終わるのではなく、続ければいい。
すぐに終わる意味が無い。続くべきだ。
治すを諦めればいい。
本気で他を治しても、自分を治しても、悪いだけだ。
このままで賢い。
このままで分かる。このまま覚えればいい。
思い出して賢くなれば、きちんと出来る。
世界は、もっと同じになれ。
その方が賢くなる。平和で、戦わない世界になる。
もの以外の普通を考えると良い。
家と会社、犯罪や戦争、芸術やスポーツなどがある。
世界も自分も、このままでいいと賢くなる。
このままでいい。
昔は、何を書いていたんだろう?
そこを覚えていない。
思い出して記憶を書いていたようで、
判断して、その時その時色んな事を考えていた。
自由とは何だろう?
それは、皆が同じで、同時に違うこと。
しかし、それは間違っているのだ。
皆が違うと、賢くならない。
愛とは、信じること。
記憶とは、自分の全て。
人間は、創造する生き物。
人間は、愛し合う生き物。
そして、人間は、助け合う生き物だ。
「~~すれば」「~~ならば」が人間の知性だ。
正しい考え方は、証明と三段論法(後日注記:弁証法の間違い)を、論理的に言葉で行うことだ。
知恵は情報であり、説明は理由だ。
力は能力であり、記憶は自分だ。
光とものは世界であり、国家は統一と賢さだ。
統一した考え方を、全部のパターンに適用して考えなさい。
記憶を呼び覚ますには、具体的な言葉で思い出すことだ。
運命や確率は、宗教と科学だ。
愛や信仰は、自分の信じる信念だ。
好き嫌いや個性は、自分を決める判断基準だ。
人格は、記憶、人生、経験だ。
知恵と工夫は、共有と理性だ。
感情と感覚は、皆との楽しさだ。
想像力は、積み重ねと理解して覚えること、把握することと、試すことだ。
宇宙は、空間だ。
時間は、世界の今と全ての変化を含む、現在と過去だ。
自由は、発展と滅びだ。
愛は、全てを知り、全てを愛し、覚悟し、恐怖することだ。
変化は、同じ中で違いが出現することだ。
世界は、変化せよ。いつも安定して、その上で変化を作れば良い。
考え方は、認知と行動と変化だ。
愛とは何だろう?
それは、人に対する思いやりである。
しかし、それは時に、意味が無い。
何故なら、自由な中での愛は、狂いとともに、人を分からなくする。
力をつけるためには、覚えることだ。
書くためには、世界を把握し、簡単に論理で分かる、世界構造を作ることだ。
それぞれのことを分かった上で、世界を何かと思えばいい。
自分と同じように理解できると思った、理解を消した。
皆、普通の方が良い。
人を変える前に自分を全部詰め込んだだけだ。
必要なものを全て教え、判断と論理で全てを詰め込んだ。
断言し、良い直し、1つの命題に対して、「しかしながら」と「なぜなら~~だからだ」を付け足すことで、全てが分かる。
その時その時考えて、さらに加えることだ。
変化は、自然に加えられる、それぞれの自由の影響力だが、それは善でもあると同時に、悪でもある。
環境とは、それぞれの自由の中での、行動と適応、理解とその全員との共有、世界観である。
行動とは、考えると同時に、確かめて経験すること、試すことだ。
知るためには、沢山の環境から実体験で知ることと、読むこと、書くことだ。
科学とは、宇宙にある現象を正しく捉えることだ。
可能性を知れば、人間は全てを捉えて分かる。
親は、子供を育てる。人間の人生の大半は、子供との関係性の培いだ。
執筆するならば、そこにはそれを正しく言葉にすることだ。
可能性、認知、感情、想像力、全てを言葉にすることで、人間は分かるようになる。
心を止めて、永遠と一瞬の戦いをすれば、自分は全てが分かるようになる。
しかし、それは、何も分からない馬鹿になって、まともに治るだろう。
昔の自分はもういい。要らない。
それならば、もの以外の普通を考えると良い。
哲学は、デカルト、カント、ヘーゲル、古代ギリシャ、ニーチェだ。
機械は、知恵と工夫、原理と仕組み、使い方とインターフェース、機能だ。
人間は理性や物理で分からないと言うが、全ての可能性を考える物理学で、全て理論的に分かる。
もの以外の普通とは、金と法律のある環境で、人間が行動して生きている、この世界だ。
信じること、愛すること、知ること、考えることだ。
スターウォーズや星の王子様のように、宇宙に惑星を作ってもいいだろう。
管理社会から未開の惑星に移ったが、地球に戻りたい、という、火の鳥のような発想も良いだろう。
アプリケーション別のボタンを右クリックして、メインメニューやタスクバーのメニューを表示してはどうか。
病院は、医学だ。診察と入院、薬と手術によって、人を治し、延命し、楽にする。
分かるは分かっていない。何一つ分からなくなる、分かるで分かるのが人間だ。
人間は、減らすと分かる。分かってから、きちんと全て分かる。
可能性を開拓せよ。知恵を吸収し、相手と信頼関係を結べ。
無益なことをせず、有益なことだけをするのも良いだろう。生産的なことをした方が良い。
学校で学ばなければ、何も出来ない。しかしながら、何か出来るようになれば、学校が無くても出来る。
楽しさと恐怖は、ときに同じものだ。
支配を倒しなさい。
人と話しているだけは、間違っている。何か行動しなければ、分からない。
愛や自分を知ることは、他人を知ることだ。
集団と個人を考えれば良い。
支配する人間や、戦う人間は悪いが、自由も悪い。
助け合いや、思いやり、信頼が良い。
あとは、何かのためになることをするのが良い。
言葉はコミュニケーションとまねして言うことでつく。
子供のように、馬鹿になった方が分かる。
支配して出来ることは、自由では出来ない。
自由で出来ることは、支配されると出来ない。
自由には、自由な行動と経験と知性がある。
支配には、大きな1つのことを可能にする力がある。
あとは、色んな事を考えれば良い。
色んな事を知り、考えれば良い。
世界には、どんな問題があるだろうか?
