知識と言うものは、知るだけでも、ある程度の意味はある。
しかし、知った後で、その知識を使って色んなことを考えることに、真の意味がある。
つまり、アインシュタインも言っているように、教育の成果とは、学校教育の後に残っているものだ。
昔の僕は、環境の変化と可能性を掌握して、変えながら支配していた。
それは、ただの馬鹿だ。
しかし、変化と可能性を掌握することは、賢いかもしれない。
ノルマを楽とはいうが、辛い。
楽に出来るだけで、辛くすれば、辛いだけになる。
国家のために辛くするから、一番悪いのが共産党だ。
パソコンも無くなり、ネットも見られなくなる。僕は、共産党には入れない。
日本は悪い。
役人が、国民を奴隷にしている。
学歴主義を植え付け、高卒の仕事を悪くすることで、何も出来ないまま、反抗しなくしている。
また、関係ないが、セックスを崇拝させ、ポルノを蔓延させることで、男を女の奴隷にしている。
反抗分子は、教師や外国人へと対象を移させている。
そのように、日本は国民を奴隷にしている。
日本は、文化も悪い。
作家は、全部知っている。
火の鳥やドラえもんのように、基本を知った方が良い。
僕は、ドラえもん世代だから、ギルモアやドラコルル、パピやロコロコの名前を覚えているくらい、漫画は読んだ。
火の鳥は、未来編と望郷編が好きだ。
いや、ちょっと間違っている。嘘の無いように言うと、ドラえもんの名前は、最近読み返したから覚えているだけだ。
UNIXの賢い点は、パイプとパーミッションだ。
パーミッション(ファイルの共有の際の公開許可)とマルチタスクのおかげで、サーバー(特に個人使用のWeb)に強いOSになった。
また、JavaのVMとクラスライブラリによるマルチスレッドと組み合わせることで、大規模な開発に応用できる。
その大規模開発のためのカーネルとして、公開されている、公に使えるもので、使える時点までの品質と可能性を備えているものは、IBMなどから見ても、Linuxくらいしかない。
Linuxと組み合わせて使うGNUのソフトウェアパッケージの品質がある程度賢いおかげで、GNU/Linuxはそのような賢いシステムになっている。
だが、問題は、そんなフリーのソフトウェアをエンタープライズレベル・企業レベルで使えるかどうかだ。
Red Hatなどのオープンソース企業のおかげで、努力は一定以上なされている。
しかし、ただのネットのオタクが生んだ、フリーソフトウェアだ。
Linuxは、信頼するに値しないのである。
良く考えると、UNIXやBSDは、昔からそういうものだ。Live free, or dieだ。
日本語には、深みがある。
知性だとか、知力だとか、同じようで、違う単語がある。
また、宗教だとか、思索だとか、岩石だとか、同じような意味でひとつのグループを作るものもある。
また、上下だとか、大小だとか、逆の意味を作るものもある。
また、黄金だとか、真紅だとか、その意味を最高にするものもある。
そこらへんは、中国で生まれ、日本が取り入れ、改良し、増やした。
また、英語では学校をschoolと綴るが、日本語では学ぶ校舎と書く。同じことを言うのであっても、意味が多い。これが、日本を独自の賢い国にした。
日本語は、言う順番が逆なせいで、分かるようになった。
あそこに信号がある、と考えることで、必然的にあそこにを思う。
重力があるからものが落ちる、と考えることで、必然的に重力があるからを思う。
そして、要らない理性は省略できるようにした。そのため、人称代名詞は使う機会が少なく、定冠詞や複数形はない。
いじめに対抗するには、いじめる人間をいじめれば良い。
また、多人数でいじめるならば、全員分頑張って、いじめる人間を全員いじめれば良い。
あとは、学校はまともが分からないから、忘れた方が良い。
僕がやりたい人間は、カエサル、法王、ゲーテだと思う。
このまま、日本は、ローマになる。
いつか、キリストが現れ、永遠のエンペラーの統治が続く。
人間は、楽より辛い方が賢い。
というか、辛いだけ、楽になる。
辛いと、辛いことが楽に出来る。
幾らでも辛いことをしていると、楽になる。
だが、僕は頭でっかちな人間になった。
体で辛いことをせず、いつまでも考えて、いつまでも書くから、分かるだけだ。
何故か、いじめが無くなった。
あとは、みんなの癌が治った。
僕は、神と話すというが、大きく言って、2人ほど重要な人物がいた。
神と、黒人の右翼だ。
他にたくさん宇宙人などが多く、王や集団やものが話していたが、主に、神と黒人が話していたのが僕だ。
