日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-29=

皆とともに知った自由で分かっていた。そういう、「自由な青春」が多かった。

潜在的な社会の可能性で分かっていた。この社会にどんな可能性があるかを知った。

人生経験から、哲学を分かっていた。哲学をモデルにして分かった。

場の変化から分かっていた。

仮想現実を作っていた。仮想世界を作って、認識を仮想的に考えていた。

認識を、現実の経験から発見する。そういうことを言っていた。

あとは、何か1つ忘れた。可能性、自然、問題解決、プロセスのようなことを言いたかった。それは、もういつも書いている内容だから、忘れた。

書くのを止めるとは言うが、まだ止めなくて良い。書いていると、それが一番楽だ。

忘れたのは、経験論みたいなことを言いたかった。経験から知性が自然につくのを言う。

あとは、仮想的な場を作って、経験を分かっていた。

そういう、「仮想的な経験」と言う発想が多かった。それで分かっただけだ。

その経験を、仮想的に作って、信じて、実感して、照らし合わせて分かっていた。

昨日は、人生の段階を言いたかった。ヘーゲルのように、歴史、知性、人生、自己意識の段階を書いていた。そういうことを、状態にして、様相のような可能性を書いていた。

今日も、書いた方が良い。不思議と、これ以上は賢い内容が書けるのが自分だ。

それこそ、そんなに大量に書かない方が良い。それから、治さない方が良い。それが辛い。

これくらいで、普通に分かるからそうなる。最近は、それを毎日やっている。

自然な変化と心を予測して、関係と構造を作って、抽象的に支配で考えていた。

自分が出来るのを考えた。そこから、この社会を自由な「許可と合意」から分かっていた。

誰が何を許されているのか、変化可能なのかを、自分の行動から分かっていた。

自分が行動することによって、論理的に考えられる。世界観の因果性を考えていた。

あとは、科学よりも、宗教に近いところがあった。宗教は嫌いだったが、宇宙は不思議で、不可知なものが多いと考えていた。分かるものだけを詳細かつ厳密に良く分かっていた。

社会や人生の契機から因果性を考えていた。そういう、社会の始まりから、この社会の成り立ちを分かっていた。昔は、それだけの人間だった。

この文章は、分からないのに書いている。そのせいで、馬鹿に見えるが、普通は分かった人間が書く。何故か、そのせいで、分かった人間よりもきちんと分かっている。こういう馬鹿な人間は居ない。哲学者が馬鹿なのは、分かっているからだ。分かっている人間には、きちんと正しく書けない。分からない人間の方が、正しく書ける。それが自分だ。

そういうわけで、デカルトと何も変わらないことを言っているのに、自分の方が賢い。

そういうわけで、契機から自然状態や生産手段を分かっていた。

それから、人生の契機から、全ての人間を統合的に分かっていた。

昔は、それだけだ。最近は、そういう人生と社会の契機を全部書く経緯が多かった。

あとは、契機と契機を繋げて、具体的な人生の段階を書いていた。

あとは、法則性を知性から考える。それも、同じように、段階的な契機から考えていた。

決まりの何が正しいのかを知りながら、決まりが如何様にも変えられるのを分かった。

そういう風に、数学的な体得が出来た。

あとは、ネットで調べることで、知識のことが全部分かった。

環境と経験を理性的に考えることで、まともに社会と人間の道理が分かっていた。

社会のことも良く知っていたし、科学のことはX51.ORGなどで色んなことを知っていた。

そういうわけで、そろそろきちんと書けた。あとは、洞察力のようなものがあった。

子供は、順序立てて考えることが出来るようになると、賢くなる。自分は、そこからこの世界のあらゆることを考えて分かっていた。そういう風に、人間のことが分かった。

あとは、議論と会話から、社会的な知性と経験のことを全て知っていた。

経験をモデルにすることで、全員のことが分かった。全員の考えることが全て分かっていた。思考を辿って経験のモデルで考えていた。ロックのような経験的知性があった。

仮想人格と自然な理屈が多かった。そういう文章をいつも書いていた。

自分を右翼とは言うが、自分は右翼は嫌いだ。自分は、自由と民主主義が好きだ。

あとは、日本語が分かっていないのは、神との対話が悪い。そういうわけで、治らない。

最近本当に日本語が分かっていない。自分から発信するだけで、受信していない。皆の言う日本語を覚えない。自分ばかり言っていると馬鹿だ。誰かが言っているように、聞くのは賢明だが、言うのは愚かだ。中国の哲学者だったか、誰かがそういうことを言っていた。

昔から、自分はそういうところが分かる。本当に、言うよりも聞いた方が良い。ただ、そうでもないところがある。インプットよりアウトプットの方が、身につく人間が多い。それもそれで正しい。自分は、インプットはあまりしていないが、アウトプットばかりしているせいで、知識の吸収は少なくても、確実に少ない知識を覚えている。きちんと哲学者のことを全部覚えているから、ありえない。普通、読んでもすぐ忘れる。自分は賢い。

自分は、ロキ、ワルキューレ、フレイ、オーズルを同じだと思えば分かる。それで誰でも分かる。神と天使と哲学者だ。あとは、オーディンは今からの自分だから、まだ居ない。

ロキには、昔の自分が書いてある。ワルキューレは、意識で全部分かっている。フレイは、哲学が書いてある。オーズルには、本当に書きたかった賢い内容が書いてある。

これでイスラエルの王だ。

あとは、オーディンは今のところ、まだ居ない。ここまではオーズルだ。そこをオーディンにすると、意味が無くそんな馬鹿は居ない。オーディンを作る意味が無いから、オーズルがまだ続く。オーズルは、超賢くなっている。宇宙一賢いのがオーズルの哲学だ。

