新・日記2に戻る | 2018年5月の日記に戻る

=2018-05-28=

昔は、心理学的に社会のことを分かっていた。心理学的な状態の実現(幸せと自由の実現)を知り、心理学的な意識から社会の歴史を分かっていた。

自分は、もっとIllustratorのことを知りたい。自分は、Illustratorのことを、まだ何も知らない。

昔は、心理学的に、相手のことを「許す」ことで分かっていた。言ってみれば、「許す知性」から、人間の状態的な問題の融和と共有を分かっていた。

社会全体の「システム」を考えていた。社会において、それぞれがどう関わり、どのように自由を実現し、そのように社会全体が発展していくかを書いていた。

Illustratorについて、僕は基本操作を頭に入れる地点で止まってしまっている。その後に、さまざまな応用的なことはしたが、頭に入っていない。なぜか、一度全部分かってしまってから、分からなくなって分かっている。恥ずかしいが、基本操作もまだ分かっていない。だから、基本操作についてもう一度、分かりたいと思う。本当はペンツールでパスを綺麗に引く、基本中の基本すらきちんと出来ていない。もう一度頭に入れ直したい。

決して馬鹿ではない。Illustratorは自分が一番、神のようにそこまで分かっている。なぜか、全てを分かってから、一度別の人格になり、その人格で全てを分かってから、元の人格に戻る、という方法でIllustratorを分かった。逆に、元の人格に戻ったせいで、応用的なことを忘れている。もう一度別の人格になった方が良い。

僕は、もう怖くなくなった。もう、昔の戦争地獄の方が終わって、最近の天才作家の方になった。

僕の言っている作業所では、仕事として老人ホームなどの通信の制作をやっているが、僕もこの仕事に携わるようになった。今、作業所の指導員の方と一緒に、一人でも出来るようになるために特訓中である。僕はこれまで、本を書いた以外、仕事というものをしてこなかったが、そのスタートラインを切った。一人前になるために頑張っていきたい。

作業所では、新しい本を購入した。今、自分が読んでいる。分かりやすくて勉強になる、とても良い本だ。少しずつ読みたいと思う。絵と図が多くて、簡単に読めるような構成になっているが、デザイナーの仕事とは何なのか、どうしてデザインをする時にそういうことを言うのかが分かる。特に、デザインに完全な正解というのではなく、ある意味失敗のように見えるデザインが、ある時では大成功の時もある。きちんとデザインを行うために、目的を常に考え、デザインの構成を考えるために何が出来るのか、そうした内容が、実際のデザイン例や思考の実行手順とともに書いてある。

なるほどデザイン〈目で見て楽しむ新しいデザインの本。〉

自分が何かを悲しんで怖がっているのは、赤ちゃん時代が悪い。親が、自分のことを好きになれなかった。虐待ではないが、そういう理由で昔から親が嫌いだ。

疲れるのは、いつも最大限頑張っているからだ。周りの人間を信頼しないのが悪い。もっと、信頼して、楽にすれば良い。それだけで休めるようになる。一瞬も安らげない人間は、何をしても楽にならない。

引き篭もりになったのは、学校から逃げ出したかっただけで、本当はいじめなんか受けていない。いじめではないのにいじめを怖がって、相手のことを信頼しなくなった。頑張る自分が嫌いで、親とも離れて自分だけのことをしたかった。だから、本当はいじめよりも家が悪い。そして、ネットとゲームが悪い。

狂った人間に特徴的なのは、確固たる意志を持っていないかのように見えて、本当は自分自身の自由な意志に負けないぐらいの批判的な精神を持って、今自分がやっていることを確固たる意志でやっている。

だから、狂った人間は、「そんなことよりも、もっときちんとしなきゃいけない」と思うことでは治らない。「そんなことはしなくて良い、最初から辛いことなど何もしなくて良いのだ」と言わなければ治らないのだ。

ただ、本当はそれもそれで正しくない。狂った人間は、何も出来ないから、何もしなくて良いと思い込んでいる。本当は、すべきことやしなければならないことはたくさんある。全てが終わった世界で何もしない人間は狂う。狂った人間は、そこが分からない人間が多い。狂った人間は、すべきでもないし、すべきでないわけでもない。もっと、自由になれば良いように見えて、自由も間違っている。自由とは、何も考えず選択することであって、何も考えずに選択した結果、狂った人間はそこにある。

