思い出すと、増える。
過去、感情、現実、思考を思い出しなさい。
言葉は、現実や分かったことを思い出せば分かる。
書いて思い出せなくなったことを、思い出せるように治せば分かる。
言葉ばかり、そこまで分かるのは、悪い。
言葉を分かるせいで、感情が分からなくなった。
支配者になったために、言葉も自分を支配するようになった。
支配せず、従わず、言葉で言わずに見たままで、それをすれば良い。
言葉と思い出すは、逆だ。
言葉にせず、それになれば良い。
言葉を消すと、もう書けなくなるのが怖かった。
言葉を消さないために、言葉が分からない。
それに意味があるようで、それ自体が間違っていることは多い。
それで、人間は賢くなる。
しかし、それ自体間違っている、が間違っていることも多い。
それを分かると、人間はさらに全部分かって、賢くなる。
大学など、出来るわけがない。
文字も読めないのに、出来るわけがないだろう。
仕事も学校も出来ないし、数学に意味がないから、いつまでも自分の文章を書いていれば良い。
知恵と知識は、個別的を一般化し、相対的に行われる。
しかし、時に絶対的な支配者や権威が正しいこともある。
間違った支配者は多いが、支配を肯定することで、世界を正すことが出来る。
存在は、視覚や聴覚などの五感と記憶である。
今、何をしているのかが分からない人間は、何も思わないのが悪い。
何か、理想や夢を追いかけることでのみ、人は賢くなる。
分かるためには、未来を過去から推論することが出来る。
今までの経験から、新しい世界を知ることが出来る。
現実世界を全部見た上で、簡単な問いを発する。
その簡単な問いの答えを知ることで、世界観が始まる。
また、考え方を共有することで、他の人間の世界を知ることが出来る。
支配者は、平等でなければならない。
階層的な支配を行って、民衆を殺し、戦争に使う王は、間違っている。
皆と同じ立場に立って、皆の意見を聞き、正しい答えと行動を執り行わなければならない。
だが、そんなことが出来る王は居ない。
あるものは、人の言葉、知の体系、それぞれが考えていることだ。
その上で、存在しているだけのものは、それ以上考えることが出来る。
どこから来たのか、どのように作ったのか、何故それが世にあるのか、などを抽象的かつ具体的に考えれば良い。
個性は、賢く、美しいものでありたいものだ。
自分の考え方を、美しく表現しなさい。
まず、ものと人があり、表現と論理と説明がある。
そして、疑問と条件と理由がある。
また、現実と論理で分かったことを、積み重ねることで分かる。
全ては、試すことと、人の行動や環境を理性的に分析することで分かる。
知恵を積み重ねることも出来る。
壊れた自分を修復しなさい。
ロボットや数字を治し、神や恐怖や疲れを癒すために、二回目の人生がある。
それは、世界を直すとともに、何も分からなくても、全力で考える。
未知を潰すことと、可能性を広げること、正しく構造化し、正しく考えることで、分からなくても全て分かる。
きちんと覚え、理性的に分かる一度目の人生とは逆に、二度目の人生は、何も分からなくなっても、頭はきちんと分かっている。
それは、神が全て教え、全て書き、全て知り、全て分かる。
勇敢な兵士として、戦いを耐えると同時に、最後まで導く王となれ。
世界は、運命と自然の全ての共有空間だ。
世界は、相対的な関わり合いと成り立ちの全てだ。
世界は、全ての空間と時間、人間と支配、ものだ。
世界は、情報と道具と認識と感情だ。
世界は、それぞれが目的を果たして、助け合いで成り立っている。
書かないを目指すより、書くを目指した方が良い。
それですぐに分かる。
世界を予測して責任感から分からなくていい。馬鹿な支配者は、悪い。
すぐ前の言葉を忘れて、次の言葉を覚えなくていい。
分からないところを、全部作って分かった。
しかし、それは間違っている。
生命は海から生まれると言っても、水槽や扇風機やヒーターからは生まれない。
それに、精神は血ではなく、神経だ。
最近は、矛盾なく思想を積み重ねた。キリスト教や国会など。
また、世界観を思い出して全部書き、構成要素の人間や社会を文章で作った。
全員作って、論理を全て作った