神は、おそらくイエス・キリストで、あるいは、ヒトラーか何かだ。
黒人は、おそらくオバマだ。
神は、スターリンやプーチン、あるいは、ヤハウェやアラーかもしれない。
神は、自分に単純に色んな事を言う。
また、神は、全てを新しくし、自分が他のものに変わり、全て対話する。
しかし、神は馬鹿だ。
黒人の右翼が賢かった。
今思い出すと、僕とあなたは親友になる、だとか、そういうことを言っていた。
おそらく、オバマだ。
思い出すと、神は、神は二百人ぐらいいると言った。
デカルトや、ニーチェ、スターリンなどが神だ。
それから、ギリシア神話を正しい神話と言っていた。
僕は、ギリシア神話のアポロンだ。
あとは、ユダヤ人の最高指導者のラビの女が、僕の恋人のようなものだった。
あなたの子供になりたいと言っていた。
また、私はあなたを正していると言っていた。
どこかで、途中で死んだ。
それから、ヒトラー、ケネディ、プーチン、ブッシュが多かった。
その時代、僕は何も分かっていない。
皆に宣言し、戦い、ヒトラーなどに教えながら、相手の対話を聞いていた。
王となって、戦ったり、支配したり、導いたりしながら、自分を教え、与える。
それは、最初から最後まで、自分の昔を思い出すだけだった。
そして、本当の世界を見るのが怖かった。
自分を治して、昔の自分のように新しい賢いことをしたかった。
それから、書きながら悟らせる自分は、考えて分かる自分に変わり、思い出して作る自分に変わった。
人間は、肯定しないと否定するし、否定しないと肯定する。
きちんと、肯定するものを肯定して、否定するものを否定した方が良い。
そうすると、同じ人間になる。
賢い人間は、それで何かやっている人間が多い。
皆と同じように、悪いものは悪い、良いものは良い、と考えるべきだ。
機械は、物理的な創造物だ。
コンテンツは、表現的な創造物だ。
それぞれ、便利なものを提供し、面白いものや感動するものを提供する。
つまり、提供している価値、というものがある。
食べ物と飲み物の価値は、味だ。
家族の価値は、助け合いだ。
そのような価値を信じること、肯定することで、人は賢くなる。
では、価値の逆は何だろうか?
それは、価値を破壊し、生み出さないことだ。
あとは、創造物は、思いつきや発想の具現化だ。
自分だけではなく、他人から吸収することが出来る。
それは、肯定すべきだろうか?
時に、否定すべき時もある。
ネットでの情報共有は、量は多いが、質が低い。
ネットの通り分かると、社会は分かるが、何も出来ない馬鹿になる。
しかし、そこですぐにネットを悪いとするよりも、有効に活用して、知識を奪ってしまえばいい。
そこから先は、ネットは要らない。自分の力で考えれば分かる。
国家の問題点は、財政や景気などもあるが、それは知識を使って有効に取り組めば、すぐに実現できる。
そうすると、具体的な賢いものを創り出すのが難しい。
それは、金では出来ないし、ネットなどの集団でも出来ない。
分かる人間が、その分野を横断して、隅から隅まで分からなければ出来ない。
そのためには、むしろ、自由は無い方が良い。
自由は、国民や指導者にとっては良いが、芸術家や作家、職人などから見ると、あまり必要のないものだ。
財政と景気は逆だ。増税と減税だ。
所得の再分配を考えながら、プラスにするか、マイナスにするか、党で議論して、適時判断する、それが政府だ。
そんなものはどうでも良い。
禁止しない政党は禁止せず、禁止する政党は禁止する。
戦争、廃止、弾圧、統制、党利党略、そんなことしかしない。
政治など、考えない方が、楽だ。
むしろ、パソコンの技術でも考えた方が楽だ。
数学的な発見をするのは難しいが、新技術を作るのはまだ簡単だ。
しかし、巨大なコードは独りでは書けない。
自由では何も出来ない。
だが、そのまま、コミュニティにすれば、皆で自由な技術を作ることが出来る。
おそらく、本来のオープンソース・マスコラボレーションはそういうものだ。
その視点から見たとき、GNOMEとKDEが2つもあるのはおかしい。
統一しなければ、開発者はどちらを開発して良いか分からない。
成果物も共有しない。だが、好き勝手に開発は出来る。
Linuxディストリビューションも統一しない。好き勝手に開発している。
そういうところがおかしい。
むしろ、Windowsでも開発はしようと思えば出来る。
むしろ、幾らでも出来る。
Linuxは、つまらない好き勝手なOSだ。
LinuxはGPLを悪いとはいうが、Linuxカーネルはオープンソースで、GPLによる共有があったために、始めて参加者が分裂せず、共通の目的を持って取り組むことが出来た。