そんなに闇雲に信じては悪い。正しいと分かっていることだけを信じれば良い。

自分のことを正しいと思わない方が良い。皆の意見も聞いた方が良い。

そういう風に、「理性」のことを分かっていた。そこから、あらゆることを説明し、分析していた。「何をどう考えるべきか」のようなことを言っていた。

最近、そういう、デカルトのような理性が分かっていない。何故か、知性が無いのは、理性が分かっていないからだ。理性をきちんと考えると、知性がつく。

昔は、ネットの会話でそういうものが分かった。Linuxのシステムを知ることで、本当に理性のことが全部分かっていた。身の回りのことや社会のことも理性的に分かっていた。パソコンの技術に関しては、本当にそこまでマニアックなことを知っていた。

歴史が分かると、経緯が分かる。昔は、そういう、「歴史と経緯を吸収して、融和的に分かり合う」と言う発想が多かった。経緯が分かると、根拠が分かる。技術、国、産業なども、歴史から分かっていた。この世界のことを、歴史的に考えて、意識を知っていた。

そろそろ終わりだ。昔はそれくらいの馬鹿だ。ただ、弁論術が達者な、扇動し、騙すだけの、本当に悪い人間だったが、それでマスターのように、本当に良い人間になった。

そういうわけで、この文章はそこがキモイ。本当に、そこまで良い人間なのに、そこまで悪い人間だ。こういう人間は、キモイどころか、怖い。そういうわけで、馬鹿の方が、悪い代り、良い人間になる。最近は、そういう、本当に馬鹿な悪い人間に戻った。大人から、子供になっている。虫に見えるのは、脳が退化しているのかもしれない。

国会を言いながら国王を言うように、右翼と左翼を両方言う。

あとは、社会のことを普通に分かっていた。どのように社会が形成されるのか、社会ではどんなことが起きるのか、のようなことを、ネットを見て考えて分かっていた。

あとは、自然な中で、何が起こり得るか、経験がどのように可能になるか、を哲学者のように考える。ルソーやカントのような、社会哲学の人間だった。

そろそろ分からない。自分はアカデミックに見えるが、昔は、情熱的で、想像力豊かで、友愛の精神のある、青春のような、子供のような人間だった。

そういうわけで、こんな馬鹿が昔なわけがないのに、昔が全部分かる。

哲学は本当に悪くはない。人生の真理が全部分かるのが哲学だ。だが、もうしなくて良い。もう充分だし、そんなに昔の自分を哲学で分かる意味が無い。

自分は、最近、大学みたいになった。見ていると、サルトルとレーニンとマルクスに見える。それが自分だ。それこそ、最近はゲーテやヘーゲルに見える。その5人が居た。

昔は、契機のようなことを、自然な経緯から心の中で考えていた。

それで、考え方を考えていた。実存的な存在と決定の考え方だった。

あとは、発想法と数学的な正しさの積み重ねを、条件と実地的な経験で作っていた。

それこそ、そういうものは、全部ネットで出来た。ネットは馬鹿では無い。

あとは、もう終わりだ。そろそろ全部書けて良かった。

もっと、人と関わり合った方が良い。人と関わらないから、分からない。

昔、ネットで付き合っていたのは、意味が無い。そういう、ネットの人間関係で分かっていたのが昔だが、そこが一番意味が無い。何も残らず、全部失って、途方に暮れているだけが最近だ。辛い人間は、あとで辛いのが分かっているのに、楽を取るのが悪い。そういう楽は、本当に、取らない方が良い。聖書にそういうことがいくらでも書いてある。

ただ、それは聖書なんか知らないのに言っている。書いてあるわけがない。

あとは、自然に考えながら、具体例を全部知っていた。そういう風に相対的に考えていた。

そろそろ昔の自分は、もう良い。最近のことを書いた方が良い。

むしろ、こんな文章は書かなくて良いのが分かっていない。

愛とは精神だとか、そういうことを言う。おかしいのが、そういういつもの文章だ。

いつもの文章も要らない。賢くないのは当たり前だ。何もしないのに賢いのはおかしい。馬鹿なのは当たり前だ。何も知らないで、何も考えないで、書けるのがおかしい。

一度、この文章を消した方が良い。それできちんと考える。

いつも書けていたのは、きちんと分析して、考えていたからだ。その前の引き篭もりの自分が、全部経験して、全部考えている。最近は、それらの昔を思い出しているだけだ。

もっと良く考えれば良い。古代世界とか、時代とか、環境とか、日本の未来とか、そういうことを考えている文章が、本当に多かった。そういうものを考えれば良い。

何故か、時代を考えていると、社会の未来が分かる。そこを考える人間が多い。良く言うように、歴史は「なる」ものではなく、主体的に「する」ものである。

自分は、書いた方が楽だ。そう信じると、楽になる。「信じると成る」人間が多い。

あとは、自分が馬鹿なのは、昔のことなんか、何も覚えていない。書きながら思い出している。それは、馬鹿では無い。きちんと考えれば、覚えているから、こういう風に分かる。

