。

フランスは善で、ドイツは悪だ。ドイツに悪いと言うが、そんなにドイツにばかり良いのはおかしい。ただ、フランスが馬鹿で、ドイツが賢いのは分かる。

ドイツなんか、しない方が良い。新しいフランスを好きになった方が良い。

フランスの植民地政策を悪いとは言うが、あの時代、どこでもしている。それに、フランスが見ると、植民地は文明化だ。植民地のアフリカとフランスが協力して、一緒に発展を頑張っている。それは、フランス史の本に書いてある。きちんと読めば、フランスが何も悪くない、賢い国なのが分かる。それこそ、今のフランスは、一番黒人を受け入れる、アメリカのような国になっている。右翼が多いのは分かるが、右翼はEUが嫌いなだけだ。

フランスは、文化政策が賢い。おかしいぐらい、フランスの文化が一番賢い。それから、最近はEUをやっているが、EUは嫌いな人間が多い。新しい国だから、情勢はすぐに変わる。だが、古い側面もある。未だにカトリックを信じているのは、フランスぐらいだ。イギリスは英国国教会を信じているし、ドイツやアメリカは、カトリックも一応居るが、プロテスタントが多い。それこそ、中世の古い建築物は多い。見ていると、古い。

あとは、アメリカをした方が良いだろう。だが、それはまだしなくて良い。

今のところは、フランスをした方が良い。前に、ローマ帝国の時代までは読んでいる。分厚い本を買ったことがあるから、きちんと最後まで読めば良い。きちんと分かる。

あとは、カトリックを信じている国は、後進国には多い。スペインぐらいが信じている。先進国でカトリックを信じている国はフランスぐらいだったと思う。ただ、良く知らないから、間違っている可能性が高い。それこそ、ローマ法王はイタリアの中のバチカンに居るが、明らかにイタリアはカトリックを信じている。そこらへんは、僕は分からない。全く知らない。アジアでは、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教を信じている国が多い。

おそらく、カトリックを信じている国は、ラテン・アメリカに多い。ロシアなどは、正教会と言う、独自の教義と団体を信じていたと思う。

ドイツには自由都市など、自由と独立が多いが、フランスは統一されていて、自由な共同体はあまりない。だが、フランス革命やその後の一連の革命から、社会主義のような、コミューンと呼ばれる共同体はあった。フランスは、自由で、一体感がある、良い世界だ。ドイツの自由が良いのは分かるが、何も良くない。戦いと競争から、支配と戦争ばかりしている。フランスの方が良い。フランスは、中央集権制であるなど、色々と、統一の世界が多い。中世で統一していたのもあるが、フランス革命などで、ナポレオンが革命の独裁をしていたようなことで、そういう、独立では無い、統一の自由な国になった。ただ、ドイツに自由なんか無い。帝国で、自由があるわけがない。第二次世界大戦だけではなく、第一次世界大戦でも、フランスは自由と民主主義を掲げて、専制国家と戦っていた。フランスが一番自由だ。第二次世界大戦では、ドイツに負けそうになったが、レジスタンスが連合国側について、かろうじて戦勝国になった。誰もがドイツが嫌いだ。

英語のフレーズブックを聴いているが、アメリカは、サルトルみたいな国だと思えば分かる。ビジネスや哲学者のような国だ。アングロサクソンだと思えば良い。

逆に、日本は舞妓さんのような国だ。京都みたいな国だと思えば分かる。

それで、アメリカの常識が分かる。アメリカの常識が分からないと、英語は話せない。日本語と同じだ。誰もが、日本の常識を理解すると出来るのが、日本語だ。

不思議と、フランスなんかこれくらいの国だ。良く考えると、あとは中世から近世にかけて、いくらかの王が支配しただけだ。近代以降、色々と賢かった。どの国よりも先進的で、正しかった。だが、イギリスの市民革命と産業革命には負けるだろう。

