政治経済の世界観2(ミクロ・マクロ経済学)です。政治経済の世界観1(政治一般)、政治経済の世界観3(マルクス経済学)も参照のこと。
需要と供給の基本の考え方は、必要性や購買意欲に対して、十分な数量が用意されているかどうかが、ものの価格を決めるということです。
需要とは、人々が「欲しい」と思うことです。多くの人が欲しいと思うものは高くなり、誰からも欲しいと思われないものは安くなります。
供給とは、人々が「欲しい」と思っている時に、それが十分な数量だけ用意されているかどうかです。たくさんあるものは安くなり、希少なものは高くなります。さらに言えば、たくさん作ることができるものは安くなり、少ししか作ることのできないものは高くなります。
このように、ケインズ経済学では、ものの需要と供給を考えます。
ですが、お金がたくさん儲かるか、利益がたくさんあるかということは、少し話が違ってきます。なぜなら、たくさんの安いものが販売されたとして、ひとつひとつの利益は安かったとしても、たくさん売ればその分だけたくさんお金が儲かるからです。
オーダーメイドの商品は、単価としてはひとつの価格は高いかもしれませんが、簡単にたくさん作ってたくさん売ることができません。
これに対して、大量生産が可能な製品は、たくさん売ることができるので、たくさんのお金が入ります。コストに対してたくさん儲けられるために、さらにひとつの製品を安くすることができます。
大量生産できる製品と、それを可能とする資本主義の市場経済は、社会にとって必要なものや購買意欲のあるものを、安く、そして十分に生産することができます。このため、社会主義の計画経済よりも十分に生活に必要なものが多く市場に出回り、また税金の高い福祉国家よりも価格に上乗せされる税金が安く、ものの価格が安くなります。
社会主義の国家よりも、需要と供給に基づく資本主義の市場経済を採用した国家のほうが、多くの場合暮らしやすい国家になります。
ですが、資本主義社会においても、社会主義的な政策は必要です。たとえば、生活困窮者に対して生活保護をしたり、病人に対して国民皆保険制度を採用したり、あるいは公共事業をして国家の財政が赤字になったとしても国民全体に富を分配します。このような「資本主義においても政府が適切な政策をすることで、資本主義の欠陥を克服できる」と考えるのが、ケインズ経済学です。
また、市場経済を採用しているからといって、理想的な市場経済が常に行われているとは限りません。大企業は、自分の企業だけで製品の種別や市場を独占したり、安値競争を排するために企業同士がつれあうこと(カルテル)も考えられます。そのような「独占」は市場にとってよい効果をもたらしません。できるだけ市場経済を制限せず、競争原理と市場原理に任せたほうが、多くの場合経済社会はもっともよくまわります。
このような薄利多売の大量生産を、「劣悪な安物がたくさん増えるだけ」であると考える人もいるでしょう。ですが、実際は、科学技術の進歩によってテクノロジーは高度になり、高度なものが増えます。なぜなら、そのような高度なものは、この世界全体を進歩させ、この世界の人々の生活を合理的に楽なものにするために、いわば「新しい人類の生活必需品」として、高くても購入されるからです。自動車やテレビ、洗濯機、冷蔵庫などは昔はありませんでしたが、価格がたとえ高価であっても、多くの国民に購入され、また時代とともに安くなりました。
パソコンやスマートフォンなども同じです。「テクノロジーの進歩は人類を不幸にする」とは言いますが、それはテクノロジーの使い方次第です。たとえば、漫画のドラえもんでは、ドラえもんの秘密道具は最初素晴らしいものに見えますが、のび太が間違った使い方をするためにしっぺ返しを食らいます。間違っているのはテクノロジーのほうではなく、使い方のほうなのです。そして、インターネットのように、ひとりが使うのではなく、人類全員が使うようなテクノロジーは、より注意して使い方を考えなければなりません。誰かひとりが間違えるのではなく、社会全員が間違えるということは、個人の自由もなければ人類の平等もないからです。
