自然環境は、運命などの無い、単純な原因と結果の世界だ。
しかし、人生において、1つ1つの重要な区切りを、運命と呼ぶことは出来る。
知とは、考え方と具体的な発見だ。
愛とは、皆を受け入れ、皆を超える、常に自分の中にある気持ちと、自由で平等な、世界との関わり合いだ。
愛は、天国や地獄ではない。全てを超え、全てを包括する、可能性の中でのパターンだ。
愛は、目的であり、意思であり、目指すべき標的だ。
そういうものは、得てして光という。
考えて覚えること。
ひとは、考えなければ、覚えない。
言葉を聞いて、それをその通り考えれば、覚える。
一度死ねば多重人格になる。
僕は、普通話し言葉を使うのが、書き言葉になっている。
言語がフランス語になった。言いながら分かっている。
日本語にした方が良い。日本語は、分かっていることを言う。
まず、ドイツ人のLinuxが居た。
次に、ソ連の戦争があった。
あとは、アメリカ、フランス、イタリアの、普通の何もない世界があった。
それらが書いている。
日本にした方が良い。日本は、つまらないことを全部分かって、賢くなる。
1つに決めるだけで、分かる。
永遠に全てを1つずつ、肯定の説明と否定の説明を書いた、ツンデレが多かった。
法則は、永遠に続く、普遍的なものだろうか?
それとも、いつかどこかで変わるのだろうか?
神は居ないが、自分を神にすることは出来る。
世界は、変化する。
それは、時を置いて、自然な関わり合いの中で、それぞれが変化している。
その変化を知り、社会を考えることで、ボトムアップに世界を知ることが出来る。
民主主義の良い点は、革命なしに、選挙で国を変えることが出来る。
信頼せよ。それぞれを互いに結び付けるもっとも大きな感情は、信頼だ。
永遠の戦いは、世界を周りから攻めて、倒す。
何も出来なくさせた後で、支配し、簡単に変化させればいい。
それは、戦いではなく、時に、救いだ。
植物の精神に、何があるんだろう?
脳が無くても、精神はあるのだろうか?
神経細胞という区別が無いはずだ。
感じていないとしたら、植物とは何なのだろう?
動物は、辛い。
人間も辛いが、すぐに死ぬ野良猫や野良犬など、辛い生き物は多い。
書くのを辛いと思っているが、書くのは楽だ。
自然な変化は、影響力と対峙によって、争いごととともに、平和で自然な世界を作る。
それは、環境を変化させ、統治する。
そして、それは自然に、あらゆる場面で残る。
会社は、すべきこと、出来ること、出来ないこと、立場と責任だ。
会社は世界を変える。利益だけではなく、AppleやGoogleなどのように。
新しい人材を取り入れ、意見し、議論することで、会社はあらゆる新規のプロジェクトを行う。
自由競争はまだ良いが、安値競争はつまらない。
しかし、会社の視点から見れば、あらゆることを考えるための前提として、安さというものはある。
自由から出発して、正しいことと経験を知れば、それは、あらゆる分野と場面や状況を知り尽くした、超人を生むだろう。
経験主義、理性主義は、同じものだ。
自分の知恵と他人の知恵を集めて、経験と正しさの中から、総合的に関係性から分析して考えた、理解と知である。
世界を知るならば、職業と環境や人生を、自分がなった気持ちで、予想して知りなさい。
理論は、具体的なものが無ければ分からない。
具体的な、月や太陽、植物、動物、物理などの事例から、抽象的な法則や相対性を分かるしかない。
社会にある善と悪を知りなさい。
自由と思うか、平等と思うか、正しさと思うか、啓発と思うか、経験と思うか。
その中で、社会にある正義と悪は、自分の判断基準によって、善と悪に分けられる。
民主主義は、自由と多数決だ。
普通の人間である他人が出来たことは、同じ分野であれば、自分にも出来る。
つまらないことを全部知りなさい。
一時的に馬鹿を許すことで、それを永遠に続けることで、賢いことが出来る。
善は、皆を受け入れる気持ちと、いつまでも同じことを努力する気持ちだ。
狂うことは、悪いようで、時に良い。
いつまでも狂っているのは悪いが、一度大きく狂うのは、あまり悪くない。
誰も悪くないとはいうが、悪い人間は悪い。
しかし、いつまでも嫌いなままでは悪い。悪い人間も、そんなに悪くない。
迷惑をあまりかけないこと。
そして、高校時代は、色んな事を自由にすることだ。
神経質にならず、また、拒絶反応を示さず、冷静に無関心であれるべきだ。
統治をしたかっただけ。
王と戦争がしたかっただけ。
狂って出来ても意味が無いが、それくらいで分かった。
あとは、永遠があった。
全てが分かった人間が、フランス人となって対話している。
世界を全て知っている。正しい行いをする。
あとは、自分を治したかっただけだ。
足を怪我したが、治すためには、痛みだけではなく、マッサージをし、叩き、動かすことだ。
指を動かす時に使う筋肉の部分をつければ良い。
政治とは、正しい口と行いといきざまを持つことだ。
理解とは、文章と想像力から、きちんと分かることだ。
生命も、普通のものも、ただのものだ。血肉が神経によって動いているだけである。
脳をつけるためには、まず、精神を直し、思い出して選択肢を考えることだ。
脳をつけるためには、音楽と数学、執筆が良い。
理性は、人間の心であり、知性は、人間の持てる全てである。
世界は、学習と経験だけで、日本的に全てを分かることが出来る。
時は、ときにそこにはない。どこにも無いのにある。それは、変化と変転である。本当にあるのだろうか?
