政治経済の世界観3(マルクス経済学)です。政治経済の世界観1(政治一般)、政治経済の世界観2(ミクロ・マクロ経済学)も参照のこと。
マルクス経済学の本質、それは「搾取」と「疎外」だと思います。
僕の持論になってしまいますが、資本主義の経済社会において、真に合理的な社会システムを作ろうとすると、総合的な会社が専門的な業務を下請けの会社にやらせるだけの、「下請け社会」になってしまいます。
たとえば、なんらかのITシステムを開発するとした時、それをすべてひとつの会社で行うことはしません。下請けやそのさらに下請けに、重要な部分をやらせた上で、それを組み合わせてシステムを開発します。
このような結果、仲介業者ばかりが中間マージンによって儲けてしまうのです。重要なことをやっているのは、社会のほんの一部だけになってしまいます。
なぜそのような社会になるのか、それはITシステムを考えれば分かります。ITのシステムは、中核の機能はライブラリAPIを呼び出して使う、ということが基本となっています。最初からすべてを自分で作ろうとせず、基本的なAPIはライブラリに備わっており、それを使うことで、大変なことは何もしなくても、簡単にプログラムが書けるようになっているのです。重要なアルゴリズムを記述するのは、システムのほんの一部分であり、ほとんどがそうした「インターフェースの利用」の記述だけに費やされるのです。
下請けの会社についても、これと同じです。最初からすべての業務を自分の会社で行わず、別の会社に下請けすることで業務を行います。その結果、仲介業者は何もしなくても大儲けができるのです。
これについては、僕はマルクスの言っている「搾取」ということに相当すると思います。
このような搾取について、資本主義社会においては、批判する人は少ないです。その理由は、搾取を否定してしまうと、資本主義社会そのものが成り立たなくなってしまうからです。資本主義社会における、経済活動のほとんどは搾取です。工場やITだけではなく、商売一般について、あるいは芸能や音楽などもすべて搾取と中間マージンによって成り立っています。しかしながら、そうであるにもかかわらず、奴隷のように働いている労働者は非常に多いです。彼らは、「競争原理」という名の固定観念に騙されています。自らのために労働しているように見えて、実際は金持ちや資本家をさらに富めるものにするために、競争のためのロボットとして、奴隷のようにこき使われているのです。
もうひとつ、疎外ということについて言えば、人間には、みんなから排除された人間の手助けをしたくないという本能があります。
これは、子供たちの中学高校の思春期にあるような「いじめ」を考えれば分かります。
子供たちは、みんなからいじめられる子供を可哀想だと思いますが、決してその子供のことを手助けしようとは思いません。手助けした時点で、その「排除された人間と同じ仲間の勢力」だと見做されてしまうからです。
みんなからいじめられる子供のことを、子供たちは誰も助けません。これについて、僕は理性だけではなく、本能の問題でもあると思います。人間には、みんなから排除された人間の手助けはできるだけしたくない、という「社会において秩序を守るための本能」が備わっているのだと、僕は思います。
マルクス経済学においては、このような「搾取」と「疎外」を否定します。
では、このような社会を否定したとして、どのような理想の社会を築くのか。マルクス経済学を信じる国であるソ連は、計画経済によって、社会の経済そのものが政府によって「創生」されるような社会を理想としました。そこでは、書記長であるスターリンが計画経済を行うことで、国家に必要なすべてを生産します。すべての経済は国家が計画するため、倒産するようなリスクや起業家が陥るような失敗はありません。そして、そうした理想の経済社会を最低限の平等な労働であるノルマ生産によって実現し、すべての富をみんなに平等に分配するのです。
このような理想のユートピアのようなマルクス経済学ですが、間違いがないわけではありません。マルクスが言ったように、資本帝国主義が生産過剰のために滅びるということはありませんでした。大量生産は十分に安くものが人々に行きわたるような素晴らしい経済社会を実現しました。それに比べてソ連のほうは、十分にものを生産することができず、人々は搾取されていなくても、十分に生活に必要な物資を得ることができませんでした。