いろいろと言いましたが、科学技術と大量生産は社会全体を進歩させます。また、資本主義の市場経済によって生活に必要なものは十分に安く生産されます。つまり、共産主義のソ連よりも、科学を信じる資本主義の日本のほうが全面的に優れているのです。
ケインズ経済学のベースとなる考え方は、「需要と供給」です。
1.需要が高くなる(何かしらの理由で個数が少なくなったり、みんなが買いたいと思うようになる)と、値段は高くなる(みんなが欲しいから、もっと高くしても買うように調整される)。
2.供給が高くなる(大量生産や効率化で個数が多くなったり、みんなが売りたいと思うようになる)と、値段は安くなる(みんなが欲しいと思わなくなって、値段を安くしなければ買われなくなる)。
ケインズ経済学は、また、需要と供給の差を調整するのは、価格ではなく「数量」であると考える。
マクロ経済学、ミクロ経済学は、こうしたケインズ経済学の考え方を元に、「ミクロな領域」(家計や会社などの小さな・個別的な領域)と、「マクロな領域」(政府などの大きな・全体的な領域)に分けて考える経済学である。
このように書くと、とても理論的で、難しいものであると認識されるかもしれないが、ミクロ経済学の多くの本は、理論と実際のバランスが取れている教科書が多く、実際的な内容(医療保険からマクドナルドの商標問題まで)をさまざまな視点から教えていることが多いです。残念ながら、多くの経済学の本では、社会主義やマルクス経済学は「間違ったもの」であると扱われることが多いです。注意して読めば、誰でもテレビのコメンテーターになれるぐらい、経済学はたくさんのことを教えます。もちろん理論的な内容もあります。
ケインズ経済学の用語を整理しよう。
用語 | 説明 |
---|---|
限界 | 増加分のこと。 100円が150円になった時の50円のことを「限界」と呼ぶ。 |
限界コスト | ひとつ(一単位)購入した時の総費用(コスト)の増加分。 コストが100円から150円になったならば、限界コストは50円。 |
限界メリット | ひとつ(一単位)購入した時の満足度(メリット)の増加分。 メリットが150円から250円になったならば、限界メリットは100円。 |
需要曲線 | 価格と需要量の曲線。 縦軸は価格、横軸は需要量。右下がりの曲線となる。 |
供給曲線 | 価格と供給量の曲線。 縦軸は価格、横軸は供給量。右上がりの曲線となる。 |
需要曲線のシフト | 所得や競争財価格が変化することによる、需要曲線の変化。 所得が増えると、需要曲線は右上にシフトして移動する。 |
供給曲線のシフト | 生産コストの変化による、供給曲線の変化。 生産コストが増えると、供給曲線は左上にシフトして移動する。 |
弾力性 | 価格が変化することによる需要や供給の変化の大きさ。 弾力性は需要・供給の傾きで見ることができる。 「どれだけ値上げすれば需要は何%減少するか」などを判断できる。 |
価格の変化は需要と供給に影響する。ケインズ経済学では「限界メリット曲線」と「限界デメリット曲線」の交点(均衡点)が最適な消費であるとされる。
所得が消費に与える効果を「所得効果」と呼ぶ。これはたとえば「たくさん給料が入ったからもっとたくさん購入する」といった具合。
ものの価格が下がることにより、あるものよりも別のものの消費が増えることを「代替効果」と呼ぶ。商品Aよりも商品Bの価格が下がれば、商品Bは消費の上で優位になる。
((図解)大学4年間の経済学が10時間でざっと学べるを参考にして執筆しました。)
2022.12.07編集
ケインズ経済学では、不景気の起きる理由を、「需要と供給のバランスが悪くなるから」であると説明する。
ケインズは、財政がもし赤字になったとしても、国が公共事業を行うことで雇用を生み出し、その結果多くの利益を出すことができると述べた。
このように、「財政が赤字になっても構わない」というケインズの考え方は衝撃的で、「ケインズ・ショック」をもたらすことになった。
(池上彰のおとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書)を参考にして執筆しました。)
このほか、経済学では、財市場(財やサービスを取引する市場)、貨幣市場(貨幣を取引する市場)という考え方を用いる。