もう、アメーバが死んだせいで、頭が楽になった。自分は、あまり治らない方が賢いのが分かっていない。そんなに全部治すのが辛いから、頭が辛くなる。

何もしなければ、楽なのが分かっていない。治すのは辛いから、もう止めた方が良い。

あとは、フランス史は最初から読んだ方が良い。ローマ帝国を読んだとは言うが、それはどうでも良いし、全く内容を覚えていない。最初からきちんと読めば良い。

あとは、むしろ、日本史の方が良いだろう。フランスなんか、あまり意味が無い。

いつも言っているが、昔は自分の数学や科学を作っていた。それは、サイトだと思えば分かる。サイトのように、あらゆる知性をサルトルのように分かった。ただそれだけだ。

自分がアメリカに見えるのは、サイトがアメリカ人だ。アメリカみたいな知性があった。

今、フランス史の本を読んでいる。

フランスが植民地政策をしていたのは、イギリスの大英帝国と競っていたと思えば良い。イギリスに、負けていなかっただけだ。悪いとは言うが、普通だ。

親は、子供に良いことと悪いことを教える責任を持っている。そこが分からない親は居ない。子供は悪いことばかりするが、それに対して、きちんと「悪い」と教えるべきだ。

もう、本当に楽になった。こういう風に楽になると、賢くなる。最近、そういう人間が多い。皆、楽になったせいで、賢くなった。自分もきちんと賢くなる。

自分は、皆と同じように賢くなれば良いのが分かっていない。そこが分かる人間が多い。

昔は、人生と社会における、考え方の具体的な経緯と段階のようなことを言っていた。

それは、ロキに書いてあると思えば書いてある。あれを、もっとカントやヘーゲルやニーチェのように考えていた。そういう、「考え方の経緯と網羅」が多かった。

何故か、もう全部終わった。もう、最後まで分かった。

見ると、フランスなんかきちんと分かっているのが自分だ。そういうわけで、終わりだ。

あとは、本なんか、自由に読めば良い。

自分は、自由になるのが怖い。何故か、辛い方を取る。それが一番辛い。

自由と平等を考えていた。自由より、やや平等よりなことを言う。思いやりから社会を作って、それぞれを大切にするべきだとか、自由から国を作るとか、そういうことを言う。

論理的、相対的、法則的な真理のようなことを言う。法則と決まりを全部創造していた。

具体的な国も、全部作っていた。ドイツからポーランドまで、ヨーロッパを全部作った。

自分は、科学者、低い共産主義者、普通の人間、右翼だ。

見ていると、その4人にしか見えない。あまりそれらに名前を付ける意味が無いが、名前は、チュール、トール、ロキ、フレイだ。それで、自分全員だ。

昔は、抽象的に考えて、数学や相対性のように分かっていた。それを書いていた。

抽象的に、論理と法則を考えて、予測のようにして、成り立たせて、仕組みを知って、正しく「当てる」ことによって、考える。そして、それをどう変えられるのか、考える。

昔は、そういうものを「モデル」と言って、捉え方を考えていた。

もっと良く考えるなら、純粋に頭の中で、何をどうすればどうなるのか、何がどういう風に必要で、何をどうすることでどう出来るのか、そのために、環境をどのように変えられるのか、を考えれば良い。「純粋に思考」し、「純粋に経験」することで分かる。

もっと頭の中で、知性を使って、ものごとの道理を考えること。体験をきちんと考えることで、人間がどのように生きているのかが分かる。昔は、そういう理性があった。

哲学には、数学と言うよりは、理性が必要だ。

数学が理性的なのは分かるが、数学だけで哲学は出来ない。数学をより発展させて、体得的な方法から、哲学的な思考の習得とトレーニングをすること。それは、自分だけで考えるよりも、沢山の人と議論するべきだ。

