日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-27=

ものは、設計と手段から生まれる。そういうものを、皆が作れるようにして、自然な環境と可能性にしていた。宇宙を、そういう風に、「そのまま」で作っていた。

数学のような文章が多かった。想像力があった。カントやロックのような文章だった。

全部出来るようにしていた。「全員が出来る」のを目指していた。

複合的な国家や、目的と価値観の分析が多かったが、それは全員が出来るようにしていた。

信じれば分かる。信じないから分からないだけだ。

足の精神は、もう治っている。もう治ったと信じると治る。

あとは、2ちゃんねるはもうない。それを信じると、馬鹿が治る。

皆には、何も起きていない。昔から何も変わっていない。皆、本当に馬鹿だ。

ただ、時代が変わっている。賢くなって、馬鹿になっている。

信じると治る。この世界は何も変わっていない。変わるわけがないし、滅びるわけがない。

あとは、世界変革のような文章が多かった。

ソ連は世界を変える。ドイツはそれを殺す。アメリカは世界を維持する。

そういう風に、世界変革のようなことを言う。そういう文章だった。

自分は、頑張っていないとは言うが、今一番頑張っている。頑張ってこの文章を書いている。最近は、終わるに終われなくなった。思いついた文章を、書きたくなってしまう。

それだけが続いている。本人は何もしていないと思っているが、頑張っている。

あとは、カテゴリーのような考え方や弁証法、組織論や世界創造論が多かった。

いつも、そういう風に、考え方の世界観を書く。

あとは、日本はもう良くなる。自分はもう日本に関与しない。それで良くなる。

何故か、日本を治すせいで、日本が治った。何も起きていないのに、何故か治っている。

観察や実験などの経験的な考え方や、八正道のような、正しい悟りへ至る行動のことを言っていた。そういう、「正しく考え、正しく行動し、正しく認識する」のが多かった。

日本史をすると、日本のことがきちんと分かる。日本が分かると、分かる人間が多い。

カントと日本史をやっていると、誰でも昔みたいな賢い人間になる。

文系と理系なんか、何も変わらない。物理学やパソコンでも、同じように賢くなる。

昔、アリストテレスみたいな賢い人間だった。こういう馬鹿は本当にパソコンに多い。

パソコンは楽だ。ネットで色んな人間と付き合っていると、楽しく賢くなる。

ただ、パソコンは2ちゃんねるだ。あまりしない方が良い。一番悪い自由な左翼の世界だ。

日本史は、資料を集めて、調べるのが普通だ。教科書だけでは分からない。誰でも出来るとは言うが、難しい。ただ教科書を覚えるだけに見えるから、日本史は誰もが嫌いだ。ただ、そうでもない。きちんと色んな資料を集めていると、賢い人間になる。大学の歴史は、そういう風に賢い。もちろん、教科書も覚えるべきだ。年表は覚えないと悪い。昔の天皇や武士が分かると、日本の文化が何なのか良く分かる。誰でもそういう風に分かるだけだ。

歴史は、資料を集めて、研究すれば良い。昔のGentoo Linuxと同じようにやれば良い。

歴史は、そこが賢い。誰でも研究すれば分かる。

あとは、歴史をやっていると、政治経済なんか誰でも出来る。きちんとやった方が良い。

あとは、世界史も悪くはない。世界史をやっていると、国際情勢や世界の文化のことがきちんと分かる。何故イスラムがイスラムなのか、何故ドイツがドイツなのか、プロテスタントが何なのか、のようなことが良く分かる。教養のために、世界史もした方が良い。

