自分の精神を自分で変えられるのが多かった。変えられるようになった。
実体験で分かっていた。
想像力と感覚で分かった。
思い出して分かった。
社会を知って全て分かった。
意識を全て分かった。
宇宙になった。
可能性を積み重ねて、全て決めることで分かる。
スターリンのように、全て決めよ。
中世のドイツ人になったり、古代の色んな国や宇宙人になったりした。
精神は、やろうと思えば色んなことが出来る。
取り組み、取り決め、システムを作って、出来ることを増やせとか、自由な賢さを書いていた。
活動の中で自由な考え方をせよと言っていた。
王になった。全てを導く王だった。
環境や影響力と言う。それぞれ出来て、適応して、実感で分かると言っていた。
あとは、哲学的なことを言う。因果性や哲学的命題のことを言いたかった。
ヴィトゲンシュタインは、像と言っている。僕は、数学的なものではないが、色んな人間の視覚的な像を考えていた。言語ゲームではないが、言葉遣いと言語を考えていた。
実体験で考え方を分かった。
木を使う時、木を切って使うために、木は死んだ木を使っている。
精神は、固定すれば治る。
細胞は、全生命に共通だ。生命は、同じだ。
地球は、一体になって生きている。考えているかどうかは、分からない。おそらく、そこは科学的に考えるべきだ。ただのものが宇宙だ。人間の一部は、本当に一部に過ぎない。
自分を考える時、精神を考えるのと肉体を考えるのは、同じことだ。
ヴィトゲンシュタインは、数学の文章の中で、証明は一度すれば再度する必要が無いと言っている。そのように、初期投資で考えると、昔の自分が出来る。
ヴィトゲンシュタインのように、明晰な文章をきちんと全て書いて、信じると分かる。最近の僕は、それだけだ。書いて、信じて分かった。頭が辛くなった。
書き直さず、加筆し、決めることから、一切失敗しない文章が生まれた。一切書き直していない。
価値観を分かった。
人間は、不幸な方が幸せなことが多い。
価値観は、協力、抑圧からの解放、信仰、創造性、利便性、平和だ。
勝ち負けとルールの中に価値観がある。
その人の望むだろうことを叶えよ。
考え方と立場を吸収せよ。
普通、計算が多い。物理的に考えれば分かる。
精神の構造と理由が分かった。
日本の歴史、世界の歴史、会社の歴史、技術の歴史、発明の歴史を知れ。
日本の文化から価値観を知れ。
最近、心配し過ぎになった。
1日に何年もするのがおかしい。
普通に1日をした方が賢い。
頭が辛く動くのは、何もしないのが悪い。
反抗して戦うのが悪い。だが、子供が反抗すると賢くなる。
ただ、強制や処罰は悪い。
きちんと教えれば変わる。
学校の勉強は誰もしたくない。好きなことをしていた方が楽しい。その方が分かる。
経験から学問や芸術や社会が分かる。
プラトンの言う哲人の王が理想だ。
あとは、手段と機会と多様性と可能性と自然を考えれば分かる。
自然な体験と考え方から、意識と認識と概念が生まれる。
体験を想定し、予測出来る。それは、環境への適応として、経験になる。
社会を知り、共同性の意識を知り、世界を変えるようになる。
考え方は、比較、想定、推論、証明、正しさ、分析、抽象性、関係だ。
沢山のことを知り、学習する中で、想像力が生まれる。
生命は、誰が作ったのか?眼球や脳、血管などが、自然に生まれたとは、考え難い。神が創ったように見えて、神は居ない。キリストのような誰かが創ったように見える。
おそらく、キリストは僕の文章のように考えた。そういう風に創ったように見える。
この世界は、夢に見える世界と何も変わらない。どこか高次元の場所で、誰かが支配している。その誰かが創った。神に見えて、宇宙人のような誰かだ。
経験と意味を把握し、デカルトのように考えること。それが出来れば、終わりだ。
全てを創造し、体験し、決定したかった。最近は、それだけだ。
プラトンのように、本質的な仮想世界、イデア、があると考えるのはおかしくない。
言葉の意味をよく捉えて考えると分かる。ロシア語が参考になる。
僕には経験が無かったようで、インターネットでの議論の経験が多かった。最近は、戦いと神と執筆の経験が多い。まともな経験をしていないから、分からなくなった。もっと、経験した方が良い。
経験を考えた文章は多かった。