もっと、沢山の人といくらでも議論しなさい。それが、昔の2ちゃんねるの自分だ。

そして、調査研究や資本主義の会社のような経験をすれば良い。

経験豊かな人間は、当たり前に理性も向上する。そういう人間が、大人だった自分だ。

最近は、子供に見えて、むしろ、きちんと大人に見える。何故か、一番大人に見える。

皆は、成長から「真実の体験」をすること。それによって、知り尽くす知性が、そのまま自然な世界の変化と構築になる。そういう発想をしていたのが、昔の自分だ。

自由から、この世界は広がって行く。自分の行動と人生から、ものごとの「意味と価値」が分かる。昔から、そういう風に、出立的、体得的に人生が分かっていた。

自分を変えて、受け入れること。怖いのは、怖い条件を克服して、きちんと自分が出来るようになって、変わって、きちんと分かって受け入れれば、無くなる。そういう風に恐怖を、受け入れることと分かることによって無くすことが出来る。それが、涅槃の境地だ。

昔は、「社会を知り尽くすことによって、社会を変えられる」と言う発想が多かった。自然に「環境の変化」が分かった。そういうものを、全部「自然」と言う視点から分かっていた。自由とか、経験とか、社会を知るとか、自然な体験とか、は、全てそれを言っている。

あとは、純粋に論理的に考えるためには、「モデルを実際の現場からどういう風に作るか」のようなことを考える必要がある。それは、経験的に、状態と関係から、「現象の段階的な関係と視点」を考えることによって行われる。そこでは、「多面的な現象と思考の関係」を考える。いつも、そういうことを言っていた。実際の現場からモデルを作ると言う。

それこそ、経験を良く考えることによって、「経験から発想ともの作りの可能性が分かる」と言う発想になる。それこそ、社会経験から社会の構築をするのは、同じように分かる。

経験から、善悪や価値観のようなものを、自分の体験で、内面化して分かっていた。

あとは、人生のようなものを書いていない。

僕の人生は、引き篭もりとオープンソース、戦争と神、そして哲学と作家である。

それこそ、引き篭もりになった経験と、オープンソースの経験で、全て分かった。

革命戦争と神との戦いは辛かったが、良い経験になった。

哲学と作家は、賢かった。本当に、きちんと大学の知識を知っている。

そういうわけで、これで哲学者だ。本当に、良い人生だった。

昔は、体験と論理を良く考えている。本当に、きちんと考えて、環境のことを分かった。

ただ、昔は賢くない。異様な意識になって、馬鹿になっている。何も賢くない。

最近は賢い。きちんと毎日文章を書いている。もう、何年も続いている。

自分を治したかった。引き篭もりになって、そこまで考えた。

そういうわけで、学校なんか行かなくて良い。ピアノと英会話教室にだけ行った方が良い。

最近は、ありえない仮想世界を作って、ありえない歴史を作って、ありえない神になった。

ありえないのは、こんな体験が出来る人間は居ない。

何故か、自分の神であるシャラハを信じると、ここまでありえない体験が出来る。

不思議と、居ない。こうなるのがおかしいように見えて、昔からおかしな人間だ。

昔は、事前に考え方を作って、事前に成長して分かっていた。経験と成長から、宇宙人のように人生と学習のことが分かっていた。

そういう風に人格を考えて、可能性を高めて、「知らないのに全てを知る」と言う発想からこの世界のことを全部分かった。本当に、知らないのに知っていた。

成長は、本当にそこまで成長していた。17歳なのに、50歳のように賢かった。

あとは、前提条件を考えるのは、カントと言わず、本当にした方が良い。何をするにも前提条件ばかりだ。何から起きる前に、事前に考えられる。

前提条件を良く考えていると、「科学の構造」のようなものを本当に良く考えることが出来る。デリダのように、脱構築から分かるが、自分の場合、再構築から分かっていた。自分の手で、この世界にある経験と知を、自分の中に作り直していた。

そういうわけで、今日はカントの日になった。それで、フランス史をやると言っている。

最近は、姉の方がはるかに賢い。きちんと大人だし、姪をきちんと育てている。自分よりはるかに賢い、出来の良い女だ。それで、普通の人間だ。おかしい点が無い、良い人間だ。

