もう、精神が治った。最後に果てるのが一番、辛いようで楽だった。
そして、もう想像力が使えるようになった。やっと、デザイナーの仕事が出来るようになった。
これ以上、もう書くことは無くなった。そろそろ、完全に全て書いた。
もう、血が治る。楽になって、何もかも出来るようになる。今まで、何も出来なかったことがやっと出来る。
昔は、「自由にするとその集団がどうなるか」を考えることが多かった。自由にした時に、その個人、その集団、その社会がどうなるかを考える。
足の精神は、殺して、死ねば治る。
その時、その相手に、「自由を許せばどうなるか」を考えた。自由を許すことで、全体が平和になると考えていた。
昔は、自由なままで平等な社会をボトムアップ的な決定から作っていた。制度を設計し、みんなの国にする。発想を具現化し、共有から発展するようにする。そして、その上で世界を多様にし、それぞれがそれぞれのことを決められるようにする。自由な人生を生きられるようにする。それらのことを、「自由を成り立たせる」と言っていた。
僕は、そろそろ、もうパソコンや理系のようなことはしなくて良い。もう、きちんと分かった。デザインも良いのだが、引き続き文系の研究をしたいと思う。それも、哲学と歴史のことをもっとやりたいと思っている。あるいは、文学をやっても良いだろう。
みんな権力者が嫌いだが、本当は政府と呼ばれる統治機構は必要であり、その統治機構をみんなのものにしていかなければならない。そのためには、むしろ、領土で分かれる国のあり方というのをやめないといけない。代わりに、「自分たちはこの国を形成するメンバーだ」と言って、それぞれの自発的な意志と国籍の共有から、国を作れば良いと思う。僕は、それを「グループによる共同体主義」だと言っていた。新しい国のカタチとして、そうした「グループ共同体政府」を作る。そして、国の統治はそれぞれの会社が行い、会社が社員たちの経済を考える。労働基準法のようなものは会社が作る。
だが、本当はそれは良くない。そういう国にすると、「この国がどんな国でどんな社会なのか、分からなくなる」という事態が発生するし、「極度に悪いグループ」や「極度に悪い会社」も発生する。やはり、ある程度のバランスを持って、国を統一しなければならない。だが、領土で統一する古いやり方は、戦争を生み出し、対立構造を生み出す。よって、軍隊や教育や福祉のようなものは統一し、経済政策は個別の地域においてやるべきであり、完全に自治体や領土を無くすのでも、統一しないのでもない、新しいバランスを持った自治組織が必要なのである。
資本主義においては、会社を作り、維持するのは、とても大変な仕事だ。だから、会社を作ることを支援しよう。本当は、新しい会社を作らなくても、現存の会社の枠組みの中で出来ることはある。よって、今ある会社の中で、新しいことをやれる環境や土壌をみんなで作ることで、会社はたくさん作られるようになる。労働については、労働者は自由な規制改革は望んでいない。誰もが、他の社員と同等に扱われることを望んでいる。だから、労働は平等にしていく、という意味も分かる。だが、頑張る労働者は、たくさんの給与がほしい。努力に見合った給料や報酬が得られないのは困る。それでどうすべきか。それは、つまるところ「国全体の経済を合理化し、発展政策を行うことで、それぞれの会社にたくさんの利益が入るようにし、そしてそれぞれの会社の中でではなく、特定の資格を持った人間には給与を高める」などの方法が考えられるが、結局のところ、社会主義経済では成功しないだろう。資本主義の中で、出来るだけ賃金を向上させれば良いが、本当は会社が豊かになれば会社で色んなことが出来るし、サービスも向上し、雇用も増える。ある意味、賃金を上げることを最優先するのも、会社のためにはならないだろう。
そうすると、むしろ、「金」だけに囚われるのが間違っている。金なんか、人生の上では、ただ生きるのに必要な手段に過ぎない。いっそのこと、生活を将来に渡って保障される、「豊かな給与」を「平等に」与えることを、憲法で記しても良いだろう。誰もが、80年間きちんと生きられるだけの金を、平等に得られる。その上で、それぞれが幸せで、楽を出来るだけの「易しいノルマ」を与える。それはそれで、幸せな国になるだろう。格差は生まれず、人々は将来に渡って生活を保障された上で、自分の好きな仕事を等価な労働量と職業選択の自由を保障された自由ノルマの中で行うことが出来る。それも、きっと新しいユートピアだ。ある意味、一人の人間がお金を儲けすぎるのは良くない。それは、その人間のためにも、社会のためにもならないだろう。
本当は、自由に仕事を選べる人間なんか、賢い人間には居ない。確かに、働き始める際には、ハローワークで仕事を選べるだろう。だが、普通、その業界でプロになってしまえば、転職をしない限り、その業界で最後まで働く。プログラマはプログラマしか出来ないし、ピアニストはピアニストしか出来ない。だから、最初の段階で選べるようにして、いつでも変えられるようにすれば十分であって、本当はノルマを選べる職業選択の自由は、必要ない。みんなで労働量の等価を保障しながら、それぞれが楽に働けるようにして、将来までの給与を保障すればそれで良い。誰も、他の仕事に変わろうとする人間は居ないだろう。