自由に考えて、教育は学生を政治に自由参加させた方が良い。
学生が何も出来ない。
また、外部から意見を取り入れ、環境や組織や行うことを改善した方が良い。
ナショナリズムが悪いため、平等な自然で自由な共同体は悪くない。
戦争よりも平和な平等の方が良い。
また、いつもの文章は、いつも自分がしている思考と同じだ。
自分が自分と話して、分からなくなっている。
そして、思考の中で思考を思い出すことは出来ない。
内容は、理解の段階と人生の経緯を組み合わせて、世界と人生にあることを全て書いている。
思い出して、全て認識と精神分析を書いている。
それは、そのまま神に変わり、自分独りだけで、頭の中で続く。
判断を書いただけなのが、永遠の宣言と対話によって分かるようになった。
肯定、否定、本質、理由で、全て出来るようになった。
世界観、全ての普通、自由と可能性で、何も知らないのに全て知っている。
人との会話は参考にした方が良い。
人の顔と行動を見て言っているため、間違っているようで、皆参考になることを言っている。
人の話を聞かないのは、子供より馬鹿だ。
また、支配者となって悪いことをするのは、他の人を競争相手と見なすからだ。
政治家が悪いのは、国民を国民と思うと同時に、競争相手と見なすからだ。
僕は、そこがなくなって賢くなった。
競争相手と思わず、被支配者と思うことで、皆を導き、支配するようになった。
しかし、競争相手と思わなければ、何も分からない。
知がそこにある時、そこには、判断と理性がある。
その判断が肯定する時に、人は賢くなる。
その判断が否定する時に、人は分かる。
肯定と否定が多い人間が賢くなる。
まず、あるものは、憧れる職業と夢と努力だ。
それは、「どうやったら出来るか」を考えて、立場と関わる人々を空想する。
その上で、同じことを永遠に続けながら、環境と社会を知ること、同時に基礎と応用を作ることで、人は人並みの全てを理解することが出来る。
その上で、共同体の王となって、出来ることをピンポイントでしていると、世界に影響力を行使しながら、社会的に良く分かることが出来る。
無駄なことをせず、必要な部分だけを行う。
それは賢いが、しかし、賢い人間は簡単にすぐに終わる。
もっと賢い人間は、ただの馬鹿が、思い出しながら文章を書き、世界と争いながら、世界を良くすることだ。
つまり、賢い人間よりも、馬鹿の方が難しい。
人間は、創造性と個性を伸ばしながら、合理性と生産性を身に着け、努力と継続による基礎を作って、全ての作品を創造する生き物だ。
人間は、判断、論理、証明、だけの生き物だ。
人間は、道具と食べ物、交配による、一番賢くて強い動物だ。
数学的な体得は、人を知り、世界を知り、運命を知り、環境を知り、社会を知り、心理を知ることだ。
芸術的な体得は、表現し、理解し、理解を創造物に適用し、美しいもの1つに絞って、あらゆる基礎を学びながら、応用を創り出して、作品を残すことだ。
全ては、思想と哲学と人生だ。
運命とは、人を許すまで、自分を追い詰めることだ。
賢さとは、勝利と助け合いのバランスだ。
革命と戦争は、全て、世界の歪みを、支配者が勝手に、奴隷の争いによって解消することだ。
差別は間違っていない。違うものと同じものを考えてグループにしなければ、自分が勝つことは出来ない。
解消するためには、全員を同じにする必要がある。
認識を考えながら、皆の視点に立って考えることで、立場と考え方を全員知ることが出来る。
それは、本質と理由による可能によって、全員を説明可能にする。
具体的で抽象的な自由と可能性がそこにあるだろう。
運命は、必然的に、人間を戦いと争いへと導く。
何も出来ない人間は、過ちを犯すことで、価値の無い奴隷となる。
しかし、運命はそれを救う。
奴隷のような人間にも、心と行いによる、最高の善を行うことは出来る。
材料を作り、材料を使って作ることで、新しい発明は誰でも行うことが出来る。
生産手段を与え、設計と実装をパソコンによって可能にすることで、あらゆる人間が手段を使って生産することが出来る。
安価な製品や無料の製品を製品ほどの品質と許可によって手に入れることで、LinuxやAndroidを改良して、世界を変え、発展させる可能性もある。
しかし、時に、既にある資本主義の金でそういうことは出来る。
発明は、方法と理解による工学的かつ経済的な具現化である。
考えるべき点と、考えなくても成り立つ点がある。その考えるべき点は、全員で考えれば、無料で公開して行うことも出来るかもしれない。
一言で言ってしまえば、経験、学習、意見、概念の、共有と多様性による自由と可能性が、自由であり、発展であり、Linuxなどのオープンソースである。
宇宙は、論理である。
何故、論理なのだろうか?