ですが、僕は今の民主主義の資本主義社会は、新しい危機を迎えていると思います。かつての資本主義が栄えていたのは、言ってしまえば「フロンティア」、すなわち未開領域があったからです。フロンティアがあったから、どんどん社会は進歩したのであり、そのために科学技術の進歩が有効に作用しただけです。現在の社会においてはそのようなフロンティアは存在せず、かつてのような「繁栄」はもはや地球環境の破壊などの側面から「終焉」に移ろうとしています。
IT社会のように考えられる問題は、中間マージンだけではありません。FacebookやInstagramなどをはじめとするSNSは、コミュニティのルールに従わないものをBANして排除します。まるで、ITインフラがすべて巨大テック企業の私有物であるかのようです。SNS社会においては、いつアカウントが凍結やBANをされるか、ということが分かりません。そしてBANされた時点で、その人は一般的な人間の持つ「正当なネット市民の権利」を奪われてしまうのです。これこそ、ネット時代の新しい「疎外」であると言えると思います。
ただし、SNSがユーザーをBANするのは、本当は不当な理由だけではありません。なぜなら、極右勢力があまりに台頭してきているからです。そうした極右勢力も、また人々を抑圧し、「疎外」する側です。左翼やリベラル勢力を批判し、愛国心のもとに国家の意見に従うべきだとする極右勢力は、みんなのことを抑圧する「疎外」をその通り行っています。僕はそうした極右勢力が大嫌いです。本当に今の世界に必要なのは、愛国心でもなければ戦争することでもありません。もっとほかに、人類が今のままの社会であっても救われる可能性があること、人類を救うことは自由であり、いつでも変えられる可能性があるということに気付かなければなりません。
マルクスの哲学では、すべてを「歴史の必然」であると述べます。誰かひとり悪い人間が居るのではありません。この世界を支配している最悪の支配者などは存在しません。すべては歴史がこのように経過したから、という「必然の結果」なのです。ですから、誰かひとりのせいにすることはできません。できることがあるとしたら、「この世界を救うことのできない自分自身のせいにする」ということだけができるのです。そう、この世界を救うことのできない自分が悪いのであり、悪い人間はその悪い人間が悪い人間になるようにした周りの人間たち、あるいはこの世界自体が悪いのです。
まさしく、マルクス主義者になるということは、そのように考えるということです。資本帝国主義を批判するシュプレヒコールを叫ぶだけがマルクス主義者ではありません。マルクス主義者には理性がなければなりません。そして、その理性はレーニンほど高く聡明でなければならないのです。
2022.12.07
このようなマルクス主義ですが、現代の21世紀においては、はっきり言って価値のない思想です。
意味があるとするなら、セーフティネットの構築ぐらいしかありません。
社会主義は、どこかの時点で社会に負けた「弱者」や「失敗者」を救う、という意味でしか、価値がありません。
確かに、社会保障を行うことで、生活保護や年金のような福祉の形で、資本主義では生きることができないような「生活困窮者」に対して、それなりの支援は与えられるでしょう。
ですが、そのためだけのために、社会主義経済を採用するような政府は、はっきり言ってまったく意味がありません。
マルクス主義者には、そのような生活困窮者が多いため、はっきり言って「社会に敗北した馬鹿の集団」であると言えます。マルクス主義者は、それ自体が社会そのものに負けた集団であり、当然のごとく馬鹿しか居ないのです。
マルクス主義者などには、まともな人間はなってはいけません。結局、マイクロソフトのビル・ゲイツのような資本家が賢いのです。どれだけマイクロソフトの批判をしても、それは負け惜しみです。悔しいかもしれませんが、マルクス主義者になった時点で、マイクロソフトには永久に勝つことはできないでしょう。
2022.12.07
新しい社会主義国家ガンダーラについてはガンダーラを参照のこと。
マルクスは、「労働価値説」と「剰余価値説」を唱えた。
ポイントは、労働力の値段は、「労働力を再生産するために必要な費用」で決まるということ。
資本家と労働者は、本来は対等に取引を行っている。資本家は労働力を労働者から買い、生産手段と設備を購入する。これは平等かつ対等な関係である。
しかしながら、資本家と労働者には力の差があり、資本家は資本を増やすために労働者を過酷に働かせる。労働者は永遠に苦しい立場に陥っていき、やがて労働者は資本家に革命を起こして、資本主義は打ち倒され、理想の平等な社会主義経済による共産主義社会が訪れる。マルクスはそのように考えた。