財市場(投資と貯蓄)あるいは貨幣市場(貨幣需要と貨幣供給)において、需要と供給の両者が均衡するような、所得(GDP)と利子率の適合関係を示す曲線のことを、IS曲線(財市場の場合)あるいはLM曲線(貨幣市場の場合)と言う。
そして、IS曲線とLM曲線の二つの曲線の交わるグラフ上の交点、すなわち財市場と貨幣市場における均衡点で、国民所得と利子率が決定される。これをIS-LM分析と言う。
((図解)大学4年間の経済学が10時間でざっと学べるを参考にして執筆しました。)
2022.12.08編集
経済学の父として知られるのは、アダム・スミス。
アダム・スミスは、経済において、たくさんの生産を行うために、「分業」が重要だと考えた。
個人は、ひとりだけでは大量に製品を生産できない。この部品を作る人、別の部品を作る人、組み立てる人、そのように、さまざまな人が集まって作るから、大量に製品を生産できる。
だが、経済社会では、そうした生産の分業を、わざわざ相談したり合意したりして行っていない。
それぞれの人は、「利己心」から仕事をしている。すなわち、「金を稼げるから」「売ると儲かるから」といって仕事をしている。
そのように、それぞれが利己心から仕事をすることが、結果的に「分業」という社会のシステムを作り出すと、アダム・スミスは考えた。
また、アダム・スミスは「見えざる手」という言葉で有名だが、これは市場の自動的な調整機能のこと。
市場経済において、誰も何も人為的に介入しなくても、市場の「見えざる手」によって適切に経済社会は回っていく。
(池上彰のおとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書)を参考にして執筆しました。)
2023.11.18
庶民の生活を楽にするために必要なのは、ものをたくさん作ること。需要と供給の関係から、ものをたくさん作るとものの価格は下落し、安くなって庶民の生活は楽になります。
また、作るだけでは十分ではありません。たくさんのお金を出して買う人間に売る必要があります。このため、日本国内でのみ市場進出を行うのではなく、アメリカや西ヨーロッパのような金のある国、中国やインドのようなたくさんの人口がある国で、日本の製品をできるだけ多く買ってもらう努力が必要です。
農業国は工業国に比べて貧乏な印象があるかもしれませんが、農作物をたくさん作ることで、野菜や肉などの食べ物の価格は下落し、生活が楽になります。もっとたくさん作って海外に売れば良いのです。
ですが、外国から貿易でお金を得ようと思った時に一番できることは、「安く買って高く売る」という貿易差額主義です。自動車はこの典型的な例です。
また、競争と投資が必要です。競争は必要ですが、日本の狭い市場の中でつぶし合いの競争をすると、コスト削減やリストラなどの「切り詰めた身を切る改革」になりがちです。これでは、ブラック企業や人手不足が発生するとともに、過度な自由主義によって安定した報酬がなくなり、「先の見えない歩合制労働」になる可能性があります。
本当に必要なのは、国際競争力です。外国に勝てるように日本の企業が一致結束することで、逆に国際競争力が高まります。そのためには、会社の枠を超えた協力が必要となります。
また、投資について言えば、社会主義の計画経済は間違っていません。今すぐに儲かることだけをやっていては、未来はありません。将来的に儲かる事業を創造しなければなりません。そのためには、大企業による投資も必要ですが、大企業の事業は向こう見ずかつ巨大で、失敗した時のリスクが大きく、必ずしも成功しません。僕は中小企業・ベンチャーのような小さな企業に頑張ってもらい、ベンチャーのやったイノベーション事業を上手く大企業に買収されて吸収されるような、そんな仕組みを考えだす必要があると思います。
必ずしも、自由主義の進歩が経済に良い効果をもたらすとは限りません。福祉や税金を使った行政、あるいは文化・環境の保護や自国第一主義のように自国民の雇用と自立した経済を保護していくことも必要です。経済政策は、まずは共同体の自立から始めるべきです。そして、その上で過度な競争に陥らないように、上手く「成功者や勝者」の力をコントロールします。上手く国民全員に再配分できるシステムを最初から想定した上で、自立がきちんとできてから、発展や進歩を考えます。その段階で、はじめて正しく社会は発展し、格差のない豊かで庶民の生活が楽な経済の仕組みを作ることができるでしょう。