あとは、経験と知が無いだけだ。学習や成長も無い。そういう、人間的な基本が出来ていない。そこを考えると分かる。馬鹿には、こういう人間が多い。馬鹿には何も出来ない。

昔は、皆のしていることを知って、真似をして分かっていた。そういう風に、皆のしていることを吸収すれば良い。皆が馬鹿に見えるのはおかしい。自分が一番馬鹿だ。

自分は、「楽だと信じれば楽になる」のだけを信じれば良い。楽だと思えば楽だ。

そうすると、皆が楽になって、皆を支配するのが終わる。自分を辛いと思っているせいで、皆も辛くなっている。辛いと信じると、辛くなる。辛いと信じるのが一番辛い。

昔は、直接的に自分が行動するのではなく、間接的に皆を通して行動していた。

不思議と、もう完全に楽になった。心の余裕が生まれて、行動し、発見するようになる。

自分は、客観的なことを知らないのが悪い。客観的な、この世界のことや、構造的なもののことを知らない。そういうものを知ると、分かる。

あとは、楽だと信じると、このままで楽になる。すぐに楽に変わる。信じれば楽が分かるとは言うが、そうではない。楽だと信じる、そのこと自体が楽だ。

あとは、他人のことを考えれば分かる。ネットで人間を分かるとは、そういうことを言っていた。いつも、自分の客観視と、他人の客観視から、環境の真理を分かっていた。人生や哲学のことは、そこから分かっていた。ネットを見て分かるのが哲学だ。

あとは、経済学でもすれば良い。サルトルも日本史も馬鹿だから、しなくて良い。

あとは、心が治った。辛いだけの、セックスの心が治った。楽だと信じると、そういう、セックスがすぐに死ぬ。セックスは悪い。やっていると、ただ辛いだけにしかならない。

もう楽だ。もっと、楽なままで良いと思えば良い。

不思議と、文章を書かないのも辛い。何もやりたくなくなって、失望と喪失の心になる。それが一番狂う。そういう風に狂っていると、そのうち本当に辛くなる。書くと楽だ。

辛いと思うから、こういう風になる。辛いなら、セックスの方が楽だ。

もう楽になった。あとは、肩の荷が下りて、心と体が軽くなる。

ただ、失望と喪失の心は、ある意味楽だ。キルケゴールが絶望と言っているように、絶望していると、分かる人間が多い。昔がそういう馬鹿だ。自分はそういう人間に見える。

もう楽になったから、賢くなる。辛い人間が馬鹿になるから、辛いだけで楽になった。辛いと、分かる人間が多い。神を信じるせいで、こういう地獄になる。神は、悪魔を滅ぼす。悪魔が神だから、こういう風に、神を信じるものが神に滅ぼされる。神は悪い。

もう、神も止めた方が良い。神がそこまで話すのが辛いだけだ。セックスも辛いせいで、何も分からなくなった。辛いわけがないのに辛い。良く分からないが、もう楽だ。

これで楽だと思えば良い。神も、セックスも、ただ辛いのを出来るだけ楽にしているだけだ。楽だと思っていると、そういうものが消える。信じるだけで救われる。

信じると救われると言うが、それは、「神を信じると救われる」のではなく、「何かある1つのことを信じると救われる」と言う意味だ。何かを信じていると、救われるのが人間だ。

そういうわけで、信じる人間が賢くなる。昔は、分かると信じたせいで分かった。本当に、分かると信じると、分かる人間が多い。分かるために必要な基礎ぐらい、誰でも全部持っている。それが、人生を経験すると、分かる。そういう風に、「信じると人生が変わる」のが人間だ。そういうわけで、神で無くても良いから、何か信じると賢くなる。

人間は、悲惨なことが起きないと分からない。悲惨から逃げ回っていると、馬鹿になる。

友愛でも信じれば良い。友愛を信じていると、良く分かる。

あとは、そんなに破滅していると、すぐに馬鹿になる。

悲惨な人間が賢くなるようで、破滅しているとすぐに馬鹿になる。そういうわけで、子供に賢い人間が多い。悲惨なことを経験すると、賢くなる。それは本当に、大人にも多い。

キリスト教は悲惨な人間になる。悲惨な人間は、最初から神を信じている人間が多い。

社会と人間をモデルにして、照らし合わせて分かっていた。

不思議と、これをクリスチャンみたいな悲惨な人間だと思うと、本当に昔が分かる。

悲惨なことをいくらでも経験した。そういう人間は、本当に賢い良い人間になる。

自分が賢いのは、自分の分かることを全部教えているからだ。これで誰でも分かる。

昔は、きちんと悔い改めて、反省する。そういうことを、何が良くて、どう正しくて、何故するべきなのか、のようなことを、経験から全部分かっていた。仏教の八正道のように、何故その心理や行為が正しいのか、全部分かっていた。そこから経験論を分かっていた。

見ていると、セックスは悪い。あまりにこの文章がセックスに見える。

セックスを止めると信じれば良い。セックスなんか、本当にしたくないと思えば良い。

それで治ったりはしない。信じたからと言って、見かけのことは何も変わらない。そういうわけで、嘘は信じない方が良い。嘘や不確かなことを信じるのは、愚かだ。

自分は、文章を書くのが悪いと思うのがおかしい。それでは何も分からない。文章を書くのは、良いと思った方が良い。知性がつかないのは、やりたいことを何もしないからだ。行動せず、知らず、見ず、聞かず、考えず、経験せずで、知性がつくわけがない。文章を書くのは、良いと思った方が良い。作家になったし、やりたいことはやりたいだけだ。

