日記に戻る | 2014年10月の日記に戻る

=2014-10-29=

共存、環境、協力、相互の関係、などを考えて分かっていた。

続くように書けば分かる。

目的と主体を考えれば、哲学が出来るかもしれない。

人間は、目的と支配で分かる。

人間には、実存と本質がある。

ものには、変化と作用がある。

ものには、命題と法則がある。

人間や生命は、自己目的として生きている。

自分のために生き、自分の力で変わるが、簡単には変わらない。

ものや機械は、他者のためにある。

自分のためでなく、自分の力で変わらないが、簡単に変えられる。

そのように、目的や主体を考えれば、哲学が出来る。

支配や認め合いから、それぞれの関係を考える。

想像力で町や生活、関心、視界などを考えると、人間の活動と社会の影響力が分かる。

いつも辛かっただけで、今何も辛くない。辛かったのを忘れれば良いだけだ。

想像力や心理の自由で、啓蒙や民主主義、古代復興などを分かっていた。

昔の僕は、色んな場合の心境を考えて分かっていた。

全部続くようにすれば楽になる。

あればある。なければない。だが、どちらでもない、別の可能性、別の命題を考えることが出来る。

思い出して、良く考えれば分かる。

民主主義とは、王が出来るか、少数の貴族が出来るか、民衆や市民が出来るか、その代表が出来るか、であり、少数が決めるか、多数が決めるか、全員が決めるか、王や革命家が決めるかだ。