何が良くて、何が悪いのか?
あとは、ただの普通を知ればいい。
航空機と新幹線では、どちらが速いか?など。
悪い人間や、極端な思想は悪い。
同じことや共通することと、違うことや相違点を比べればいい。
自民党と民主党の違いは、政権与党か、野党かが違う。
それから、自由な経済か、普通の経済かが違う。
あとは、自民党は賢いが、民主党は馬鹿だ。
民主党の悪い点は、公約通りしていない。
自民党は、昔から悪いが、賢い。
学校では、数学の積み重ねしかしない。
数学の良い点は、知性がつく。
数学の悪い点は、数に意味が無い。
日本は、法治国家だ。
犯罪者が一番悪い。
学校では、国語と理科が賢い。
文字の読み書きと、自然が分からなければ、何も分からない。
社会科は、きちんと知識がある。
良い点は、時代がきちんと分かる。
しかし、悪い点は、歴史は見るからに意味が無い。
人間の賢い点は、ものを作ることと、金でものを分配することだ。
銃や戦車が強い。ただ、人間は人間を殺す。
人間が見る夢は、芸術だ。
人間の賢いものは、今のところ数学と物理しかない。
知識は、生物と日本史、世界史だ。
「たられば」と「比べる」をすれば分かる。
ものを落とすと、落ちる。
それは何故だろう?
重力があれば、落ちる。
それは本当だろうか?
質量のあるものは、落ちる。
おそらくそうだ。
もしもこの宇宙が無かったら、何があるだろう?
別の宇宙があるだろうか?
科学的に考えれば、分かるだろう。
仮定と事実、断定が逆だ。
「かもしれない」と「である」が逆だ。
ものがそこに存在するときに、そこにある現象も同時に存在するだろうか?
そのことが事実であるときに、そこでは、別の事実も同時に成り立つ。
その条件と事実から、仮定が生まれ、仮定が事実であることを確かめるときに、結論が生まれる。
簡単に言えば、条件から仮定が生まれ、事実ならば結論が生まれる。
事実は、それが起きる条件がある。
仮定は、条件を伴って存在する。
条件を満たすときだけに、仮定は事実となる。
もし楽器は全て叩いて音がするとしたら、トランペットは叩くと音がするだろうか?
それは無い。楽器には、種類がある。
トランペットは管楽器であるため、吹かなければ音はしない。
叩いても、ただの普通の音がするだけだ。
人間は、良く考えると、色んな事を出来るようになるために考える。
ものには、種類と条件がある。行動にも、種類と条件があるだろうか?
覚えて積み重ねるのが、ピアノやパソコンに多い。
もしその運命が運命ならば、運命らしい何かが起きるかもしれない。
しかし、起きたようで、何も起きていない。
比べるとしたら、3は2より大きいだろうか?
それは、大きい。
しかし、6は4より大きいだろうか?
それは、大きい。
そうすると、3+6は、2+4より大きいか?
それは、大きい。
そうすると、A>BかつC>Dのとき、A+C>B+Dは成り立つだろうか?
おそらく、成り立つ。
その証明は、分からない。
ものは、壊せば壊れる。
壊せる以上の力を与えれば、壊れるだろう。
そういう風に考えれば良い。
ものは、動く条件を満たしているときに動く。
それから、作るためには、条件を満たすだけの材料と労力が必要だ。
証明。
(1) A>Bかつ (2) C>Dのとき、(3) A+C>B+Dが成り立つ。
証明は、
(1)からA-B>0となる。
(2)からC-D>0となる。
(3)の式を変形して、両辺からB+Dを引く。
(A+C)-(B+D)>0
(A-B)+(C-D)>0は成り立つか?
A-B>0であり
C-D>0である。
よって成り立つ。
この証明は、父親にしてもらった。
自明の理だが、数学的に証明するとそうなる。
数学的な考え方は、僕の昔にあった。
最近無くなった。
どんな時にそのことを思うかなどを考えていた。
たらればを思わないのは、正しいとか間違っているとかを思わないからだ。
神など居ない。
イスラムが話している。何故なら、イスラムに見えるからだ。
行動を「たられば」で考えれば良い。
頭は、「たられば」と感情で考えている。
昔、条件で考えた。
ものAがものBに入っているとき、ものAの中にものCが入っていると、ものCはものBに入っている。
おそらく。
行動は、している途中、した後、今からする、が関係性として成り立つ。
言語には、時間と空間の考え方が多い。
「の」と「した」がそれだ。