法則を考えればカントが出来る。
自明の理や、仮定と結論の論理、太陽が昇る理由や、確実性と可能性をきちんと考えれば分かる。
法則には、法則でない法則がある。法則には、法則の裏がある。
認識は、具体例や深い変化、それがそこにある意味や、人間が何を認識出来て、何を出来ないか、などを考えると、カントが分かる。
あとは、それぞれの人間の認識や視点を考えれば分かる。
ものは、作る前と作った後が違う。
世界は、イタリアやドイツが終わって、ポーランドになる。僕は、そういうところを決めている。
どうすればそれが実現出来るか、それに何が必要か、考えれば分かる。
物作りは、設計と結合だ。
五線譜は、音の長さと楽器の対応だ。
どうすれば発見し、変えられるか、何が正しいかだ。
そのように、作ることや発見の考え方を考えれば分かる。
それに関係して、どのような選択肢と方法があるかだ。
方法をどのように実現し、どんな形にするかだ。
物理は、エネルギーの観測、方法、具現化だ。
あとは、発見だけを純粋に考えれば分かる。
何が正しくて、分かることが出来て、何と関係して、何を構成するのか、どうすれば視点を得られるのか、考えれば分かる。
可能性の中から確実性を探せば分かる。
音楽には、調と拍子がある。
コンピュータは、あらゆる事態に対応する、自由な機械だ。
コンピュータは、何でも出来る万能機械であり、最後の機械だ。
ドイツは地獄だ。ポーランドはまともだ。イタリアは馬鹿だ。
作曲は、AメロとBメロと、音楽理論だ。
ギター担当は馬鹿に見えて、普通作曲を担当する。作詞はボーカルがする。
ポーランドは、楽だが、怖くなる。
唯物論と法治国家が一番まともだ。だが、神を信じたい人間が、何故か多い。
生命は、環境とシステムだ。生き物は、ものだ。
宇宙は、自然の法則、方法、考え方だ。科学は、名前と分類だ。
楽譜には、オクターブと音階、半音がある。ピアノは、鍵盤楽器だ。
あとは、様々な楽器と、オーケストラがある。作曲家と指揮者と楽団が賢い。
社会は、ものを作り、生産し、娯楽を与え、公共事業をし、サービスを提供し、組織となり、金を儲け、世界を支配する。
科学は、発見し、考え、想定し、調べ、研究し、実験し、正しく考え、発想する。
システムは、高度な社会を作り、組織を支配する。
法律と国家と事実の考え方や、構造的で抽象的な体系を教えるべきだ。
教育、政治、経済、哲学、心理、物理、生命などで、発見し、体系を学ぶことだ。
知性と意識を高め、信じ、思考し、発想し、認識を考え、システムを作れ。
視点を変え、手段を知り、理由の裏を知り、客観視し、想像力を使って、仕組みや成り立ちを考え、関係とシステムを考えて、構造を知り、社会の倫理性を考えて、全て変えられることを知り、照らし合わせて多角的に理解せよ。それが本当に何なのか、哲学的に考えて理解せよ。
あとは、科学の方法を考えていた。
数学は、数の関係を考え、論理学にし、計算し、証明し、数学的な正しさを知り、グラフや円を描き、面積や数の法則を知ることだ。
物理学は、仮説を立て、説明し、実験し、観察し、実証し、正しく考え、当てることだ。
どちらも、幾何学であり、数学だ。現実と理性の世界だ。数式の世界だ。
そして、その計算は、結合と分類であり、文字と数であり、代入とイコールだ。
それは、応用出来て、組み合わせることが出来る。また、基礎的なことが分かる。
ものという視点から見ると、質量と力だ。
エネルギーという視点から見ると、原子と変換だ。
数式という視点から見ると、次元と計算だ。
そのように考えていただけだ。
物理学は関係であり、生物学は体の仕組みだ。
数学は、解を求めるパズルのようなものだ。情報は、プログラムの実行と開発だ。
あとは、自由に、仮想的に、社会のシステムのようなものを考えていた。
政治と経済の中で、自由なシステムを、想像力と発想と経験によって、築け。
良く考えて、かけがえのないものを築き、判断せよ。
自由なシステムは、愛と想像力と平和を生み出し、世界を発展させる。
