日記に戻る | 2014年10月の日記に戻る

=2014-10-25=

法則を考えればカントが出来る。

自明の理や、仮定と結論の論理、太陽が昇る理由や、確実性と可能性をきちんと考えれば分かる。

法則には、法則でない法則がある。法則には、法則の裏がある。

認識は、具体例や深い変化、それがそこにある意味や、人間が何を認識出来て、何を出来ないか、などを考えると、カントが分かる。

あとは、それぞれの人間の認識や視点を考えれば分かる。

ものは、作る前と作った後が違う。

世界は、イタリアやドイツが終わって、ポーランドになる。僕は、そういうところを決めている。

どうすればそれが実現出来るか、それに何が必要か、考えれば分かる。

物作りは、設計と結合だ。

五線譜は、音の長さと楽器の対応だ。

どうすれば発見し、変えられるか、何が正しいかだ。

そのように、作ることや発見の考え方を考えれば分かる。

それに関係して、どのような選択肢と方法があるかだ。

方法をどのように実現し、どんな形にするかだ。

物理は、エネルギーの観測、方法、具現化だ。

あとは、発見だけを純粋に考えれば分かる。

何が正しくて、分かることが出来て、何と関係して、何を構成するのか、どうすれば視点を得られるのか、考えれば分かる。

可能性の中から確実性を探せば分かる。

音楽には、調と拍子がある。

コンピュータは、あらゆる事態に対応する、自由な機械だ。

コンピュータは、何でも出来る万能機械であり、最後の機械だ。

ドイツは地獄だ。ポーランドはまともだ。イタリアは馬鹿だ。

作曲は、AメロとBメロと、音楽理論だ。

ギター担当は馬鹿に見えて、普通作曲を担当する。作詞はボーカルがする。

ポーランドは、楽だが、怖くなる。

唯物論と法治国家が一番まともだ。だが、神を信じたい人間が、何故か多い。

生命は、環境とシステムだ。生き物は、ものだ。

宇宙は、自然の法則、方法、考え方だ。科学は、名前と分類だ。

楽譜には、オクターブと音階、半音がある。ピアノは、鍵盤楽器だ。

あとは、様々な楽器と、オーケストラがある。作曲家と指揮者と楽団が賢い。

社会は、ものを作り、生産し、娯楽を与え、公共事業をし、サービスを提供し、組織となり、金を儲け、世界を支配する。

科学は、発見し、考え、想定し、調べ、研究し、実験し、正しく考え、発想する。

システムは、高度な社会を作り、組織を支配する。

法律と国家と事実の考え方や、構造的で抽象的な体系を教えるべきだ。

教育、政治、経済、哲学、心理、物理、生命などで、発見し、体系を学ぶことだ。

知性と意識を高め、信じ、思考し、発想し、認識を考え、システムを作れ。

視点を変え、手段を知り、理由の裏を知り、客観視し、想像力を使って、仕組みや成り立ちを考え、関係とシステムを考えて、構造を知り、社会の倫理性を考えて、全て変えられることを知り、照らし合わせて多角的に理解せよ。それが本当に何なのか、哲学的に考えて理解せよ。