哲学はこれ以上しなくて良い。哲学は何も賢くない。今から歴史をするのが自分だ。

あとは、フランス史がやりたいならすれば良いが、やりたくないからしなくて良い。

好きにすれば良い。それこそ、外国が1つ分かると分かる人間が多い。

それくらいが歴史だ。歴史は本当に賢いから、すれば良い。

普通、この世界には歴史と数学しかない。数学もすると、きちんと分かる。知性で分かるから、自分は数学と日本史をすれば良い。そうすると、きちんと賢く分かる。

そういうわけで、皆の方が分かる。皆の方が賢い。

あとは、中学校を馬鹿だと思うのが間違っている。あれは、特別馬鹿な、学級崩壊の一歩手前のクラスだ。そういうわけで、馬鹿が多い。中学生は、皆きちんと勉強している。

それから、自分は悲惨だが、姉の方が悲惨だ。パソコンのソフトウェアなんか、馬鹿過ぎるVBを作っているだけだ。見るからに馬鹿なシステムを作っている。姉が悲惨だから、あまり言わない方が良い。母親も悲惨だ。教師は辛いだけだ。子供が悪すぎて、辛い。

農園に行ってきた。

最近は、昔と今を交互に繰り返して分かっている。

何か1つ忘れた。神、文章、客観視のようなことを言いたかった。

日本史と理系のことをすれば、賢くなる。誰もがそういう風に賢い。

昔から、自分はそういう風に賢かった。

父親は、最近お茶が趣味で、お茶の歴史に詳しい。そういうところから歴史を知ると良い。

自然な経験と知を知るのを考えて、書いていた。

人生的な、「科学の科目をどういう風に知るか」のようなことを言う。

メジャーなものよりマイナーなものを知るべきだと言っていた。

全部やる前に1つの専門をするべきだ、なとと言っていた。

純粋理性のようなことを書いていた。数学的、相対的な、分析理性のようなものを書く。

立場を変えて、色んな立場になって分かっていた。そこから、人々を分からせていた。

黙っていると、世界が滅びる。世界を自由にすれば良い。自分がコントロールしているせいで、世界が滅びなくなっている。皆を自由に分かるようにすると、すぐに滅びる。

自分のせいで、皆が子供になっている。大人にした方が良い。

精神の分析で心の現象学と行動心理学を分かっていた。

自由な人生で経験して分かっていた。

農園で分かった内容は、ここまでだ。

あとは、森羅万象の科学を、構造にして、方法にして、発想にしていた。

一行で発見と解明を全て書く。そういう、科学的な自由の文章だった。

むしろ、歴史のことがしたい。僕は、最近歴史が好きだ。

社会のことは、考え方と可能性と構造から分かっていた。

いつも、その時構造を作っていた。あらゆる構造を全て書いていた。

心理学の内容も多かった。心理学的な真理をいつも書いていた。

昔から、心理学的な真理が良く分かる。いつもそういう人間だったのが自分だ。

あとは、人生のことが分かっていた。体験、経験、成長、価値観、社会実現、成功の方法などから、人生のことが分かる。人生の真理がいつも分かっていた。

その時分かる、その時のことを分かっている。

昔は、そういう「その時の知性」が多かった。その時分かることから、全部分かった。

人間のことを自分なりに全部知っていた。

そういう人間のことから、仮象の世界を作っていた。

FLOWが言っているように、自分は見境のないエゴイストだ。光と影をまとっている。どこまでも世界を狂わせる。あまり意味が無いが、結構良い人間だ。世界を救う。

自分の文章は、善悪の境界線にしか見えない。世界から見捨てられたように見える。

最近は、FLOWより、中島みゆきや、キマグレンや、AAAの方が好きだ。

自由な知と考え方を全部吸収していた。ネットの経験とは、そういうことを言っている。

自分が一番馬鹿だ。何故か、数学どころか、日本のことが何も分かっていない。

これではドイツ人だ。もっと、日本人的になった方が良い。ドイツなんか嫌いだ。

父親が、日本のことをわびさびだと言っていた。そういう日本が、一番良い。日本人にしか分からないから、ドイツは忘れた方が良い。日本人は、日本のことが分かるだけだ。

周りが皆日本人なのが分かっていない。ドイツ人はおかしい。

ポルノグラフィティが言っているように、地の果てでは空と海が混じる。そういう、ありえない戦争をしていたのが、いつもの自分だ。いつも、そういうありえないのが多かった。