そこでは、自由な理性によって、可能性と経験が高まる。
あとは、それぞれの自由なものと世界を作っていた。
環境とルールは、自由な基盤だ。
人間は、自由な環境の中で、決まりを作って生きる。
そこでは、相対的な変化と、適応による支配、環境の創造と変化がある。
習得し、本質を知り、想像力を使って、物理的に考えることだ。
それくらいしか、書いていない。社会の色んなものや世界観、システムを作っていた。
世界は、組織と契約であり、相対的な自由な中での労働と決定だ。
システムは、環境であり、人間を平和にする決まりだ。
愛とは、その中で、人々を愛し、正しく平等な世界を築くことだ。
無から生命と社会を作った。
インフラの上に、町と組織と経済である商売とサービスがあれ。
法律は、インフラだ。
生命は進化であり、歴史は社会精神と意識の変化だ。
自由な集団である国と町があれ。
戦いと精神の変化の中で、人は共同性と、自由な平和を知って、築いた。
支配から、社会精神が生まれた。
人間は、王の後に民主主義になった。
宇宙は、次元、重力、概念、組み合わせ、人生、遺伝子、細胞分裂、原子、言語だ。
人間社会は、手段と決まりだ。
季節は、時間とともに変わる。日本には、四季がある。
バグがあって、低機能なままで公開し、皆で改良して、共有して良くなるのが、オープンソースだ。
あとは、意識の発展を書いていた。
可能性と経験から、想像力が高まり、愛が生まれる。
人格を共有し、感情を融和することで、意識が高まる。
社会を創造し、築く中で、経験と可能性の発展と段階が生まれる。
そういうことを言っていたはずだが、覚えていない。
自然な共有によって、改善を積み重ねよ。
成長し、人の意見と理由を知り、具体的な認識のデータベースを作れ。
共同体と環境を作って、多様な文化を守れ。
連邦制にして、統一して統治せよ。
あとは、歴史を作っていた。
都市は、定住から集団生活になり、ものと金の流通を生んだ。
軍備の強化と中央集権化によって、戦争が生まれた。
身分制度の封建社会は、民主主義になった。
資本主義が発展するとともに、社会は共同性を喪失し、孤独な人間を生んだ。
それは、ファシズムと社会主義になって、世界は一度、滅びた。
そのまま、正しい改善と巨大な発展によって、今の世界になった。
そういう人間の歴史も作っていたが、生命の歴史も作っていた。
宇宙から発生した生命は、アメーバがナメクジになり、虫になり、魚になり、けものになり、人間になった。
人間は、社会を発展させるとともに、金と言語と道具と火の利用を始め、集団生活と狩猟と農耕を始めた。
都市を作るとともに、国家が生まれ、愛と平和から、自由、戦争、平等、民主主義の思想が生まれた。
そして、科学と宗教が生まれ、哲学者と科学者によって、宇宙が分かった。
世界史は、意識と精神の発展だ。それを書いていた。
段階的な社会の発展が全て分かった。
あとは、定義と説明で分かっていた。全部の論理を全部の論理で分かる。
あとは、科学を概念から作った。
物理は、重力とエネルギーと慣性の法則だ。
地球は、大気と水と大陸と島だ。
宇宙は、暗闇と光だ。
そのように、概念で、ユダヤのように宇宙を捉えて、科学を作っていた。
生命は、地球の一部だ。地球や星は、何か考えているかもしれない。
全員を自由にして、良くするため、変えるためには、自由を制限し、変わらなくする必要がある。
変わらなくして、変える。協力を実現するために、契約する。給与を払うために、働く。そのように考えると、民主主義が良く分かる。
原則、この世界は自由だ。その中で何かをするために、それぞれが頑張って、努力し、助け合い、時に支配し、時に解放する必要がある。
独立性を高めて、それぞれが関与するようにしなければならない。
良い発想をして、頑張れば、変えることも出来るし、認められることもある。自由は、自然な努力であり、協力と競争だ。