また、先にあったGNUの成果がGPLで公開されていたことも大きかった。
Linuxがカーネルを高度なものへと進歩出来たのも、GNU/Linuxシステムがすぐに高度で使えるコマンドラインOSとなることが出来たのも、GNUとGPLのおかげである。
そのため、オープンソース・プログラマは、GPLを悪いと言わない。
しかし、単純に考えて、成果と派生の全てがGPLになり、GNUのものとなるライセンスは、間違っている。
OpenBSDは、制約の少ないBSDライセンスを「正しい自由」として、正しい思想を持ったオープンソースOSとして開発されている。
そのように、Linuxの世界は、政治と同じように、キモイ。
Windowsの開発キットも、公開されていないことは無い。
カーネルは非公開だが、安定性は、NTカーネルによって高まった。
Windows APIとMFCは、非公開だ。
しかし、.NETは国際標準として標準化され、Windowsだけではない他のOSでも動作させることを念頭に開発されている。
そのため、LinuxではMonoという、GNOMEやGTK#などオープンソースの技術を使った.NET環境が動く。
しかし、もちろん、IEは公開されていないし、Officeは有料だ。
Linuxを無視して考えても、Microsoft一社がパソコン市場全体を独占して儲けているだけだ。
自動車でも考えてみても良いかもしれない。
エンジンにシャーシと車、ハンドルに座敷がついている。
会社は、トヨタから日産、ホンダ、マツダやダイハツまで、種類に富んでいる。
車社会では、道路は舗装され、交通の基礎として、自動車は欠かせないツールになった。
それに、車を作って儲けることで、日本の経済全体が儲かるという、経済成長の意味もある。
それは、工場を作って皆を雇用することで、雇用拡大の意味合いも持つ。
パソコンとは違う。
オタクは居ないし、国家的な経済成長としての意味がある。
だが、問題は、間違えると人が死ぬ、という危険性と、それと同時に、きちんと学校で習得した人間に免許を与える、という免許制、それから、事故や犯罪の対象者の人間は刑務所に入れる、という処罰性である。
そのように考えると、自動車だからといって、健全な業界だ、と言うわけではない。
家電製品は、日本が最も頑張っている分野であると同時に、韓国や中国、シンガポールなどと、最も戦っている分野である。
LG電子やサムスンは強いが、SONYや松下までの技術力はまだない。
また、最近は半導体・ICチップを使うことが多い。それは、詳しくは分からないが、韓国などのメーカーが強い(どこかで聞いた話)。
日本は、そのうち、ドイツやフランス、インドなどに負けて、GDPが落ちるだろうか?
だが、そういう話は、あまり聞かない。
どうも、アジア市場など、後進国向けの市場で、韓国や中国が台頭している。
だが、日本の品質は、まだ評価されている。
ヨーロッパやアメリカなどでは、トヨタやホンダの車は、ドイツのベンツやBMWやアウディ、フォルクスワーゲン、アメリカのGM、クライスラー、フォードなどに比べて、その次に勝っている。
工場では、人間をものにしているか?と言うと、そうでもない。
皆、同じ作業をきちんと行っている。
また、工場の人間は馬鹿か?と言うと、そういうこともない。
しかし、IT企業も同じように苦しんでいる。あまりにハードワークが多い。
そこを何とかした方が良い。
それに、工場は家電製品や自動車だけの問題ではない。
食料品や日用品、衣服なども、工場で生産している。
賢い人間は、大学を出た人間で、工場でない仕事に就くが、仕事の無い人間は、工場の仕事に就くしかない。そこらへんが悪い。
賢く国を考えてみると、おそらく、警察と法律、と言う発想しかない。
悪いものが必ず現れる自由では、特に自由すぎるものを処罰するしかない。
つまり、自由など、間違っている。
皆同じ、普通が正しいのだ。
だが、賢い人間は、不思議と、本当に賢い。
それも、自由で賢い人間が多い。(不自由で賢い人間も多いが)
それこそ、自由は、全員にそれぞれの価値観と生き方を許すものであり、自由の無いソ連や北朝鮮などの国は、一番悪い。
良く考えると、パソコンなど、儲からない方が良い。
あまり意味のない分野だ。
それに、工場は楽にした方が良いし、悪い仕事は無くした方が良い。
トラックや自衛隊などの仕事を無くし、若者を何年か徴兵する徴兵制と、自由参加の軍隊制を同時に行うべきである。