新・日記2に戻る | 2018年5月の日記に戻る

=2018-05-27=

狂っている人間は、狂いたいと思わないのがおかしい。治りたいと思うせいで、狂わないのが狂った人間だ。そもそも、狂った人間が楽で、狂った人間が面白いのが、治したい人間には分からない。

狂おうとした方が、人間は治る。

治したい、と思うせいで、おかしな人間はいつも同じことを分かっているが、それが一番おかしい。まともな人間は、常に同じことを分かったりしない。

本当に治りたいのであれば、治りたいと思わない方が良いし、いつも同じことを目指すのではなく、独り、自由に、この世界と自分と向き合いながら、「自由」になった方が良い。

昔は、自由な存在や環境の変化の可能性と、体験の回想や辛かったことを乗り越えた成長の思い出で分かっていた。この世界の体験や環境が、どのように存在し、どのように在るか、ということから分かっていた。

もう、そろそろ終わりだ。僕はもう、一通り分かった。これ以上は、僕は治さないし、何もしない。この世界は地獄ではなく、天国になる。

天国とは、時の存在しない、永遠の楽園である。そもそも、この文章が天国そのものである。英語では正しい方をright、間違っている方をleftと言うが、それは間違っていない。脳の右を使う時は、正しいことをしている。左を使う時は、間違ったことをしている。

狂った人間は、止まりなさい。止まった世界に居れば、すぐに楽になるだろう。狂った人間は、止まらないと治らない。いつも動いている人間は狂っている。

僕の声は、海のさざなみの声と同じだ。波の声がそのまま自分の声になっている。僕は、人生を毎日、2人分生きている。人間は最終的に、こういう存在になる。もう、全てが終わった。最後まで全部終わった人間は、唯一一人、僕だけだ。

自分の人生を生きること。この世界で、独りみんなの道から外れて、自分の人生を生きていた。独自の人生論、それを書いていた。人々に対して、自分の人生を共有していた。自分の人生とは何だったのか、アドバイスや助言から信念まで書いていた。

この世界は、解決しなくなっている。昔は、真実の愛を信じて、この世界の全てを解決したかった。この世界における、現実での変化の可能性を知って、自分なりに思考や環境の可能性を辿っていた。

平和を信じよう。この世界の全てに意味がある。問題の全ては、愛によって解決できる。希望は見えなくなったとしても、いつでも必ずそこにあり続ける。

世界は愛の下に平等である。そして、平等は平和を作り出す。社会は、良く考えて構築することで、最初から悪い人間が現れることがなくなる。

共通の理想を信じることで、人間性と愛の高みを知ることができる。

愛は、絶対に負けることがない。自由も、平等も、愛に勝つことは出来ない。全員で愛を信じることが、そのまま正義や真理となるだろう。愛を信じることで、この世界は変えられる。

もう、世界は楽しくて自由な正常な世界に戻る。愛を信じることで、社会全体が正常になる。悪を信じなければならない抑圧はつまらない。誰もが善を信じたいものだ。

一度、建設的に作った基礎の考え方は、一通り終わったら破棄する必要が出てくる。同じ考え方をいつまでもしていると分からない。哀しかったり、辛かったりしても、いつまでも同じままでは居られない。正しい考え方は、相対的に正しいだけであって、絶対的に正しいわけではない。

自由なままで世界を変えなさい。自由を奪うことは決してしてはならない。それでは、世界はロボット人間になってしまうし、多様性は失われ、価値あるもの全てが無くなってしまう。自由なままで、心理学的に世界を変えなさい。そこから、きっと新しい価値あるものや組織や発想を作ることが出来るだろう。

本当に正常な世界では、抑圧は生まれない。人々はどのようにすれば良い社会になるかをきちんと経験から分かっていて、みんなのこと全てのことを把握し、きちんと大人としての理性と経験を持ち、この世界をどのようにすれば良いか分かっている。昔は、そういう、「正常な社会における自由な営み」のようなことを言っていた。

決して、自由だけが正しいわけではない。この自由すぎる世界をさらに自由にするのは明らかにおかしい。自由なんか要らないから、みんなできちんと良い世界にした方が良いだろう。だが、それは社会が未熟すぎるからであって、さらに高い、真に成熟した社会では、自由なままでもきちんと正しい世界を作ることができる。人々は、みんなで決めたルールをさらに社会的経験に基づいて高めていくことで、永遠に進歩する、「最高の愛の社会」を作ることが出来る。人々の抑圧は、さらに一段階高いレベルの解決策で、意味のないものとなる。それが、本当に正しい世界の、自由な社会秩序である。それを、僕はいつも書いていた。

それぞれの個性を認め、自尊心と価値観に基づいて社会を作りなさい。希望を見失わず、人々の中にある「本当の渇望」から希望を知り、人々は違うようでいて、皆同じ理想を持っているのだ、ということを知りなさい。さまざまな個々人の考え方の違いは、解釈と捉え方の違いであり、あるべき問題の真の捉え方は一つであり、その上で多様な解決法がある、それを「社会モデル」ということが出来る、と知りなさい。

ある意味、昔の時代の理想と考え方を書いているのは、僕も分かっている。最近は、みんな、おかしく分かっていない。何も分からなくなっている。本当は、「この世界はそれぞれの人間の中にある」ということを知らなければならない。この世界の実体がどこにあるのか、みんな分かっていない。それは、IT機器が悪い。ITが悪いだけなのにこの世界に居続けることで、人々は何も出来ない社会になっている。テレビやマスコミも同じだ。本当に悪いものを、この世界全体から消していかなければならないだろう。見失った希望は、きっとまだここに残っている。時代の変化の中で見えなくなっているだけで、あなたの心はその希望をしっかりと覚えているはずだ。