後日注記:このように書くと一見かっこよく見えるが、実際は社会主義とは、芥川龍之介が河童で言うように、100人の凡人のために1人の天才を犠牲にするものであり、決して正義でも理想でもない。
以下は参考文献。
2022.12.07編集
僕は、マルクスが言いたかったのは、労働者階級と資本家階級は、対等な契約であるにも関わらず、資本家の方が強大な力を持っていて、資本家は生産手段を独占し、労働者階級は過酷で弱い立場にさらされるということ、そして生産能力が向上すれば、供給過多で失業者が増え、自然に生産手段を社会所有によって共有し平等分配を行う、「共産主義社会」が到来する、ということだと思います。
ですが、結果的には失敗したのは共産主義の方でした。それは、大量生産によって逆に供給過多によってたくさんのものが生まれ、安くなり、安価な搾取を行うことでとても多くの利益があがり、ますますものが増えていくという「豊かさの正のスパイラル」の中で、共産圏は計画経済による供給不足に陥り、また犯罪や逮捕・強制収容所などの「まるで自分たちを苦しめた右翼に対する報復」のように、「平等が勝つための戦い」にスターリンが囚われすぎたためではないかと思います。
ただし、いつの時代も労働者階級と資本家階級の格差が、世界の中でいつでも悲惨です。社会主義は労働条件を改善し、人々が人間らしく働ける社会を作りました。それだけが、唯一の社会主義者の貢献です。一昔前までは、工場では10時間以上いくらでも働かされるのが当たり前でした。今、ブラック企業などの問題で、そうした「共産主義以前の世界」に戻ろうとしています。それはソ連が無くなり、アメリカやヨーロッパの価値観が日本を覆ってしまったことも一因です。
このまま行けば、人間は貧困家庭と中流家庭に分裂していき、身分社会に戻ってしまうかもしれません。多くの金と権力を資本家は独占し、「資本家にあらずものは神にあらず」といった感じになるかもしれません。決して、資本主義社会が間違っているわけではありませんが、現代文明の科学技術力に資本主義は少し適応しすぎたのかもしれません。
マルクスを、自分の独断と偏見で誇張しつつ現代風に解釈すると、以下のようになる(かもしれない):
まず、生産能力が過剰に向上した社会では、ものがたくさん増えて、需要と供給の関係で安くなる。
大企業は生産手段を独占しており、大量生産と搾取によって儲けられるが、町工場や中小の店舗では、生産した価値に見合うほどの対価が得られなくなる。
そして、大企業はトラストや企業連合を作り、資本を独占的に得る。
また、生産手段を持つ資本家に対して、何も持たない労働者は弱い立場に置かれる。彼らは道具やもののように扱われ、疎外され、失業のリスクに侵されながら、企業から奴隷のように扱われる。
ただし、これに対して、アメリカは経済に大量生産のモデルを採用した。労働者は生産手段を持たず資本家よりも弱いため、いくら働いても低賃金で、何をしても報われず、一部の金持ちだけが資本を持ち続け、彼らは「資本帝国主義」を作り出す。
これに対抗するためには、生産手段を共有するしかない。
おそらくカール・マルクスはそういうことを言っているが、良く勉強していないため、この記述は間違っているかもしれない。
そのほかマルクスやソ連については、マルクスやロシアを参照のこと。
みんな、日本共産党から立候補した候補のことを「おかしい」という偏見を持って、また日本共産党の主張も「おかしい」と先入観を持っていますが、僕が思うに、共産党の意見が一番まともです。
日本人は、もっと共産党の言っていることに耳を傾けるべきです。
それは、共産党は自由を信じていないからです。共産党は、「労働者を守ること」を第一に考えています。だから、末端の労働者が聞いて「一番まともな意見」を言っているのです。
日本人は、共産圏に対して偏見があります。ソ連を、崩壊した間違った国で、みんな強制労働と平等な働き方のせいで、地獄のように辛く、生活に必要なものは何もないと単純に考えています。
ですが、それらは、日本人にだけ存在する「西側の洗脳」に他なりません。西側の諸国は、アメリカや西ヨーロッパの影響で、まるで保守とリベラルの民主主義が正義であるということを信じています。確かに、保守の政治家とリベラルの政治家が考える制度は、正しいやり方と思考の方法をしており、世界を正しく発展させ、進歩させていきます。