哲学とは、そのように、思想を比較して、何と何が関係し、左右するか、考えることだ。

平等とは、格差を固定化せず、階層を無くし、主権を国民にすることだ。

アリストテレスやヘーゲルのように、もっと社会のことを良く考えれば分かる。有用性や功利主義など。

あとは、どんな法律を作れば良いか、考えていた。

皆が協力して、一人一人を生かす法律を作ると良い。

そして、創造性のある社会を作れと言っていた。

会社は法律で同じに出来る。だが、それは良くない。

インフラは、一度決めると変えられない。耐久性のあるものにする必要がある。

手段は、ものだけでなく、人間や社会の手段もある。

社会を全部作った。手段を成り立たせた。

全てを説明した。

分からなくなって、止まればすぐに分かる。

人間は、善人が分かる。日本が分からないのは、善も悪も無い小さな島国だからだ。

奉仕を無意味と言うが、そういう善人が自分だ。

人間には、知覚、認識、想像力、理解力がある。そういうものを悟性と言う。

また、総合的な判断力がある。そういうものを理性と言う。

哲学では、先天的な理性と経験を考える。ア・プリオリと言う。あとは、因果性を考える。

ものは単純なのか複雑なのか、宇宙や法則は何なのか、神は居るのかなどを考える。

科学的に原因を考えれば分かる。

金は、買えば買うほど安くなって発展する。

金は、助け合いのツールだ。

日本語を覚える。ものの名前をそのまま言えば良い。分かるのがおかしい。

永遠に続いた方が、楽になる。このまま賢くなれば良い。

コピーやバックアップは、一日一回で良い。

その法則が経験的なものなのか、それとも先天的なものなのか、良く考えると、経験的な法則が分かってくる。

何かの経験に先立つ何かの事象があるはずだ。

あとは、まるでコンピュータのシステムのように、人間と社会を分かっていた。

昔から、基礎の構造体を作って分かる。最近は、その構造の通り文章を書いていただけだ。

昔の僕は、ア・プリオリのように、経験と記憶を考えて分かっていた。

言葉は先天的に分かる。そのため、何をしても分からない。

自分は、階層的、メタ的に考えて、予測した。自分の数学を作った。

経験の方では、理性と照らし合わせて、心理的、影響力的に支配した。それくらいの経験があった。

記憶と経験と啓蒙の発見と気付きが多かった。感情で考えれば分かる。本当の安心が分かった。

宇宙とは、遺伝子による機械だ。自由とは、機会の平等だ。

あとは、言語的に分かっていた。表現と言葉遣いから、自由と概念が分かった。

記憶と記憶、認識と認識の比較から、独自に世界観を分かった。

人生の場面を照らし合わせながら、人間の理由と可能性を分かっていた。

守るべきものを守りたかった。変化可能な世界から、自然と自由の可能性を分かっていた。

自由と存在を実存的に考えていた。ハイデガーというよりは、サルトルに近かった。

理解の段階と、視野の広がりから、意識が賢くなって、全ての意識が分かった。

人間は、環境に支配される。

人間は、言葉遣いと宇宙の法則に支配される。

人間は、支配を超えて、新しい存在になることが出来る。

全ての支配を超えて、可能性を高めることが、自由だ。

そういう馬鹿な発想が、本当に多かった。

今考えると、ニーチェのように見える。当時は、キリストのようなつもりだった。

手段と経験を知る土壌を作って、環境を比較して分かっていた。

デカルトのように見えて、ハイデガーのようだった。

社会は、自由で独立性の高い社会が好きだった。平等が嫌いなようで、自由は平等と同じだった。

全ては経験的な記憶であり、意識で分かる。

木のツリー構造は、宇宙生命から生まれた。

場の意識で分かる。

そろそろ、ロシアが要らない。スコープやフィルターを消した方が良い。

無意味な強制をせず、有意義なことをすべきだ。

辛くなるとロボットが死ぬ。動いているものを見れば良い。時計を辿る以外に適応する。

変化が分かっていない。言って変わるのがおかしい。

動くものを見ていると、目が良くなる。

意識の数学は、変化の根拠が分かっていた。そろそろ消した方が良い。

頭が評価してゼロとイチを返す機械になった。

動くものを一度忘れて覚えると治る。

そういうロシアが死んだ。

文字の種類は多い方が良い。

頭が動かないと、人間が動く。

自然に任せていれば良い。

ここに居れば治る。

頭を使えば治る。

頭の中の電波を飛ばす部分が死んだ。

電波を受け取るのを止める。

ネットで戦う自分が怖い。それを消せば良い。

昔は、論理明晰な想像力があった。

世界は、ネットを排除した方が良い。

世界から一度愛を消して、何もない無にする。

自分を全部消す。

腹を消す。おかしな心が腹にある。

皆を下から愛するのがおかしい。上から倒せば良い。

神の感情を消せば治る。神との対話が悪い。天使も要らない。

自分は、夢の住人がやっている。200人ぐらいに増えた。もう不可能をしなければ良い。

もう自分には分からない。

夢の世界を消した。おかしな想像力のせいで、日本語が分からなくなった。

平和な環境に適応すれば良い。日本が平和で無いのがおかしい。日本を平和にすれば良い。

自分が勝っていると、平和になる。だが、地獄になる。

地獄を解決するためには、死ぬしかない。ただ、自分を信じなければ良い。

僕は、本当にもう何もしない。皆、僕を楽にしてほしい。辛いだけ、もう何もしない。

ただ、この文章はまだ書きたい。まだ終わっていない。政治には、何もしない。

全部逆を言っている。イエスと言ってノーと言う。逆を言うのをもう止めた方が良い。

馬鹿のままで居れば良い。自分が二人居る意味が無い。逆の逆を言うのは、疲れるだけだ。

多重人格が治るから、新しく分かるのをもう止めた方が良い。

緊急事態なのに、まだ分かっているのがおかしい。辛いだけだ。

自然な考え方と科学的方法で分かっていた。

変化を感覚で分かっていた。

科学的に変化を分かっていた。

変化を全て分かっていた。

因果応報だ。全て、自分の思うせい、するせいでそうなる。

地獄が幸福なだけだ。

5分休めば良い。それですぐに楽になる。

書くなら書く。書かないなら書かない。止めるなら、自分だけ分かれば良い。

もう、書きたくない。

治すと辛い。治さなければ楽だ。どうすれば良いのかなんか、考えなくて良い。

もう、全て楽だ。

恐怖の原因を考えていた。

コンピュータやインターネット、社会や芸術などの、独創的な発想が多かった。

社会や心理のことを色々考えていた。

理性と倫理で考えて、結果を知って、本当にすべき正しい行動をせよ。

人格を尊重し、助け、必要なものを与えよ。

手段と助言を与えよ。自由に受け入れ、受け止めよ。

その問題は、問題と分かってしまえば、もう、問題で無くなる。

子供と同じ視点に立って、自分の置かれた立場を教えて理解させることが自由だ。

分かる必要のないものを消して、分かる範囲を減らして分かる。だが、限界は大きい方が良い。

相手の立場に立て。導け。思い出して、想定せよ。

知は、考え方と理解の融和であり、記録と名前と分類だ。

その通り分かるために基礎を築け。

人間の数だけ知が存在する。その共有が科学だ。

想像力と可能性と存在を、方法で考えていた。

古代の神話や文明を考えていた。

方法を改善せよ。全体像から機械を作れ。常識と科学の構造を作れ。

宇宙には、概念と知と方法がある。

純粋に理解と方法を全部書いていた。