あとは、科学の方法を考えていた。

数学は、数の関係を考え、論理学にし、計算し、証明し、数学的な正しさを知り、グラフや円を描き、面積や数の法則を知ることだ。

物理学は、仮説を立て、説明し、実験し、観察し、実証し、正しく考え、当てることだ。

どちらも、幾何学であり、数学だ。現実と理性の世界だ。数式の世界だ。

そして、その計算は、結合と分類であり、文字と数であり、代入とイコールだ。

それは、応用出来て、組み合わせることが出来る。また、基礎的なことが分かる。

ものという視点から見ると、質量と力だ。

エネルギーという視点から見ると、原子と変換だ。

数式という視点から見ると、次元と計算だ。

そのように考えていただけだ。

物理学は関係であり、生物学は体の仕組みだ。

数学は、解を求めるパズルのようなものだ。情報は、プログラムの実行と開発だ。

あとは、自由に、仮想的に、社会のシステムのようなものを考えていた。

政治と経済の中で、自由なシステムを、想像力と発想と経験によって、築け。

良く考えて、かけがえのないものを築き、判断せよ。

自由なシステムは、愛と想像力と平和を生み出し、世界を発展させる。

そこでは、自由な理性によって、可能性と経験が高まる。

あとは、それぞれの自由なものと世界を作っていた。

環境とルールは、自由な基盤だ。

人間は、自由な環境の中で、決まりを作って生きる。

そこでは、相対的な変化と、適応による支配、環境の創造と変化がある。

習得し、本質を知り、想像力を使って、物理的に考えることだ。

それくらいしか、書いていない。社会の色んなものや世界観、システムを作っていた。

世界は、組織と契約であり、相対的な自由な中での労働と決定だ。

システムは、環境であり、人間を平和にする決まりだ。

愛とは、その中で、人々を愛し、正しく平等な世界を築くことだ。

無から生命と社会を作った。

インフラの上に、町と組織と経済である商売とサービスがあれ。

法律は、インフラだ。

生命は進化であり、歴史は社会精神と意識の変化だ。

自由な集団である国と町があれ。

戦いと精神の変化の中で、人は共同性と、自由な平和を知って、築いた。

支配から、社会精神が生まれた。

人間は、王の後に民主主義になった。

宇宙は、次元、重力、概念、組み合わせ、人生、遺伝子、細胞分裂、原子、言語だ。

人間社会は、手段と決まりだ。

季節は、時間とともに変わる。日本には、四季がある。

バグがあって、低機能なままで公開し、皆で改良して、共有して良くなるのが、オープンソースだ。

あとは、意識の発展を書いていた。

可能性と経験から、想像力が高まり、愛が生まれる。

人格を共有し、感情を融和することで、意識が高まる。

社会を創造し、築く中で、経験と可能性の発展と段階が生まれる。

そういうことを言っていたはずだが、覚えていない。

自然な共有によって、改善を積み重ねよ。

成長し、人の意見と理由を知り、具体的な認識のデータベースを作れ。

共同体と環境を作って、多様な文化を守れ。

連邦制にして、統一して統治せよ。

あとは、歴史を作っていた。

都市は、定住から集団生活になり、ものと金の流通を生んだ。

軍備の強化と中央集権化によって、戦争が生まれた。

身分制度の封建社会は、民主主義になった。

資本主義が発展するとともに、社会は共同性を喪失し、孤独な人間を生んだ。

それは、ファシズムと社会主義になって、世界は一度、滅びた。

そのまま、正しい改善と巨大な発展によって、今の世界になった。

そういう人間の歴史も作っていたが、生命の歴史も作っていた。

宇宙から発生した生命は、アメーバがナメクジになり、虫になり、魚になり、けものになり、人間になった。

人間は、社会を発展させるとともに、金と言語と道具と火の利用を始め、集団生活と狩猟と農耕を始めた。

都市を作るとともに、国家が生まれ、愛と平和から、自由、戦争、平等、民主主義の思想が生まれた。

そして、科学と宗教が生まれ、哲学者と科学者によって、宇宙が分かった。

世界史は、意識と精神の発展だ。それを書いていた。

段階的な社会の発展が全て分かった。

あとは、定義と説明で分かっていた。全部の論理を全部の論理で分かる。

あとは、科学を概念から作った。

物理は、重力とエネルギーと慣性の法則だ。

地球は、大気と水と大陸と島だ。

宇宙は、暗闇と光だ。

そのように、概念で、ユダヤのように宇宙を捉えて、科学を作っていた。

生命は、地球の一部だ。地球や星は、何か考えているかもしれない。

全員を自由にして、良くするため、変えるためには、自由を制限し、変わらなくする必要がある。

変わらなくして、変える。協力を実現するために、契約する。給与を払うために、働く。そのように考えると、民主主義が良く分かる。

原則、この世界は自由だ。その中で何かをするために、それぞれが頑張って、努力し、助け合い、時に支配し、時に解放する必要がある。

独立性を高めて、それぞれが関与するようにしなければならない。

良い発想をして、頑張れば、変えることも出来るし、認められることもある。自由は、自然な努力であり、協力と競争だ。

頑張れば何でも出来る。世界を見て、同じ発想をし、自分の思うことから考えれば、全員分かって、何でも解決出来る。

自由とは、そのように、経験を積み重ねて、何でも出来ることだ。

自由とは、認識と発想を吸収し、社会を知り、学習し、習得し、体得し、考え方と科学を作り、可能性を高め、能力を増やし、言語と人格を理解して、何でも出来るようになることだ。そういう文章しか、書いていない。