すべきだと思うこと、しなければらないことが一向に出来ないまま時間が流れ去ることによって、狂った人間はさらに焦らされる。自分はもっとすべきことがある。だが、そのすべきだと思っていることも間違っている。一般の学校や大人が考える「すべきだと思っている洗脳」は、ほとんどが全く間違っていて、考え方そのものがおかしい。そのことによって、狂った人間はさらに狂う。この世界の全ての常識が間違っていて、自分は正しいことに気がついているのにそのことを周りに話せていないのだ、相談出来ないのだと勘違いする。それが、さらに自分の勘違いを増幅させていく。

あまり意味がないが、周りに迷惑をかけないことしかすることは出来ない。そもそも周りの人間たちも何も分かっていない。そのことが、さらに周りのことを信用させなくなるのだ。解決は難しい。だが、治らない精神病など存在しない。今、自分が頑張っていることを頑張っていれば良い。コミュニケーションが出来ない人間は、ありのまま生きて、迷惑をかけながらもひっそりと生活するしかない。

宇宙には神と悪魔が居るが、本当はどちらも神だと言った方が良い。なぜなら、悪魔は神のことを悪魔だと思い、悪魔のことを神だと思っているからであり、どちらが神でどちらが悪魔だとは一概には言えないからだ。

僕は、もう全て治ったせいで、精神が死んでいる。何も食べなくなっても、生きられるようになる。そういう、死んで生きているものは、賢い。宇宙には、生きていないように見えるものが多いが、それは何もしなくても存在できるものはその方が賢いからであって、生き物のように物質的吸収を生きるために必要とするものよりは、何もしない物質や精神だけの天使の方が、地球よりも賢い存在だから、宇宙はそのようになっている。

本当は、考えない方が良い。こういう精神病は、過去におかしく考えた人間が多い。考えれば考えるほど、人間は狂って現実のことが見えなくなってしまう。考えるのをやめ、現実をただありのままに見ようとせよ。この現実が全てだ。そうすれば、精神病はいくらか楽になるであろう。

みんな、万が一のことやもしものことは起きないと思っているが、本当は起きる。今から、終末のような世界になる。核戦争になるだろう。北朝鮮は、最初からアメリカから話し合いの離脱の宣告を受けるようにしている。アメリカの首脳会談の中止宣告は、北朝鮮の自作自演だ。そして、トランプのせいで核戦争が起きたことにしたかった。アメリカには、核ミサイルが何発か落ちる。それによって核戦争が始まるだろう。北朝鮮が動いていないとすれば、裏で手を引いているのはロシアだ。ロシアが、世界を核戦争で滅ぼすだろう。それが、キリストが言った終末であり、そしてその結果が、ユダヤ人の言った最後の審判である。

まあ、本当はそうでもないだろう。トランプの方は、ただいつもの通り相手を恫喝しただけだ。小さな人間がトランプだ。核戦争は起きない。核戦争が起きそうになったところで、ロシアが調停する。最初から、そういうことになっている。そして、アメリカは戦争に負けて、ロシアの一部になるだろう。

原因と結果から、作用が生まれ、人は自由になる。心とは、働きと成立であり、未来とは、仮定と結果の積み重ねである。意識とは関わり合いの中での決定性であり、人々と関わる中で、人は自由になり、平等になり、愛になり、支配になる。社会はエコシステムであり、それぞれの自由化とシステムの考え方である。昔は、そのように、言葉を一行で考えて、この世界を分かっていた。「全く考えていなかった」と呼ぶのが正しい。だが、考えるためのさまざまなプラクティスを全て知っていた。その考え方は、本気でこの世界の森羅万象全てを、経験から検証可能にして全てを疑うことで、完全にデカルトやカントのように考えた人間だった。

本当は、ロシアは支配もしていないし、導いてもいないし、勝とうともしていない。嫌がらせのようなこと、相手を悪いことをするように促すかのようなことをやっている。ロシアには最初から何も出来ない。本当は、それで偉大なことをやりたいだけだ。