文章は、書いた方が良い。その方が楽だ。辛いと思うなら、そのうち止めれば良い。すぐに止める意味が無い。自分は、何もしなくても、そのうち書けなくなって止めるのが分かる。それで良い。書けなくなってから止めれば良い。そういう人間が多い。

そうであれば、そうであると、論理学的に推論して、命題を考えられる。

それを作れば、それはある。そういう風に、構築と変化を命題から考えられる。

それから、ものは具現化であると言える。聖書は、神と理想と秩序の具現化だ。

いつも、そういう風に、賢く考えていた。そういう風に賢くなると、もう分からなくなる。

あとは、神との対話が死んで、虫が死んだ。ただ、それが辛いだけなのに、死なない。死ぬわけがないから、こういう死ぬべき時に治る。放っておくと、治るようで治らない。

組織は、誰でも作れるようにすべきだと言う。

国家は、価値観と文化と考え方の構造の、具現化と変化の可能性だと言う。

そういうものを、作れるようにすべきだと言う。

いつも、それくらいを言っている。あとは、論理学的なことを言っていた。

社会をいかにして実現するべきか、から、この社会の具体像を作っていた。

そういう、「仮想世界の具体像」が多かった。そこから、発想、経験、考え方、可能性のようなことを考える。そして、仮定から実現するプロセスを考えていた。

そろそろ、もう無い。それくらいを分かっていない。

あとは、人生のようなことを言っている文章が多かった。人生のことが全て分かっていた。

方法からものを作るとか、法則とは人間が意味と法則性を見出すことであるとか、そういうことを数学的に考えて、「数学的で応用的な全ての関係と方法と諸原理」を考えていた。

昔は、「社会と精神のことを、数学的で実験的な推論方法で分かる」と言う発想があった。

観察や実験などの経験は方法的であり、宗教的な真理とは矛盾しない。

いつも言っているが、そういう風に、全てのことを統一的に説明する。

そこがウィトゲンシュタインなどと同じだ。全てを統一して分かる、知性の哲学だ。

あとは、精神を脳であると同時に、体全体の感覚であると言う。

そういう風に、科学をより現象学的に考えて、宗教にしていた。

重力も、別の法則であるかもしれないと言う。現象学で、そういう風に分かっていた。

経験的で自由な思想のようなことを言う。

そういう、「自分の考えた自由な思想」をいつも書いていた。

自分は、今日も賢い。今日も書いて良かった。明日も書けば良いだけだ。辛い地獄になったのは、何かがおかしくて、今分からないだけで、そのうちすぐに分かる。今は、分からなくて良いと思えば良い。そんなに分からない方が、賢いことが出来る。

そういうわけで、馬鹿を馬鹿だと思えば分かる。そういう、信じて否定すると分かるのが人間だ。そういう風に心が悪くなると、良い人間になる。善と悪はある意味で同じものだ。

そういうわけで、キリストが正しい。善と悪は、紙一重だ。何も分からない善が一番悪い。分かる悪には何も出来ない。普通は、善で賢明なのが良いが、それは悪になりやすい。

あとは、神が居なくなる。神が居るのが一番悪い。

分からないことは、そのうち分かると思えば良い。

賢明さと愚かさは、良く似ている。賢明に生きているつもりでも、ふとしたことで間違うと、そこまでの愚かさが全部裏目に出る。そういう人間が多い。何故か、そういう体験をして、馬鹿になる人間が多い。大人には馬鹿しか居ない。馬鹿にしかならない。

右翼の悪い点は、もっと良く考えて決めれば良いのが右翼だ。右翼なんか、何も考えていない。それこそ、ソ連みたいにきちんと考えれば良い。

民主主義も同じだ。右翼が数の力で暴走するのはおかしい。

そういう風に、右翼を悪いと思えば分かる。そのせいで、宇宙が作り出したのがドイツだ。あれを悪いと思えば分かる。不思議と、そんなに右翼を信じても意味が無い。ああいうものは、あるべきでない。何もかも全部、単純すぎるのが右翼だ。

農園に行ってきた。以下はケータイにメモした内容だ。

全体主義と支配は悪い。そういうものは、抑圧、虐殺、戦争になる。

環境と組織を自由にした方が良い。そういう風に、支配の無い自由や平等で分かっていた。

戦って分かっていた。支配は悪いから、支配はしない方が良いが、自分が出来るのは悪くない。それこそ、能力と可能性をつけて、立場を吸収して、決まりを全部知って、自分が全て出来るようになって分かっていた。それが、戦争でイスラエルの王になった。