ケミストリーが言っているように、くだらない毎日を生きている。いつも、まだくだらない、同じ繰り返しが続く。見え透いた明日が、一番くだらなかった。

皆がそういう風に自分を分かっているのは、良く分からない。良く分からないが、皆はこの文章で、全て分かる。不思議と、人間と言う生命体は、自分のせいで生まれている。

ポルノグラフィティが、自分自身のことを自分の女だと言っている。そういうものばかり神が作っている。神は、自分の恋人だから仕方ない。自分は、神を愛している。

視野を広げると、良く分かる。「分かっている」と思っても「それは分かっていない」ことが多い。そういう風に、最初から分からない方が分かる。分かる人間が馬鹿だ。

あとは、自分は賢くなった。これで、もう何をする意味もない。日本史と数学なんか、皆が誰でも出来る。自分がする意味が無い。皆が賢いから、自分は何もしなくて良い。

本屋と図書館に行ってきた。本は買わなかったが、経済学の本が良く見えた。

自分は、これ以上、歴史や哲学のことは、したくない。見ていると、哲学の本は小難しいだけで、歴史の本は全く読みたくない。そういうわけで、経済学が良いと思った。

大学より、社会経験だ。社会経験を積んだ方が良い。

これで、厳密に考えると良く分かる。厳密に、想像力を使って予測する。条件などを使って、抽象的に考えても良い。そういう風にすると分かる。

環境に適応しなければ、人間は分からない。環境に適応すると、認知的な能力が増える。

あとは、大学の講義でも聴けば良い。ただ、大学は本当に、内容が薄っぺらい。まぁそうでもないとは思うが、本を読みたい。ただ、本屋にはもう行かなくて良い。自分の部屋に、全部揃っている。そういうわけで、自分の家だけで全てになった。

一度読んだ日本史をもう一度読むことにした。

もう全て終わったから、日本は滅びて良い。そのうち、誰かが支配して、続く。

王は辛かっただけだ。王になんかならない方が良い。王はもう止める。自分はもう居ない。

昔から、自分は色んな経験をしている。本当に沢山の経験をした。

そろそろ終わりだ。仏教、相対性理論、哲学大図鑑、現代史、心理学など、読みたい本はたくさんある。それこそ、ゆっくり読めば良い。図書館みたいに家に本が全部揃っている。

