人間は、認識で分かる。
認識を考えて分かる。
認識を思い出して分かる。
認識を結びつけて分かる。
僕は、認識が対話になっている。
哲学は止めた方が良い。
カントになっても、馬鹿になる。
哲学者は、何も分かっていない。
何でも出来ると思って、法則と方法を重ねただけだ。
環境と知恵を積み重ねて分かる。
きちんと考えて、変化や自由な可能性を分かる。
普通同じことを繰り返すのが、自分は同じことを繰り返さない。
あとは、自分を積み重ねた。
環境と心理の理を分かった。
環境がいつどうなるか、人間がいつどうなるか、分かる。
人間の脳は、認識と判断だ。それでしか分からない。
良く思い出して、多角的に考えれば分かる。
認識が対話になって、神になった。
認識を自分にすると分かる。
あとは、大学は止めた方が良い。
カントになって賢くなるのはおかしい。
良く考えると、デザインや設計を変えられる。
積み重ねて考えると、他人の目線を取り入れれば良い。
認識がその理由を説明する。
全ての理由を訳も分からず説明するのが、イエスだ。
最近、分かるようになったのは、賢くなった。
近づいて見ると同時に、離れてみること。
色んな物に変わると同時に、本来の自分へと戻ること。
まともで、正しい人間であること。
ゼロベースで、視点を変えて考えること。
何にもとらわれず、自由に考えること。
他の人間から教わりながら、他の人間に教えること。
他の人間を、取り入れ、知を吸収すること。
自分で、発言と行動と経験から考えること。
運命や神ではなく、経緯や認識から考えること。
自然とは、科学的に考えることであり、多角的に理由を捉えることだ。
理由を複数理解して、時と場合によって、理解を使い分けること。
世界観を知ると同時に、他の人間がどんな中で生きているか考えること。
新しい発想をすること。
発想とは、共有された知が、それぞれ何を意味しているか考えることだ。
具体的な世界の構造の基礎を作ること。
居るのは、人間だけだ。
全ての人間は、ここまでで生まれた全員で、新しく生まれる人間が変えていく。
共有された知の意味を考えることで、業界や世界の常識を知ることが出来る。
あるのは、今現在だけだ。
インターネットは今現在、過去のその世界を知ることが出来るツールだ。
今現在をその参加者とともに共有することが出来る。
しかし、インターネットは、そのうち終わる。
永遠に続くようで、すぐに次の人間になる。
知とは、感情と想像力、理解と認識、言葉だ。
認識で考える人間が、世界を隅から隅まで知る。
その時、共同体は、それぞれの自然な取り組みの中で、楽しみを共有する。
そこでは、常識が支配する不自由の中で、漠然とした自由が自由を奪う。
ネットを忘れて、一人で考えなさい。
読んだこと、体験したこと、知ったことを、言葉にして考えなさい。
自分の中で、他に必要な理解を、全て書いて与えなさい。
自分の認識や理解を全て教えることで、世界をさらに知ることが出来る。
現実の自分も言葉にすると良い。
言葉にすれば、それだけで分かるものだ。
予測を全てして、統治した人間は、神によって、認識の対話で分かる。
全ての文章を書くことで、全てを理解する。
同時に、認識を説明することによって、簡単に新しいことが分かる。
簡単に言ってしまえば、UNIXと、積み重ねと、神と、自分を治す、だ。
人間が、どうしてその知を思いつくだろうか?
人間が、どうしてその理解をするのだろうか?
