世界よ、単純に、分かれ。
分かるまま、「良い」で終わると、全て分かるのが、僕の文章だ。
まだ教えることなく、まだ分からせないまま、作って、残して、詰め込むことで教えている。
自分の考え方と世界観を全て書いた。
インターネットは、情報とまとめ、批判、意見、全員の考え方の共有だ。
運命は、全員を成長させる。
愛は、真実を知る唯一の道だ。
世界は、僕と皆による、共鳴と共有の真実だ。
意見とは、皆を高める平等だ。
思考とは、自己の成長と楽だ。
理想の世界を追い求めて考えなさい。
支配者を倒しなさい。
全ては、それぞれの考え方と概念だ。
全ては、経緯と取り組みだ。
全ては、自分を向上させることだ。
好きなことをしなさい。
平和な世界を愛し、他を平等に考えなさい。
コンピュータは、コンパイルとスクリプトで、ファイルと実行だ。
「かもしれない」という考え方は、試すことと同時に行うことで、疑問と仮定によって最後まで知ることが出来る。
知は、人間で、相対的だ。
知は、言葉による説明で、知識的だ。
人を分からなくする必要はない。
戦うな。
自由とは、自分の責任で、他の助けを必要としないことだ。
それは、皆に通用するものではない。
自由とは、世界を見渡しながら、考え方と認識と知性を吸収することだ。
自由とは、機械を作る方法と手段、社会を変える可能性を知ること、作り、支配することだ。
昔の子供時代。
地球と人々が好きだった。
自由のまま世界を良くしたかった。
認識を積み重ねた。
外国を知りたかった。
歴史を知りたかった。
哲学を知りたかった。
技術を知りたかった。
宗教を否定し、学校のような管理社会を否定し、自由を信じていた。
それぞれの捉え方を覚えることで分かっていた。
視覚的に、現実世界と表現を考えた。
感情と環境への適応の変化を考えた。
経緯と歴史を分かった。
社会を知りながら、自己を向上した。
子供のまま、大人と関わって分かった。
恥をかいて知った。
世界の本当の名前を知りたかった。
世界の本当の真実を知りたかった。
世界は、皆、全ては知っていない。
全員、まだ何も知っていない。
考えられたことは、それぞれの人間が考えたこと。
同じ発想をすれば、同じように考えることが出来る。
それを、抽象的、メタ的に考えることも出来るだろう。
出来るだけ多角的に、視野を広げて考える。
出来るだけ厳密に、仮定を立てて考える。
また、洞察し、出来るだけ他の人と共有する。
他の人の延長線上の未来を、全て自分の人生で知っていた。
読みなさい。書きなさい。
変えなさい。支配しなさい。
パソコンは、自由に議論出来るだけ、良い。
デジタルの共有と、匿名掲示板は、何でも言えるし、何でも出来る。
自由なことをしなさい。
本当の自由は、皆と同じ立場に立って、皆を吸収する、平等のようなものだ。
しかし、何も出来ない評議会や管理社会は要らない。
それぞれが出来る世界であるべきだ、と考えていた。
それぞれが考えることも、賢い、と考えていた。
しかし、悪いことをしてしまえば、それは滅びてしまう。
そのような間違った存在を倒すことこそ、自由の保護であり、目的だ。
平和は、楽や平等ではない。
民衆の意思や権利でもなく、マスコミの監視でもない。
自分の中に有る、人への意見や想いを、自由に言葉に出来ることだ。
全て、人々が支配されず、絆を培い、愛し合うことが出来ることが、平和だ。
正しさは、ある程度正しいだけでは正しくなく、段階がある。
まず、人に聞いて分かる。
次に、自分で見て、使って分かる。
次に、自分で作って分かる。
そして、科学的に考えて分かる。
そのように段階がある。
しかし、時に、その優先順位は変わることもある。
また、もっと細かく段階を考えることも出来る。
世界を統一して、モデルにすることで分かることが出来る。