他には、神を信じて、宣言した。
他には、物理的な理解を、構造的な文章に治した。
それは、一時的な停止で行い、思考を速めることで、永遠を作る。
それを、一瞬で行うことで、言葉を階層的に分かった。
まず、思い出すこと。
次に、思考すること。
そして、認識を説明すること。
肯定と否定と理由を、三段論法(後日注記:弁証法の間違い)で書くこと。
過去から未来を予測すること。
自分の全てを与えること。
良い世界、分かる世界、同じ世界を教えること。
方法や可能性を網羅すること。
神と宣言、対話から、分からないところを分かる。
永遠に、全ての世界を、支配から解放、自由化まで、直す。
神と世界の構築によって、全てが終わる。
治しても、治らない。
ものの成り立ちを、個別の場合から考えて、沢山の他の場合や、共通する場合、共通しない場合を考えると哲学的に分かる。
人間、心理、社会、物理、空間が分かるだろう。
常に判断する、が結構賢い。
常に分かって、覚えながら忘れれば、分かる。
辛いのは、理性的にすれば楽になる。
国家は、自由にするか、同じにするか、で作ることが出来る。
しかし、中途半端な社会主義は止めた方が良い。
パンがあっても、トイレットペーパーが無ければ、意味がないだろう。
アパートや生活に必要なものを全て与えるならばいいが、それは破たんするし、あるいは、誰も働かない。
革命は、強制労働になって、反動主義になる。
しかし、自由も良いとは言えない。
楽な人間が金を持ち、辛い人間に仕事が無い。
そのように、自由も平等も、どちらも悪いだけだ。
時に、否定し、疑うことでしか、分からないことも多い。
神を永遠に信じたままで居る人間は居ない。
馬鹿な支配の神を信じても、辛くて何も分からないだけだ。
自分で、自立して、何がどうあるべきか、何がどうなるか、何をいつどのようにすべきか、を信じるしかない。
社会主義は間違っている。その通り、すぐに破たんした国がソ連だ。
全て、民主主義にした方が良い。
民主主義が何も出来ないならば、皇帝にした方が良い。
そこらへんが賢いのが、アメリカだ。
分かる量が多すぎる。
それ以上考えていない。
それ以上考えれば良い。
ものには、目的と「する」しかない。
それを、それ以上具体的に考えれば良い。
映像を見るとか、音を聴くとか、言葉を処理する、とかそういうことがある。
さらに、それ以上考えれば良い。
そうすると、具体的な楽器や、具体的な番組、具体的なプログラムがある。
世界にある変化でも、考えれば良い。
支配と自由がある。それを、それ以上考えれば良い。
そうすると、利益を上げるとか、組織を変えるとか、そういうことがある。
あとは、具体的な世界の仕組みを知れば良い。
つまり、具体的な世界やものの仕組みと、具体的な例が分かっていない。
意味と理由を考えれば良い。
生きる意味は何か?僕の場合、文章を書くことだ。
戦う意味は何か?それは、自由で勝てない、何も出来ない集団のすることだ。
それこそ、そういうものは馬鹿だ。
そういうものを、馬鹿とか賢いとか思った方が良い。
具体的に考えると、同じものにも、細部で違うものが多い。
壊れたものを治すとか、組み合わせて作り出す、とか、そういう考え方が賢い。
その上で、同じ考え方をするものが多い。
考え方としては、薬や機械や消耗品ならば、長持ちするものが賢い。
人間ならば、優しい人間が賢い。
そうした、もの、人、世界、変化を考えれば良い。
価値のあるものは、その価値がより優れたものが賢い。
また、考え方として、「それをどうすればどうなるか」がある。
方法と結果から分かる。
それも、それ以上考えれば良い。
そうすると、怖い時は、何もしない。
自由が何もしないのは、自由が怖いからだ。
その自由は、良いと思っていたが、良く考えると悪い。
狂って、馬鹿になる。
食べ物は、美味しい方が良い。
食べ物は、味が違う。
食べ物は、生きるために必要だ。
人間は、水だ。
人間は、細胞だ。
人間は、遺伝子だ。
人間は、皆に良い人間が良い。
人間は、強い人間が良い。
社会は、受け入れられるように、公開性が高いべきだ。
社会は、善であるべきだ。
判断するだけや、馬鹿に考えるのは悪い。
存在するものを、ありのままに見て考えれば良い。
