その人になったつもりで考えると良い。
想像力で環境と行動を想定して、感情の変化を考える。
自分ではなく、他人から自分を見て考えても良い。
自分を2つに分けて、比較しながら思い出す意味がない。
だが、全部思い出して、色んな分かり方で色んなことを分かることも出来る。
書いていると、治る。
それは、辛いから、やるのを後回しにして、しなければ良い。
それだけで、楽になる。
歩いてどこかに行きながら、運動と勉強をする。
それが一番賢い。
まともな世界と言葉が分かるようになる。
自由は、ものの生産に量と質を与える。
また、生産手段として、会社における自由を与える。
会社では、努力に応じた給与と自由競争によって、それぞれの会社や人間が自由となり、放っておくだけで労働と生産を自由にする。
その上で、いくらかの部分を平等にすることで、格差の是正が成り立つ。
また、社会主義を実現するならば、一律で給与を与え、価格を統一し、楽なノルマ経済にすれば良い。そのまま、社会主義を自由にすることも出来るだろう。
そこでは、大企業から税金を取り、皆同じだけ働き、全員雇用することで、資本主義の延長線上にある経済を行うことも出来る。
自由とは、まず、完全な自由だ。
次に、結社と手段の可能性と実現性を与える自由だ。
完全な自由は、戦いである。
だが、身を守るために、社会契約的な国家を作ることが出来る。
軍隊と警察で統治し、法律を代表が決める。
それが民主主義だ。
結社と手段の自由を与えることで、国家的でない、ボトムアップ的な生産手段を自由に実現することも出来る。
最近の自分は、勇気と耐えるだけだが、それが悪い。
勇気は、怖い。
耐えるは、辛い。
そのせいで、楽にならない。いつまでも辛い。
それから、地獄はもう終わったのに、独りまだしている。そこがおかしい。
皆を治したり、皆に自分をさせたりする意味がない。
それから、分かる内容を制限して、書くことで、自分が分かりながら、皆に分からせる意味がない。
ただ、皆を支配から解放して、分かったことを全部自分が分かるのが良い。
人間はマルチタスクでない。シングルタスクだ。
違うことを同時には出来ない。
分かると治るは、同時に出来ない。重なると、意味がないほど辛い。
男と女は、同時に出来ないのだ。
治った。思い出せる。
昔は、辛かったが、今より良かった。
自分から、神を対話で導く。
すぐ前のことが思い出せない。
すべて覚えていた。
気づきと説明、対話から分かった。
すべての体験と選択肢を取る。
責任から、神の言うことに従う。
世界の全員と話す。
馬鹿だが、いろんなことがすべてあった。
皆を何か確かなものに確定するのが怖くて、歩き回り、話していた。
皆、確かな今を感じて欲しい。
世界が変わらなくて良いなら、自分も止まって楽になる。
思い返すと、完全に止まっていた時代が賢かった。
もう一度、その時代に戻るのも良い。
僕は、語学がしたかった時代だ。
自由や人種差別は、間違っている。
何故なら、その時代一番馬鹿だった。
自分を失いながら、世界を虚構にする。
そういう世界が、一番哀しくて、つまらなかった。
自分の中の自分を作って、馬鹿になりながら賢くなっている。
意識を減らしながら、知能をつけていた。
すべて、その時に出来る最高をした。
ヒトラーと夢が怖くて、誰も見ていないのに見られていると思う。
自分を全部書いた。記憶と考え方の羅列を書いた。
そのまま、宣言と神になった。
支配が怖くて、数字や心の声に従っていた。
永遠に同じなのに、宣言で変わる。
きちんと空間を捉えて、把握するのが怖かった。
批判が死ぬほど怖くなった。
自由は、自然と法則に任せる中で、自ずと現れる成功のパターンだ。
間違いは、一番馬鹿を賢く見せることだった。
賢く言わなければ分からない。
馬鹿を賢いと思うのは間違っている。馬鹿は馬鹿であり、賢くない。
賢い言い方とは、分かっていることをきちんとすべて言うことだ。