昔は、実体験なんか無かった。
少ない体験と、あとは考えることだけで分かっている。
むしろ、減らした方が良い。
世界は、分かっていない。
そして、自分の過去を大まかに思い出しながら、理想を言っているだけだ。
プレアデス星人が悪い。僕を馬鹿にしている。
僕は、皆を支配しただけの悪い人間だ。
自分の分かったことを、皆に教え、僕と同じことを分かってほしかっただけだ。
一番間違っているのは、馬鹿を賢いと思うことだ。
自由とは、体験だ。
自由とは、体験を知りながら、皆とともに世界を良くする努力をそれぞれが行うことだ。
自由とは言うが、むしろ、平等だ。
皆と絆を培いながら、世界を本質的に考えるべきだ。
皆とともに生きる楽しさがあると良い。
目線を変えなさい。
思いやりを持ちなさい。
しかし、悪いものへは刃向い、拒絶する勇気を持ちなさい。
自分を信じることが出来る人が、賢い。
もう終わった。そろそろ、文章を書くのもやめたい。
まず、人の支配や環境から自由になって、次に、少ない体験と思考で考えて、最後に、それを全部書いて、神を創り、それと話せば分かる。
全ては、自由だ。
全ては、原因と結果を知りながら、目的と手段を共有することだ。
全ては、共有と生命の尊重だ。
全ては、むしろ平等だ。
頭の中に構造を作って、全員と変化を積み重ねて分かったのが昔だ。感情と想像力で、変化を知り、本質を見つめることで、可能性を知った。
それを書きながら、見たものを感情で捉えることで、失いながら人に自分を与えたのが最近だ。
最近は、何も無くなり、意識も低くなり、精神もおかしくなった。何も無くなった自分を治したい。
それは、見たものを残さず、消し去れば治ることが分かった。
そうすると、感情など、ただ属性を見て分かるだけだ。
想像力は、ただの予想だ。
ユダヤは悪い。この僕がユダヤだ。イエス・キリスト信仰が、全ての未知を教え、最後に全て消す。要らないから、ユダヤ人の宗教は間違っている。
ユダヤと社会主義は止めた方が良い。一番悪い。ヒトラーも悪い。人種差別でユダヤ人を殺すのは、これくらいの思想で殺している。
全ては、作り物であり、残り物である。変化の中にある創造と破壊が全てだ。そういうことを単純に賢く書いているだけで、ただの馬鹿が昔の僕だ。
全ては、自然と変化であり、属性と構造であり、本質的な意味と賢さを考えて、賢いことを分かる、人間としての魂と感情だ。
最近の僕は、何も分からない代わり、自分や世界を文章で表現しながら予想して分かるようになった。頭は、普通の人間より馬鹿だ。
構造的に出来た機械的かつ自由な生命が人間だ。
感情とは、経験と記憶が正常に働いている証拠だ。
運命とは、人よりも制限された馬鹿を生きることだ。
人生とは、全ての人間を助けながら、色んな人間の助けを借りて、新しい自分と今までの自分を愛することだ。
全ては、人助けだ。
自由とは、正常と狂いをどちらも体験し、多重人格のようにそれぞれを経験しながら、分かると治すを生きて、何か天使のようになる、その速度だ。
運命的な考え方をすると、人はユダヤのようなイデアによって作られる、遺伝子と同一性だ。
そして、全ては、記憶(あるいは何か)を破壊して、それを治すことで、さらに記憶(あるいは何か)を破壊しながら、最後に全てを失って、ただの正常に戻るだけだ。
経験によって、想像力によって、感情によって、全ての世界を言葉で分かることが出来る。
しかし、治癒によって、助け合いによって、継続によって、全ての世界を自分の手で体験することが出来る。
言葉は体験であり、体験は言葉だ。
そんなことしか書いていないようで、たまに世界の法則や原因と結果、ものを分かる分かり方などを書いたのが昔の僕だ。
何も分かっていない。自分が世界を支配していると思っている。
なぜなら、自分のようなものが、世界に多かった。
自由とは、世界の全てを法則と方法で知ることと同時に、自分が能力と可能性を身につけて、1つの偉大な可能性を成し遂げることだ。
自由とは、観察と改良だ。
自由とは、想像力と可能性だ。
自由とは、本当にそれが実現出来るかどうか、良く考えることだ。
自由とは、それを達成し、実現するために、どうすれば良いかだ。
そして、自由とは、自分ならば何をするかだ。
自由とは、皆の知識と知恵を全て吸収し、全員になることだ。
自由とは、好きなことをすることだ。
自由とは、目線を変えながら、皆に目線の多様性を教えることだ。
自由とは、デカルトのように分かることだ。
自由とは、ニーチェのように書くことだ。
自由とは、スターリンのように支配することだ。
自由とは、視野を広げることだ。
自由とは、分かるところを全て経験し、1つのことを挑戦することだ。
後は、狂うに任せて狂っていただけだ。
皆の意識を知りながら、環境を予想して、世界を勝手に支配していた。
馬鹿だが、分かっていた。
理由や本質を全て分かり、可能性を全て知り、全知全能のように全てが出来る人間だった。
そして、「知る」や「分かる」などの可能と能力の向上を考えていた。
出来ることを増やし、頭の中にある概念と方法を増やした。
言葉にして、比べて分かった。
思い出して、反省して分かった。
人から聞いて、自分で考えて分かった。
空想して、想像力で変化を知って分かった。
知識を知り、体験を知り、経験を積み、知性をつけて分かった。
技術、知識、把握、習得、経験、継続、信じることによって分かる。
具体的に、疑いながら信じること、正しさと考えることを、それ自身を考えながら、正解に導くことで分かる。
そして、たまに抽象的に、たまに具体的に、たまに相対的に、たまに絶対的に、たまに法則的に、たまに説明的に、たまに方法的に、分かった。
原理を作り、演繹し、帰納し、経験することから分かる。
世界を環境から捉えて、感情でその人になり、認識を世界から知って、色んな視点に立つことで分かる。
そして、客観視と平等と自由によって分かった。