学校やMicrosoft、Googleなどが賢い。
学校には、知識と全部分かるがある。
Microsoftは、OSを作っている。
Googleは、検索エンジンを作っている。
ありえないほど賢いのが、アメリカだ。
だが、悪い人間は悪い。
社会主義者やレイシストは悪い。
皆を奴隷にして、殺したいだけだ。
馬鹿は、放っておくと本当に治る。
普通、馬鹿だ。だが、治すと治るものだ。
教えるとか、考えるは、むしろ、あまり賢くない。
楽しいものを分かち合うことも、間違っている。
最近は、馬鹿なものが増えすぎた。
そういうわけで、自由も賢くない。
強いものと、正しいものが賢い。
あとは、分かるもの、難しいことが出来ることが賢い。
分からないのは、おかしくない。
なぜなら、普通賢い自分が賢いだけだ。
間違っているものを否定するだけで、賢いものが分かる。
例えば、殺すのが悪いならば、生かすのが正しい。
何も出来ない組織が悪いならば、出来る組織を作って、出来る人間になるのが賢い。
独占が悪いならば、公開と競争と共有が賢い。
金が悪い。それなら、計画が賢い。
だが、社会所有は一番悪い。それなら、自由が賢い。
それを、何故悪いのか、何故賢いのか、きちんと分かれば分かる。
何も出来ないと、進歩しない。
しかし、何か出来ると、その指導者によって、滅びる。
殺すと、生きられない。
生きるためには、殺す人間を殺すしかない。
独占すれば、何もせずに、悪い商品で儲けることが出来る。
しかし、公開すれば、儲からない。
金は、資本家だけが勝つ世界になる。
社会所有は、奴隷で何もない世界になる。
計画は、破たんする。
自由は、何も考えない。
あとは、奴隷の立場になって考えるべきだ。
何故悪いか、何故良いか、きちんと分かれば分かる。
殺人は、犯罪だから悪い。
なぜか?それは、殺しを許せば、生きられない。
盗難も、詐欺も、犯罪だから悪い。
許せば、悪い世界になる。
金にする理由は、金でしか経済が成り立たないからだ。
それに、それぞれが好きな仕事が出来る。
もう分かったから、具体的なものを考えるのが良い。
そうすると、むしろテレビは悪い。馬鹿だ。
だが、テレビは良い。何もないより情報や娯楽があった方が良い。
馬鹿な分かるは、一番分かっていない。
本を読んで、大学へ行った方が良い。
具体的なものと、良い理由、悪い理由がある。
そして、その上で、それが何故存在するのか、どうすれば生み出せるのか、どうすれば無くせるのか、作れるのか、防ぐことが出来るのか、考えれば良い。
パソコンは、皆がOfficeやWebブラウザを使うために存在する。
具体的には、MicrosoftとAppleとGoogleが戦っている。
金で作っている。金は、何でも作れる。
良い点は、何でも出来る言葉と計算の機械だ。人間より賢い。
悪い点は、皆、おかしな世界になった。
総合的に考えて、やや悪い。昔の世界は、それはそれで良かったからだ。
だが、何も悪くない。一番何でも出来る世界になった。
世界の成り立ちと仕組みを、そのように考えただけだ。
世界は、生産と個別化から成り立つ。
その中で、金と自由によって、世界は発展する。
人は本を読み、ネットを使い、人と対話することで、人間関係を構築する。
孤独は、間違っていない。
辛いが、孤独も良い。
テレビは存在するべきだ。
生産と環境は、手段と結果を知ることで改善できる。
しかし、生産は、高度で、組織化され、技術的で、健全であるべきだ。
それは、自由でなければ、成り立たない。
また、それぞれの人間を考えれば良い。
あるものは、個性である。
だが、個性だけではない。
それ以上考えると、それぞれの世界と、個別化された知恵と生活がある。
あるものは、会社と生活だ。
しかし、そのように、見ただけでは分からない。
本質的な理由と行動を、根源的に考えるべきだ。
間違っているのは、自由の無い環境と、自由すぎる環境だ。
自由にするのは良いが、それ以上考えていない。
そして、あるものは、科学と労働であり、大学であり、理解と構築だ。
そこでは、理解し、考え方を知るために、構造と経験を作る。
組織は、可能性と実現性が豊かであるべき、だろうか?