僕は、独自の「雇用第一主義」を掲げます。誰しても、同じように安定した給与が入るのであれば、経済成長を目指す必要は必ずしもありません。
大企業が儲ければ国民全体が豊かになるか、という点で言えば、僕はケースバイケースだと思います。
たとえば、SONYが儲かったから日本国民が豊かになるかと言えば、それはないでしょう。それはアメリカが儲ければ沖縄県民が儲かると言っているのと同じです。ドイツが儲かれば地球全体が発展すると言いたいようなものです。
ですが、大企業を含めた日本経済、たとえばSONY、松下、東芝、シャープ、富士通、日立など多くの大企業が儲ければ、それくらいの段階で国民は豊かになります。日本全体の景気が活性化され、日本は豊かになるでしょう。
ですから、極端なアベノミクス支持や不支持の論客は、「どこまでが儲かる話をしているのか」という論点を明確にする必要があります。一部の大企業だけなのか、それとも多くの日本企業全体の話をしているのか、という話をしなければいけないでしょう。
また、僕は強制的な再分配の仕組みは必要だと思います。一部の大企業が儲ければ消費が活性化され国民が豊かになると言うのであれば、何もしなくても平等で格差が無くなるはずです。実際はそうなっていません。人にはさまざまな行動や見識の違いがあり、金持ちよりも貧乏人が劣ったマインドをしていれば、必ず誰かが馬鹿を見るのです。きちんと再分配を行わなければ、格差は広がるばかりです。一部の投資家や社長が儲け続けるのではなく、平等な立場に立った上で、どのように人々に富を再分配していくかを考えなければなりません。そこに漠然とした「好循環」を唱えても、それは何も考えていないに等しいでしょう。
経済の話をする時に、「日本はアメリカ、中国に次いで三位のGDPを誇る国だ」ということを良く言われます。
この三位とは、GDPの話です。GDPとは、「国として生産し、付加価値をつけて儲けた額の総額」のことです。
よって、GDPが高い、ということは、国にたくさんの価値(富)が生まれました、ということを意味しています。
ですが、ここには大きな落とし穴があります。それは、「一人あたりのGDPで見ると、日本はまだまだ遅れており、中国などはものすごく低い」ということです。
たとえば、各国のGDPは以下のようになります(2012年の各国のGDP、総務省統計局『世界の統計2014』 - 「大人になって読む経済学の教科書(江口匡太)」より)。
国 | GDP |
---|---|
アメリカ合衆国 | 16,245 |
中国 | 8,358 |
日本 | 5,936 |
ドイツ | 3,426 |
フランス | 2,611 |
イギリス | 2,472 |
... | ... |
ロシア | 2,030 |
韓国 | 1,130 |
これが、一人あたりではこうなります(2012年の各国の一人あたりのGDP、総務省統計局『世界の統計2014』 - 「大人になって読む経済学の教科書(江口匡太)」より)。
国 | GDP |
---|---|
ルクセンブルク | 105,287 |
スイス | 78,924 |
オーストラリア | 67,869 |
スウェーデン | 55,072 |
カナダ | 52,283 |
アメリカ合衆国 | 51,163 |
日本 | 46,537 |
... | ... |
ロシア | 14,178 |
中国 | 6,070 |
ルクセンブルクはとても小さな国なので参考にならないかもしれませんが、スイスやオーストラリアと比べて、日本は一人当たりのGDPは低いのです。
そして、GDPとは「国としての強さ」であり、一人当たりGDPが本当の「国民の豊かさ」なのです。そう、日本は必ずしも豊かな国ではありません。日本国全体で見ると強い国ですが、国民の豊かさから言えば、決して高くありません。この「国民一人当たりのGDP」を強くしていかなければいけないのです。そのためには経済成長だけではなく、再分配の仕組みも構築する必要があります。スウェーデンは税金のとても高い国ですが、個人の豊かさという意味では進んだ国です。(北欧はとてもものの値段が高い。税金をたくさん取るからである。)