経験は、自由と神と執筆だ。
経験は、それぞれの自由の中から、感情を融和させることだ。
経験から、概念と理性が分かる。
経験とは、記憶だ。
経験は、友人との絆だ。
経験とは、世界を知り、人を知り、システムを知り、理性を知ることだ。
経験から、予測し、感情で分かることが出来る。
経験とは、意識であり、全ての体験をすることだ。
経験から、世界の見方が変わる。
自由な経験によって、人間関係を築き、戦いに勝つことが出来る。
全ての経験をし、可能性を捉えて考えること。
経験は、記憶であり、人生は、自由だ。
学習と経験の関係を良く考え、人生の場面を予測せよ。
経験は、本当に、ネットの中でだけ、意味が無いほど豊富だった。
オープンソースで、会社のことも良く分かっていた。資本主義の方が好きだ。
経験論の哲学で良く分かる。ロックやベーコン、ヒュームなど。経験に頼ることで、思い込みを無くし、発見し、正しく考えることが出来る。経験から、感情で分かる。
経験論ではないが、ヤスパースやサルトルのように、全体に左右されず、1人1人の実存と、自分の生き方を考えれば分かる。
経験から自然に気づき、心の声を聞けば分かる。
あとは、見方を変えて、多角的に説明する。
認識と意識の変化から分かる。それで、ヘーゲルも包括出来る。
カントは、正しく捉えて考える人間が出来る。
ハイデガーは、それぞれの世界をきちんと考えれば良い。
ただ、哲学者が本当にそういう人間には見えない。本当の哲学者は、難しいことを考えているだけで、こんな馬鹿ではない。まさに、馬鹿だ。
哲学書を読んでいると、プラトンは悪いし、アリストテレスは賢すぎて意味が無い。ハイデガーやフッサールは、分からない。ヴィトゲンシュタインは、幼稚に見える。
感情と経験の数学を作った。思い込みが1つも無く、細部まで全部認識と概念で分かっていた。最近、忘れた。遥かに古い記憶だ。
最近は、全部創って、その時分かって、全て考えて分かった。最近と言っても、もう古い。
全部自由と理性の世界を文章で作って、それで分かっていた。
システムとは、事実と経験の自動化と可能性だ。
機械とは、構造的な手段の構築だ。
像、言語、事実、命題、組織、理性、意識、可能性が全てだ。
僕は昔から頑張りすぎて、無理をすることが多い。
全ては、存在と創造者だ。
存在の相互の関係から自由と平等が生まれる。
意識は、闇から現れる真実の科学だ。
出来るだけ抵抗するな。受け入れながら、コントロールせよ。
最近、外出するだけですぐに分かる。忘れて考えれば分かるものだ。
社会と関わりながら、経験し、自由と存在を比較して、考え方で分かっていた。
大学のパソコンのあとにキリスト教の兵隊があった。最近は、教授の哲学者の大学院の作家だ。全て分かった。全て作った。幸福だが、辛かった。
孤独には平安がある。失敗には挑戦がある。試練には人生がある。希望には夢がある。
国会できちんと議論出来ると自由だ。選挙出来ると自由だ。そういう自由を残した方が良い。悪いことが出来なくなって、皆が変えられるようになる。
あとは、コンピュータのように全部分かっていた。文章でシステムを作っていた。
出来ないことは出来ないと思って、諦めた方が良い。
諦めないからこういう馬鹿になる。そういう馬鹿は、賢くない。
哲学的に考えるためには、その方法の限界をはっきりさせ、何が分かって、何が分からないか、明確にする必要がある。特に、理性や思考の限界が重要だ。
昔は、社会と社会を比較して、実験して分かっていた。
特に、マルクスのような歴史の必然や、出来事の関係が分かっていた。
社会を仮定して、何をすればどうなるか、社会の変化と成り立ちを考えると良く分かる。
社会がどうなるのか、どんな社会からどんな社会になるのか、経験で考えると分かる。
生産手段、実現手段、研究手段を与え、インフラを作って共有し、参加可能にせよ。
変化する世界の中で、本当に普遍のもの、永遠のものは何か、真実の美と価値を考えよ。
何もかも変わって、相対的に変化し、関係し、社会は興亡するものだ。
コンピュータ科学は、方法の多様性だ。同じことをするのであっても、複数の方法を用意する。コピーやマウスだけではなく、プログラミング言語にも、沢山の方法がある。