自分は、昔から、女みたいにキモイ。本当に、AKB48のようにキモイ人間だった。

社会や社会経験を可能にして分かっていた。環境と世界の構造から、経験を可能にして分かる。カントは、そういうことを言いたいのだと思う。カントは昔の方をやっている。

国家主義や社会主義は低レベルだ。民主主義の方が高レベルだ。

ある意味、共産主義も高レベルだが、発展しない。

全体主義は低レベルだ。

あとは、思想の比較をして分かっていた。

社会主義は、統制と一体と理論の思想だ。民主主義は、金と代表と皆が王になれる思想だ。

そういう風に、思想や社会や考え方の網羅のようなことを書いていた。

いつも、そういう風に、社会主義を書いていたが、社会主義はクズだから、忘れた方が良い。社会主義を信じる人間はおかしい。全体主義だから、いつも嫌いだっただけだ。

昔は、自由と社会主義を全部書いていた。それくらいの文章だった。

民主主義は、国家統制をしない。右翼も左翼も、国家統制をする。そういう、統制はしない方が良い。「強い国」と言う発想が悪い。「平和な国」であるべきだ。

右翼は、単純すぎるだけではなく、人間性も無い。学校のいじめと同じだ。

右翼を否定すると、普通、人間性と理想が分かる。自由な理想が分かる人間が多い。

それで、国の内容はもう良い。そういう、国を書くのをそろそろ止めた方が良い。

農業は、人間を相手にするのではなく、自然を相手にする。自己責任とは言うが、自然には人間は勝てない。自然は本当に、人間より強い。

色んなものが嫌いな人間が多い。そういう人間は、普通、嫌いなのが当たり前に見える。だが、僕から見ると、嫌いなものも、ある意味では正しいところがある。好き嫌いは相対的であって、好きや嫌いは主観の問題であって、対象はただあるだけだ。道徳的なものも、そういうものと同じだ。善と思っているのは、自分だけだ。そこから、相対的な善を知り尽くしていると、本当に絶対的な神の善が分かる。それを経験と言う。

自分は、知らないから自由だ。何も知らないから、自由に考えられる。AAAが言っている。

具体化で色んなものを作っている文章が多かった。概念から対象を作る。

それだけを永遠にしていた。

人間のことを、手段、機会、知、経験で考えていた。未知と既知はある意味同じだ。知って行く、と言う人間の段階から、人間を知の経緯として分かっていた。

客観性のようなものが無い。昔は、客観的な指標と判断基準から分かっていた。

出来事と現象を客観的に知ること。客観的になることで、色んなことが正しく分かる。

客観的なものを吸収しなさい。それが、一番頭が賢くなる。

数学や物理のように、客観的に考えることで分かる。ネットだと思えば良い。

知のあり様を、経験から考えていた。いつも、知のあり様と経験を考えていた。

自分は、そんなに終わりたいのがおかしい。終わりたいのが辛いだけだ。

他人の立場を吸収しなさい。そこから、場と視点が分かる。

脳が馬鹿になっている。それを治した方が良い。

農園へ行って分かった内容は、ここまでだ。

自分は、自分のメモした内容が何を指すのか、分からなくなる。「客観視」や「脳を馬鹿」と書いたが、何を意図して書いたのか覚えていない。何故か、悲惨だ。

人生的に、知を知って、想像力と知識と経験を得て、分かって行く内容のようなことを書いていた。本当に、涅槃まで至った人間だった。涅槃のようなことを言う。

あとは、これはアルツハイマーに見えて、それはもう終わった。そろそろ治る。こういう、治る時に馬鹿になる人間が多い。自分が馬鹿なのは、充分良く分かっている。

自分を馬鹿とは言うが、社会主義が馬鹿なだけで、馬鹿にはなっていない。

僕は、自由と民主主義が好きだ。そういうわけで、今から、民主主義を信じて、全体主義を倒す。それもおかしくはない。昔から平和な自由が好きだ。

自由は、自由に働き、報酬を与え、契約によって努力し、組織を自由に作る。

そういう、「許すと言う意味での自由」が賢い。良く考えると、自分にも分からない点が多い。全てのことが分かる支配者なんか居ない。それぞれが分かるところを分かるために、自由にすることで、柔軟性と可能性が高まる。それぞれが決めるべきだ。そんなに全てのことが分かるわけがない。スーパーヒーローの王なんか、居ない。

自由が良い。国家主義を悪いと思うと良く分かる。国家主義は単純すぎて悪い。

そういうわけで、僕は民主主義が好きだ。こんなに社会主義は書いてあるが、何も分かっていない。全部嘘しか分かっていない。こんな文章はどうでも良い。民主主義が好きだ。

ネットで客観視をしながら、実験や試すことなどをしていると、分かる。

客観視とは、社会や現象のことを言っているようで、環境のことを言っている。環境を客体化するとか、そういう、サルトルのように考えていた。

あとは、昔の自分に戻るのが馬鹿だから、戻らない方が良い。戻りたいのはおかしい。地獄や煉獄の世界に戻りたいのがありえない。誰もが、もう二度と地獄は経験したくない。全ての体験を良いと思うのはおかしい。地獄はもうこりごりだ。絶対に体験したくない。

あとは、決まりを考えていた。経験から決まりの可能性を分かっていた。

そろそろ、自分のことは分からなくて良い。今日で、もう最後まで書いた。

自分は民主主義が好きだ。民主主義のことを書いた方が良い。平和な自由が好きだ。

それこそ、右翼と左翼を理解するなら、もう終わった。そんなものは馬鹿だっただけだ。

民主主義者になると、自分を自分でいじめるのが治る。それが社会主義だ。自分の国をいじめるせいで、そういう風におかしく「分かる」ようになる。一番悪い。

それこそ、いじめのようなものを悪いと思えば良い。それは、自由にしないと悪い。国家が関与し、支配されると、すぐにいじめになる。皆、他人のことなんか嫌いだから、最初から自由にした方が良い。むしろ、その方が協調性豊かになる。自由に協力すれば良い。

