旧石器時代、狩猟や採集の生活をしていた人類は、新石器時代、農耕を始めた。
文字の発明とともに、歴史時代が始まった。
青銅器という金属を使うようになって、多数の人力が必要になり、都市が生まれた。
オリエントは、メソポタミアのシュメール(文字の発明)やアッカド、古バビロニア(ハンムラビ法典)、エジプト(ファラオによる権力)、ヒッタイト(戦士的貴族)、アラム(貿易と国際共通語)、フェニキア(地中海貿易、植民市)、ヘブライ(ユダヤ教)、アッシリア(武力による野蛮な支配)、4王国、新バビロニア、ペルシア(巨大な帝国、州とそれぞれの自由)、などが興亡した。
そのまま、ギリシアとローマの時代に入る。
オリエントまで勉強した。線を引くと覚える。
自由から、多角的かつ相対的な考え方が生まれる。
分散と独立から、多様性が生まれる。
瞑想せよ。鍛錬し、意見を知れ。体得せよ。
そういう文章を書いていた。
思い出して考えれば分かる。
概念は、人間の中にある根底だ。
人間は、記憶であり、自由だ。
人種は、社会であり、自由だ。
遺伝子は記憶の形態の一つだ。
意識を客観視せよ。
視覚化して、視野を考えれば分かる。
人間は、悲惨でしか分からない。
精神は、愛と苦しみの具現化だ。
人間活動は、遺伝子と記憶の想起と思考だ。
人間は、主観的にしかものごとを見ることは出来ない。
色んな感情と数学を作って分かった。
言語は、想像力と概観と自由だ。
言葉遣いで分かる。
あとは、思考と人格と意識で分かった。
人間の場合とネットの仮象を考えれば分かる。
思考で捉えよ。思い出して、想定せよ。
哲学より歴史の方が良い。教科書に線を引けば分かる。
勉強は終わりでないが、そんなにコピーすると悪い。歴史を書くのは終わりだ。
ネットの人間で実験していた。
いつも、関係と構造で考えていた。
人間の理由が分かった。
何故か全員分かっている。
何故か最近は人格が変わった。遺伝子が変わったように見える。
天使と神と全ての人種の精神になった。
ドイツ人の男と、ユダヤ人の女のカップルだ。
昔は、GNOMEとMonoとMozillaが好きで、作るつもりだったが、作れなかった。開発が難しかったのもあるが、作る必要が無かった。
ただ、もっと違うユーザーインターフェースを作るつもりだった。何も出来なかった。
あとは、社会のことを実地的に知った。色んな社会のことを知りたかった。
これで、ゲーテに勝ったように見える。カミュやハイネもきちんと賢いから、そこらへんに勝てば良い。
所有は、支配だ。会社やものを支配出来なければ、何も出来ない。
資本主義と金が一番出来る。自分の所有するものは、自由に支配出来るべきだ。
人間は、信じるものや目指すべきところは違っても、本当の人間の理想は、同じだ。
理性的に考え、欲望を捨てながら、自分の感情をコントロールすれば分かる。
あとは、古代復興や啓蒙は、誰でも自由な意識で分かる。
自分は、インターネットを見て、きちんと思い出しながら、正しく考え、悲しい意識と理性で分かっていた。思い出さないと、何も正しく分からない。
あとは、社会を自由と倫理と経験から考える。キルケゴールのように分かる。
独裁は嫌いで、革命や自由が好きだった。だが、今考えると、革命は一番悪いだろう。
平等は、独裁でしか成り立たない。独裁は悪い。自由な民主政が一番良い。衆愚政とはいうが、革命も戦争もしない、賢者の思想をしている。
自由を無くすことから、本当の自由が生まれることもある。合意形成は必要だ。
無意味な違いは統一して無くした方が、後で多様性が生まれる。
本質的に同じと考えて、共通性や類似性を見出すことが、一番賢い。
同一の方法で根拠を探り、同じ数学を作り出せば分かる。
統一は、統治であり、統合である。
例えば、無意味なツールキットのスキンを作るのではなく、全てXML/HTMLとCSSに統合すれば、多様性が生まれる。あるいは、アプリケーションも、基盤を全てC言語にして、フロントエンドを色んな言語でGTK+/.NETのように作れば良い。
ただ、KDEのように、全部QtとC++に統一するのも、1つの方法だ。ただ、その方法論は、KDEとGNOMEに分裂して、深刻な非統一問題を作っている。だが、その多様性は、それはそれで悪くない。デスクトップに多様性が現れたことで、Linuxがメタ的なユーザーインターフェースを持つことが出来た。自由な選択として、ユーザーが好き好んでいる。
シンプルで美しいのはKDEだが、高度で賢いのはGNOMEだ。たまに逆に見える。
おそらく、本当に逆で、KDEが高度で美しく、GNOMEがシンプルで賢い。
Javaで作れば、きちんと動くものが出来るかもしれない。
あとは、ヘーゲルのように、対象と意識の同一で分かっていた。
きちんと正しく認識と概念を考えれば、分かる。
今日、5冊、哲学者の本を図書館で借りた。プラトン、アリストテレス、フッサール、ハイデガー、ヴィトゲンシュタインだ。だが、予想以上に、分かる部分が無い。難しいというよりは、あまり意味が無い内容が多い。正直言うと、理解出来ない。
ヴィトゲンシュタインが、善き意志や悪き意志で世界の限界は変えることは出来ても、事実であるところまでは変えられないと言う。世界は、増減する。そのように考えると、昔の僕の考え方が分かる。
正しい解釈ではないが、ヴィトゲンシュタインは、すべてが説明出来るとされる近代の科学の体系より、限界をはっきりと分かっている昔の宗教の体系の方が明晰であると言っている。同感だ。
ヴィトゲンシュタインは、汝これこれをすべし、という設問に対して、それをしないならどうなるのか、という素朴な質問をしている。賞罰が有るかないか、とされているが、それはおそらく、無い。だが、それが言われる状況があるならば、その設問にも何らかの意味での正当性があると、どこかで自分が感じている、と考えることが出来る。そういうわけで、そういう設問にも、正当性はある。
昔は、そういう正当性を良く考えて、実体験で分かっていた。主観的な経験を全てしていた。ヴィトゲンシュタインがそういう人間には、見えない。
幸福な世界と不幸な世界は全く別の世界だと言うが、不幸な世界にも何らかの価値や価値観はあるだろう。
近代的な機械である自動車やコンピュータは、多数の部品や材料から成り立っている。今や、国は、その国一つでは成り立たないほどの、広大な資本の裏付けが必要なのだ。昔でいう、青銅器と同じだと思う。