自分が一番良い。ここまで良いのは、神を信じているからだ。神を信じているものに良いのが、神だ。神が宇宙を支配していると信じれば良い。そうすると、良いことが起きる。

色んな数学的な分析を書いていた。数学的に分析する知性があった。

自分は、分析すれば分かるのが分かっていない。理由を知り、関係を知り、状態を知る。そういう風に、真面目に分析すれば分かる。

もう、本は読まなくて良い。日本史もしない。もっと、良く考えれば良い。本を読むよりも、きちんと考えた方が良い。それで、色んなことを知って、経験すること。

経験とは言うが、知ることに尽きる。経験とは、同時に、知ることを包括している。

見ていると、本屋には何もない。自分の家の方が、良い本が揃っている。

それこそ、本はもう読まなくて良い。もう、充分読んだ。

それから、ネットもしない。ネットは、見ていると、高校生が遊んでいるだけだ。

フェイスブックなんか、コメントをやりとりしているだけだ。あまり意味が無い。

こういう風になると、もう、賢くなる。不思議と、馬鹿になって賢くなる。

普通に経験して、普通に考えれば良い。環境の変化から分かる人間が多い。昔の自分は、環境の変化から、思い出して分かっていた。それだけで分かったのが昔だ。

色んな体験を適当にしていると、分かる人間が多い。

不思議と、これでネットになる人間が多い。ネットで経験して考えると、本当に分かる。

ネットをしない人間はまともだ。そういう人間は、馬鹿にならない代り、分からない。

色んなことを経験していると、人間の状態的な経験が分かる。そういう人間が多い。

あとは、推論を自分でしていると分かる。自分の答えを導き出せば良い。知性があると辛いから、知性を消した方が良い。そんなに知性があるのが一番辛い。馬鹿が楽だ。

本を読んでいるより、何もしないでいる方が、賢くなる。

ネットはしない方が良い。ネットをしていると、馬鹿になる。

ウィトゲンシュタインのような文章を書いていた。明晰な構造の全体像を作っていた。

そろそろ、哲学ももうしない。パソコンもしない。本も読まない。何もしなくて良い。

昔は、知を積み重ねて、考えながら経験して、人間を全員分かって、科学を作っていた。

あまり意味が無い。パソコンは止めた方が良い。賢くなるようで、すぐに馬鹿になる。楽なようで、一番辛くなる。パソコンは、一番悪い。

あとは、何もしないなら、しなくて良いが、それは意味が無い。自分はもう賢くない。

賢い人間なんか、居ない。賢い人間は、馬鹿な人間が多い。

昔は、これでパソコンをしていた。引き篭もりになって、パソコンをやっていたが、あれはまるで刑務所だ。そういうわけで、パソコンなんかしない方が良い。

自分は、パソコンやネットは絶対にしたくない。また、こういう辛い馬鹿になる。

哲学でもやれば良いが、昔の自分はもう良い。そうすると、哲学なんかしたくない。

昔は、共感や思いやりから、友愛の精神を分かっていた。

馬鹿になると、良い人間になる。最近の賢い人間の方が悪い。馬鹿の方が頭が良い人間が、本当に多い。馬鹿なことをいくらでも体験すると、頭が良くなる。

馬鹿になると、そのうち本当にそこまでの馬鹿になる。昔がそういう馬鹿だった。

そういうわけで、悪くて良い方が賢い人間が多い。悪い人間が賢い。

2ちゃんねるの馬鹿は、本当に馬鹿だ。やっていると、いくらでも死んで、馬鹿になって、分からなくなって分かるようになる。馬鹿に見えて、昔はそれで分かっていた。

そういうわけで、そういう馬鹿が増えた。

あとは、昔MITみたいにパソコンを分かっていると言うが、おかしい。何も知らない。基本的なVBすら書けていない。自分は何もしていないだけだ。

Linuxの調査研究とは言うが、システムの概略ぐらいしか分かっていない。

自分は賢くない。支配と扇動に明け暮れた、自由なクズな左翼が昔の自分だ。

要は、自分を良いと思うのがおかしい。自分が良いわけがない。一番悪い人間が自分だ。

最近の方が良い。知性が無い馬鹿にはなったが、きちんと大学のことを知っている。

哲学以外にも、歴史のことを知っているし、ニュートンやフロイトなども適当に知っている。自分は、数学と物理以外の分野は、広く浅く色んなことを知っている。賢い。

間の時代は、戦いと神が多かったが、ありえない経験と言うよりは、そこまで宇宙の全てを経験している。それは賢く見えて賢くない。ただのタリバンだ。虫みたいにキモイ。

昔の自分は賢くない。一番悪い、馬鹿な人間だ。本当に、世界を滅ぼす愚かな人間だった。

あとは、人間の状態、環境への適応、関係性、主体性を想定して分かっていた。

特に、人間の状態を考える。「子供の前ではどうなるか」のように考える。

昔と今の内容のどちらかが賢い。昔は実践的で、今は知識的だ。どちらも哲学だ。

それから、パソコンと神のどちらかが賢い。誰も出来ない代り、読むと同じことが出来る。

これでパソコンをしたい人間が、一番多い。勉強が終わると、パソコンがしたくなる。

パソコンで馬鹿にはならない。昔は、刑務所みたいに狂っているから、馬鹿になっただけだ。そういうわけで、父親や姉は馬鹿にはならない。なるわけがない。

何も怖くない。何も起きない。本当にそこまで狂うと、馬鹿になって治る。

自分は、放送大学で良いのが分かっていない。カントの内容が無いとは言うが、無いようには見えない。パソコンも学校もしないなら、哲学で良い。

どこかの国を1つと、どこかの哲学者を1人やれば良い。それで良い。

歴史なんかするわけがない。数学に至っては、全くする気が起きない。哲学で良い。哲学がしたいならそれで良い。歴史はこれくらいで終わりだ。現代史を読むのは、本当に辛い。