北欧は、ものの値段は高いが住みやすい、ということでアメリカよりも進んでいる。福祉だけではなく教育や子育て環境も優れており、新しい「北欧モデル」は日本も見習うべきである。
比較優位とは、国際的な貿易の考え方で、他の国と比較した上で優位となる産業、すなわち「自らの得意とする産業」を特に重要視して生産し、他の国と比較して優位に立てないそれ以外の産業は貿易によってまかなう、という考え方。
たとえば、日本は自動車や工業製品は得意だが、エネルギーや食糧は輸入によってまかなっている。これを「食料自給率が低くなるのは問題だ」と言うこともできるが、資本主義の考え方において、自らの得意としない農業を日本が自ら行うことは、東京の大都会の真ん中に水田を作ることと同じで、経済的に失敗する可能性の方が大きい。経済のことだけを考えるのであれば、フィリピンのようにバナナを日本が作るよりも、フィリピンからバナナを輸入し、工業製品をフィリピンに輸出してそのお金を蓄えた方が、結果的に経済成長できる。
後日注記:たとえば、優れている点と劣っている点がそれぞれ異なる二つの国が、相互に協力した時に優劣が相乗効果を起こし、それが互いの利益になること、それが比較優位の原則です。たとえば、ロシアには広大な領土と豊富な資源がありますが、日本には巨大なGDPと先進的な科学技術があります。ロシアと日本が協力することで、相乗効果が期待できます。僕の個人的な主観を言うと、僕はロシアとウクライナの戦争には否定的ですが、隣国であるロシアと日本が関係改善をすることには肯定的であり、資本主義に転換したロシアと日本の同盟は、東アジアの隣国関係として、もっとも可能性がある同盟だと思います。ただし、ロシアはかつて社会主義国だった名残りが今でも残っていて、資本帝国主義の西側諸国を平然と騙すところがあるので、日本の資産を奪われないために騙されないようにする必要があります。
後日注記:ロシアと日本の共通点として言えるのは、「右翼と左翼が逆である」ということだと思います。すなわち、普通は体制側が右翼で、その体制側の考え方に反発する勢力が左翼ですが、ロシアや日本ではこれが逆です。右翼が左翼であり、左翼が右翼なのです。なので、ロシアと日本では、思想こそ真逆ですが、わたしたちは団結して協力できます。ロシアの右翼は日本の右翼であり、それはヨーロッパの右翼の列強に対抗する「国際的左翼勢力」なのです。世界を自由かつ平等にするためにわたしたちは仲良くすべきであり、東アジアのよい隣国関係を築くべきなのです。
(大人になって読む経済学の教科書を参考に執筆しました。)
2024.04.22編集
自分の書いた「永遠の青空とともに」2023/08/17より。
ほとんどの経済学の本は、自由主義を教えている。この自由主義の経済の理論には、一見まったく間違って見えて、本当は正しい理論が多い。
たとえば、「大人になって読む経済学の教科書(江口匡太)」などに書かれているのは、税金をかけるのは、それを消費しないことを簡単に選ぶことのできるぜいたく品ではなく、消費しないことを簡単に選べない日用品のような、「税金をかけてもかけなくても消費行動を変えないもの」にかけることが、もっともよく働く。
これは、庶民的な「ぜいたく品に課税して日用品を安くしろ」というのとはまったく真逆だが、自由主義的に考えるとそのほうが正しいのである。
だから、経済を学ぶと、きちんと分かっている王がひとりで国を執り行わなければならない、ということが分かる。みんなでやろうとすると必ず間違える。経済政策はきちんと分かっている人間がひとりでやらなければならない。
そのように、経済学は庶民の逆を行く。チケットの高額な転売も、もっとも必要とされる人のところにチケットが行くという点で悪ではないと言えるし、ギャンブルも解禁すべきだと言える。逆に、公共交通機関の無料化のような現物支給は、国民の消費行動を変えてしまうということで、現金支給よりも望ましくない。そのように、庶民的な「悪」を経済学は「善」であるとする。