そのように考えると、悪魔的に色んなことが分かる。
昔は、世界にあることを考えている。
全ては、学習、経験、関わり合い、組織だ。
全ては、変化と停止のバランスであり、自由と不自由のバランスだ。
全ては、世界知と方法だ。
全ては、自己の向上と、他人との助け合い、人を育て、支えることだ。
世界知を書けば良い。
新しい施設やインフラを構築し、構造化するためには、常識と発想が必要だ。
新しい機械を作るためには、恒常的な取り組みと、新規性が必要だ。
正しい世界とは、単純な皇帝による強者の国か、階層の無い平等な国だ。
人間を高めるために、感情で考えることが出来る。
昔の世界を復活させたがる人間は、賢くなる代わり、憂鬱になる。
何も出来ない人間や、意味がない人間は、おかしくなる。
それは、世界を一度忘れて、出来ることを継続し、挑戦と向上心の世界になることで、治る。
UNIXは優れていない。パイプやパーミッションは古い。
世界にあるべきものとは、世界を全て知る手段と、紙とペン、認識だ。
あらゆる判断をすることで、馬鹿な頭が賢くなる。
優れたものは、存在しない。
世界知は、認識と常識の共有だ。
世界知は、運命と自然のバランスだ。
世界知は、自由と平等のバランスだ。
理想は、解放であり、現実は、妥協だ。
宇宙に何があるのか、誰にも分からない。
宇宙は広い。地球や人間など、ちっぽけな原子の1つに過ぎない。
全体を見ても、どこにも生命は居ない。
人間よりも、海の魚や、山にある植物の方が多い。
世界と照らし合わせ、人間と照らし合わせることで、物理は多角的に見ることが出来る。
それは、実証と確認によって、世界の分かる範囲を絞って、知ることが出来る。
予測と想定によって、その場その場の真実を知ることが出来る。
同時に、積み重ねることが出来る。
世界は、自然に出来事が積み重なって、支配と自由によって変化する。
普通が分かる間に、全てを分かること。
普通を失うと同時に、新しい普通が始まる。
普通を信じると同時に、正しい真実を信じても良い。
その照らし合わせによって、全員の間で共通した構造が見えてくる。
過去の環境を想像力で思い出しながら、世界の環境を全て知っても良い。
認識を考えなさい。理由を適当に付け加えて、理由から知性をつけなさい。
科学や哲学を、科学的な予測から作れば、分かる。
世界にあるものは、国家と政党だ。
世界にあるものは、国土と国民だ。
日本しかないようで、日本は存在的にマイノリティだ。
先進国は、皆白人だ。
アジア人や黒人は、悲惨だ。
あるものは、民族と宗教だ。
民族、宗教、人種、言語として、世界の文化は分かれる。
日本だけを見て納得するしかないようで、そういうことはない。
インターネットは、英語が出来る人間ならば、世界をグローバルに探索できる。
しかし、ネットのせいで、世界は馬鹿になった。
Wikiを分かるとはいうが、何も分からなくなる。
しかし、Wikiは馬鹿ではない。
リンクを辿ることで、大学よりもきちんと分かることが出来る。
世界のそれぞれの国民は、技術と資源と金によって戦っている。
虐げられた国や国民は、戦争や革命に頼って、世界を変えようとする。
悪いものは、自由だ。
世界には、会社がある。
それぞれの会社に組織が居て、製品を作って売っている。
それは、資本主義で、自由だ。
資本主義は、会社と銀行と金融だ。
資本主義は一番良い。
世界は、構築、理解、経験、交換だ。
信じる力によって、人は莫大なエネルギーを放つ。
戦うことによって、人は存在価値を増やすことが出来る。
ああ、何故、運命とはこんなにも辛いのだろうか?
ああ、何故、信じるとは天使のように、白くて悪いのだろうか?