自由になると、心が楽になって、幸福になる。民主主義は楽で、幸福だ。

皆、社会主義が嫌いなのは、いじめに見えるからだ。この文章が一番いじめに見える。

あとは、理性のことが分かっていない。誰もがこれで分かるから、書く意味はないが、もっと理性のことを考えた方が良い。理性的なことが何も分かっていない。

平等は、いじめになる。それは、個性のあるものを倒しているからだ。同調圧力によって、自由な出る杭を打っている。そういう発想が、学校と社会主義の平等だ。

そういうわけで、平等なんか、最初から信じない方が良い。

自由にした方が良い。賢い人間の自由にしてやって、自由に経験していると、そういう馬鹿が治る。経験して、成熟すると、人は他人をいじめなくなる。そういう大人が多い。

本当に民主主義の方が良い。民主主義を信じると、神によるいじめが終わる。本当に、クズな思想は悪い。きちんと正しい日本の民主主義を信じた方が良い。

理性は、考え方だと思えば分かる。自由だと思えば良い。昔は、自由と考え方から、社会のことを「考え方の適用」と言っている。それは、文字通りの意味では無くて、もう忘れたが、賢いことを言っている。具現化や実現化のようなことを言っていた。

そういうわけで、理性と民主主義を信じれば良い。

あとは、これで一通り自由を体験すると、馬鹿になる。それは、生まれ変わっている。

その後に、良い体験をする人間が多い。

あとは、自分が嫌いなのは、ビルゲイツだ。本気でそこまで嫌いだ。

それこそ、安倍をこき下ろすのがキモイから、ゲイツが嫌いなのもキモイ。

それから、ユダヤ人は悪くない。僕はユダヤ人は嫌いではない。

あとは、馬鹿なことは言わない方が良い。馬鹿なことを言うと分からなくなる。

自分は、「政治家には何も出来ない」と言うのは言うが、それに続けて、「社会主義は低レベル」だと言うのが悪い。そういうことを、神が全部正している。それも悪い。いつも分からないのは、神を信じていると、本当にそういう分からない人間になる。

いつも分かっていない。神が神なわけもない。

自分は、愚かで馬鹿で悪くてキモイ人間だ。だが、神を信じたのが唯一賢かった。こういう風になる馬鹿が多い。一番悪く見えて、自分が一番賢い。

あとは、白人みたいにならない方が良い。アメリカでは、全てのものに価値が無い。そういう国だから、アメリカが好きなのも悪い。日本と民主主義の方が、本当に良い。

日本が嫌いなのはおかしい。日本が好きな方が良い。民主主義の日本なんか、一番優れている。外国でも、日本の評価は高い。外国の大学が日本を評価しているのをどこかで見た。日本は、世界一優れた経済と文化を持っている。それこそ、自虐的精神はおかしい。だが、右翼も悪い。右翼ではない視点から、日本のことを優れた国だと評価したい。そういう人間が、一番日本に多い。馬鹿に見えて、本当に日本は良い国だ。

日本が優れているのは、日本だけの評価ではない。どこの国でも日本が一番賢い。

ただ、一番賢いとは言うが、好意的な国が多いだけだ。それは、国家の治安や正当性、政策や日本経済の頑丈さなどもあるが、宗教がキリスト教やイスラム教ではないのが良い。ユダヤで無い国だから、良い。そこが賢い。あとは、日本の技術力は本当に高いし、日本経済は安倍のせいで好調になるように見える。そういうところが賢い。あとは、国家の問題が少ない。ほとんどの問題は、もう解決している。

ただ、自分は何も知らない。日本が良い点を書いただけで、そういう本は読んでいない。

あとは、日本が良いわけがない。アメリカではどこでも黄色い猿だ。日本人は悲惨だ。

日本は、文化が中国なのを良いと言う。ヨーロッパの文化が多すぎて、つまらない。

あとは、友愛の精神を持った方が良い。女みたいだと言うが、昔は、友愛の精神のある賢い人間だった。そういう人間の方が良い。

日本が嫌いなのはおかしい。日本は、自分のことを生んでくれた、親みたいな存在だ。親だと思って、親孝行した方が良い。日本に貢献したい人間が日本人に一番多い。

日本は、そういう、国民性が高くて、教育水準も高い。そういうところが、全部オールAなのが日本だ。Dみたいな点が無い。あえて言えば、昭和の戦争が悪い。そういう国だ。

日本人は、外国のことを知らない。アメリカの学校なんか、日本の比にならない。麻薬や犯罪ばかり多いし、学校自体もITのせいでおかしくなっている。ロシアにはものが無い。生活水準が低い中で、木を燃やして生きている。そういうわけで、日本が一番良い。

