ガンダーラの世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/16より。
わたしたちは「ガンダーラ」と呼ばれる世界政府構想を持っている。ここでは、「自由な権利を与えたままで平等な計画経済による平等分配と、社会主義化された自由経済を行う」。理解し難いかもしれないが、数量、すなわち価格と人数を調節すれば、市場経済でも平等な計画分配はできる。
また、計画経済は、国家全てをひとりで決めようとするから破綻するのであって、「小さな自治区や小規模なコミュニティで統一された平等を行えば、大企業よりも計画経済をするために必要なコストとリスクは小さい」。そう、ひとりの独裁者による計画ではなく、小さなコミューンによる計画を統一する。
数量とは、個数、価格、人数、給与、労働量、生産量などといった「量」のことである。この量を的確に計算して調節すれば、市場経済のままでも、独裁者による計画経済をしなくても、役所と政府がコンピュータで調節を行うだけで、この世界はすべて平等にできる。
市場経済のまま、自由に経済を行えばいい。好きなだけ働いて、好きなだけ儲ければよい。それでも、数量を調節することで、この世界は平等になる。労働者の数を増やしたり、店や街に出回る商品の数を調節することで、すべての職種は同じ給与、同じ労働量になる。
そして、自由な権利をなぜ奪う必要がある。不自由な平等をするぐらいなら、不自由な不平等をした方がマシである。わたしは、自由な権利を最大限、制限することなしに許す。間違ったものが生まれないために不当な制限をかけることよりも、間違ったものが生まれることのほうがはるかにマシである。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/16より。
人々が、真に幸福になるために何を考えるべきだろうか。それは、「自分が幸福になれるためにどうすればいいか」を考えることで分かるかもしれない。自分が不幸である限り、人々をどうやったら幸福にできるのかも分からない。
愛とはなんだろうか。自由とはなんだろうか。むしろ、その人間のことを許し、自由を与えることが、本当に愛だろうか。相手の好きにさせる自由を与えることが、本当にいつでも正しいだろうか。否、そうではない。
わたしはこの世界を自由にすると、そう宣言するのは構わない。だが、この世界を自由にしたところで、何がよくなるだろうか。本当に素晴らしい新しい世界が訪れるだろうか。自由によって平和が本当に訪れるだろうか。フランス革命のように成功すると本当に言えるだろうか。
だが、ひとつ言えることは、「その判断が本人によるものであったとしたら、本人は本人にとってはよい判断をするだろう」ということだ。自分自身にとってよい判断を、おそらく自分自身は行うだろう。だが、それが世界全体にとって正しいとは言えない。自分勝手な支配者がこの世界を滅ぼすかもしれない。
そう、自由は個人だから正しいと言えるのであって、集団による自由は必ずしも正しいとは言えないのだ。社会全体を自由にすれば、数の多いものが勝つだけであり、数の少ないものは劣悪な世界で生きることを強いられる。これが「自由」である。
よって、社会は平等であるべきである。しかしながら、平等とは、画一的な平等だけを意味するのではない。平等にはさまざまな段階とレベルがある。受験戦争だって、平等だと言うことはできる。官僚になることが試験によってできるようにしたのは、初代総理大臣伊藤博文である。
階層がなくなり、それぞれの社会において「コミュニティの自由」が認められることを、平等であると考えることもできる。このような平等な社会は、「全員の意志」を尊重する。社会において個人は、しがらみや制限から完全に自由にはなれていない。王は、そのような立場を超越した立場で考えるのである。
そのように考えて共産主義的な社会を築いたとして、その第一の失敗例が独裁国家ソ連である。ソ連がなぜスターリンによる独裁国家になったのか、それは「富を再分配する上で強権的な指導力が必要だったから」である。もし、巨大な独裁権力がなかったら、既得権者の資産を強制的に没収はできない。
自分の書いた「シルフの秘密の場所」2022/01/12より。
僕が考えるに、国民は何よりも自由なことができるべきである。
それは、学校にも会社にも制限されず、どんな仕事や可能性であっても自分の自由にできる、ということを意味する。