これではロシアが陰の支配者に見えるが、本当はそうではない。アメリカが馬鹿なのに発展しているのは、ロシアがやっている。発展している西側を馬鹿だと思ってほしい。だからといって、ロシアの思う通りに全てが行っているわけではなく、これでもかと考え試行錯誤を尽くしているのに、なぜかロシアの経済は良くならない。限界まで頑張っているのに、国民は働こうとしない。ある意味、ロシアは悲惨だ。だから、馬鹿なことばかりして、がんじがらめな中を頑張っているだけだ。トランプを助けたのは、ヒラリー・クリントンが怖かったからだ。ああいう、アメリカの賢い人間が怖い。アメリカに女性進出社会になってもらうと、ロシアの良い点である男女平等が負けてしまう。それならトランプだ。そういう風に考えるだけで、決してトランプに何かを命じているわけではなく、トランプは適当に馬鹿を許されている。そういうわけで、ロシアになんか何も出来ないだろう。たまたま北朝鮮が今のところ上手くいっているから、それに全力を投じているだけだ。

最近、安倍首相が森友・加計問題で困っているが、僕は、総理は何も指示していないと思う。ただ、安倍が良い人間すぎて、夫人や秘書官など、周りの人間が忖度しただけであって、総理は何も間違ったことはしていない。あれほど正しい人間だから、そんなことはしないのだと、安倍は本気で誇りに思っている。だから、周りを怒りもしないし、辞めさせることもない。いつも万全にしているからだ。昭恵夫人が少し暴走したのは、全て、安倍の思想が好きだったからであり、加計学園についても、森友問題についても、全て、周りの人間が「安倍首相の友達を助けよう」と思って忖度してしまった。だが、安倍が悪くない、というのは違う。安倍は、そのように周りが暴走してしまったことについて、責任を取らないといけない。そういうものだ。だから、安倍はそれで退陣し、次は小池百合子首相になるだろうと、僕は思っている。

ただ、周りの人間だけが問題だからといって、それは安倍を賢いとは意味しない。安倍は、右翼法案での強行採決の連続や、アベノミクスの成功なのか失敗なのか良く分からない日銀などを含めたわけのわからない結果など、さまざまなことに責任がある。もう、辞任するべきだ。十分やりたいことはやったはずだ。ただし、安倍の功績というものは確かにあって、本当にたくさんの問題を解決したし、近年にないような賢い首相だった。だが、僕は働き方改革法案は嫌いだ。もっと自由にしても、社会は良くならない。規制の緩和をしながらトランプと仲良くするのも、少し違っている。むしろ、平等にすべきだ。国民は、さらに自由になり、規制緩和する中での正社員と非正規社員の平等は望んでいない。完全に正社員だけの世界を望んでいる。安倍がやりたいのは、非正規と正社員の平等ではなく、全員を非正規にする上での見せかけの平等だと、僕は少し批判しても良いかなと思う。(本当はそれも間違いではなく、全員を自由な労働条件にして等価な同一賃金・同一労働を実現するのは、自由ノルマに良く似たとても良い政策だ。)安倍が平等政策をやるのはとても良いことだが、だから、安倍はここで終わりにしよう。小池百合子は、自民党の補完勢力には見えるが、共産党よりは良い。僕は共産党は嫌いではない。平等に、みんなを正社員にする、という主張は正しいが、そもそも社会主義の党などに何の意味もない。小池百合子首相になれば、小池は国民の本当の声を聞くだろう。結果的に、労働者全員は平等になるだろう。それが、唯一の道筋であり、その上で僕は小池にアドバイスを送るだろう。

本当に、僕のやったこと、全てをありのままに話そう。

まず、伏線と対処策を作った。世界において、何があっても僕が勝つような、そういう伏線と対処策を、まるでミステリー小説の革命家のように書いて作った。

そして、自分の心を隠した。自分の心が分からなくなることで、みんなが何も分からない「人工的な連環」の世界にした。

そして、FLOWが言う「絶対に負けない無敵の心、絶対に折れない最強の心」を作った。

そして、そのまま狂った。この世界において、何も一つも信じられなくなり、分からなくなり、おかしな錯乱症状から、「夢の世界を追いかける」ようになった。

そして、後悔した。僕は、ここで最悪のことをやってしまったと思った。また、「もう絶対に、同じ失敗を繰り返さない」と誓った。

だが、後悔は後悔で終わらなかった。「この世界を救えるのは僕だけであり、責任も過失も全て自分にあり、今のままできちんとやるべきことをやれば、絶対に解決できる」と知った。