頑張れば何でも出来る。世界を見て、同じ発想をし、自分の思うことから考えれば、全員分かって、何でも解決出来る。
自由とは、そのように、経験を積み重ねて、何でも出来ることだ。
自由とは、認識と発想を吸収し、社会を知り、学習し、習得し、体得し、考え方と科学を作り、可能性を高め、能力を増やし、言語と人格を理解して、何でも出来るようになることだ。そういう文章しか、書いていない。
発想法と可能性を高めて、人に出来ることは自分にも出来ると信じて、自由な人生を歩めば、出来る。
社会には、考え方と認識がある。友人を作りながら、1つの大きなことをやれば良い。
有用性の功利主義と、無神論の革命家、理神論のキリスト教徒は、最終的には同じになる。
あとは、資本主義の保守派と、社会主義の革新派は、何も変わらない。無政府主義と、自由至上主義と、共産主義が悪い。そういう発想が悪い。
全ては、理性と現実だ。
全ては、理想と実際だ。
全ては、意識と可能性だ。
全ては、時と場合だ。
全ては、基礎と応用だ。
全ては、自由と一体だ。
全ては、分裂と融和だ。
全ては、有用性と共同体だ。
そのように、全ての世界観を書いて、分かっていた。
自由とは、良い発想が生まれて、自由に発展出来ること、認められる可能性があることであり、そのための土壌と環境を作り、参加や発見が可能となることだ。
ただ、革新だけが自由ではない。政党が従い、指導者のために活動することが、一番正しい社会を築くための手段になる。政党を選んで、その政党が王のために協力すれば良い。
また、民主主義も自由だが、キリスト教や宗教も自由だ。宗教は、政治思想から一歩進んで、国民の幸福のために、出来ることをすることが出来る。
民主主義にして、連邦制にせよ。高度に発達した今の社会では、1人の王が全てを見ることは出来ない。
人口が増えたために、ローマのような市民集会や、ギリシャのような直接民主主義は不可能だ。間接民主主義による国会にするしかない。それが、まともな民主主義だ。
金は悪いが、現実解だ。金持ちを否定するのは簡単だが、代案を出す必要がある。共産主義は、論外だ。
ただ、自由や民主主義だからと言って、平等が無いわけではない。古代ギリシャは、民主主義とはいうが、閉鎖的な排他主義で、各ポリスは分散し、また、奴隷制の上に成り立つ、都市国家のおかしな民主主義だった。平和なポリスもあれば、軍国主義のポリスもある。最近の方が、奴隷制が無く、きちんと統一する点が、平等だ。
ギリシャに哲学者が多いのは、奴隷制で働く必要が無いからでもあるが、ペルシア戦争などで勝利したり、島が多く、航海術が高く、都会の文化に触れるための立地条件に優れていたこともある。ただ、民主主義の理念や、各ポリスの多様性が、理性を刺激したのかもしれない。
ローマでは、哲学者は多くないが、土木建築などが盛んで、巨大な大帝国を築いた。重装歩兵などによる軍事力も大きかったが、征服民を自国民に吸収する、拡大平等の原則が賢かった。おそらく、地中海に面していることだけで、本当に賢い大帝国を築いた。
ギリシャとローマは、まだ分かっていない。断片的な知識を書いている。読んでいない。
ヨーロッパは、ローマ帝国の滅亡後、ゲルマン民族とキリスト教を基盤に、中世国家を築いた。
金も金で、平等な一面がある。経済を平等にする。ものの平等な流通と交換の手段だ。それぞれが、好きなだけ頑張って働けば良い。それに、税金を取れば、平等になる。
社会主義の実施は、そんなにきちんとする必要はない。いくらか計画経済にして、いくらか個人所有のまま社会所有をすれば良い。適当で良い。国家主義の平等になるのは、当たり前だ。マルクスなんか、守る必要はない。
2ちゃんねるの存在を消して、忘れるとすぐに分かる。
昔は、心理的に意識と経験を分かって、自在に出来るようになっただけだ。
2ちゃんねるに統制された、悪い自由な人間だった。
ただ、経験は本当に豊富だった。
色んな社会を知って、人間を吸収して分かっていた。
とにかく、色んな国を作っていた。