僕は、ここに「自由ノルマ」を新しい経済モデルとして採用する。
これは、すなわち、自分の仕事を自由に選ぶことのできる、新しいノルマ制度である。
自由ノルマにおいて、すべての労働は「等価な労働量」が保証される。すなわち、どの仕事を選んだとしても、その労働の辛さはすべて同じになるように、仕事量や労働時間を調整する。
また、辛い仕事については、少ない労働量で構わないことにする。
同時に、最低限のノルマをこなして、残りの時間は自由に生きることもできるが、「特別労働」に基づいて、自分の好きな仕事を、給与や報酬を度外視して、そのために必要な最高の環境で、ボランティアで労働することができる。
そして、最低限のノルマ、すなわち「基本ノルマ」については、自由に選ぶことができるだけではなく、どんなノルマを選んだとしても楽であることが保証されている。
たとえば、工場では休憩を多くとるし、農業では農作物を作るために必要な農業機械などを十分整備し、ほかのどの仕事を選ぶよりも農業を選んだ方が苦しみは少ないように調整を行う。
自分の嫌な仕事を選ばざるを得ないとしても、嫌な仕事は最低限すればよく、それをきちんとこなせば、特別労働の枠で自分の好きな仕事ができる。
また、僕は再分配をするために、逆消費税、すなわちマイナス消費税の制度を採用する。これはすなわち、消費するたびにその10%を税金でとるのではなく、逆に10%の割引きが得られる仕組みであり、このための財源は別の税金で所得税や法人税を取ることによってまかなう。そのため、独裁政権が資本家の富を強制的に没収して再分配しなくても、自動的に豊かな人間から貧しい人間へとお金は再分配されていく。
また、僕は政府の政策として、新しい市場経済に基づく計画経済を行う。この本質は、「雇用数と製品の数を調整することで格差は是正される」ということである。マルクスではなくケインズが正しいのだとすれば、需要と供給に基づく数量に基づいて物品の値段は決まるはずである。それならば、数量を政府が調節すれば、市場経済のままでも計画経済と同じように、格差を是正して平等にすることができるはずである。僕は「計画経済ではなく、調整経済を」というスローガンのもと、独裁者がひとりで五か年計画を計画するのではなく、数量を調整することで社会を平等にする。そうすれば、社会主義経済と資本主義経済は融和し、国民にとって必要な物資を十分に生産することができなかったソ連の二の舞にはならない。
また、学歴社会は必要ない。会社が労働者を雇用するのは、権利ではなく、義務である。会社が欲しい人材を自由に得るのではなく、どんな人材であっても会社はある程度の労働者を雇用しなければならない。そこで学歴などで差別してはならない。また、労働者を雇用したからには、責任をもって人並みの仕事のできる従業員に育てなければならない。生活できるための給与も与えなければならない。そのために、国家は「労働者憲法」を定める。この憲法では、労働者を守るべき第一優先の条文が裁定され、すべての会社はこの憲法を最優先に守らなければならない。
このようにすることで、新しいユダヤ人国家、シオンは楽園となる。
このような経済政策に加えて、僕は「期限付きの紙幣」という経済政策を行います。
いくら経済政策や経済システムを平等にしても、「貯蓄」というものが存在する時点で、必ず社会に格差が生まれます。
この格差を生まないために、僕は貯蓄そのものを否定します。
期限を導入した紙幣においては、お金は一か月で期限切れになります。一か月の期限が来るまでの間に、必ず使い切らなければなりません。
これによって、まず、格差がなくなります。人々は一か月で必ずお金を使い切るようになり、使わないお金を貯め込まないようになるため、貯蓄が限定的になります。
また、景気がよくなります。消費が促進され、経済社会そのものが活性化します。そう、期限付きの紙幣を導入するだけで、日本の経済と景気は過去最高になります。
確かに、「貯蓄がなければどうやって安定的に生きられるのか」ということを言う人も居るでしょう。ですが、毎月の生活に必要なお金は、計画経済によって必ず入ります。いつも水が出る水道があれば、たくさんの水をバケツに溜める必要がないのと同じで、安定的に給与が必ず入るため、貯蓄がなくても生きられるようになります。
この結果、社会は完全に平等になり、みんなが同じ楽な生活を絶対に生きることができるようになります。失業やホームレスになる可能性はゼロになります。