ただ、そんなに日本が良いと言っても意味が無い。あえていえば、外国人が嫌いなのがおかしい。漢字を勉強するのは難しい。ただ、漢字は馬鹿に見えない。賢く見える。

そんなに日本は賢くない。日本には何もない。良いものも、悪いものも、どちらも無い。テレビなんか見ていると、何も無い国に見える。ドイツの方が色んなものがある。

それに、歴史が馬鹿だ。日本史なんか、武士しか出て来ない。いつまでも遅れた中で、キモイ徳川が維持している。遅れすぎている。鎖国はありえない。

あとは、明らかに日本は和の文化も洋の文化も馬鹿だ。日本が欧米化しているのが一番ありえないが、日本のわさびや納豆のような文化もありえない。

それこそ、日本なんか誰も分からない。分からないから賢く見えるだけだ。

日本人は、馬鹿が多い。発達障害みたいな馬鹿が多い。見ていると、テレビなんかクズだ。お笑い芸人が何も賢くないのが、皆分かっていない。何も分からない民族だ。

あとは、日本には、民主主義が出来ない。それは、悪くは見えない外国人が多い。むしろ、資本主義として見ると、一番成功しているように見える。

日本は、社会主義が唯一成功している、と言う学者が多い。2ちゃんねるもそれを言う。東側が一番日本を評価している。何故か、日本は西側に見えない。ソ連と同じに見える。

あとは、ヨーロッパには、教会が多い。キリスト教が良いように見えて、同調圧力は辛い。

そういうわけで、日本が良いと言うよりは、他の国が悪すぎるだけだ。

外国人は、日本を「宇宙人みたいな国」だと言う。「地球なのに、地球に見えない。地球が馬鹿に見える。」と言う。本当にそういうことを言うからありえない。

あとは、日本は嫌いな人間が多い。何かが猿に見える。サムライのような、頑固おやじのような国に見える。あとは、パクリに見える。どこでも日本を馬鹿にする。外国人なんか、クズだ。それこそ、中国と同じように、おかしなものを食べるように見える。

そんなことを言っても意味が無い。不思議と、ワーストに入るのはソ連と中国だ。そういう外国人が多い。良い国なんかどこにもない。日本は良い国に見えるが。

あとは、現実離れした文章が多かった。自分は、昔から現実離れしている。

あとは、日本は好きな方が良い。褒めてけなすのはキモイ。日本が好きな方が普通だ。

ただ、自分が見ると、日本は良い国に見えない。全員馬鹿の国に見える。

あとは、イスラム圏もタリバンだ。単純に、世界のどこを見ても、良い国が無いから、ただの日本が良い国に見えるだけだ。日本人が見て、良い国なわけがない。最近は、オタクもキモイし、右翼もキモイ。おかしいぐらい人を殺すものが多い。そういう表現が多いから、誰もが日本の馬鹿な自由が嫌いだ。オタクや右翼は、人を殺したいだけだ。

それが悪いだけで、日本はあまり悪くない。どこにもオタクと右翼しか居ないのが悲惨だ。

日本人は、和風のものを良いと言う。和食や和服を良いと言うが、外国人から見ると、そんなものは誰も知らないから、分からない。

日本人は、日本語を良いと言う。ひらがなとカタカナを良いと言うからありえない。外国人が見ると、中国語と全く同じ、パクリに見える。ただ、パクリとは言わない。派生言語と言うのが普通だ。それこそ、日本人は分かっていない。日本語を独自だと思っている。

ただ、そういう、「外国人から見た視点」は要らない。外国人は除いて考えた方が良い。日本人は、外国のことなんか分からないのが賢い。そのせいで、独自の「日本文化圏」が生まれている。何故か、そんな国は日本だけだ。日本人が見ると、そういう文化圏に見える。

外国人がキモイのは、日本が洋の文化を好き好むのをおかしいと言う。外国人は、日本人が日本の民族衣装を着ないのがおかしいと言う。外国人は分かっていない。日本の文化と外国の文化がきちんと共存しているのが賢い。

外国人なんか、どうでも良い島に見えるだけだから、意味が無い。それこそ、黒人が住んでいると思っている馬鹿しか居ない。外国人は無視した方が良い。

日本人が、「日本は物理学が出来る」とか「日本には技術力がある」と言っていると、外国人はゼロ戦のような戦闘機のことだと思っている。それは無い。普通、ソニーやナショナルの家電製品のことを言っている。外国人なんか、そういうアホな集団だ。

あとは、そうでもない。日本はありえない。作れるわけがない分野で、本当に賢いものを作っている。どうやって作っているのか分からない。黒人が見ても、液晶テレビを自分の力で作っているのはありえない。

日本は、東側も、ヨーロッパも良いと言うが、特に多いのが後進国やアフリカの賛同だ。それも、「日本人が勝てるなら、黒人でも勝てる」と言う賛同が多い。人気が高いとは言うが、そういう、後進国の人気が高いだけだ。

あとは、東側が見ると、社会主義には見えない。良いとは言うが、明らかに帝国だ。帝国に従うのはおかしいと言うロシア人が多い。むしろ、ロシア人から見ても、右翼のロシアだ。アジア人だから仲間に見える。地理的にも近いせいで、嫌いな人間は少ない。それこそ、ロシアの文化と日本の文化が一番良く似ていると言うロシア人が多い。

ただ、社会主義が成功した国には見える。2ちゃんねるでいつも言っている。天皇と資本主義によって、ユートピアになった。マルクスより賢い。良く分からない人間が多い。

あとは、日本は右翼に見える馬鹿しか居ない。外国人は、日本は怖いと言う。日本の文化は、何かが怖い。ロボット人間に見える。それは、全部自分のせいだ。

あとは、もっと日本人の視点を書いた方が良い。

日本は、グローバル化し、国際化した社会の中で、きちんと勝っている。

日本経済は賢い。きちんと発展して、良くなっている。

文化は賢い。古い文化と、新しい文化が、上手く共存して、どんどん新しくなっている。

普通、そういう国だ。

ゼロ戦と言っていると、本当に馬鹿に見えるから、言わない方が良い。

自分は、そういう馬鹿なことを言うのが馬鹿だが、あまりおかしくない人間だ。

それこそ、外国人と言っているが、日本人が書いているようにしか見えない。

英会話教室の教師なんか、何も分かっていない。見ても、何も分からない。日本人が何を考えているのか、全く分かっていない。そこが分かりたい外国人が多い。

外国人なんか、悪いだけだ。麻薬の密売のようなことをやっているのが外国人だ。トランプなんか、麻薬が嫌いなだけだ。

どうでも良いから、日本人の視点に戻るべきだ。

最近は、教育の問題が多い。いじめ自殺が本当に増えている。

あとは、社会問題なんか、明らかに多い。少子高齢化や、国の借金の問題がある。問題が何もない国と言うと、ありえない。おかしな神話のことを言っている。

あとは、日本の文化は本当に良い。外国の文化が普通なのは分かるが、日本の文化は、普通、優れた和の精神性がある。父親はお茶が好きだが、緑茶を飲むと「ほっとする」人間が多い。外国の文化には、そういうものが無い。見た目のきらびやかさにとらわれ過ぎて、人間の持つ優れた精神性が分かっていない。そういうわけで、そういうものを賢いと言う。