それは、知と運命が、同時には成り立たないからだ。
知を全て作って、認識を知っているものは、何も分からない運命によって、完全に全て分かることが出来る。
いつものB'zを書けば良いだけだ。
いつもの世界は、全てが悪と善の融和だった。
最近の世界は、悪を減らし、善を増やすことで成り立つ。
自由とは、存在価値を認めることだ。
機械の発展は、ターミネーターのように、人間を滅ぼす。
しかし、時に、機械の発展こそ、人間の発展だ。
運命は、どこにも存在しなくても、自分の力で作り出すことが出来る。
戦いには、援護もあれば、敵も居る。そういう中で、出来るものが、神だ。
神は、戦いに関与して、自分を導く。
そういう宗教が、イスラムなのだろう。
認識とは、世界を知ることの出来る、唯一の理性だ。
常に認識し、認識したことを言う。
そこで、対話になるのは、フランス語だからだ。
記憶と認識を治せば、精神が全て治り、回復する。
大学を止めれば、馬鹿な普通が終わる。
全く違った人間になって、認知、意識、学習の機械が全て治る。
大学は、すべきでない。
人間性の尊重と、思いやりがあるべきだ。
日本には、それがあるために、それが無い。
極度に良い国民性のために、かえって悪くなる。
自分の贈るものをつまらないと良い、相撲や回転寿司や天皇のようなものを作る。
しかし、日本は良い国だ。
オタクになるのはつまらないが、二次元のイラストの少女は美しい。
天皇の悪い点は、天皇だけしか考えない。
イスラムの悪い点は、民衆をあまりに強くする。
白人の悪い点は、他を悲惨にして、白人だけが裕福になる。
どれも一番悪い。
認識と創造性は、人を賢くする。
共有と独創性は、世界を変える。
しかし、時に、ネットの犯罪など、悪いものが多い。
ネットなど、あるべきでない。
自由も不自由も同じだ。
ただの左翼、社会主義だ。
自由と言っている人間は、支配者が嫌いで、好きなだけだ。
平等が嫌いで、好きなだけだ。
構築は、どこから生まれたのか?
誰が関わって、どんな知識や理解のもとに、生まれたのか?
自分には、何が出来るのか?
それを考えれば良い。
想像力は、設計と工夫によって、新しいアイディアを具現化する。
想像力は、照らし合わせる力を作る。
想像力は、世界を空想し、ものを見て分かる以上に良く分かる。
想像力は、言語力であり、思考力だ。
言葉は、世界を把握し、包括する。
世界は、自由と冷静さから、理性を生む。
判断力は、その世界に、具体的な理解を増やす。
世界の理由を知った上で、あらゆる成り立ちを考えなさい。
分かると出来るが全てだ。
文化は、守られるべきだ。
敗者には、助けを与えるべきだ。
帝国は、間違っている。
世界にあるものは、認識と現象とものだ。
それは、関係性があり、相対的である。
認識としての意味は一般的だが、ものとしての意味は具体的だ。
そして、現象は、抽象的に予測できる。
自分の世界が多かった。
全て体験し、全て試行し、世界を全て変える。
全ての認識と全ての記憶から、世界に自分の全てを教えた。
戦いは、想定によって生まれ、想定によって勝利する。
神が正すことで、全てになった。
結論から述べ、書き直し、認識を説明しなさい。
書いた文章は、全てランダムに、分かっていることを言う。
そして、認識を説明して分かっただけだ。
神は、ただの天の声であり、認識が対話になっただけだ。
全ては認識だ。
世界、機械、自由、出来る、を羅列する。
機械には、目的と用途がある。
機械には、作る手段と方法がある。
機械には、材料とどこから来たかがある。
機械には、量と質がある。
機械には、誰が何を考えて作っているかがある。
機械には、価格と競争がある。
機械は、店に並ぶ。
機械は、目的を果たして、人間の役に立つ。
機械は、壊れるまで、目的を果たし続ける。