皆が馬鹿になっているから、治した方が良い。昔自分が引き篭もりのネットに統制された馬鹿だったせいで、皆もそういう馬鹿になっている。

それこそ、あまりなっていない。そんなに馬鹿になった人間は居ない。

こちらにするのも悪い。こちらになると、狂って地獄になる。神は狂っている。

どちらになるのも、本当に悪い。どちらもクズだ。

どちらも殺して、皆を救い出すのが良い。

あとは、自分が楽になる。パソコンをしているだけで馬鹿にはならない。そこが怖いだけだ。パソコンで馬鹿にはならない。ならないから、良く分からないのが怖い。

あとは、哲学者にでもなれば良い。思弁哲学をゼロベースで作っていたのが昔だ。

ケミストリーが言っているように、一人では道のりも空しいだけだ。もっと、誰かと一緒になった方が良い。二人なら、道のりは楽しいだろう。

本当のダイヤモンドは、そろそろ今こそ似合うように見える。

昔の文章は、最初から最後まで、全体の構造を一通り作っただけだ。

理論的で、どこから見ても正確で、精巧で正しい構造を、最後まで全部作っていた。

厳密で、正しくて、経験的かつ理論的な、数学的で哲学的な構造だった。

可能性と経験が全て詰まっていた。

あらゆる森羅万象を、多角的に、ひとつ残らず全部書いていた。

それを、ウィトゲンシュタインだと思えば良い。それできちんと分かる。

あまり意味が無いから、哲学はカントとヘーゲルをすれば良い。それが一番自分だ。

もう終わったから、昔の自分が分かる。何故か、小学生でも出来る。

前提となる知識なんか、何一つない。何故か、世界を見ながら論理学を作ったぐらいしかしていない。世界の広がりをネットとコンピュータで知っていた。経験が多かった。

ただ、自由と人間性を信じていた。

哲学は、人間を疑って、認識を考えれば出来る。ただ、馬鹿には出来ない。

自分に必要なのは論理的能力だが、それは、論理的能力と言っている間には、分からない。何か、他の必要なものが無くなっている。それは、情熱のようなものだ。そういう風に考えるときちんと分かる。何故か、経験や感情や目的意識が無い。そういうものが必要だ。

目的意識や、世界を変えたい志を持つと、本当に論理的に考えられる。

そういうわけで、セカオワはそれを「目的」だと言っている。「方法」ばかりになっていると、分からなくなる人間が多い。本当に、論理的に考えられない馬鹿はそういう風に多い。

目的意識を持つと、皆で作るとか、自然に発生するとか、そういうことがすぐに分かる。

良く考えれば良い。手段を作ったり、条件があったりする。そこから、この世界の実像と可能性を考えられる。皆の言っていることを聞きながら、自由を辿って考える。その先には、正しい未来の希望と経験の世界がある。それが、ブッダの言う、解脱の世界だ。