あとは、昔は愛国精神が良かったが、最近は平和憲法の平和精神を言う。そういうところがころころ変わるが、日本人に民主主義は出来ない。最近は、総理大臣が替わっているだけではなく、民主党が何も出来なかった。最近、民進党と言う名前に変わった。

良く分からないが、日本人は、和の精神性しか言わない。本当にそれしか言わない。

自然に調和して、わびさび、のような精神を大切にすると言う。

外国人は、日本の質素さや謙虚さが、理解出来ない人間が多い。ただ、外国人は、戦うのが普通だから、仕方ない。馬鹿は奴隷にする。日本人は、そういうことをしない。協力して、皆で統治する。そういう発想が好きなのが、日本人だ。

あとは、日本が見ても、人を殺すものが多い。漫画、ゲーム、やくざ映画、アニメ、そういうものに、「人殺し」や「殺し合い」ばかり多い。

それこそ、子供がゲームで人を殺すのが、明らかに悪い。最近は、発達障害と言う、一種の知的障害になるのが分かった。ゲームなんかしない方が良い。馬鹿になる。

あとは、日本人は頑張っている。ソニーやパナソニックが、最近、家電製品で韓国や中国と戦っているのを、誰でも知っている。日本人は、戦後何も無い中で、外国の文化を参考にしながら、一生懸命頑張って働いた。それを言う日本人が多い。それに、科学技術力なんか、どこよりも一番優れている。日本人はそれしか言わない。

もう、神を止めて、自分の力で考えれば良い。

神は、最後に、「当たり前のことを考えれば良い」と言っていた。

英語のような文章を書いていた。

分かるのを悪いと信じた方が良い。分かるのは悪い。

昔は、デカルトのように、数学的な決まりと知性の分析を書いていた。

神は子供だ。こういう、ただの普通の子供が神だ。

分かるのが悪い。分かっていると、ただ辛いだけだ。分かりたいのがおかしい。

こんな風に、書きたくないのに書くのがおかしい。

あとは、自分の力で考えて文章を書いた方が良い。自分は、神で分かっているだけで、自分で何も考えていない。それを「自分が分かった」と思っている。それは間違いだ。

もう分からなくなる。この世界の全員が、そろそろ分からなくなって終わる。

国家のモデルをソ連のように作っていた。昔から、それしかしない。

いじめのようなものを考えていた。

あとは、精神は、止まっていると治る。そこが、出来ない狂った人間が多い。

それをすると、すぐに楽になる。

それこそ、神を信じると、こういう人間になる。神が一番悲惨だ。

分かりたいと、こういう風に、狂ってしまうから、分からない方が良い。

あとは、この世界が治る。がんが治るからありえない。皆、永遠に生きられる。

そうなるように見えて、むしろ、死ぬ。

良く分からない。滅びるのか、永遠の命を得るのか、良く分からない。

自分は滅びると思っている。キリスト教は、永遠の命と言っている。そういう、キリスト教が、これしか分かっていない。キリストは、これを描きたかっただけだ。

あとは、これで分かるわけがない。嘘しか書いていないようで、思い込みしかしていないように見える。こんな風にしては、分からない。こういう風にしない方が良い。

あとは、もう、皆が治る。最近は、右翼が悲惨になっている。自分になった馬鹿が多い。自分は右翼なんか嫌いだ。右翼が悲惨だから、右翼をまともに治した方が良い。

あとは、実存主義や、理系や物理のような文章を書いていた。

自殺が悪い。自殺をすると、こういう風に辛くなる。自殺も、人を殺すのと同じだ。

自殺するのは、何よりも辛い。

自殺が楽だと思っている人間は間違っている。自殺は本当に辛い。

足が治った。足の精神が楽になった。

英語のような文章とは、英語的な一行のような文章のことだ。説明は難しいが、英語で一行を表現するのと同じように、日本語の一行を表現していた。

昔は、確かな分かることを信じて分かっていた。

積極的に行動しなさい。恐怖に打ち勝つ勇気を持ちなさい。真実を追い求めなさい。

目的意識を持ちなさい。日本のために貢献しなさい。真摯に考えなさい。

常に学習するのが悪い。

思考のパターンが悪い。思考を全パターンするのが悪い。

そろそろもう治る。

最近は、おかしく思考を全パターンしている。それがおかしいだけだ。

そういう風に狂っていた。それが、キモく見える。

昔は、何でも出来る人間だった。これになると、本当にそこまで出来るようになる。

あとは、虫を殺した方が良い。思考のスケッチが虫だ。そういう文章が虫に見える。

むしろ、最近は悪くない。いつも、そういうスケッチを書いていたのが、キモイ。