葉っぱの美しさ、ツリー構造の美しさは、宇宙の真実につながる。ネコの可愛さや、リンゴの甘さは、宇宙の理性を暗示している。
考え方は、ITとプログラムの開発に全てある。
日本的に考えると、治安、インフラ、識字率、経済規模、を重視すべきだ。
正しい行いとは、悪いことや犯罪を許さないことと、絶対にしないことだ。
王になりたいのであれば、多少の狂いを許して、まともな理性とともに、世界に意見することだ。
王は、絶対権力者であると同時に、民衆の指導者だ。
人のまねをしなさい。人から学びなさい。実現するための条件を知りなさい。考えなさい。
知性を持つためには、他人を知ること、そのために考えることだ。
日本は、全てを同じ、日本国民である日本人にする。
不平等や、右翼は悪い。百姓を武士が武力で支配するのは、あまりに不平等だ。
右翼や左翼は、皆を同じにし、殺す。そういうものが、一番悪い。
機械は、組み合わせて作る、部品と組み立ての、動力とエネルギーで自動に実行される、便利性を与える製品だ。
不安なら、泣いても良い。全てを諦めて、つまらないことを言えばいい。何も思わないよりも、何か思うことだ。
絶望感や達観をする必要はない。良く考えれば、誰も陥れるものは居ないことに気付くだろう。
発見は、理解と知の演繹と帰納だ。
真実は、自分の持つ思考の延長線上にある、「それくらいで正しい知」だ。
そのまま、考え方を深めることで、人は全てを自分の思考から知ることが出来る。
日本人であるためには、「今ここに居る」だけではなく、それ以上のことを分かることだ。
構造的なもの、構造的な文章は、抽象的で検索的な知と比べて、賢さで負けるが、正しさと分かることで勝つ。
構造的な方が良い。その方が、きちんと良く分かる。
科学的に考えなさい。
皆とともに、友情と絆の中で生きなさい。
孤独と宗教の中で生きるよりも、その方が良い。
しかし、時に孤独は、あらゆる次元の力を放つ。
それは強大で、全てを超える言葉の力を持つ。
科学的に考えるためには、自然を信じることだ。
全て、自然発生的に起きる。それぞれは、正しい理由を分かることで分かる。
ときに、日本人でありなさい。
日本人的に、分かっていることを1つ1つ分かれば、それは自由でゆったりとした知の創造を生む。
正しい世界を決めているのが、僕だ。
まず、自然と自由、可能性があること。
次に、信頼と愛、希望があること。
そして、単純な逆があること。
最後に、価値の創造があることだ。
人生は、最初から、二度普通がある。
楽が全てを分かれば、永遠の地獄を生む。
そういう風に、全て分かる。
自然にあるべきものは、命とものだ。
法則としてあるものは、「くっつく」という現象だ。
あるべき言語は、日本語と英語だ。
あるべき世界は、文化の共存と、支配だ。
あるべき国は、解放性豊かで、正しく、強く、豊かな国だ。
信頼がそこにあるとき、他方が他方より、不平等に勝ったり、傷つけたりしてはならないが、
しかし、金と奉仕などのように、ときに不平等に努力することが、平和的に国を発展させることもある。
守るべきものは、愛するものだ。
愛するもののために、努力し、つくすことが良いこともある。
しかし、そこには、無数のさまざまな問題がある。
それを克服することも、また、愛することである。
自由にすべき、というならば、パソコンが一番自由だ。
平等にすべき、というならば、ネットが一番平等だ。
そこにある問題は、あまりに自由すぎ、平等すぎることへの、嫌悪感である。
苛立ちを覚えることがあっても、冷静に対処せよ。
それは、自分が負けることへの苛立ちだが、同時に、そこで負けてしまえば、終わりだ。
生命の真実は、退化と老化に過ぎない。
放っておいて成長しなければ、人は賢くならない。
しかし、退化とともに分かることも、ときに多い。
ただ知性があるだけの大人では、何も分からない。
考えて覚えれば、知性はつく。
論理と照らし合わせで、適用と連想から分かるとすれば、相対的な知も理解できる。
多角的に考えなさい。
楽な世界と、信頼のある世界と、自由な世界を、同時に作るべきだ。
希望を拒否すると同時に、希望を復活させることだ。
楽な世界では、全てが揃っていて、全員豊かだ。
信頼のある世界では、愛情や友情あふれる、悪いことの禁止された世界がある。