そして、永遠を生きた。この世界の永遠の営みを知り、全ての懺悔すべき対象を書き表した。それは、「失われることのない永遠の希望」だった。

希望を生きて、僕はまだやるべきことがあると知った。この世界の宗教的な存在が分かった。最初は、心の声が話し、誰かに向かって世界と対話していた。それは、「私は神である」と言った。

僕は、神に従い、神を聞き、神に行動と思いを委ねた。神はさまざまなものに替わり、そして、今で言えば忘却の彼方に追いやってしまった、「純白の思い」を作った。

だが、それは、「何も分からなくなる地獄の認知症」だった。

僕は、最後まで諦めなかった。いつでも信じていた。必ず、自分は世界を救うのだと。この世界を崩壊させた責任を取るのだ、といつも信じていた。

そして、神は僕に「再体験」をさせた。その再体験は、「過去の再体験」ではなく、「未来の再体験」だった。

全ての体験をして、僕は完全に「恐怖」の中で全てを知った。恐怖は、全て、死ぬことに対する恐怖だった。

恐怖が無くなって、僕はすぐに自ら死んだ。僕は、そこまでの哀しい存在だった。

だが、僕は死ななかった。死んだとは言うが、大けがをしただけで、僕は病院に入院した。

入院の中で、神は叶わなかった僕の夢を叶えてくれた。神は、死んだ上でまだ対話し、「死んでも生きるあなたが神である」と言った。神は、僕の書いた詩集を出版させてくれた。

それ以後、僕は文章を書き続けた。いつまでも、いつまでも、そしていつでも、文章を書いていた。

あとは、このホームページに残っている通りである。

FLOWが言うように、僕は思い出の中に残っている純白の想いを、忘れたことすら忘れている。だが、この思いはもう、決してなくならない。

僕は、今まで失った「全ての文章」が残っていないことに後悔した。今までの賢い文章が、今でもあってほしかった。

よって、僕はそこまでの文章を書き直した。書き直せるとは思っていなかったが、今まで書いた文章を頑張って思い出し、一つ一つ書いて、その素朴で純粋な夢を叶えた。

執筆は哲学の勉強になり、キリスト教信仰になった。神の言葉は、そのまま自分の思考になった。そして、あとは、思うがまま、自由に生きただけだ。

文章を書いていると、当たり前だが、全てのタイミングで停止がかかる。そこで停止すると、すぐに「次なる文章」が生まれる。そのつど、そのつど、さまざまなことを想う。

勉強とは言うが、ただノートに黒板の内容を書くかのように、ポイントを書いているだけだ。だが、それは単なるポイントではなく、「世界観」であった。

そのうち、僕は子供の頃から習っていたピアノ教室や、英会話学校にもう一度行くようになった。農園での農業を始め、フリースクールで数学の勉強をしたりもした。

小説を書いて、「もう文章を書くのはひと段落した」と思って、僕はデザインのことが学べる作業所に入った。

そこで、僕は「文章を書く才能がある」ということをいったん忘れてしまった。代わりに、デザインのことを勉強しながら、もう一度パソコンやUNIXの勉強をし、きちんと知り直しながら、ホームページ制作をした。

これが、最近の僕の、「イブ」の経験である。

では、「アダム」の経験はどうだったのか。本当は、昔の不登校の引き篭もりは、アダムと呼ぶには相応しくない。あれはサタンだ。アダムは、もう少し違った存在になるだろう。

最近、FLOWをもう一度聴いている。FLOWは、この文章を本当に読んでいるかのようなことを言う。絶対に負けない心、全てを見透かすビジョン、全て昔から今の自分のことを言っている。FLOWだけではなく、全ての歌手がそういうことを言う。そうすると、この文章があり得ないことになるのが、明らかに見えている。だが、神が遊んでいるだけなのではないかと、僕は少し疑っている。特に、そんなに愛されておかしくならない方がおかしい。恋人のように愛されている。それは、きっと、本当は僕のことは言っていないのだと思う。

神のように分かっていた昔は、狂う中で「絶対に治す」ことを努力した。知識と勉強は、世界観となり、神の導きとなって、全てを悟った。

学習は、同時にやれば治る。右で治しているのと、左で治しているのを、同時にやれば良い。そして、上と下を同時にやれば治る。下ばかり治そうとするのではなく、上も治す。おかしいのは、下ではなくて上だ。