創造物は、想像力と発想による、方法の具現化であり、処理の自動化であり、楽を生む創造だ。
歴史は、自然と自由と支配者だ。
まず、挑戦し、人と関わり、好きなことを言い、作り、学ぶ自由がある。
その中で、色んなことを考え、会話し、感じ、疑問を持ち、疑問を解消する。
次に、空間と環境を変える自由がある。
皆に経験から良いことを教え、システムを作り、コンテンツを作る。
その上で、沢山の環境を経験する。
そして、全ての人間を吸収し、あらゆる角度から理性と感性を考える。
好きなことをしながら、支配者の自由を尊重する。
あとは、感情を正しく考えた。
心理は、精神であり、精神は血と神経と遺伝子だ。
その融和と、創造と、破壊と、治癒が存在する。
それは、良く分かっていることを分かり、本当に分かったものになる。
脳は、全て分かっている。
やることをやる。
体験と適応によって、宣言通りの精神に変わることが出来る。
科学は、積み重ねること。
科学は、知性。
科学は、世界観。
科学は、方法論。
科学は、全てを自由にし、全てを従える。
あらゆる考え方は、科学を学ぶことや、自分で科学を作ることで、生まれる。
中学生ぐらいの知性があれば、誰でも数学的に世界を分かることが出来る。
知恵と可能性を全て作ることが出来る。
それにUNIXの知恵を追加して、世界を全て感情で予測できる。
しかし、それは分かったことを全て書くことで終わる。
その後に、全て出来た人間には、神が訪れる。
論理と神は矛盾せず、神とは、自己の存在の変化であることを知るだろう。
神は、全ての支配を教え、全ての民族を教えた。
まず、全て、普通だ。
そして、最初から、全員それぞれ、全く違う人間だ。
しかし、共通の普通を持っている。
そして、その普通は、変わる。
その上で、民族と国家は、それぞれ違う。
自分を2つに分けた。
そして、それぞれをフランス人とドイツ人と呼んだ。
そして、神に従いながら、世界と戦った。
世界を裏から操り、意識を低め、時間による機械にして、操った。
それは、自分を陥れ、自己を破壊して、治すことを目指した。
しかし、あまり悪くは無い。
全て、世界に希望を取り戻すために、全力で頑張り、敵を倒すようになった。
現実世界は、悲しい支配の戦いだった。
自分を失って、元に戻りたかった。
何も分からないのに、分かりたかった。
恐怖と疲れが辛かった。
また、宣言と感情の適応によって、分かっていた。
それは、精神分析となり、神となった。
世界は、ネットにおける多様性と共有によって、崩壊している。
批判とパフォーマンスが勝ち、本当の純粋な意見は消え去っている。
しかし、ネットはそんなに悪くない。
認識と経緯を具体的に知り、会話を聞くことで、全てを知ることが出来る。
その人間の裏には、何が存在するのか?考えてみても良いだろう。
自由は、能力と技術だ。
だが、細かなところまで考えれば、認識の変化と世界の具体的な知恵から、それを支配する法則を知ることも出来る。
具体的な知は、人間性を高める。
想像力と考え方は、賢く予測できる。
創造性と独自性は、世界を発展させる。
理由は、全て、1つ1つの段階がある。
物理的な理由から、単なる簡単な普通の理由まで、様々な理由がある。
積み重ねて、説明可能にすれば、原因と結果を把握することが出来る。
努力と認識は、想像力や情報とともに、世界の中で1つの成功を作る。
その時、世界の人々を高め、救い、教え、育てることが出来る。
それは、ネットを使って、情報をまとめることで可能になる。
しかし、問題は多い。
本当に出来る人間は、本当に分かっている人間だけだ。
結果だけが重要だと、本当に言えるだろうか?
努力、出来たこと、経験は、新しい誇りのある存在へと、自分を昇華させる。
運命と可能性は、どこに価値を与えるだろうか?