このような新しい経済学に、僕は「ガンダーラ」という名前を付けました。僕が書いた、これ以外のすべての政治経済に関する文章を合わせて、フレイによる新しい社会主義経済のことをガンダーラと呼びます。
ガンダーラは、いわば「ソ連型社会主義の大反省会」です。かつてのソ連が行って失敗した、すべての問題をガンダーラは見直し、反省します。今度こそ、新しいガンダーラを成功させます。失敗した独裁国家ソ連や、資本主義と何も変わらない中国の二の舞を踏まないように、ガンダーラを必ず日本で成功させます。わたし、フレイがそれを統率します。
後日注記:「貯蓄の否定」と言いますが、要するに私有財産権の廃止です。ガンダーラは社会主義国家なので、私有財産権を廃止するためのアプローチとして、ガンダーラでは「貯蓄そのものを否定する」という考え方を取ります。格差の元凶である貯蓄をなくすために、ガンダーラでは紙幣に使用期限を付け、金銭が必ず期限内に使われるようになります。それによって景気も活性化し、国の経済は発展します。
後日注記:残念ながら、僕は期限付きの紙幣政策は行いません。たとえば、頑張って期限付きの紙幣で800万円も貯めた人が、いざその800万円を使おうとして、その使おうとした時に一年前に期限が切れていたことに気付いたら、怒り狂って泣け叫ぶでしょう。そのようになってしまうため、僕は期限付きの紙幣政策は絶対に行いません。
2023.01.11
2024.05.27編集
2024.10.02編集
本当のところ、完全な平等という社会は実現できません。
なぜなら、労働は多様だからです。
この世界には、さまざまな生産を行う労働者が存在します。かつてのように、農民が中心となって社会を築き、士農工商ぐらいしか大まかな職業の文類がなかった時代ではなくなり、さまざまな労働者が存在します。
このような中で、平等を実現しようとすると、みんなが農家あるいは農奴になるか、あるいはもっとも辛く苦しい仕事にみんなが合わせられるような社会になってしまいます。
ですが、平等が実現できないからこそ、弱者や辛い仕事を楽にするということを、優先する社会であるべきだと思います。
今の資本主義社会は、基本的に「稼いで儲かる人間が楽」になっています。この世界において大切な仕事をしているかどうかということよりも、稼げる職業、儲かる職業が楽になっています。あるいは、注目されることで多く稼ぐことのできる、たとえばスポーツ選手やIT企業の経営者、資本の存在する不動産会社や金融関係者のような、一部のエリートが多く稼ぎ、大金持ちとなって楽をしています。
その一方、農家や工場労働者のような、本当に社会にとって重要な仕事がないがしろにされており、彼らは多く稼ぐこともできない中で、辛い労働を過剰に働かなければ生きられなくなってしまっています。
僕は、そうではなく、弱者や辛い仕事こそ、楽にしてあげるべきだと思います。
僕は、平等なノルマを選択制にし、弱者や専門職から優先的に選べるようにします。その上で、辛い労働の労働量を減らし、辛い仕事であっても誰かが働く必要のある仕事は、少ない労働量でノルマ分の給与を得られるようにします。
たとえば、医者やITエンジニアといった仕事は、代わりがいません。代わりがいないから、そのような専門職のできる人間は優先的にその仕事に就けます。
そして、スラムに暮らしていたり、障害や難病を持っていたりするような「社会的弱者」は、できる仕事が限られています。なので、弱者が就くことのできる仕事を優先して与えます。
残りの仕事の中で、農家や工場労働者は、つまらない仕事であるにもかかわらず、社会にとって必要とされる仕事です。ですので、そのような「なくすことのできないつまらない仕事」を選んだ人は、あまり多くの労働をしなくてもノルマ分の給与が得られるようにします。ひとりの労働の量が減った分、多くの人がその労働を選ぶことができるようにします。
そして、サービス業、たとえばレストランのウエイターのような仕事は、言ってしまえば誰でもできて、楽です。このような仕事を選んだ時、その人はその仕事をダイレクトに選ぶことができません。レストランのウエイターを選んだ時、ほかの類似の似たような仕事をしろと言われても、それを拒むことができなくなります。そのような楽な仕事は、誰でもできる代わり、優先順位が低くなるのです。