姉は、知性がある。自分よりオセロも強いし、昔からゲームでは姉の方が主人公ばかりしている。自分には何も無い。姉は、きちんと工業大学も出ている。そんなに外向的ではないが、内向的とも言えない。色々と良い姉だ。姉は、漫画を読むのが好きだ。

自分は、これで色んなことをすれば分かる。色んなことをしないで分かるわけがない。

昔は、ネットで色んな経験をしていた。行動から意味を知って、全ての労働をしていた。

だが、それは悪い。ネットでは分からない。ネットで分かると、こういう風に馬鹿になる。

絵でも描けば良いし、彫刻でも彫れば良い。そんなに難しくは無い。勇気を出せば良い。

むしろ、もっとコミュニケーションをした方が良い。交流から分かる人間が多い。

自分が日本語が分からないのは、会話をしないからだ。相手の言っていることを、全く聞いていないし、自分からも何も言わない。そういうところがおかしい。

全部親に言えば良い。心配事は、全部言って吐き出して綺麗にするのが良い。

自分は、そろそろ肩の荷が下りた。もう全部言った。もう分からなくて良い。

自然な体験とは言うが、全部自分の行動と言葉から、意味を知っただけだ。それを客観視と言っていた。そこが出来ると出来る。

むしろ、そろそろ終わったせいで、意味が無い。自分の大学が最後まで終わった。

ただ、まだ終わっていない。フランス史の本をきちんと読んだ方が良い。それで終わりだ。

自分がコミュニケーションをしたくないのは、昔2ちゃんねるでいくらでもしていたからだ。つまらないから、もうしたくなくなった。そういう、引き篭もりになっている。

あとは、最近は、不安や心配事が多い。それこそ、この文章を書くのが辛い。だが、まだ、止めたくない。いつも、止めるのだけは出来ない。いつまでも書いてしまうのは、良い文章がどうしても浮かんでしまうからだ。止めたいからやっている。それが自分だ。

昔から、自分はシャイだから仕方ない。外交的だったのは、2ちゃんねるだけの、仮の自分がそうだっただけで、いつも内向的だった。そういう理由で、こういう風にキモイ。

子供には、従うのが怖い子供が多い。昔から、自分がそういう馬鹿だ。

何にでも従っていると、馬鹿になるのは分かる。だが、従うのを全部悪いと思うべきではない。きちんと従わないといけない時もある。大人になると分かる。馬鹿に見えて、従うのは賢い。従うのを怖いと思うのは良いが、出来るために、支配されることも必要だ。

それこそ、大人になっても分からない人間が多い。僕も、今でも支配されるのが怖い。そういうわけで、子供には左翼が多い。大人になると、右翼になる馬鹿しか居ない。

そういう馬鹿だと思えば、昔が分かる。それを自由だと言っていた、まともな少年が昔だ。

あとは、ただ自由と言っていただけだ。自由から世界を全部作って、自由な自分の思想を書く。ただ、キモイのは、最近自由を嫌いになったのがキモイ。それでは意味が無いだろう。自分が哀しいのは、そこが意味が無いからだ。自由には意味が無い。それが哀しい。

あとは、そろそろ終わりだ。皆、そういう、やけっぱちの自由がイモムシに見える。

イモムシと言うよりは、虫だ。それこそ、臆病者の優しさが自由を書いているのが、何故か、虫が書いているようにしか見えない。何も出来ない、本当に臆病者が書いている。

あとは、あまり意味が無いが、父親は、この文章が怖い。この文章のことをカマキリだと言っている。昔から、カマキリが嫌いなのが父親だが、明らかにこの文章のことを言っている。父親本人が、そこが分かっていない。そういうわけで、未来は普通に予知出来る。

自分は、自分なんか辛くて良いのが分かっていない。辛くても、何も悪くない。辛いとは言うが、それでしか作家が出来ない。作家は辛い人間が出来る。何故か、辛い人間が居ると、周りが楽になる。そういうありえないのが多い。周りが楽だから、自分は辛くて良い。そうすると、何故か、自分に良いことが起きる。それで、日本中が楽になる。