ですが、彼らは全て、「政治家としての立場」から「トップダウンに命令する考え方」を述べます。予算はこれぐらいがあり、そのための財源は何で、世界に勝つためにどうしていくべきか、今ある社会問題を解決していくために何をしていくか、という「指導者としての上からの政策」を述べ、人々はそれを「正しい政治経済の施策」として学んでいきます。
ですが、共産党はそうではありません。彼らは「労働者や末端の家庭としての立場」から「ボトムアップに正しい制度を作る考え方」をします。
もし、共産党が勝ったとしたら、自由のない恐ろしい社会になるのだ、と人々は考えますが、それは誤解です。それは、ソ連のやり方が「まるで軍事帝国」だったから、そう見えるだけです。なぜソ連がそうなったのかといえば、外からの「革命を封じ込める干渉戦争」で「帝国と対等に戦う必要があった」からです。当時は、戦わなければ、労働者の社会を守ることはできませんでした。今の社会では、戦う必要はありません。
中国でも自由な意見や政治活動をすると逮捕されたり検閲されたりすると言って、マスコミはそうした様子を報道します。確かに中国は悪い国です。ですが、日本で社会主義をやったとして、それが悪い国になる可能性と、良い国になる可能性のどちらが高いでしょうか。確かに、ソ連や中国のような悪い国になる可能性はあります。ですが、今の中国は改革開放政策で、「自由経済による社会主義国」を作っています。日本が、そのようになったからといって、果たして政治活動を検閲する悪い国になると、最初から決めつける必要はないと思います。
たとえば、今の選挙制度は、与党に有利な小選挙区制を採用しています。小さな選挙区をたくさん配備することで、一人区の一人しか選ばれない選挙区を多く作り、自民党が大勝しています。自民党は野党のことを烏合の衆と言って、野党の選挙政策を封じ込めています。これを中選挙区にし、比例代表を中心にすべきだと共産党は主張していますが、これが悪いことでしょうか。
全ての共産党の政策を「ソ連につながる悪い社会になる」というレッテル張りをすることは、僕は労働者の正しい社会を作る上で正しいことだとは思いません。共産党によって、全てが悪い国になるわけではありません。中国は、共産党の開発独裁によって、日本を超えるGDP大国になりました。日本が社会主義国になったからとって、北朝鮮のような貧民国家にはならないでしょう。特に、日本には高度な生産能力と科学技術力があります。もともとのマルクスの資本論でも、生産能力の向上によって、多くの列強を革命で倒したのちに共産主義社会が生まれるとしたのが、カール・マルクスです。スターリンはロシアだけで一国社会主義ができるとしましたが、そうしたスターリンのおかげでソ連は失敗しました。スターリンが居なければ、ソ連が成功していた可能性もあるでしょうし、ソ連とは別個に正しい社会主義経済を実現できると僕は思います。
また、今からの日本の問題は、少子高齢化のように、「助けるべき人と、社会を担って労働し、生産する人が、別のグループになる」ということが言えます。
社会において働く「社会を担う人々」が、別の高齢者や障害者といった「助けるべき人々」とは別のグループになるのです。
また、働く人々の間でも、格差が生まれます。大学を出て、専門技術職に就いて、会社でほとんど何もしなくても、入っているだけで給与の入る「社畜」のような人々が増えているのとは別に、非正規で働いていたり、学歴や専門技術がなかったりして、奴隷のように働いている「現代の奴隷」が増えています。政治家のように、大金持ちのような家庭があるのとは別に、子供の貧困のように、貧困家庭が増えているのです。
老後2000万円必要問題などから言えるように、今の政治家や年金制度に頼っていても、社会は悪くなるばかりです。
そう、社会主義は失敗した「過去の失敗作」から、「必然的に必要となってきている」のです。これは格差や労働環境や福祉だけの問題だけではなく、温暖化や環境問題などにも言えることです。左翼思想は急速に「必要なもの」となってきています。今までの社会とは違い、自由主義はIT化によって、逆に「悪い発展」をしています。民主主義や資本主義を手放しで「良い思想」だと言える時代では無くなりました。
また、従来の社会主義は、国民を奴隷にし、人々から自由を奪いました。これは、以下のようにすれば解決できるでしょう。
反省点 | 新しい施策 |
---|---|
ものを生産できない貧しい国になった | きちんとものを生産する、大量生産と投資を用いた計画経済をする |
平等な労働と給与は努力する意味が無かった | 過剰に生産したものを自分の利益にできるようにする(中国式) 僕はむしろ、平等な中でも労働に対する意欲が生まれるように、 誇りと安定した平等な収入を与えるべきだと思う |