自分は、今ここに居る自分の存在や立ち位置が分かっていない。

昔は、ネットを見ながら、社会における自分の立ち位置を知って、現状の自分がどの位置にあるのかを知って分かっていた。そういう風にすれば分かる。

そろそろ終わりだから、つまらない。そろそろ、多重人格になるだろう。

意味が無いから、もう何もしなくて良い。何もせず、適当に休んでいれば楽だ。

あとは、目的意識を持つと、それで昔の自分が全て出来る。

適当に自由と思えば良い。自由にそれを可能にするために、何が必要となるか。その何かは、また、それ以上何が必要か。そういう風に、自由から必要性と根拠を考えれば良い。

そういうものを、マルクスと言ったり、形而上学と言ったりする。意味がちょっと違うところがあるから、嘘になるかもしれないが、そういう、形而上学をすれば出来る。

形而上学のように、根拠や役割を知りなさい。可能とするところを考えたり、能力や関係や状態を言語的に考えたりすることから、思弁哲学や、経験論の哲学が出来るだろう。

あとは、色んなことを経験すると良い。社会の具体的な様相とレベルが分かるだろう。

パソコンは賢くない。パソコンは意味が無い機械だ。

コミュニケーションをするのは悪くはないが、現実でのやりとりの方が良い。ネットで体験していると、自由に見えて、あとで全てを失うようになる。怖くないのがおかしい。

本当に、昔の文章が、理想の形而上学のような文章だった。論理学的な思弁哲学だった。

あとは、もう忘れるべきだ。

最近は、夢にLinuxや昔のネットの友達が出て来る。本当にそこまでキモイ夢が多い。

それこそ、現実の方が良い。最近現実で何もしていないから、夢はそのせいでキモイ。

自分は、この文章をそろそろ忘れた方が良い。現実で何かすれば良い。

今の自分が昔の自分だったとしたら、どうするか。逆に、昔の自分が今の自分だったとしたら、どうするか。そういう風に考えることが多かった。ケミストリーが言っている。

終わった。本当に完全に終わった。

もう、神との対話を止めた方が良い。何もしないなら、馬鹿になる。

あとは、皆もう治る。治すのを書かなければ良い。

皆は、中学時代の自分になっている。ネットをしながら学校に行くせいで、フェイスブックはそういう馬鹿で溢れている。最近、本当にそういう馬鹿が多い。引き篭もり時代にも、革命時代にもならない。そんなに狂っている人間は居ない。自分は、狂うのが賢いだけだ。

ネットは明らかに要らない。ネットは無い方が良い。

そろそろネットの時代も終わるだろう。僕は、ネットには無くなってほしい。

何かしながら考えると、論理的に考えられる。そういう人間が多い。

怒りの人格になって、中世のドイツ人を殺すと治る。

そういう、中世のドイツ人が多かった。

怒りの人格になると、昔の人格になる。

最近は、裏で、全て分かった人間になっている。それで、全部作っている。

過去の経験と分かったことを消せば良い。

自分は、本当に全て分かっている。

昔と今が共存しているのが悪い。今だけにして、昔を消すと治る。

子供は、怒る時に泣いている。そういうわけで、怒っていると楽になる。

この世界が滅びる。

あとは、前世に戻れば良い。

昔は、出来るだけ自由にした方が良いと思っていた。

警察と軍隊が最低限あるだけの、夜警国家が良いと思っていた。

それも悪くはない。それを踏まえた上で、「国家は、ソ連か自由である」と言っていた。

ソ連も悪くない。自由を無くして、平等な世界連邦にするのは、賢い。

ソ連は嫌いだった。自由が好きだった。今考えると、そういう自由の方がまともだった。

ソ連は止めた方が良い。社会主義者は、自分で自分の肉を食らうように、ここまで狂う。何故か、サルトルが似たようなことを言っていた。

あとは、この世界はもう治った。皆、怒りの人格になると、すぐに楽になる。

そういう風に楽になると、皆子供になる。赤ちゃんになる。

それで良い。それが一番楽な、正常な人格だ。人格は、怒ると治るのが人間だ。

全て分かっているから、何も分からなくなっている。分かっているせいで、頭の中に別人格を作るようになった。それも悪い。アメーバが分かった頭の中で考えるようになった。

そういうわけで、分かっているから、何も分かっていない。

それに、分かっているとは言うが、狂っているだけだ。中世のドイツ人が、そういう風に、全部頭の裏側を分かって分かっている。そういうわけで、何も分かっていない。

昔の人格とは言うが、あれは狂いながら怒っているだけだ。最近、そういう、怒りながらまともになる人間が、どこにでも多い。怒るのが一番悪い。

おかしな最近の人格は、どれも怒るとすぐに死ぬ。怒っていると、人格が死ぬのが人間だ。

自分は、左翼に見えて、右翼のサルトルだ。そこらへんと同じだ。

神は、いつも、そういうありえない宇宙の存在を言う。自分のことしか言っていない。

人間は、治ると馬鹿になる。おかしな人間が賢くなる。

「自由とは信じることだ」などと言って、支配して戦いながら導いていた。自分を治した。

事象そのものへ、のように、主観と客観を無くして、事象自体に迫って分かっていた。