僕は、資本主義が嫌いです。
資本主義は、ものを購買する自由な権利が許され、科学技術も進歩していて、素晴らしい社会になっていると人々は信じています。
ですが、そのような資本主義の裏側にあるのは、マネーゲームです。
すなわち、金利、為替、株式といったツールを用いて、「どのようにしてお金を増やすか」ということを考えるのが、資本主義のマネーゲームの原則です。
マネーゲームの目指す未来、それは「過剰なまでの合理性」です。
マネーゲームは、「合理性」を正しいとします。なので、たとえば、「市場を開放して自由にすべき」「契約を自由にすべき」「労働の多様性を実現すべき」だと資本主義の原則は提唱します。
ですが、これがもたらしたものは、「競争原理」「ブラック企業」「非正規雇用」という、最悪の社会制度の数々です。
僕が今の日本の現代社会を見ていると、すべてそのような「合理性」が間違っています。社会において価値あるものを生み出すのは自由でも合理性でもありません。わたしたちは資本主義を「正しい社会」であると思い込まず、経済学者の言うことを批判的に疑う必要があります。
2023.11.09
カルテルは、さまざまな企業が協力・協定・談合して業界を独占すること。独占禁止法によって禁止されている。
トラストは、企業が株式買収などでひとつの大きな企業体となって一体化すること。
コンツェルンは、「なんとかホールディングス」のようにひとつの企業(親会社)の傘下にそれぞれの企業(子会社)を置いて支配すること。
2024.09.22
僕は、産業、労働、報酬、消費のバランスが大切だと思います。産業を発展させ、労働を自由かつ平等にし、報酬を与え、消費を喚起することで、国としての経済は成り立ち、また発展します。
また、法律は単なる国民が従うルールではなく、政府や役所に対する「命令と予算」の側面を持っています。巨大な政府機構である「役所」に対して、トップダウンで「これをしろ」と命令する、あるいは役所の方から政治家に「こんなことをしたらどうか」と提案する、それが法律の命令的な側面です。
そして、必要なのはむしろ、労働者の安定した生活であり、雇用です。雇用を生むためには、コスト削減の競争主義をやめなければなりません。確かに競争ではものは安くなって増えていきます。ですが、今の社会でものは十分に安く、品質も十分に良く、また質量ともに多いです。雇用を生むことを優先して、そのための「金銭的な余裕」を会社が持たなければなりません。そこに、コスト削減の競争は必要ありません。
また、発展や進歩のために必要なのは、「何をどのように発展させるか」です。単に経済規模を発展させて、IT技術のようなものを進歩させても、全く良い社会にはなりません。昔はカラーテレビなどたくさんの技術的発展がありましたが、そもそも、人類の歴史を見れば、発展ばかりしていた時代というのはここ最近です。そして、今のIT技術の発展というのは、僕は良い発展ではないと思います。
また、資本主義において言えることに、「銀行」という存在があります。銀行は会社に融資を行い、何億円というお金を出して投資します。また、国民の預金を株式投資など(国債や株式の売買)に使って利益を増やします。今、アベノミクスと言われている金融緩和政策などは、もっとたくさんのお金を銀行が作って、融資を受けやすい環境にしていくということです。
経済学の言うこととして、「ものをたくさん作れば豊かになる」とは言いますが、地球の大切な自然環境の環境保護も考えましょう。
ものをたくさん作れば、必ずゴミができます。プラスチックごみなどはベトナムなどにリサイクルのために輸出されていますが、現地ではゴミの山のような形相を呈しています。
そもそも、温暖化も、石油エネルギーを使って莫大な年月の化学エネルギーを使った結果です。豊かになった代わりに、責任を持って環境保護も考えましょう。
現代の日本の問題として「人手不足」や「ブラック企業」の問題が盛んに言われている。どの職場にも、その職場の業務をこなすための人材が不足しているのである。
僕は、これを解決するためには、必要のない会社やものを無くして、上手くまわすことだと思う。