自由な意見が言えなかった | 自由な意見を言えるように、自由な憲法を作る 国民の自由な権利を憲法に明記し、三権分立を行う |
自由選挙をしなかった | たとえ選挙をしたとしても、自分たちが選ばれるように、 国民の支持を集めて、選挙を行う |
このようにすれば、必ず、新しい社会主義ができるはずです。
ですが、あえて言えば、そもそもそうした「古い社会主義を改善する」必要はありません。だからといって、民主主義や極右になる必要もなく、まっさらに新しい経済政策をするべきです。そこでは、金儲けをしながら平等な安定した収入を与える、といった「バランス」が必要です。これからの世界では、「金儲け」は正義ではなく、「安定した収入を平等に与えること」が新しい正義となるでしょう。そこに格差を生み出す自由経済は必要ありません。
また、自由という発想は、多くが「ハイリスクな賭け」を意味します。自由な中での成功や失敗、自分にしかできない夢を叶えるチャンスや、自分だけ違う道を生きる自由などは、全て「ハイリスクな賭け」となって、成功すれば大金持ちになり、失敗すれば敗北者となります。
ですが、自由でしかそうした「自分なりの夢」を追いかけられないのは、果たして正しいでしょうか。平等に、みんなが同じように考えたり自分なりの生き方をできるようにすることは、平等なままではできないのでしょうか。
僕は、「たとえ不自由な社会であっても、自分なりの夢と経験を得られる環境を作る」ことは可能だと思います。自分が自由な経験で分かったからといって、他の人間が自分と同じようにハイリスクな賭けを選ばなければならないわけではありません。自分の経験を、相手を危険でない環境においたままで、相手と共有し、正しい社会を作っていき、成果を社会に還元していくことは、僕は自らの自由な人生の経験から言って、できると思います。
そして、人生は果たして、使い捨てで良いのでしょうか。自分が一度正しい人生を生きたからといって、二度目は無くていいのでしょうか。もう一度、最初から再挑戦できる「再チャレンジができる社会」というのも、実現することができるのではないでしょうか。
老人や障害者に対する福祉、というだけではなく、「人々を高リスクな賭けから救いだし、失敗しても再チャレンジができる」というのは、僕はとても良い「セーフティネット」だと思います。一度失敗したからといって、二度の成功や二度目の人生を諦めざるを得ない社会というのは、僕は「自由な社会」ではないと思います。
マルクスは大学の図書館で猛勉強をして資本論を書いたことで知られていますが、その成果の通り、資本主義の問題点については鋭い分析をしています。
言ってしまえば、資本主義の民衆は資本家から疎外され、資本家から搾取されるばかりです。
そして、資本家は利潤ばかりを得ているかのように思われていますが、そうでもありません。カルロス・ゴーンのように逮捕されたり、あるいはリスクをこうむって廃業になる会社もたくさんあります。
マルクスは、資本主義の分析では正しいことを言っていると言えるでしょう。世界が自由をやめなければ、社会はどんどん疎外と搾取に陥るでしょう。
また、法治国家の特徴として、「法律で悪いものを禁止していけば、社会は進歩する」というのがあります。
ですが、アメリカや西ヨーロッパなどは、この法治国家を自由な民主主義と結びつけて、「自由主義」としてしまいました。
自由主義においては、法律で禁止するよりも、まず自由にします。そして、民衆が禁止の声を上げない限りは、それを禁止しません。
その結果何が生まれたか。それは、インターネットや麻薬などの「過剰な自由」が生まれました。
そう、そろそろ、誰かが悪いものを禁止しなければなりませんが、ここまでインターネットに依存してしまうと、もはや手遅れです。禁止することは難しいでしょう。
もっと早い段階で、IT技術を誰かが制止しなければならなかったのです。
最近、アメリカなどで極右が台頭しているのは、たとえばLinuxに端を発し、SNSやWikiなどに受け継がれた、「好き勝手し放題の自由」のせいではないでしょうか。
なんでも好き放題、個人の自由で好きなことをやり、批判からフェイクニュースまでなんでもかんでも自分が勝ち、自分が好き放題できる自由が、オープンソースのせいで始まり、そしてSNSのおかげでどんどん広まっています。
はっきり言って、今のインターネットは吐き気がします。面白いものは何もなく、ただただ、批判と争いとフェイクです。