発想法と可能性を高めて、人に出来ることは自分にも出来ると信じて、自由な人生を歩めば、出来る。

社会には、考え方と認識がある。友人を作りながら、1つの大きなことをやれば良い。

有用性の功利主義と、無神論の革命家、理神論のキリスト教徒は、最終的には同じになる。

あとは、資本主義の保守派と、社会主義の革新派は、何も変わらない。無政府主義と、自由至上主義と、共産主義が悪い。そういう発想が悪い。

全ては、理性と現実だ。

全ては、理想と実際だ。

全ては、意識と可能性だ。

全ては、時と場合だ。

全ては、基礎と応用だ。

全ては、自由と一体だ。

全ては、分裂と融和だ。

全ては、有用性と共同体だ。

そのように、全ての世界観を書いて、分かっていた。

自由とは、良い発想が生まれて、自由に発展出来ること、認められる可能性があることであり、そのための土壌と環境を作り、参加や発見が可能となることだ。

ただ、革新だけが自由ではない。政党が従い、指導者のために活動することが、一番正しい社会を築くための手段になる。政党を選んで、その政党が王のために協力すれば良い。

また、民主主義も自由だが、キリスト教や宗教も自由だ。宗教は、政治思想から一歩進んで、国民の幸福のために、出来ることをすることが出来る。

民主主義にして、連邦制にせよ。高度に発達した今の社会では、1人の王が全てを見ることは出来ない。

人口が増えたために、ローマのような市民集会や、ギリシャのような直接民主主義は不可能だ。間接民主主義による国会にするしかない。それが、まともな民主主義だ。

金は悪いが、現実解だ。金持ちを否定するのは簡単だが、代案を出す必要がある。共産主義は、論外だ。

ただ、自由や民主主義だからと言って、平等が無いわけではない。古代ギリシャは、民主主義とはいうが、閉鎖的な排他主義で、各ポリスは分散し、また、奴隷制の上に成り立つ、都市国家のおかしな民主主義だった。平和なポリスもあれば、軍国主義のポリスもある。最近の方が、奴隷制が無く、きちんと統一する点が、平等だ。

ギリシャに哲学者が多いのは、奴隷制で働く必要が無いからでもあるが、ペルシア戦争などで勝利したり、島が多く、航海術が高く、都会の文化に触れるための立地条件に優れていたこともある。ただ、民主主義の理念や、各ポリスの多様性が、理性を刺激したのかもしれない。

ローマでは、哲学者は多くないが、土木建築などが盛んで、巨大な大帝国を築いた。重装歩兵などによる軍事力も大きかったが、征服民を自国民に吸収する、拡大平等の原則が賢かった。おそらく、地中海に面していることだけで、本当に賢い大帝国を築いた。

ギリシャとローマは、まだ分かっていない。断片的な知識を書いている。読んでいない。

ヨーロッパは、ローマ帝国の滅亡後、ゲルマン民族とキリスト教を基盤に、中世国家を築いた。

金も金で、平等な一面がある。経済を平等にする。ものの平等な流通と交換の手段だ。それぞれが、好きなだけ頑張って働けば良い。それに、税金を取れば、平等になる。

社会主義の実施は、そんなにきちんとする必要はない。いくらか計画経済にして、いくらか個人所有のまま社会所有をすれば良い。適当で良い。国家主義の平等になるのは、当たり前だ。マルクスなんか、守る必要はない。