また、「生きがい」や「やりがい」を仕事に求める人も多いでしょう。作家、芸術家、デザイナー、音楽家、学者、哲学者、学校の先生、スポーツ選手、そのような仕事は、普通の仕事をやりながら、「特別労働」として行うことができます。作家や芸術家だけをして生きられるわけではなく、普通の農家やエンジニアの仕事をしながら、空いた時間でそのような労働ができるようにします。ですが、これは「片手間あるいは趣味・ボランティアで行いなさい」というレベルではなく、その仕事を十分に満足できるぐらいの能力や勉強ができるだけの「必要な時間と場所」は与えられます。なので、農家や工場労働者を平日に行い、芸術家やスポーツ選手を休日に行うとして、だからといってプロ並みの練習や勉強ができないわけではありません。プロ並みの練習や勉強をできる機会と時間は万人に与えられ、きちんとした普通の仕事も行い、ノルマ分の給与も得られて、平等なひとりの国民としてみんなと同じだけ豊かに暮らすことができるようになるのです。
このようなノルマ制の労働を、僕は「自由ノルマ」と呼びます。自由ノルマにおいては、全員が平等に人間的な暮らしをすることができます。社会主義のすべての理想を、自由を犠牲にすることなく実現します。これこそが、世界政府ガンダーラの「社会の要」となります。
2023.03.24
ガンダーラの中心の政策は、「数量調整による計画経済」「自由な選択制のノルマ」「期限付きの紙幣」そして「マイナス消費税」です。
この4つの政策を、「ガンダーラの四本の手足」と呼びます。
そして、この中でも、多くの人々が好むであろう政策が、マイナス消費税です。
マイナス消費税とは、その名の通り、マイナスの消費税です。
今までのように、消費するたびに税金を取られるのではなく、逆に、消費するたびに補助金を得られます。
そのための財源は、法人税や所得税から、お金のある大企業や大金持ちから取ります。
そのようにすることで、格差が是正されます。
今までの日本の政治家は、格差を是正するために、低所得世帯への給付金など、「バラマキ政策」しかしてこなかったでしょう。
ですが、一時的にバラまいても、それはその時だけにすぎず、すぐに元の貧困生活に戻ってしまいます。
バラマキによって格差を是正するならば、その時だけではなく、恒久的に常に支援が行われ続けるような「システム」を作らなければなりません。
マイナス消費税は、そのような、「自動的に貧乏人に対する支援をし続けるシステム」となります。
また、法人税や所得税を取りながら、マイナス消費税を実現することで、自動的に社会の格差がなくなっていきます。
ソ連の独裁者スターリンが行ったように、独裁的な強権力をふるうことで、資本家や大金持ちからお金を強制的に徴発するような政策では、再分配ができたとしても、人々は何も言えない「恐怖の独裁国家」になってしまいます。
そのような恐怖の独裁国家を、わたしたちは果たしてユートピアの楽園と呼べるでしょうか。
真の楽園を作るために、独裁による権力の再分配ではなく、マイナス消費税によるシステム的な再分配を行うべきなのです。
マイナス消費税を行うことで、ものの値段が非常に安くなります。おにぎりなどは10円か5円で買えるようになります。決して景気は悪くなりません。人々の消費の意欲をマイナス消費税が一段と高めます。その結果、マイナス消費税によって、日本はアメリカや中国を超える「すべての人類史を超越した最強のGDP大国」になります。
後日注記:ガンダーラのマイナス消費税によって、ものの値段が極めて安くなり、生活が楽になります。その財源は所得税から取られるため、給与も安くなるというデメリットがありますが、何もしなくても社会の富の再分配が行われ、自動的に社会全体の格差が少しずつなくなっていくというメリットがあります。
後日注記:マイナス消費税は、搾取を否定するガンダーラの新しいアプローチです。実際、搾取を排除するだけでものの値段は格段に安くなりますが、ガンダーラではマイナス消費税を導入することで、ものの価格が極めて安くなり、食料品などはほぼ無料に近くなります。
後日注記:実際のところ、かつての強制労働と配給制のソ連型社会主義がやろうとしたことは、労働所得すなわち給与から100%を税金で取り、ものを完全に消費税マイナス100%で無料にしたものだと考えられます。ですが、それを行うと、ものは無料になる代わり給料も無料であり、はっきりいって奴隷制か、あるいは働いても何も得るものがないために誰も働かなくなります。ソ連型社会主義はマイナス消費税の極みです。そう、マイナス消費税はバランスが大切なのです。
