寄生虫を殺し、花粉アレルギーを取り除けば、目は治る。目が治ると、歩き回らなくなる。歩き回るのは、寄生虫や花粉と戦っているからだ。常に頑張っていないと、負けてしまう。
もう、完全に楽になった。
「普通じゃない人生」を生きた方が良い。人間は、自分から普通じゃない人生を生きると、賢いことが分かるようになる。
無理やり精神を治すよりも、関係を結び直した方が良い。
昔は、豊富な経験のデータベースを蓄えて、さまざまな多角的な思考をすることで、経験と国家のモデルを作って分かっていた。
自由な経験、一つのまっすぐな経験、さまざまな繰り返しの経験から、愛を経て、経験的モデルを作り出した。
昔は、義務ではなく機会だと思いながら、支配に反抗して分かっていた。支配者を、言い方は悪いが心の中で「殺す」ことで分かっていた。
人間は、永遠の何も分からない地獄になると、賢くなる。何一つ分からない中で、知性すらないと、そのことを純粋にまっすぐに考えるようになる。何をするのであっても、そういう分からない人間の方が出来る。だから、学校で馬鹿だった方が、人間は一流の賢い人間になる。
愛は殺しだ。殺すことと愛は同じだ。愛する人間とは、自分の殺したい人間のことだ。
自分は、高校時代というのは、人生の下準備の期間であって、たくさんのことを実地的に知って、考えることは良いことだが、本当は、出来るべきことはもっとあとでやれば良い。
子供が難しいと感じることのほとんどは、大人になってしまえば簡単だ。
だから、高校時代、何もしない不良は馬鹿ではない。むしろ、出来るだけ高校時代は、何もしない方が良い。すさんだ経験をたくさんしていた方が、あとでそれらが分かるようになる。だから、高校時代、色んなことが嫌いで、反発しているだけの不良少年・不良少女は、大人になると何でも知っていて何でもできる人間になる。
不良は悪くない。高校時代不良だった方が、賢い人間になる。だが、遊んでいれば良いわけではない。何をしたら良いのか分からないなら、高校時代は色んな人と出会いながら、本を読んで、パソコンのような技術のこと、芸術のことをやるのが良い。そういう人間は、普通の人間より賢くなる。
あまり、普通の人生を目指さない方が良い。普通の人生を目指すと、何も分からない馬鹿になる。普通ではない人生の方が、色んなことが自分なりに良く分かる。経験から理性を構築する手法を知れば、世界のことを変えられるマルクスのような人間になる。高校時代は、高い感受性のもとに、この世界を全て自由自在に考えること。それが、一番良い。
本当は、社会主義には弱点があって、対価を払わなくても生活できるようにすると、誰も労働しなくなる。そのせいか、何もしない国になってものが不足し、上から強制的に働かせるようになる。だが、本当はその弱点は克服できる。なぜなら、資本主義の労働者は、ほとんどが月給か時給で働いているから、裁量性の労働のように、歩合制で働いている人間は少ない。公務員なんか、税金で働いている。役人は会社員のことを奴隷だと思っている。だから、本当は、上手く働くモチベーションを作り、それぞれに同じ給料を与えることは、僕は出来ると思っている。何もしない大企業の社員の方が、社会主義の労働者よりも働いていないはずだ。月給で働くなら、きっと社会主義でも、同じように働かせることは出来る。クビになるリスクとは言うが、そもそも失業者が出ることは好ましいことではない。マイナーリーグ行きのようになるのは平等ではない。だから、平等でユートピアは、理論上は月給と同じで、実現できるはずだ。実際の問題として、そこまで成熟した人間が居ないし、指導者も分かっていない。だから、実現出来ないのだろう。
また、社会主義の共同体を「何も出来ない共同体でみんな同じになる」というが、それも間違っている。社会主義は、共同体を国家の政府と同じように独立させる。全ての手段を同じ権利のように与えるために統一するだけで、人々が何をやるかは自由になる。よって、多様性のある社会になる。そして、個人の自由がないとは言うが、個人の堕落した自由がもしなくなったとしても、社会全体の「みんなで決める自由」はある。結果、おかしな歪みを生むインターネットのような世界は無くなり、共同体は秩序のある村社会に戻る。それは、決して悪いことではない。みんなで自分に合った労働を決め、国のことをみんなで平等に考えるようになるから、結果として秩序と適正のある良い社会になる。
だが、ソ連のようなやり方が悪かった。スターリンは上から完全に一人で決め、アメリカなどの資本主義列強国に対抗することを考えてしまった。日本の間違いと同じように、悪いだけの最悪国家になった。
ある意味、ソ連はまだ間違っていない。最近はソ連と社会主義を否定しすぎるせいで、アメリカのような「自由すぎる民主主義」になっている。もはや、民主主義が一番劣悪に滅びている。町をうろついている若い男には不審者しか居ないし、女はいくらでもキモいことを言う。だから、この世界を治すためには、一度ソ連の前に戻って、もう一度まっさらな気持ちで社会主義と資本主義の関係を考えるしかない。歴史に学ぶとは言うが、歴史にそんなに囚われ続けるのも間違っている。一度それが現象として起きたからと言って、必ず法則的・原理的にそうなるというものではない。一度忘れて、もう一度行えば、必ず違った結果になるだろう。それに、期待しよう。