日本には、現役世代で働こうとする若者の数が少なくなっている。まず、社会全体でコスト削減が進み、競争の下で余計な人材を雇用することができなくなった。人件費がかかる。それによってブラック企業のような、長時間労働が当たり前になる職場が生まれた。
それから、今の若者は、働くモチベーションも低く、給与も少ない。だからといって会社に金があるわけでもない。弱者やマイノリティなどが増えたこともあり、普通に働けない人が増えた。何より、仕事がつまらない。お金ぐらい、働かなくてもある。
ブラック企業に就きたくないなどの理由もあるし、ブラック企業を恐れることで人手不足が起き、そのせいでブラックな働き方をする悪循環が生まれている。
また、働き方も多様化している。YouTubeやヤフオクで儲けるような人も増えた。そして、GoogleやAmazonに負ける小さな店舗や施設は、人を雇えなくなり、また人材を募集しても誰も来なくなった。
ロボットや人工知能を開発しているIT業界の努力もあるが、僕は一番の解決策は、「要らない会社やものを無くす」ことではないかと思う。必要な会社やサービスに絞って上手く労働・生産システムをまわせば、きっと少人数でも人やシステムを上手くコントロールできるはずである。
ものを作りまくって、サービスを増やしまくって自由と言っていたあげく、環境も破壊され、雇用は非正規雇用が増え、その上で庶民から税金を取る今の政府は間違っている。必要なのは、サービスを増やすことではなく、もっと正しい雇用と生産を行うことではないかと思う。
ただ、僕は働き手不足の原因は良く分かっていない。団塊世代の大量退職とは言うが、僕はあまり詳しく知らない。だが、少ない人数であっても、必要な業種に絞って政府と会社が上手く連携すれば、解決できる問題ではないかと思う。大企業はもっと雇用すべきだし、競争が害になるのであれば、競争は悪である。
僕は、左翼を支持する理由として十分なのが、「非正規雇用の増加」という問題ではないかと思う。
自民党の安倍政権は、非正規雇用という言葉を無くすとまで言っておきながら、それが実現できていない。非正規雇用はどんどん増えている。
だが、選挙では自民党が勝つ。みんな、なんとなく、雰囲気だけで自民党に入れている。
ここで、選挙を否定するのでも、否定しないのでもなく、もっと労働者よりの政党が出てほしいし、労働者よりのことを言っている野党や諸派の政治家が勝ってほしい。だが、そうはなっていない。
非正規雇用の問題は複雑で、「本人が望んでその仕事をしているのだからそれで良いのではないか」とか、「雇用の拡充には繋がっている」という考え方もある。
だが、一方で政治家が大量の報酬をもらいながら、一方でダブルワークやトリプルワークの労働者がでているように、とても不安で心配である。完全に、神のような少数の集団が、ロボット人間のようになった「神に支配されるだけの集団」を支配して人類はそのまま滅亡するのではないかと思う。温暖化や核兵器の問題から、人類は「もう地球終わり」と言っている人も多い。僕は社会と文化と人々の意識も、同様に自由と格差で滅びていくのではないかと思う。それこそ、ヒトラーがそういうことをすでに言っているからである。
資源のない日本には、安く輸入して高く輸出することでしか、儲けることができません。
つまり、「安く買って高く売る」ということしかできないのです。
そのためには、「安いコストで品質の高い工業製品を製造する」ということがどうしても必要になります。
日本が科学技術立国になったのはそのためです。日本は科学技術の力で高度な機械製品を作ることで、安く輸入して高く輸出することで儲けてきました。
反面、日本では農業が疎かにされがちです。日本の食料自給率は低く、日本人が食べて暮らしていくためには外国の輸入品の食料に頼る必要があり、これには「もし戦争や国際的な食糧不足などの非常事態になった時にどうするのか」といった懸念の声もあります。
2024.05.05
フランスの経済学者トマ・ピケティの著書「21世紀の資本」では、r > gと言われます。
rは資本収益率、gは経済成長率です。rがgを上回る時、社会において格差が自動的に生まれます。経済成長率が低いほど、格差は大きなものになります。
