自由競争は、間違っている。
みんなの党は、電力自由化で、新規参入によって原発を無くすと言っている。
しかし、競争や新規参入では、馬鹿な会社や悪い会社が溢れてしまう。
それに、日本維新の会などは、地方分権と言っている。
これも、東京や大阪に比べて、馬鹿な都市になる。
自由競争は、馬鹿だ。
頭を使うよりも、体を動かしたい。
何か、難しいことをするより、簡単な、体を少し動かすだけで、頭が治る。
何もせず、ただ文章を書いているだけで、思考がおかしくなる。
神との対話になって、ありえない。
自分が自分なのに、自分に向かって言うのがおかしい。
いつまでも終わらないために、進歩した。
終わるべきだ。体を動かしていると、すぐに終わる。
意思が無いのもおかしい。
また、格差があるのもおかしい。
働いている工場の労働者に金が無く、金持ちは何もしていない。
そこを変えるべきだ。
皆同じだけ働きながら、公正に好きな職業を選べるべきだ。
努力する仕事には、きちんと見合った給与を払えばいい。
平和な世界であるためには、独裁者や独裁の無い政治を行わなければならない。
生産的な世界であるためには、競争と経営の自由が無ければならない。
そうすると、民主主義と資本主義は、最も平和で、生産的な世界だ。
治安があるためには、警察と軍隊が無ければならない。
つまり、選挙、金、警察が日本の国家の治安と発展を成り立たせている。
それは、別の可能性を考えられるだろうか?
警察による統治の他の可能性としては、監視が考えられる。
そのように考えると分かる。
映画を作るために、何が必要か?
それは、場面と役者を撮ることであり、頑張れば、Googleなどがネットで共同制作することも、Webカメラを使って可能である。
そのように、本質を見抜きながら、仮定や理由を捉え、成り立つ条件と方法を考えれば、簡単に僕の最近は出来る。
良く考えると、賢く考えて分かったことよりも、当たり前に分かることの方を、優先して取った方が良い。
独りで決める、反社会的な独裁者など、悪いだけだ。
世界に必要なものは、生きるための道具や機械と、食べ物や水が、第一に必要だ。
しかし、それだけではつまらない。衣服や情報、娯楽も欲しいものだ。
人間的な生活をしたい、と思うならば、自由経済の方が良い。
ものには、それぞれ、それを成り立たせるための条件と、それを成し遂げる時に重要な方法や本質、そして、可能性によってそれを成り立たせる、構造化された知が存在する。
それは、世界の全てを可能にし、1つ1つの実現性を増やし、自分を自由に導く。
自由な経験、習得、環境の創造、そして自由な人生と夢と理想、それを叶える努力が、世界や日本を良くするだろう。