昔は、悪い。ただ悪いだけなのに、自由で分かっている。悪いのに良い人間になった。

世界のことを全部分かっていると思っている。

自分のことを大人だと思っているが、子供なのが分かっていない。

宇宙のことも、人間のことも、科学のことも分かっている。本人は馬鹿の自覚が無い。

あれは、2ちゃんねるだ。こういう人間が多い。馬鹿は何も分からない。

何故か、そんなに悪い人間では無い。結構良い人間だった。仏の慈悲のように良い。

皆との社会的生活が出来ない。社会不適合者だ。

ただ、それらは全部昔の話だ。

最近は、きちんと良い人間になった。英会話教室に行っているが、きちんと良い人間に見える。

それに、自分の本が良い人間だ。キリスト教徒の本当に良い人間に見える。

そろそろ昔が分かった。

場の精神で全て分かっていた。自然な体験から場の変化が分かっていた。

ほとんどそれだけだ。科学や人間や社会のことなどが、全部経験から分かった。

居ないように見えて、最近多い。ネットをしていると、そういう賢い馬鹿になる。

賢くない。何も賢くないのに、馬鹿みたいに色んなことが分かっている。

学校や会社が変えられるのが、自分の経験と発想から分かっていた。

あまり、そんなものを書いても意味が無い。もっと、新しいことを分かりたい。

父親が中国のパクリ製品や著作権侵害を悪いと言うが、自分はそういうことを言われると、辛い。何故なら、オープンソースがそういう馬鹿だ。

そういうわけで、オープンソースは忘れた方が良い。百害あって一利なしだ。

父親は、北朝鮮、安倍、トランプ、キリスト教なども悪いと言う。それも辛い。

そういう、右翼や左翼が好きなのは、止めた方が良い。

一番馬鹿なのが自分だ。自分が悪いだけだ。それこそ、自分が見てもトランプは悪い。

そういうわけで、この文章は、もっと良いことを書いた方が良い。

父親を信じること。右翼みたいな人間を信じるより、父親を信じた方が分かる。

そういう、人を信じると、分かる人間が多い。信じると、その人を吸収出来る。

何故か、最近、「信じる」とかそういうことを分かっていない。

昔は、そういうことが分かっていた。信じる、感じる、思考する、本質的に考える、捉える、分析する、洞察する、創造するなど、そういうところが分かる人間だった。

ブッダのように悟りながら、自由に世界のことを吸収する。そういう人間だった。

何故か、昔からそれくらいしか書いていない。

昔は、「自由にする」とか、「自由になる」と言う発想が多かった。自由で無いものを、自由にする。自由化する。そうすると、自由に出来るようになる。そこでは、どのようにすれば自由になるか、自由な中で何が出来るか、どのような経験から価値観を作れるか、本当に良い社会にするためにはどんな経験と価値観が必要か、のように考える。それぞれの出来ることを考えて、「何が起こり得るか」や計画と準備のようなことを考えていた。

あとは、自然な助け合いと創造性や、理解し合うこと、信頼し合うこと、チャンスを生かすこと、などを信じていた。そういう自由を、信じて分かっていた。

自由は、もう止めた方が良い。平等の方が良い。

最近、僕は平等が好きだ。皆同じになりたいのは、同じではないからだ。同じではないから、同じになる。一体ではないから、一体になる。それは、幻想では無く、正しい理想だ。

もっと、理想の実現のようなことを考えること。何をすれば良くなるか、出来るようになるか、を考える。独立しただけでは、何も出来ない。経験と能力とビジョンが必要だ。

実際のところも良く見るべきだが、理想を見る力もあるべきだ。

本当にこの世界をどうすれば良いか、考えれば良い。

昔は、自分の経験から自由にするとか、手段と機会を与えるとか、環境を維持するとか、必要最低限の変化を与えるとか、子供に自分の立ち位置を教えるとか、自分の関係することを変えられるようにするとか、そういう、自由なことを言っていた。