機械は、所有する人間の自由に使うことが出来る。
世界は、国家と経済だ。
世界は、自由と平等だ。
世界は、独立と一体だ。
世界は、変化と停止だ。
世界は、戦いと平和だ。
世界は、罪と罰だ。
世界は、法律と警察だ。
世界は、会社と金だ。
自由は、世界を向上させると同時に、世界の可能性を高める。
自由は、人の本来の感情と関わりあうことで、精神を豊かに発展させる。
自由は、全員を王にし、全員を楽と給与のある労働者にする。
出来るとは、考え方を知って、具体的な方法を、行動とともに考えることだ。
出来るためには、記憶と認識で考える必要がある。
覚えることと、覚えながら考えることで、可能となる。
世界と照らし合わせて考えることで、変化可能な実現性を高めることが出来る。
機械は、人間の能力を高める。
機械には、様々な技術がある。
機械は、人間の出来る最高の考え方だ。
世界は、論理的に考えると、最大幸福の自由と平等を目指すべきだ。
しかし、現実を見なければ悪い。秩序と妥協を知るべきだ。
世界は、人間の能力を基盤として高める。
自由は、学習、経験、情報、コンテンツによって、また、マルチメディアやシステム的な機械や基盤によって、人間の能力を高める。
国家や社会を発展させ、権利を拡充することで、世界を良くすることが出来る。
1つ1つの「出来る」は、情報と学習によって成り立つ。
世界にある考え方や概念は、その具体的なものや内容によって、世界を普通に高めることが出来る。
そのように考えると、アメリカや日本のように、世界は普通に良くなる。
感動と便利さがそこにあるだろう。
僕と同じになりたいならば、経験から他を分かりなさい。
UNIXを知りなさい。
文章を書き、他に、自己を教えなさい。
世界をあらゆる方法で考えなさい。
認識を対話にしなさい。
経験と体験から、世界を分かることが出来る。
自由は、知恵と工夫によって、創造性を高めることが出来る。
深く、全体を見て理解することで、世界の全てを分かることが出来る。
文章を読むことで、世界にあるもの、考え方、常識を知ることが出来る。
しかし、それはそれで終わりだ。
悲しい戦いと支配は、全てを失いながら、全てを手に入れる。
対話や宣言とともに、自分を考えなさい。
永遠の発見と、作品が残ることによって、本当に楽に全て分かることが出来る。
言葉にするしかない。それも、そろそろもういい頃合だ。
普通は、大学でつき、知性と意識は、大学を終えることでつく。
病気を治すために、全ての耐えがあった。
だが、治すのは間違っている。
何かが分からないせいで、止まっている自分の時計の針は、まともに簡単に考えることで、全て分かることが出来る。
しかし、時に、普通はただの普通だ。
普通など、自分の昔だ。ただの馬鹿だ。どうでも良いだろう。
新しい、自己を進歩させる、という発想が無い。
未知は、もういらない。言葉や文字も要らない。
考えて分かる、認識と話すことで分かるならば、それが続く。
それも、そろそろもういいだろう。
全て考える、が出来るのがおかしいだけだ。
神など、居ない。
イスラム教の神は、人の未来を己自身の手によって、導く。
キリスト教の神は、認識を対話に変えることで、全てを考えて分かる。
ただの、ユダヤが、認識と記憶を狂わせているだけだ。
だが、ユダヤの無い人間には、ただの低い普通が存在する。
全ては、物理学で分かる。
原子と熱と運動の世界で、数学で変化を全て捉えることが出来る。
生命や機械を排除して考えれば、宇宙など、ただの簡単な数学だ。
生命は、何なのだろうか?
生まれる前に、本当に何かの世界があるだろうか?
進化する前は、本当に猿で、猿がおかしくなって人間が生まれたのだろうか?
そして、死ねば、何もない、止まった世界になるのだろうか?
その時、自分の視界は消え、止まるのだろうか?