昔は、自由ノルマや多様性のある共同体のように、自由を考えて自由な社会を作っていた。本当は、自由という視点から考えて、全員が公務員になるのは何も悪いことではない。逆に、全員が平等な権利を持つことで、やりたいことが自由に出来るようになる。だが、そのためには普通の自由を制限する必要がある。ソ連の本当の問題は、そういう「自由の制限による権力」にあって、あまりに「みんなで悪いことをする国」になる。だから、ある意味でみんなの自由を抑えないといけない。みんなの自由を抑えながら平等にした時、初めて「善良な権力」が生まれる。だが、それは本当は「民主主義」になると僕は思う。民主主義と社会主義を上手く両立させたところに、本当のユートピアがあるだろう。
要は、民主主義を社会主義の一形態、社会主義を民主主義の一形態として、認めてやれば良い。そうした時、初めて地球に平和が訪れるだろう。社会主義の枠内で民主主義をやりながら、民主主義の枠内で社会主義をやることで、両者は次第に融和していく。それが、僕の思う、「自由な社会」であると思う。
本当は、国家が管理しなくても、自らの自発的な意志によってものを共有すれば良い。参加者の自発的な権利として自由な権利を認めてやれば良い。昔の自分には、そういう発想が多かった。国家によって実現するのではなく、自分の自発的な意志によって実現することで、共同体のようなものを創っていた。そういう、宇宙人のような秩序ある共同体を創造していた。そういう文章だった。
そういうわけで、自由な行動から経験が生まれ、多様な共同体が生まれ、行動科学が生まれ、世界は変わっていくと言っていた。大まかに言えば、そういうことを言っている。馬鹿ではなく、論理的に考えたことを言っていたが、全く間違いのような共有の科学を言っている。それだけの、アナキスト(無政府主義者)のような人間だった。
むしろ、天皇は僕は悪くないと思う。日本の天皇を王朝だと考えた時、日本は2000年以上一つの王朝が続いている奇跡のような国だ。ローマ帝国でさえ、東ローマ帝国はそんなに続いていない。だから、僕は天皇制は続けた方が良いと思っている。
僕は、これで終わりにする。もう、文章を書くのはやめたい。疲れるばっかりで何も良いことが無い。辛いのは、寄生虫を殺せば治るのが分かった。それで、お別れだ。みんなありがとう。さようなら。みんなには、出来ることなら、生まれ変わって新しい人生を歩んでほしいと思う。
本当は、自分の問題点は、何もしないことにある。頑張って王になったのに、王のようなことを何もしない。昔話と作り話をするばかりで、何もしていない。
本当に何もしたくないのだと思う。愚かなことや馬鹿なことをしたくない。
昔は、自由な体得のプロセスを書いていた。体得、自然な環境の創造、システムを可能にすること、あるいは、可能性を吸収すること、宇宙と一体になることなどを書く。自由な組織においては、必要なのは組織ごとの取り決めと組織を成り立たせる手段のみだと言っていた。
自分は意味がない。本当に、やりたいことが無い。むしろ、国や権力はどうでも良いと思う。みんな、大学で学んでLinuxを作れば良い。それで十分満足できる。僕は、もう全てのことをやった。これ以上、やりたいことが無い。
そういうわけで、僕の治世は終わったが、何もしなかった。むしろ、宮殿を作れるほどの資本が無いから仕方ない。何もしないのが正常だ。これで、僕の王朝は終わりだ。
本当は、自分は何もしなかったわけではない。世界を分かるように導きたかったし、病気のようなものを全部治したかった。何より、日本を賢い国にしたかった。そういうことは一通りやったから、満足している。アメリカなんかとは比較にならないほど、日本人を賢くした。
僕はもう、何もしない。それくらいがしたかった。これからは、次の人を誰にするかを決めたいと思う。これについては、みんなの中で競わせて、一番優れた人間に、名誉と権力を与える。だから、老人ばかり居る今の政治家や官僚には何もさせない。未来ある若者や子供たちの努力によって国が変わるようにしたい。
そういうわけで、僕は満足している。僕の名前、「在導万創」という名が、僕のしたこと全てを物語っている。これが、日本版の聖書の物語だ。もう、全ては既に過去になっている。もう過去はなくなった代わり、既にどうなるか分かっている。そこが、僕の悲しい点であり、喜ばしい点であると思う。辛い苦しみは、もう既に全部過去のものになった。過去が戻らない、ということが、僕の幸せだった。哀しいが、それが僕の人生だ。
お別れの前に、何かのメッセージを遺したい。それは、「さようなら」ではない。本当は、明日もこの文章は続く。だから、僕はあえて、同じ言葉を言う。それは、「また明日」だ。それで、今日は終わりにしよう。ありがとう。また、明日。