皆に何かするのは悪い。
辛い方が、本当に良いのが人間だ。
一番速度を遅くして、辛い方が良い。
あとは、分からない方が良い。
皆を分かるままにしておいて、自分だけ分からなくなるなら、悪くない。
それで自分を辛くすれば、苦しさは無くなり、楽になる。
右翼も悪くは無い。
自衛隊は、国防軍に比べて、入る人間が居ない。そのために、自衛隊は弱くなる。
軍事的に弱いと、経済的にも弱い。
自民党は、平和憲法のせいで舐められ、技術はパクられる。
強くすれば、強くなり、勝てるものだ。
昔書いた文章は、結構今でも書ける。
色んな事を思い出して、その時その時考えている。
また、自分の行動や考え方を、その内容無しに、沢山の具体例とともに積み重ねながら羅列している。
あるいは、そうではない。
ものをモデルにしながら、全ての場合を捉えながら書いている。
書こうと思うと、書けないことはない。
しかし、昔の全てを思い出し、最近と同じことをやろうとすると、労力が必要だ。
1行1行分からなくなりながら、追記する方法を使った。
キモイ自分だけを書かず、自分の考え方を全部思い出した。
あとは、人生を記録した。
しかし、それは全てを教える神を生んだ代わりに、自分を何も覚えていない、ただの馬鹿な自分を創った。
まず、世界には、人間と世界の境界がある。
それぞれの個人が、それぞれの自由な中で生きている。
そして、適応と共鳴の中で、人は自由になる。
それから、学習と体験の中で、人は出来るようになる。
考え方として、ものには、材料と組み合わせがある。
そして、全ては、加工と製造である。
その上で、人間には、理性と狂いがある。
それは、永遠で、力強く、一瞬だ。
インフラの整備とナショナリズムと平和のバランスが、政治だ。
そのように、沢山のものとことを捉えながら、世界を思い出して捉える。
自分の昔した考え方の延長線上のことを、場合と場合によって羅列している。
また、既に書いたことのみから分かる手法をとることで、認知を作り直した。
馬鹿は書かない。
常に自分を緊張させながら、失敗せず、辛いことを耐えて書いた。
基礎的なことは、一切書いていない。応用的なことを考えながら、モデルと考え方を思い出して書いていた。
賢くないのに賢かった。ただの馬鹿なことを、一番賢く書いた。
また、戦っていた。
世界を自分と戦っていると思い、自分はその世界を修復したかった。
そして、考えながら、次へ次へと続けることで、永遠に続いた。
構造性と肯定・否定だけが賢かった。
連想ゲームと永遠に続く考え方だけが馬鹿だった。
最初から最後まで、馬鹿を書きながら、馬鹿は書いていない。
自分の思う自分の理想を全部書いた。
信念と可能性、言葉による構造化を全部羅列して、取り入れた。
自由と思うものを全部書くことで、経験や体験を全て言葉にした。
あとは、あったことを言葉にしながら、1つ1つ消し去ることで、その時の最高を書きながら、昔の人生を全て書いた。
文章は、その時は賢く見えた。
賢い世界を、分かるところだけ全て分かって、神を創った。
しかし、何も賢くない。
思い出して分かるだけの人間だった。
モデルとは、何だったのか?
それは、世界を変えながら、最後の変化のために、知識を詰め込むことだった。
それは、自分を世界に残しながら、世界から自分を消し去ることだった。
それは、そのまま、思考が速くなり、永遠を全て生きた。
神は宣言から生まれ、永遠を生きて、直ぐに消えた。
ただ、永遠の戦いを耐えただけの、ガブリエルのような人間だった。
辛くても、良いこともある。
辛くても、辛くても、前を見て頑張って、良いことは多い。
緊張感と達成感の中で、今自分にある問題の解決を全て頑張ること。
それは、ただ考えながら努力して、前を見て進むことも大事だし、
反省と葛藤の中で、自分に失望しながら希望を持って挑戦することも大事だが、
そんなことより、ただ次から次へと訪れる試練を、前を見て進む中で、自分の全てを信じて忘れながら、ただ愛する皆や世界のために、頑張れることもある。
それは、むしろ、一番辛いだけ、良い経験だ。
しかし、一番悪いのは、自分を馬鹿だと決めつけて、全部自分を否定すること。
それで辛いだけでは、何も出来ないただのクズになってしまう。
だが、それは、自分を好きになることで、むしろ、どんな苦も苦にしない、強い精神力をつけることが出来る。
辛いを辛いと思うこと、そして辛いを良いと思うことで、もう狂っていない。
それに、もう自分のことも全部分かった。
昔なんか、一番悪いものを良いと言っているだけの馬鹿だ。
最近は、全てをまともに分かって、自分の力で世界の全てを超えた、英雄だ。