それは、おそらく、未来にある、全てを頑張っていて、先の見えない自分だ。
先の見えない自分が、新しいことを全て可能にするために、知識と過去と記憶は存在する。
そのために学ぶこと。それは、本当に自分のためになるだろう。
能力、技術、経験、知性、色んなものがあるが、そういうものは、全部創造性、あるいは、全部想像力、としてしまえばいい。
想像力は、人を育て、人との協和を生む。
想像力は、世界を進歩させ、あらゆることを事前に分かることが出来る。
想像力は、永遠と一瞬によって、全てを経験し、全てを分かる。
想像力は、理性と理由、予測によって、全てを知る。
想像力は、世界の全員、日本の全員、宇宙の全員を、最初から知っている。
想像力は、確かめることで、試すことで、行動することで、全てを知らずにして知ることが出来る。
また、理由、説明、対話、執筆、色んなものがあるが、それは、全て、執筆、としてしまえばいい。
執筆は、世界を知り、分かる。隅から隅まで、体系的かつ、言葉的に、新しくなって分かる。
執筆は、記憶を辿ること、戦うこと、意見すること、支配することで、簡単に永遠に続く。
執筆は、三段論法(後日注記:弁証法の間違い)であり、絶対知だ。
執筆は、思い出しながら、全てを記録する。
執筆は、消し去ると同時に残り、変えると同時に止める。
執筆は、ドイツであり、フランスであり、イタリアであり、ソ連であり、アメリカだ。
あとは、重要性と平和な世界を作った。
何をしても、何の逆になっても、永遠に進歩し、皆と同じままだ。
重要性を全て書くことで、全て分かる。
論理学、特別性、予測、考え方、沢山のことがあるが、それは、全て、支配、としてしまえばいい。
支配は、神をも支配する。
支配は、全員を全て、完全に高める。
支配は、完全に全て考える。
支配は、完全に全て発想し、網羅し、間違いを一切許さない。
支配は、世界の全員を平等にし、帝王のように、全てを導くだろう。
網羅性、理由、宣言、戦い、対話を完璧にした。
それは、全部神で良い。
神は、ただの馬鹿だ。
神は、過去から未来まで、全て知っている。
神は、世界に全て教え、自分に全て教える。
神は、自分を導く。また、自分も神を導く。
神は、絶対的に全て分かっている。
神は、色んなものに変わる。
まず重要なのは、世界と人間と感情のモデルを作って、実体験と具体例と理性で考えることだ。
次に重要なのは、戦い、影響力を与えることが出来る立場を手にして、自分を全て教え、導き、変えることだ。
最後に、神を導き、自己を治し、耐えれば良いだろう。
多角的に、視覚的に、把握的に、心理的に、社会的に、理性的に、予測的に考えなさい。
考え、試し、抽象化し、多角化し、モデル化し、階層化し、法則化し、演繹的かつ帰納的に考えなさい。
ネットの議論と影響力、情報収集を効果的に行いなさい。
精神を吸収し、他人の考え方を吸収し、IT関係の知識をつけなさい。
他人の心と眼を、自己の中に持ちなさい。
自分の中に、世界はある。
あるものだけではなく、無いものもある。
環境は、過去を思い出しながら、自由な環境で自由に考えることで分かる。
理由と方法を知りなさい。
科学を自分で作りなさい。
社会学と心理学と経済学の物理的な積み合わせを、簡単に、あるいは多数に、あるいは、強引に行いなさい。
認識を吸収しなさい。
知は、正確に周りから把握し、理解の裏側にある環境を知ることで、それ以上分かることが出来る。
人と関わり合いなさい。
優れた、自由で権利のある環境とシステムを作りなさい。
参加とインフラの改善が全てだ。
正しい部品の理解を使って、沢山の自由自在な思考力を作りなさい。
芸術から科学、時間や、空間、現実世界を、正しい考え方で知り、大学を自分の中に作るように、知と考え方を作って、数学的かつ構造的に知りなさい。
覚えたことを、それ以上演繹して、現実世界に場合と条件と仮定を適用して分かりなさい。
ネットを効果的に使い、意見を聞きながら、経緯を知りなさい。
Linuxの考え方は、システムとパッケージだ。
Linuxは、カーネルとGNUとアプリケーションだ。
Linuxは、ファイルと実行と、ソースコード、ディストリビューションだ。