(上記は21世紀の資本:r > g に立ち向かう。平等をどう実現する? - 知命立命 心地よい風景を参考に執筆しました。)
つまり、労働から得る収入は、どのような努力や能力があっても、資本から得る収益には勝てない、ということです。
これは、とても残酷な結論です。いくら働いても、金持ちが富を増やしていくペースには勝てないのです。
ケインズ経済学は、一種の数学です。ケインズは、経済学を数学にしました。
ケインズ経済学では、需要と供給を数学的なグラフにして考えます。需要曲線、供給曲線、そしてその交点から、市場経済における「需要と供給のバランスが一致する点」を考えます。
そして、政治経済の政策を行う際に、「このような場合はどのようにするのが正しいのか」ということを、需要と供給の理論から、数学的に考えます。
たとえば、景気が悪化し、失業率が高くなった時は、減税し、金融緩和をし、雇用を創出します。経済学的に考えて、そうすることが正しいと数学的に分かっているのです。
そのように、ケインズは経済学を数学にしたのです。
2024.08.05
経済学を数学的に理解するためには、以下の本がおすすめです。
さまざまな数学上の経済学のトピック(たとえば生産関数、利潤、完全競争、競り人など)の説明が簡単なグラフと一緒に掲載されており、数学的に大学の経済学を理解する大きな助けとなります。
2024.09.22
僕は、市場経済の本質とは、「積極的にそれをする動機と意欲を考えること」だと思います。
労働意欲だけではなく、投資をする時や、どのように経済や金が動いていくか、と言う時に、利益が存在したり、そうしない理由が無いことなどから、経済学では動機と意欲を考えます。
ただ、意欲と言うと語弊があるかもしれない。本当は、社会において金と会社・法人や消費者がどのような行動を取っていくか、と言う、「行動の動機付けと理由」を考えるのが、資本主義の経済学だ。
経済学は、労働の意欲や意志の動機づけ、自由な機会とチャンス、ルール作りと社会の可能性、そしてルーツや帰属意識を考えることで、面白くなります。これを僕は「経済学のスパイス」と呼びたいと思います。
ケインズなどのミクロ・マクロ経済学では、数量や価格による需要と供給から、政府としての政策を考えますが、僕としてはもっとボトムアップに「どんな社会にするためにはどんな制度が必要か」ということを、労働意欲、社会の実現可能性、機会の創出、ルーツと帰属意識(ナショナリズムを含む)を考えていくことで、「経済学を自分で作る」ことができると思っています。
僕の勝手な意見として、需要と供給で、たくさんのものが売れると安くなり、ものが少なくなると高くなる、という考え方は、「儲ける」時だけにしか正しくないのではないかと思う。
現実には、儲からなくても作らなければならない時はある。たとえば、ホームレスの人に食事や住居を与えることは、資本主義では出来ていない。旅人に宿を与えるとか、オープンソース・ソフトウェアを作る、などがこれにあたる。
そうした時、マルクス経済学では、生産力が十分に向上した段階で、生産手段を供給すれば、そうしたことも可能である、と考える。みんなで計画して作るのであれば、ホームレスの人の住居も作ることができる。そして、そこまで発展した場合に限って、資本主義は供給過多で滅びる。そういうことではないかと思う。
マルクスは搾取を悪だとしたが、それは儲けることを度外視したからであって、需要と供給のグラフでは、搾取は利益となって、むしろ効果的に働く。ものは安くなり、自然に資本主義は発達して、崩壊することはない。資本主義経済とはそういうものであり、決して社会主義経済に対して劣ったものでない。また、政府は儲ける以外の公共サービスを税金で作ることが出来る。
2017-09-09に関連する内容があります。
統計も参照のこと。
経済学では、富の分配の方法と市場経済(金でものを交換すること)の成り立ちを考えます。
Wikipedia
書籍
ミクロ経済学は、会社や家計などの小さな(ミクロの)範囲を扱います。マクロ経済学は、政府などの大きな(マクロの)範囲を扱います。
Wikipedia
書籍
Wikipedia