そして、自由な世界では、個人の努力によって、色んなことが出来る。
反すること。そして、従うこと。あるいは、同じことをすること。
それは、ときに、ただの自由と解放、楽が勝る。
思い出し、反省して、色んな事を正しく分かると良いだろう。
宇宙は、自然であるべきだ。
宇宙は、多様であるべきだ。
そして、宇宙は、可能性豊かであるべきだ。
音楽は、孤独な人間にとって、終わった人間にとっては、テレビなどつまらないから、良い。
発見は、本の中にある。どれか1つを抜き出して発見することも、良い。
愛とは、信頼とは、本来何なのだろう?希望や勇気は、ありふれていて、つまらない。
人間は、真実と真理を知る生き物だ。
人間の経験とは、唯一、自由だ。
世界観は、人を成長させ、感受性は、人に希望を与える。
そのことを、決めて、考えなさい。
世界と宇宙、国を決めて、自己を正し、色んな事をしなさい。
表現とは、唯一、自由だ。
表現は、愛と関係性の中での、お互いの価値観の共有だ。
表現は、自然と理性とともにある、美しさと、人格だ。
議論は、つまらなくても身になる、貴重な実体験だ。
議論し、相手とともに、人を導いて分かることで、人は言葉の王となる。
創造は、ダイナマイトに着火して起きる、爆発だ。
エネルギーはただ1つ、継続であり、発展もただ1つ、継続である。
世界は、自分の可能性のために用意された自由な空間であり、金と生産手段と研究施設だ。
知は、構造化された方法と、情報化された世界、知性である。
世界は、さらに暗闇になる。暗闇世界でしか、知性がつかないからだ。
組織を作ることが自由でなければ、自由は無い。
逆に、組織を作ることを禁止しなければ、平等は無い。
慈愛は、後ろから全てを見守っているものでもあれば、細部まで事細かに教えるものでもある。
全ての知は、銀河のように、世界に最初からある。
それは、誰かが発見することで、世界に拡散する。
それはいつか、世界が滅びて、消え去ってしまうのだ。
人間を全て愛するためには、何もしないことか、何か全てすることか、どちらかしか出来ない。
自分の続く理由が分からないならば、していることを考えれば良い。いつか、終わるだろう。
やりたいことをしなさい。
辛くても、耐えなさい。
一度頑張って耐えてしまえば、その後は楽にできる。
悪いものを拒絶するのは良いが、どちらかというと、受け入れた方が良い。
その方が楽だし、賢い。
世界を知りなさい。
しかし、世界は、そんなに良いものではない。
悪いものや不条理なものなんて、いくらでもある。
そこに失望せず、見てみないふりをして、通り過ぎることも良い。
愛に満足せず、自由を貫くことも良いが、
そんなに考えても、仕方ない。
一定レベルの成功であれば、受け入れるべきだ。
環境から、自由になりなさい。
その環境の中では、不条理なことによって、縛られてしまう。
一度解放されてしまえば、自由に反省することが出来る。
世界よ、孤独なもの、悲惨なものを生まず、平和であってほしい。
達成するまで、やりたいことを努力することも良い。
しかし、出来ることを続け、出来ることを増やすべきだ。
書くことを止めるより、対話することを止めた方が良い。
想像力と読解力から、世界を知ることも出来る。
大学や経営に似たことを、文章の中ですることも出来る。
平和を豊かに生き、ことあるものを知ることも良いだろう。
国のために発展させることも良い。
しかし、己のアイデンティティを貫くことが、時に大切だ。
正義は、本当に自分の中だけにあるだろうか?
他の言うことも、時に参考にすべきだ。
自分の独断で決めることが、本当に皆にとって、良いだろうか?
皆の意見を聞くべきだ。
それは、助け合いだけではなく、批判もある。
恐れることも、おかしくはない。
未来と過去の世界にあるべきものは、人間と時間だ。
経験は、ときに自分を馬鹿にする。
しかし、知性も同じで、ときに自分を空白にする。
それは、どちらかだけではない。バランスを見て、見極めることだ。
皆、思考力をつけなさい。
思考と自己対話によって、人間の理性が高まる。
僕ははたして、いつこのブログを止めるのだろうか?
良く考えて、自由の方が良いと思う。
なぜなら、その方が色んなことが分かる。
あとは、最低限生きられるのは、良いと思う。
生きられなければ、自由などない。