機械など、部品の仕組みを積み重ねるだけだ。
使うものを、作るだけだ。
皆が神や宗教を信じていた理由は、ただの血肉や唯物では、つまらないからだ。
死後と生まれる前の世界、イエス・キリストの神性、天使とアダムやイブの世界を信じることによって、楽しく生きることが出来る。
だが、中世の絶対国家のおかげで、宗教は悪いだけになってしまった。
カトリックは、騙す。それだけが、悪い。
人間は、見ているだけで治る。
赤ん坊は、見ているだけだ。
何も認識せず、何もない空間を見ていると治る。
テレビやパソコン、言葉は要らない。
することは、何もしない。
今していることを考えれば、分かる。
何もないを見ていた方が良い。
どこにもそんなものは無いのが分かっていない。
何もないを見て、適当に狂っていると、まともになる。
他の国や思想など、どこにもない。
Linuxやオタクなど、どこにもいない。
他の人間、家は、関係ない。
科学など、どこにもない。
ドイツはドイツだ。
地球の裏側の方にある、ヨーロッパ大陸の白人の国だ。
空間ではなく、地面を見ると良い。
それが普通だ。
その上で、何かすれば良い。
僕は、普通を辿っているから分かるだけだ。
自分を「間違っている」と思わないのがおかしい。
「間違っているかもしれない」「たぶんそうじゃないか」「おそらく違う」と思わなければ、何も分からない。
相手を信じる意味がない。
生命は、進化論でも、神でもなく、もっと特別な力で生まれたはずだ。
物理的に発生したものが、意識を持ったのかもしれない。
ただ、同じ単体の生物組織が役割分担をして、増え、分かれたのかもしれない。
自由を疑わないのがおかしい。
発展するスピードなど、遅くて構わない。
領土を自由にしても、争い合うだけだ。
だが、それは間違っている。
それぞれの独立と自由を認めることで、虐げられることが無くなり、自由になって、頑張るようになる。
自由は、平和だ。
進化は、退化から生まれる。
動物の方が、毛皮や視覚、聴覚、臭覚が優れていて、アゴの力が強い。
しかし、人間は、それらを捨てて、直立歩行し、理性と協力の能力を持ち、ものを作り、使い、言語を操るようになった。
つまり、生命には、限界がある。
そのため、優れている部分があると、他の部分が劣ってしまう。
ある程度の正しさで正しいと思うと、分からなくなる。
それ以上、分からない。
分かる方法を追究しながら、段階的な体得のステップを考えても良い。
生命を役割分担と思うのは、間違っている。
それでは、ただの機械だ。
人間から見て、生命は、遺伝と繁殖をする、機能を持った生命体だ。
それぞれが自由で、戦うため、最初から役割分担するものには見えない。
おそらく、生きている中で、役割分担を自然にするようになった。
食物連鎖は、どこから来たのだろうか?
おそらく、下位に位置する生命体は、増えやすい。しかし、弱い。
上位に位置する生命体は、増えづらい。しかし、強い。
強いものは、生き残りやすく、弱いものは、生き残りにくい。
つまり、上位になればなるほど、個性と独立性が存在する。
機械は、考えて作り、きちんと動くものにしなければならない。
人間とのやり取り、物理的な仕掛け、動く条件、機能を実現する部品などを把握して、作らなければならない。
しかし、それだけでは作れない。
沢山の発想の共有と、知識、経験が必要だ。
技術とは、作って使うものだ。
使うものを作ることと、部品を組み立てることで、全て実現することが出来る。
政治は、まず、政府と会社に分かれる。
最近まで書いた政治の文章は、忘れてしまいたい。
おそらく、会社を独立させると同時に、派遣や下請けなどを中心として、専門的に組み込むことが出来る。
株式は賢くない。ただのマネーゲームだ。
会社にも個性がある。MicrosoftからGoogle、Oracleに至るまで、全て違う。
そうした違いは、もっと良い会社を作るために、必要である。
しかし、時に、馬鹿な会社も多い。
それは、法律で同じに統一することで、賢くすることが出来る。
政治は多数決だ。
それぞれの国会議員個人は、基本政策と答弁はするが、所詮は頭数だ。