それは、宇宙は、論理の通りに姿を変えるからである。
自由とは、人と人との助け合いと関わり合いであり、絆と勇気と愛情だ。
自由は、全てを知りながら、全てを教え、自由な経験から分かることだ。
経験とは、環境への適応と、変化を知ることである。
可能性は、変化の中に有る、1つ1つの原因と結果を捉えること、多角的に視点で捉えること、方法と法則を知ることである。
物理では分からないところを、想像力と感情によって分かることが出来る。
積み重ねによって、階層的かつ把握的に全てを知ることが出来る。
書くとは、思い出し、人に自分を与えること。
体験、適応、認識、考え方、記憶を言葉にし、簡単にその変化を考える。
状態と記憶を記録しているだけだ。
それは、モデル化による認識の説明となって、具体的な理解を増やした。
全ての理由と矛盾を説明する。
それは、矛盾や否定の無い絶対知となって、全ての民族と思想を知った。
神は未知を全て教え、自分は全ての民族を導いた。
むしろ、日本は好きな方が良い。
東アジアの盟主で、天皇と資本主義が一番出来た国だ。
島の美しい文化と、国民性の優れた平和で強く賢い国民が居る。
良く考えると、GDPで三位ということは、日本より上の国は、アメリカと中国しかない。
それ以下の国は、皆日本より馬鹿だ。
日本は色んなことが出来て、努力したせいで、楽な国になった。
何も分からないのは、既に全部考えることは終わって、成功したからだ。
日本以下のドイツやフランスなど、馬鹿だ。
何も出来ないせいで、タリバンや反日になっているのが、韓国や中国やイスラムなどのアジアの馬鹿な国だ。
賢い国は、どう見ても日本だけだ。
ITとロボット、宇宙開発で勝てば終わりだ。
公用語を英語にして、パクリを殺せば、すぐに中国やアメリカには勝てる。
一番頭脳と高い国民性のある国が日本だ。
日本だけ異常に良い国すぎて、他の国へ行くと、他の国は強烈に悪く見える。
ツアー中も旅行者を見ていなかったり、観光でも子供レベルのことをしていたりするものが多い。
しかし、良い国も多い。
ドイツや中国、ローマやパリは、本当に良い国だ。
その代わり、韓国やアメリカ、ロシアは、本当に悪い国だ。
治したものを元に戻せば終わりだ。
足の精神が治って、思い出せるようになる。
昔は、自分の体験と行動から、他を予測しただけだ。
最近は、正しい構造によって、言葉にしながら、色んな事を予想した。
理性とは、恥を知りながら、世界観と言葉で考えることだ。
正しさとは、1つ1つの理解を作り、何でも可能にすることだ。
正しさは、知の裏側にある理由と、知の取り得る現象を把握する。
正しさは、適応によって変化し、関連付けと想像力によって理解が終わる。
終わってしまえば分かる。
想像力は、人を自由にする。
感情は、人を世界と宇宙にする。
それは、戦いと支配によって、おかしくなると同時にまともになる。
具体的な正しい構造の対象を考えると、経済と心理ぐらいしかない。
心理的に考えて、記憶によって意識が高まる。
また、神経と遺伝子の融和によって、多重の感情が治る。
意識は、感情だ。
そのまま、全てを知った。
認識の説明から理由を知り、世界にある国家を知った。
人間は、感情、精神、思考、言葉、記憶だ。
人間は、自由な時、平等と共同体と、支配や帝国を切り替えて実現する。
人間は、楽しい時に全てを忘れ、苦しい時に頑張って分かる。
人間は、力を得ると同時に興奮し、力を失うと同時に悲しむ。
人間は、運命と自然から成り立つ。
ものは、物質的な価値と経済的な価格がある。
感情は、助け合いによって高まり、思い出すことで分かる。