独立しやすい連邦国家を作ったり、労働の時間軸を変えたり、指導者の上に神を作ったり、支配で結合したり、親衛隊や監視の国を作ったり、個人所有のまま計画経済にしたりしていた。全員を王にしたり、一体としたり、従うようにしたりしていた。
まさに自由だった。全て、自由に仮想的に考えて、モデルを作っていた。
ユダヤ教やイスラム教を知ったり、偉人の考え方を知ったり、精神分析で古代の国を知ったりしていた。協力の考え方から、社会主義を知り、国家主義を知り、自由な全ての思想を知った。
あとは、色んなところにある論理を分かった。積み重ねて分かった。
それがそこにあるということの意味を考えること。
論理学を作って、正しく考え方を適用して分かった。
視野を広げて、記憶と考え方と気づきから分かっていた。実体験と人生で全て分かった。
昔は、それぞれの世界観と人生、客観的な関係を分かっていた。
ネットを見ながら、科学のようなものを作っていた。
あとは、物理的に感情を分かって、自分の数学を理性と感情、感覚で作っていた。
厳密に考えて、思考力をつけ、認識を分析していた。条件と仮定が分かった。
皆の見ているものを考えて、存在と時間と視点と意識を考えていた。
もっと、賢く考えれば良い。
共同体のあるところには、自由な変化と意識と仮定がある。
経験と想像力は、記憶から回想して、人生で経験した全ての意識が精神になる。
共同性のないところから、共同性を創造することが出来るのが、インターネットだ。
自由な相対性は、変化と共通性だ。
創造性と感情から、愛と想像力と経験が生まれる。逆も正しい。
システムを作って、システムを変える。
歴史は、時代と言う根源的な感情が、本当にそこに現実としてあったことの、確信だ。
自由な許し合いから、本当の自由と価値観が生まれ、宗教のような考え方が出来る。
宇宙は、仏教とキリスト教の融和だ。
歴史は、宇宙観が違う。物理でも分からないことが、未来では分かっている。
経験と意識から、ビジョンで分かっていた。
相手を自由にして、意思と選択を尊重し、導いて分からせていた。
最初に分かった通り、分からせて、導いて悟らせて、文章を書いていた。
神は、自分だ。僕自身の人生が神だ。
ソクラテスのように、本当の美が経験から分かった。汝、己を知れ。
昔は、全部に対応出来る人間だった。何も怖くなかった。自由だった。
最近、怖くなった。休むことが出来なくなって、疲れて、辛いだけになった。
2ちゃんねるは、専用ブラウザが好きだった。OpenJane、p2、twintailが好きだった。
比較表サイトの管理者になったりしていた。
リーナスのようにOSを、ミゲルのようにGNOMEを作りたかった。
オープンソースなら、自分でも出来るように見えた。
最近は、幽霊や宇宙人に憑りつかれて、神の永遠を体験して、色んな精神になった。辛くて、分からない、赤ちゃんのような、イスラエルの王だった。
GPLは、派生物を同じライセンスで公開するように求める。
BSDライセンスは、それを自由に勝手に決めて良い。
BSDライセンスは開発者を保護するが、GPLはコードを保護する。
ただ、GPL汚染が悪い。オープンソースなのに、コードを自由に使えない。
世界を全部GPLにしたいのは、おかしいと言える。
ただ、派生物も同じように共有しなければ、Linuxはすぐにオープンソースで無くなってしまう。そこが、賢いのがGPLだ。
いつまでもフリーのまま、全員、会社すら共有する。
ただ、勝手に作るのは悪くない。そのため、Ubuntuのように、勝手に開発して、独自のOSを作って配布して良い。GPLは守るべきだ。
GPLは、コードを自由に使うことを許可する代わり、派生コードを同じライセンスで自由にするように要求する。派生物や再配布物のコードの自由まで、全て保障したい。
あとは、GNUのソフトウェアは、Linuxはいくらでもコピーして使っている。
GCCやEmacsが賢い。GNUやストールマンの言うことも、一理あるのかもしれない。