その上で基盤を共有する。インフラやシステムの共有とは、ケータイのことを言っていた。
教育を変えれば世界が変わる。そういう自由だった。教育は、自由にすべきでない。
カントは哲学者と言っても、生や実存主義の哲学者とはちょっと違う。諸科学の基礎付けを行う、物理学や数学の基礎の考え方のような哲学者だ。
きちんと数学的に、世界を証明して、正しさを構造化して考えると、カントが分かる。
自由も、社会主義も、国家主義も、世界各国も、歴史も、学問も、哲学も、全て愛と自由のパターンの1つに過ぎない。そういう風に、統一すれば考え方として世界が分かる。
世界を分析せよ。手段や学習と思えば、世界全体を包み込む統一理論のようなものが出来る。それは、具体的かつ、実地的であれ。
昔は、ネットに分からないことを言って分かっている、自由な青少年だった。反抗も多かったが、世界に映った自分の姿を見て、失望しながら、成長した。大人と一緒だったのが賢かった。
そろそろ、きちんと数学的に考えた方が良い。哲学や歴史はもう良い。歴史は、やり方が分かったから、いつでも出来る。それこそ、あまり歴史をする意味もない。したくないなら、しない方が良い。
神を忘れて、非科学的なものを否定し、自然に科学的に考えれば分かる。それで、誰でもきちんと分かる。そうすると、カントもきちんと分かる。
何もかも、自然に起きる、全ては、推論で正しく分かる、と思えば、すぐに分かる。
本当は何が正しいのか、真実や正しさを知ろうとする好奇心が足りない。
そういうわけで、何が正しいのか分からなくて、哲学的に考えることから真実とすべきこと、成すべきことや生きる道を問う人間が出来るのが、哲学だ。
そういうわけで、ネットやテレビを見なければ、出来ない。大学や本だけを読んでも、意味が無い。世界を見るべきだ。
世界と人間を見て、ゼロからきちんと考えれば、誰でも出来るのが哲学だ。
哲学とは、真実と知を愛すること。推論は本当は何なのか、理性は本当は何なのか、きちんと考えて、世界にある仮定や方法や考え方、正しい分析の方法を知り、考えれば出来る。
あとは、具体例から認識を考える。そのようにすると、きちんと人間が全部分かるのが、カントだ。科学的方法の基礎を作ることで、あらゆるものが何でも分かるようになる。
因果性と法則の発見から、宇宙が分かる。そのまま、物理学のように考えれば良い。計算の代わりに、言葉で関係を考え、変化を思考で捉え、思考で実験する。
昔から、Linuxやオープンソースに関係して、競争のような色んなことをやった。経験のある人間にしか、分からない。哲学者は、デカルトのように、そういう人間が多い。全部知って、分かって、経験してから、何もしないと出来る。
想像力で仕事をしたり、概念で科学を考えたり、精神で色んなものになったり、ネットで経験したりして、分かっていた。そのようにすると、デカルトのように分かる。色んな経験をするべきだ。
機械の仕組み、心と社会の成り立ち、芸術と科学の発想などで分かった。ネットで意見と発想を知った。コンピュータの知識と構造の理解があった。
そういう風に、理性と経験で分かると、きちんと哲学者のようなことが分かる。
自然に任せれば自由になるとか、知見のあるものは悪いことをしない、などが、実体験で分かる。
あとは、基礎を作って、専門を横断して分かる。全てが分かるためには、森羅万象を本質的に捉えて分かる必要がある。関係と構造の知性で分かる。数学的に考えるべきだ。
あとは、思考で実験して、正しく信じ、疑えば分かる。きちんと結果と反応を見なければ、分からない。
この文章は、子供に見える。自分が、あまりに子供過ぎたから、仕方ない。あとは、虫に見えるのは、最近、虫の精神をやっているからだ。
数学の証明は、自明の理だ。自明のことを分かっていると分かる。そのため、何がそこにあって、それがあることが何を意味しているか、色んな論理学を作って分かると出来る。
あとは、Linuxの考え方を分かると良く分かる。ディレクトリは、マウント出来る。コマンドは、パイプで繋いで、スクリプトに出来る。プログラミング言語は、コンパイラかスクリプトだ。UNIXは、テキストが動いている。全部カーネルとコンパイラが、ハードウェアで動いているだけだ。構造が多い。きちんと動くようで、動くのがありえない。