アメリカはもう終わりでしょう。西ヨーロッパが続いていくでしょう。オープンソースなんかがあるのが悪いのです。SNSやWikiのようなもののせいで、無意味かつくだらない最悪の自由が増えています。
今、「正しい国」や「正しい社会」が必要とされています。アメリカなどの自由主義の民主主義には、何もできないでしょう。
社会主義では社会所有といった「共有」がまことしやかに唱えられますが、この鍵となるのは「自立」だと思います。
自らの手で、自らの手によって作られたものをみんなと共有する、そのために生産手段を共有し、人々と分かち合って再分配をする、といったやり方でなければ、自然な共有は生まれません。
スターリンは、何かを勘違いして、強制労働で国が生産したものを共有してあげるのだ、と思ったのでしょう。そのため、人々は命令に従うだけの、つまらないくそまじめなごろつき国家になったのです。
僕は、「自立なくして共有なし」と思います。それぞれの共同体が自立できなければ、共有は実現できません。共有よりも前に、まず自立を目指すこと、そして自立の段階から共有を考えることこそ、社会主義の実現に一番必要な「自由」ではないかと思います。
人間は、自らが自立しなければ、他の人間のことを考える余裕はなく、助けることもできません。それと同じように、社会的共有を行う上でも、まず社会が自立することでしか、他人をコミュニティの一員として加えるという「共有や手助け」はできないと思います。
今、EU離脱問題が起こっているように、イギリスの人々は「移民を受け入れる余裕はない」と言います。これも同じです。自らの国の主権や独立が尊重されなければ、他国からの移民や難民を受け入れる余裕はありません。社会主義の実現も全く同様です。自分たちの国の自立が成立することで、はじめて他国の人間に平等に与えられるのです。
経済学の本を見ていると、当たり前のように社会主義が失敗した、資本主義の市場経済がもっとも合理的(それこそ、奇跡のように優れている)という話が出てくる。
だが、彼らは嘘をついている。むしろ、嘘だと分からずに嘘をついているため、「無能」であると言える。
たとえば、資本主義では需要と供給の関係から、消費者の望むものがいつでも手に入る「自動配備システム」があり、そこではいつでもどこでも、ど田舎の山の中でも、ガソリンが欲しければガソリンが手に入ると言う。
だが、それは自動車を使う人がたくさんいるからであって、田舎の鉄道の路線は縮小されるばかりである。
また、ポーランドではマイナス10度の気温の中で、五時間待ってようやく食肉一切れが手に入ると言う。
だが、資本主義経済では、そもそも高価すぎて貧乏人には買えないものがたくさんある。自動車を買えない貧乏人は、田舎でどのように生活すればいいのか。
社会主義が大失敗で、みんなものもなく何もできず死んでいったというのは、確かにその通りである。だが、資本主義の市場経済が万能なわけではない。ここまで環境破壊を繰り返して、温暖化をどのように解決すれば良いと言うのか。
だからといって、資本主義が間違っているわけではないし、右翼も正しくはない。右翼は敵国やテロリストに対して軍事力を増強して国を守るべきだと言うが、それによって相手の軍事力がさらに向上するのが分かっていない。愚かな国境防衛主義者に従えば、軍事力や兵力は大きくなるばかりで、いずれ破綻する。そこにあるのは核戦争である。
ただし、僕は経済学全てを否定したいわけではない。また、経済学という学問が嘘をついている、と声高に主張しても、「では別の案として何があるのか」と言われるだろう。社会主義は成功しなかったから、今の政治家や経済学者が、今僕が読んでいる本のように「資本主義の合理性は正しい」というのもまっとうである。
僕が言えることがもしあるとしたら、それは「戦わない平和」である。国境をみんなで無くしてひとつの国にし、軍隊と呼ばれる超強力な兵力を緩和して、軍事力以外の方法でテロリストを押さえつけ、相手がもし戦争をこちらに仕掛けてきても、その相手を軍事力以外の解決策でおさえこみ、できるだけ対話によってその問題を解決すること、それが正しい平和の方法である。
また、金儲け全てが悪ではない。それこそ、僕は今読んでいる経済学の本も、多くの記述は参考になり、ためになる内容だと思っている。だが、冒頭から社会主義経済と市場経済の比較があり、僕は社会主義経済を擁護するわけではないが、「これは資本主義の問題を考える上でおかしいのではないか」という記述があったから、僕はこのように書いたにすぎない。