党のために使われ、従うことを余儀なくされる。
与党過半数によって、政治家は何でも出来る。
与党が過半数を下回ると、決めるために時間がかかるようになる。
そのように、選挙など、多数決で民衆が決めているだけだ。
自由の無い環境では、何も分からない。
何も分からなくなることで分かる、ネットの自由は、不思議と賢い。
ネットは悪くない。あるべきだ。
金は間違っている。ただの資本家と石油だ。
日本も、アメリカも、ユダヤも、イスラムも、どこの国も、そこまでの馬鹿だ。
運命は、存在しない。
どこにもない。運命なんか無かったのが分かっていない。
自分が勝手に戦っているだけだ。
適当に、自分が自分を操っているだけだ。
精神など、作るべきでないし、対話もすべきでない。
認識は、精神と分離されるべきだ。
それぞれの環境で、それぞれが独自に頑張るのが、一番平和だ。
統一や統合など、すべきでない。
人間は、感情と記憶だ。
想像力は、創造性と実現だ。
技術は、生産性だ。
ものは、価値だ。
国家を多数決で決めるくらいなら、最初から国を分ければ良い。
しかし、それは平和でないし、弱い。
強くするために、統一するのだ。
道具は、おそらく、用途だ。
仕事は、金だ。
職業は、自己の全てだ。
学歴、金、成功、結婚が重要かもしれない。
道具には価値があり、人間には能力がある。
沢山の夢や希望を見ることが出来る。
自分は、自分の持つ、唯一の身体だ。
意思と権利によって、影響力を持つことが出来る。
場所を認識すれば良い。
ものは、誰かが何かのために作った。そのために、考えた。
便利に使うものは、世界に広まる。
概念、発案者、発明者、設計者、製造者、提供者と店、消費者が居る。
精神的かつ決定的に、具体的な治すを分かった時代が多かった。
1つ1つのことを決めながら、発見して分かっている。
例えば、適応は場所の認識であり、意識は感情と記憶だ。
ものは、発明によって実現される。
時代とともに発明の歴史を見ることで、技術がどのように進歩していったのかを垣間見ることが出来る。
IBM、Microsoft、Apple、Netscape、Googleなどを見れば分かる。
それから、UNIXや言語の歴史を知っても良いだろう。
人間と時間は共有されているが、人数が多い。
海に居る魚や、地面に生える草花のように多い。
しかし、人間には理性と人格がある。
どうすれば実現できるかを、具体的に考えた。
社会を変え、機械を作り、能力を増やし、考え方と理解を増やし、簡単に言葉で分かり、国を作り、世界を作り、思い出す。
そのように多かった。
実現性は、抽象的に把握し、世界、常識、全体像を知り、構築し、理解し、経験し、知識を増やし、習得し、基礎を作ることで行われる。
そこでは、方法論、考え方、具体的な手順が存在する。
感情、想像力、実感、認識、想定によって、分かる。
それは、意識、存在、理由を知る。
原因と結果を予測することで、階層的に賢くなる。
他を支配することと、環境を変えること、適応し、その場所を認識すること。
戦いは、経験だ。
戦いは、勝利ではなく、人に教えることだ。
戦いの目標は、全てを知ることだ。
それが成り立つ時、前提の知識として、何があるだろうか?
それを実現する時、そこで重要なバックボーンは何だろうか?
自分に出来ることは何だろうか?
何を分かって、何を考え、どんな基礎を作れば、出来るだろうか?
皆が実現する際の、そこにある世界と知識、つまり実現世界の知識を考える。
全ては、生産と消費だ。
全ては、統一と可能性だ。
全ては、多数決と議論だ。
国民の全員が参加する評議会は、選挙に勝るだろうか?
多数派は、少数派を考えなくて良いのだろうか?
国会議員の代表を投票で選んで、それが議論する。
そうした間接民主主義は、そのような考え方なのかもしれない。
Microsoftは何を考えているのだろうか?
あの会社は、悪くない。
社員は皆賢い人間だし、きちんと研究している。
しかし、製品が粗末だ。
時に、出来るだけは間違っている。
予測するロボットも間違っている。
何も分からない。
それは一度、文章をまとめることで分かる。