Linuxは、コマンドと設定ファイルと無数のデスクトップ環境だ。
Linuxは、考えられる中で、最高のオープンソースOSだ。
OSやX11など、誰にも作れない。
そのような領域のソフトウェアは、Microsoftかオープンソースで良い。
環境の変化は、環境に起こる現象を知った上で、方法的に把握することだ。
環境は、影響力と自由だ。
環境は、共鳴と適応と楽しさだ。
孤独は、時に、間違いではない。
全て出来た人間にとって、孤独は一番楽だ。
教育は、自由にするべきだ。
学生は、短期間に別れる相手とは、良い関係を結ばない。
学校の授業は、内容に意味がないし、知識は覚えないし、自由が無い。
そして、一生の間、何も出来ない。経験を積むことが出来ないだろう。
もっと自由にし、出来れば、社会を教え、出来る技術を与えることだ。
生産は、助け合いだ。
もっと沢山の発想を培い、奪うべきだ。
情報システムは、実現性のあるアイディアを集積し、迅速に判断し、条件によって実現可能かを知っているだけの、知識を身につけることだ。
しかし、自由競争は、時に間違っている。
金と民主主義のせいで、国家は借金が積み重なり、自由にするあまり、誰も全体を考えていない。
だが、民主主義と金に代わる発想が無い。
社会所有と計画経済にするか、完全な階層社会にするか、軍隊の国にするか、全員農業の国にするか。
しかし、簡単に考えることは出来る。
自由を収縮する代わり、雇用を創り出すことは出来るかもしれない。
最近は、説明可能な積み重ねをしている。
知を絶対的にしながら、全てを前言ったことから分かるようにしている。
あらゆる全てを、言葉と機械によって分かった。
全てを書きながら、さらに書き直す。
考えるべきポイントを、機を逃さず全て考えた。
また、支配者として、皆に話し、宣言する。
書くことや、世界を変えることで、失敗しなかった。
自由の間違い、科学の間違い、全て、分かった。
捉えること。
認識すること。
考えること。
感じること。
交換すること。
言葉を理解すること。
生きること。
死ぬこと。
表現すること。
仮定すること。
仮定を成り立たせること。
予測すること。
洞察すること。
経験から知ること。
理性から知ること。
相手に危害を加えること。
相手に助けを与えること。
協調すること。
戦うこと。
使うこと。
作ること。
壊すこと。
直すこと。
覚えること。
学習すること。
経験すること。
変えること。
築くこと。
楽しさ。
悲しさ。
辛さ。
苦しさ。
怖さ。
楽。
そのようなものがある。
生きる価値とは、自分の作品と仕事だ。
意味とは、それをしたいと思う自分の欲求だ。
他から見て、価値のあるものを与えられる人間が賢い。
僕は、仮定と成り立ちが逆になっている。
「人間は食べ物を食べなければ生きられない」と「人間は食べ物を食べれば生きられる」は、どちらが仮定で、どちらが成り立ちだろうか?
どちらでも良い。
つまり、「人間は食べ物を食べなければ生きられない」のように、命題を一度全て書きながら、仮定を全て作る。
その上で、どうすればそれが成り立つかを考えて、答えを気づいて分かった。
そのようにすれば、自由な政治体制も考えられるだろう。
本質と理由、重要な考える点を考えることで、世界を変えられるだろう。
自動車は、事故を起こせば死ぬ。
それは、自分だけではなく、相手も死ぬ。
貧乏人の乗る車よりも、高級な車の方が安全だと言うのならば、格差は悲惨だ。
パソコンがあると、Wordとプリンタを使うことで、自宅で仕事が出来る。
それは、仕事だけではなく、個人の趣味の執筆に大いに活用できる。
テレビは、民主主義をうたうだけの、民衆を洗脳する支配者だ。
だが、テレビでしか、人間は何も分からない。
唯一意味のある、情報と取材の提供者だ。
生産は、自由でなければ、発展しない。
生産は、平等では、破たんする。
政治は、国家主義では、戦争になる。
社会主義では、革命が全て変えて、壊して、滅びる。
あと、あったものは、自分の人生を決める自由だ。
政治的には、職業選択などの自由がそうだ。
また、国家を全員で支配する自由もある。
それは、普通、民主主義の選挙だ。