世界を正常にするために必要なことは、僕は不協和音を言うことだと思っている。みんなと同じ意見だけを持つのではなく、みんなの雰囲気や空気に飲まれない、自分だけ違った不協和音のようなことを言う。
これはある意味で危険な発想で、今の社会を根底から覆すことになるかもしれない。下手をすると滅びるかもしれない。
だが、言えることは、不協和音を言えば、僕による暗黒の支配が治る。最悪の権力者が滅びる。それは、僕だけではなく、他に居る悪い政治家や権力者も同時に滅ぼす。
だから、きっと不協和音を恐れずに言えば、この世界は正常な正しい世界になるだろう。
マルクスを考えていて分かるのは、平等にすればするほど、「賢い指導者」の存在が必要になる、ということだ。
権力を平等にし、全員で平等な社会の秩序を作るために、さまざまな社会の形態が考えられるが、どうしても行き着くのが「賢い指導者の存在」だ。
決定者、判断者としての賢い指導者の存在がなければ、マルクスも、資本主義も、どんな思想も成り立たない。
国を分析していると、そのことが確かに突きつけられる。
だから、マルクスを考えても行き着くところは独裁者であり、帝国なのである。
だからといって、社会主義体制を独裁者にすれば良いわけではない。社会主義は、経済的に見ても政治的に見ても、必ず独裁者に行き着いてしまうのである。
だから、マルクスよりも賢い指導者の輩出を考えよう。
賢い指導者を作るためには、さまざまな社会経験を積んだ、あらゆる社会悪を知って、強く生きた人間が良い。
たとえば、キリスト教徒の活動家などが相応しい。そうした、辛く苦しい体験を乗り越えて、人間のことを知りつくした人間が、指導者になるべきだ。
社会主義でも、指導者を賢くする必要はあるのである。ソ連のスターリンが失敗だったのは、単純にスターリンが馬鹿だったからだ。それが、唯一の失敗だった。
僕は、家庭にある備蓄品(食料と日用品)の補充をきちんとやれば、意外と社会主義経済もいけるのではないかと思う。
特に、食べ物は野菜と米を中心に、魚などを補充する。いつでも、数日分の食べ物は常に備蓄され、無くなったものから補充していく。壊れたものから備蓄品を与えていく。
ある意味、ソ連のような社会主義国は、それだけになってしまっている。それはまずいことかもしれないが、必ずしも社会主義経済が成り立たないわけではない。
だが、僕は、そうした配給主義はつまらないと思う。お金の自由というのは、配給に勝るものだと思う。だが、お金をそんなに信じることも、ある意味では難しいだろう。儲かったものから儲けていく。儲からないものは、いつまでも苦労し続ける。それは、社会主義経済で解放されるかもしれないだろう。
だが、このモデルの問題点は、「どのように備蓄品を生産するか」だ。マルクスは、生産能力と手段の向上から社会主義経済に移行すると言っていたが、それはならなかった。生産能力の向上は、大量生産を可能にし、さらに資本家を豊かにし、格差を広げ続けた。行動が必要とは言うが、行動しても成功しないなら、誰も行動しない。マルクスは、そこが分からなかったのだろう。マルクスが思っている以上に、人々は保守的だ。
僕が思うに、デモで左翼を言うのはまともだが、権力で左翼をすると失敗をする、と言えると思います。
何もできない左翼がいくらシュプレヒコールを上げても、何も変わりません。
ですが、いざ左翼が実権を得てスターリンをすると、最悪の廃墟の世界になってしまいます。
過激な思想はデモだけで十分、実際にやるのはもっと大人になってから、ということが言えると思います。
僕は、ソ連がやりたかったこととは、「プロレタリア独裁」と「評議会連邦」だと思います。
プロレタリア独裁とは、レーニンやスターリンのような、無産階級や奴隷階級の指導者が、リーダーシップをもって独裁するということです。
評議会連邦とは、最高評議会である国会の下に、さらにたくさんの国会・評議会を作って、その連邦を共同体・コミューンの連合体と見なす、ということです。
一見矛盾しているように見えて、この二つのバランスを取ることで、すべての人民に対して適切な計画経済とノルマを裁定することができるはずでした。
そのような「レーニンの目指した最高の国」を、スターリンはおそらく理解できなかったのでしょう。スターリンという独裁者は、ソ連を「悪の帝国」にし、スターリン自身は「赤いツァーリ」になってしまいました。
結局、スターリンが馬鹿だったからソ連は失敗したのです。計画経済が成功しなかったのは、スターリンが全知全能の力を持っていなかったからです。「レーニンの理想は高かったが、スターリンにその理想は理解できなかった」ということが、ソ連と共産主義が失敗した理由だと思います。