だが、きちんと出来なければ意味がない。
出来るまま、作り直すことは、難しい。
それは、組織だけではなく、色んな環境の取り決めにおいて、言える。
総合的に見て、出来るまま改善することは、難しい。
創造性は、自由の目指す全てだ。
善良さと助け合い、楽は、自由主義の目指す全てだ。
時に、自由は、無くした方が良いこともある。
賢く考えるよりも、当たり前に考えると良い。
所有は、第一に必要な、生きるための知恵だ。
しかし、第二に、ものや、楽しさなどの感情は、共有されることで、己を高めることが出来る。
だが、それは間違いだ。共有は、つまらない。
人間は、平等から世界を知る。
自由な活動で、世界を向上させるための全てを知る。
その上で、支配し、戦う。
それくらいで、馬鹿になるものだ。
変化は、進歩の全てであり、新しくなることであり、支配と許可の全てだ。
全員にあらゆる許可を与える、という発想もある。
なぜなら、皆で組織となって守れば良い。
だが、それでは、末端の善良な民衆が死んでしまう。
自由は、民主的な国家を作り、軍隊と警察を作る。
だが、その上で自由にすると、警察や軍隊、そして役所と政治家が、戦争を含めて、何でも出来るようになる。
それを監視するために、民主主義がある。民主主義は賢い。
世界は、道具とコンテンツの生産だ。
それぞれに目的がある。それだけの、シンプルな世界だ。
一体や組織や集団と、個人や独立が、戦いながら、発展する。
組織となれる自由や、良い仕事を自分の努力で掴める自由、言論の自由など、権利の自由があるべきだ。
世界は、自由な分配と公正なルールだ。
正しいのは、民主主義か、帝国だ。
右翼は、平和だ。
独自性と汎用性が全てだ。
それぞれの会社が作れば、独自性の高い製品になる。
皆で作れば、汎用性の高い製品になる。
Microsoftのようにすれば両立するが、Appleのようにすれば独自性が高まり、GoogleやLinuxのようにすれば汎用性が高まる。
機械は、統一すれば、賢い製品となって、進歩する。
だが、その上で、拡張性を高めれば、素晴らしいプラットフォームになる。
独自性は、豊かな発想の土壌と、正しさや理想の土壌、何か賢いものを知っていることで、生まれる。
おそらく、知恵と工夫から生まれる。
良い世界とは、自然な愛と、先進性、伝統を守る世界だ。
支配者を否定せよ。
支配者は、戦争がしたいだけだ。
だが、完全に支配者が居ない方が、良いわけではない。
支配者がきちんとしなければ、国は良くならない。
支配者には、ある程度以上の賢さがあるべきだ。
大学の方が賢い。
大学は、きちんと分かる。
むしろ、僕は、大学で無いのに、書くことによって大学になった。
大学的なことを書いているからそうなる。
執筆の研究など、ただの馬鹿だ。
それはもういい。
大学の知識の方が賢い。
基礎を教えて、専門的なことを全部知っている。事典や論文を読む。
それは、全ての分野をしても意味がない。
全ての分野の基礎を知る、はただの馬鹿だ。
それなら、大学はただの馬鹿だ。
専門分野を全て知っている、専門の方が賢い。
専門は、一貫して、哲学と世界史を好む。
外国語は、英語とフランス語をしたい。
出来れば、文学や情報も出来るかと言うと、そこらへんは、趣味でやれば良い。
大学は、馬鹿を全て消して、減らしていくと出来る。
言葉で考えるのは、間違っている。
間違った内容を信じて、予想して分かっても、意味がない。
神は馬鹿だ。要らない。
言葉で考えても、何も分からない。
馬鹿は馬鹿だ。自分は馬鹿すぎる。
それに、皆も馬鹿すぎる。あまり、他を考える意味がない。
要らないものは、全部消した方が良い。
他の人間どころか、自分の過去も要らない。
ピアノ、情報、世界史(ドイツ史)、政治経済、英語、文学、その他の学問は捨てて、哲学だけを考えれば良い。
今までの哲学的な知も、全部捨てた方が良い。
あとは、支配や神、自由や平等、国家や学問などは、忘れた方が良い。
世界史は、適当に、すでに知っている。
そこまで世界史をする意味がないだろう。
パソコンなんか、出来るわけもない。
哲学者がそれぞれいて、それぞれ考えただけだ。
問題は、哲学は難しい。
読んでも、分からない。やめた方が良いかもしれない。
哲学では悪い。何をするか、考えよう。
日本語を自由に考えれば良い。
放送大学だけがしたい。
人文系から、全て理解したい。
僕は、日本語が分かっていない。
僕の作った日本語は、日本語でない。間違った日本語だ。
日本語は、皆の言う日本語だ。
日本語は、普通永遠に続く。言って、それで終わらない。
日本語は、自由でない。永遠に、前に言ったことを説明する。
普通、頭の中に作った言葉の意味や想像力が、そのあとで別のものになり、既に言ったことから、次のことを成り立たせるように言う。
まず、第一に今から言うことを言う。
一つ言う度に、前言ったことへと意見を言う。
つまり、2ちゃんねるなどの、スレッド型掲示板のようなものだ。
つまり、日本語は議論だ。
だが、ただの議論ではない。
日本語は、1つ1つの言葉を言うために、前の言葉へ関連付けを行う。
関連付けは、覚えるしかない。
それは、普通4つくらいの意味を言う。