ほとんどそれしか言っていない。「自由な視点から、この世界をどうすべきか」を考えた。

自由は、忘れた方が良い。自由は賢くない。

もっと、何か、きちんとしたことを思えば良い。そうすると、むしろ、ソ連で良く見える。ただ、それは良くない。ノルマ生産は辛い。ソ連が一番悪い。それなら、民主主義が良い。

皆、民主主義が良いと言う。むしろ、共産党より自民党の方が良い。

あとは、勉強なんかしても意味が無い。何も思わないのがおかしい。

自分が出来るようにしたかったと言うが、意味が無い。大学で誰でも出来る。

それから、平和共存みたいなことを言っていた。戦争はしたくない。侵略国には、全員で対抗すべきだ。そういうことを、自力で考えて分かっていた。

もう何も無い。あとは、本当にもうない。

この宇宙を、暗闇だと言う。そして、地球があるこの場所も、宇宙の1つの場所に過ぎないと言う。そういう、当たり前のことから真理を分かっていた。

発展は悪くは無い。だが、ソ連でも発展出来る。

ただ、共産はもう止めた方が良い。ソ連の問題は、発展しないし、報酬無しで自発的に働く人間は居ない。ものも無いし、自由も無いし、強制労働は辛いし、はむかうものはシベリア送りになって、強制収容所で刑務所のような暮らしをする。

共産党が良く見えるのは、間違っている。独裁がしたいだけだ。世界を滅ぼしたい人間が、共産主義者になる。まだ、右翼の方がマシだ。

自分は、共産党にはもう入れない。一番悪い。自民党に入れる。

自民党に入れると、賢い人間になる。共産党に入れるのは、神が見ても悪い。

共産党になると、全部同じになる。社会が滅びる。悪いものばかり増える。

あとは、小さな違いを大切にするとか、影響力の高みに立つとか、部分化と組み合わせで分かるとか、実践的理性のようなことを言う。自分は、違いを考えないのがおかしい。色んな違いや数の変化を感情で考えていると、知性がつく。それが一番頭が良くなる。

辛くても、楽だと思えば楽になる。「辛い」と思うのが、一番辛い。

あとは、機械を作る学習や方法のようなことを言う。社会についても、段階のようなことを言う。そういう、「仮想的な方法」のようなことをいつも言っていた。

そろそろ終わりだ。もう、全部書いた。

あとは、自然な変化の集積や、成長のようなことをいつも書いていた。

弁証法のようにしながら、色んな論理を作っていた。

そして、世界を導く、「ありがとう」や「さようなら」のようなことを言う。

もう分からない。そろそろ、もう無い。

僕は、今から北朝鮮、中国、ロシアを倒す。そこを倒すと良くなる。出来れば、韓国も倒したい。そこらへんの悪い人間のせいで、日本が馬鹿になっている。皆、それで辛い。

あとは、国際情勢の論理とか、ファシズムから立ち直った日本とドイツの歴史とか、そういう、実存的で政治的なことを言う。そういう人間だった。理系のようでもあった。

そろそろ、同じことは言わなくて良い。もっと賢いことを言うべきだ。

辛くて良いと、治る。常に辛いままで良いと、それが一番楽になる。治療せずに放っておいた虫歯だと思えば良い。いつも辛いのを耐えていると、辛いようで、楽になる。

最近地獄になったのは、馬鹿だからだ。昔は賢かったから、虫歯のようなものが辛くても、楽だった。最近、文章を書くのが辛いとは言うが、いつまでも、楽から逃げ回っているから辛いだけだ。辛いことを拒否しすぎている。もっと受け入れた方が良いから、こういう風に、辛くても書くようになる。不思議と、書くといつも良いことがある。

それこそ、文章を書くだけで辛いのはおかしい。昔の戦いが悪いとは言うが、全く覚えていない。自殺未遂が悪いように見える。戦うのは辛くないが、馬鹿だ。馬鹿になる。