2023.12.30
僕は、「社会所有」という考え方自体は、間違ったものではないと思います。
まず、「社会所有にすると貧しくなる」という先入観は思い込みです。社会所有にしながら、豊かにすることはできます。
なので、もしソ連が成功したとしたら、ソ連はどの国よりも平等かつ豊かになるはずです。
社会主義は、貧しい貧乏人の思想だと考えるのは、ソ連という現実を見たから言えることであって、そもそもの社会主義思想というのは貧しい思想では決してないのです。
だから、たとえば、基本的な社会所有とオプションの社会所有を分けて、「生活が不自由なく生きられる基本の財産」と、たとえばIT技術の専門書が欲しいなら、適切な書籍のコレクションを得られるような「欲しいと思ったものに対する選択的なオプションの財産」を、誰もが平等に得られるようにすることはできるはずです。
それから、社会所有だから都市がコンクリートのような醜い町になる、と思っているのも思い込みです。なぜなら、社会所有は社会的な権限が強いため、みんなで都市を美しくしようと思えば、資本主義よりも容易にできるからです。すなわち、都市を美しくすることは社会所有ならば可能であり、日本の東京のような「高層ビルや地下フロアのような醜い巨大都市」にはならないはずなのです。
ですが、そうは言ったものの、現実の社会主義はまったく逆のものになりました。その理由は、「社会主義経済にすると働く意味がないから」です。資本主義の労働者は、まるで「お金を欲しいがために自ら奴隷になって働いている」ように見えるかもしれませんが、その理由は「そうでなければ誰も生きるためのお金をくれないから」です。これを「奴隷」であると考えるのは間違いでないかもしれませんが、では「奴隷以外の経済として社会主義経済は果たして適切なのか」という問いが言えます。すなわち、「奴隷のように働かなくても生きられるなら、奴隷のように働く人間はひとりもいなくなるため、逆に奴隷のように働いて成り立っていた社会システムそのものが成り立たなくなる」ということが言えるのです。
なので、いくら社会主義が理想であっても、現実は資本主義が正しいのです。資本主義の奴隷を「間違っている」と批判するなら、「正しい経済とはなんなのか」という「代案となる答え」を提示しなければなりません。日本の自民党に対する立憲民主党なども同じで、「与党が最悪なのは分かるが、野党は何も代案を提示できない」のです。これが、「社会主義が失敗した真の理由」だと思います。
すなわち、社会主義の考え方は間違っていません。ですが、実際に行うと失敗します。おそらく、社会主義経済を成り立たせることができるのは神だけです。馬鹿で愚かな人間には社会主義などという高尚な考え方は実現できないのです。
僕が考えた、ガンダーラの「マイナス消費税」も、これらと同じです。社会主義経済を成り立たせるために、市場経済でありながらマイナス消費税を導入するという考え方は、真の社会主義経済を実現するためのよく考えられたスマートな方法です。マイナス消費税によってものは安くなり、富の再分配は自動的に行われるため、古びた社会主義経済をしなくても真の社会主義経済が実現します。ですが、そんなものが本当に実現できるのは神だけです。人間がガンダーラを行えば、必ずスターリンと同じ間違いを犯すでしょう。社会主義経済は人知を超えた神にしか実現できないのです。
2023.12.30
2017-10-10、2017-10-16、2017-10-17、2017-10-29、2017-11-15、2017-11-16、2018-01-12、2018-01-30、2018-02-11、2018-04-12、2018-04-14、2018-04-25、2018-05-08、2018-05-27、2018-05-28、2018-06-03、2018-09-19、2020-04-14に関連する内容があります。
主に、国家主義(帝国主義・軍国主義)、社会主義(共産主義・ファシズム)、自由主義(資本主義・民主主義)に分かれます。アナキズム(無政府主義)のようなものや、緑の党などもあります。
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マルクスによる、生産手段を国営化することで搾取や倒産や株安や失業者を起こさない経済学。
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