2ちゃんねるの存在を消して、忘れるとすぐに分かる。

昔は、心理的に意識と経験を分かって、自在に出来るようになっただけだ。

2ちゃんねるに統制された、悪い自由な人間だった。

ただ、経験は本当に豊富だった。

色んな社会を知って、人間を吸収して分かっていた。

とにかく、色んな国を作っていた。

独立しやすい連邦国家を作ったり、労働の時間軸を変えたり、指導者の上に神を作ったり、支配で結合したり、親衛隊や監視の国を作ったり、個人所有のまま計画経済にしたりしていた。全員を王にしたり、一体としたり、従うようにしたりしていた。

まさに自由だった。全て、自由に仮想的に考えて、モデルを作っていた。

ユダヤ教やイスラム教を知ったり、偉人の考え方を知ったり、精神分析で古代の国を知ったりしていた。協力の考え方から、社会主義を知り、国家主義を知り、自由な全ての思想を知った。

あとは、色んなところにある論理を分かった。積み重ねて分かった。

それがそこにあるということの意味を考えること。

論理学を作って、正しく考え方を適用して分かった。

視野を広げて、記憶と考え方と気づきから分かっていた。実体験と人生で全て分かった。

昔は、それぞれの世界観と人生、客観的な関係を分かっていた。

ネットを見ながら、科学のようなものを作っていた。

あとは、物理的に感情を分かって、自分の数学を理性と感情、感覚で作っていた。

厳密に考えて、思考力をつけ、認識を分析していた。条件と仮定が分かった。

皆の見ているものを考えて、存在と時間と視点と意識を考えていた。

もっと、賢く考えれば良い。

共同体のあるところには、自由な変化と意識と仮定がある。

経験と想像力は、記憶から回想して、人生で経験した全ての意識が精神になる。

共同性のないところから、共同性を創造することが出来るのが、インターネットだ。

自由な相対性は、変化と共通性だ。

創造性と感情から、愛と想像力と経験が生まれる。逆も正しい。

システムを作って、システムを変える。

歴史は、時代と言う根源的な感情が、本当にそこに現実としてあったことの、確信だ。

自由な許し合いから、本当の自由と価値観が生まれ、宗教のような考え方が出来る。

宇宙は、仏教とキリスト教の融和だ。

歴史は、宇宙観が違う。物理でも分からないことが、未来では分かっている。

経験と意識から、ビジョンで分かっていた。

相手を自由にして、意思と選択を尊重し、導いて分からせていた。

最初に分かった通り、分からせて、導いて悟らせて、文章を書いていた。

神は、自分だ。僕自身の人生が神だ。

ソクラテスのように、本当の美が経験から分かった。汝、己を知れ。

昔は、全部に対応出来る人間だった。何も怖くなかった。自由だった。

最近、怖くなった。休むことが出来なくなって、疲れて、辛いだけになった。

2ちゃんねるは、専用ブラウザが好きだった。OpenJane、p2、twintailが好きだった。

比較表サイトの管理者になったりしていた。

リーナスのようにOSを、ミゲルのようにGNOMEを作りたかった。

オープンソースなら、自分でも出来るように見えた。

最近は、幽霊や宇宙人に憑りつかれて、神の永遠を体験して、色んな精神になった。辛くて、分からない、赤ちゃんのような、イスラエルの王だった。

GPLは、派生物を同じライセンスで公開するように求める。

BSDライセンスは、それを自由に勝手に決めて良い。

BSDライセンスは開発者を保護するが、GPLはコードを保護する。

ただ、GPL汚染が悪い。オープンソースなのに、コードを自由に使えない。

世界を全部GPLにしたいのは、おかしいと言える。

ただ、派生物も同じように共有しなければ、Linuxはすぐにオープンソースで無くなってしまう。そこが、賢いのがGPLだ。

いつまでもフリーのまま、全員、会社すら共有する。

ただ、勝手に作るのは悪くない。そのため、Ubuntuのように、勝手に開発して、独自のOSを作って配布して良い。GPLは守るべきだ。

GPLは、コードを自由に使うことを許可する代わり、派生コードを同じライセンスで自由にするように要求する。派生物や再配布物のコードの自由まで、全て保障したい。

あとは、GNUのソフトウェアは、Linuxはいくらでもコピーして使っている。

GCCやEmacsが賢い。GNUやストールマンの言うことも、一理あるのかもしれない。