後日注記:マイナス消費税を使って、さまざまな商品に税金をかけることで、世界中にあるすべてのものの値段を変えることができます。公明党はぜいたくなものにだけ軽減税率で高い税金をかけましたが、それ以上に、たとえばおにぎりは消費税マイナス50%で極めて安くする代わり、自動車やパソコンには消費税プラス20%などとすることで、この世界に存在するあらゆるものの価格をコントロールすることができるようになります。それを上手く行えば、世界をもっとも一番人々が生きやすい環境にできるでしょう。
後日注記:ガンダーラにおいては、ものの定価などには意味はありません。プラス消費税とマイナス消費税を事細かく決めることで、安くあるべきものは安くなり、高くあるべきものは高くなり、そして消費税が全体的に増税になっても所得税などのほかの税金を減税することができ、あるいは消費税が全体的に減税になったとしてもほかの税金を増税にすることで、国家全体の税収は変わらず、人々の生活の水準と生きる上での楽さも変わりません。まさに、市場経済を消費税によって人工的に調節するガンダーラの計画経済においては、人々はもっとも暮らしやすい最高の消費環境を得ることができるのです。
後日注記:消費者の所得の量によって、税率を変えられるようにすると面白いでしょう。たとえば、所得が低い人は消費税マイナス50%、所得が普通の人は消費税0%、所得が高い人は消費税プラス50%とします。これにより、貧乏人はリンゴを50円で買うことができますが、貧乏でも金持ちでもない人はリンゴを100円で、金持ちはリンゴを150円で買うようになります。消費者の所得をどこでも常に知ることができるように、マイナンバーカードのような制度を作ります。ただし、この制度は本当に実行に移すのは注意したほうがいいでしょう。「ものの価格を人によって変えるのは差別だ」と主張する人が必ず出てくるでしょうから。
後日注記:残念ながら、マイナス消費税政策は間違っています。その理由は、消費税の分だけ所得税や法人税から税金を取ることです。いわば、マイナス消費税でものの値段が安くなっても、所得税を取るのであれば給与がそれと同じだけ安くなり、あるいは法人税を取るのであれば単に会社が値下げをしたのと変わりません。ものの値段が50円に下がったとしても、給与が500円に下がるのであれば意味はありません。かつてないほどの貧乏国が誕生するだけです。数字を調整したところで、全体の税金の量が変わらないのであれば、消費税が所得税になっただけで、国民の暮らしはちっとも楽にはならないのです。
2023.03.24
2024.05.27-28編集
2024.08.07編集
2024.08.10-11編集
2024.10.02編集
ガンダーラにおいて、ノルマの労働内容を決めるのは独裁者ではなく、共同体のそれぞれの人民です。
ガンダーラでは、政府の計画経済として「自治体はこれくらいの農作物と工業製品とサービスと施設を生産せよ、もし生産できなければ自治体で責任を取れ」というお達しが来るだけで、実際に人民の誰がどのような労働をしろということは政府の計画経済では決められていません。
そのようなことを決めるのは、政府ではなく、自治体の共同体が管轄する「共同体評議会」です。
すなわち、それぞれの自治体における共同体の評議会において、人民自体が自分たち自身の働く内容を決め、それによって政府から通達された「ノルマ」を果たします。
つまり、「人民の評議会によって人民が人民の労働内容を決める」ということができるようになります。
その結果、人々はそれぞれの人民の能力と経験を公平に審議し、みんなの働く内容をみんなで決められるようになります。不公平は一切なくなり、民主的な「正しい労働」だけが行われるようになります。
ソ連の計画経済は破綻しましたが、ガンダーラの計画経済は破綻しません。なぜなら、首相は単に産業の数量だけを指定するだけだからです。ガンダーラでは、そのための数量調整を徹底的に行います。徹底的な数量調整を行うことで、ものの値段であっても労働力であってもすべて平等にすることができます。ガンダーラでは「市場経済と計画経済は矛盾せず同時に成り立つ」をモットーにしています。
2024.05.27
ソ連のような社会主義経済では、農業や工場における労働のような、つまらない労働だけになってしまいそうですが、ガンダーラは違います。
ガンダーラでは、平日は普通の最低限のノルマ労働をしますが、休日や空いた時間に「特別労働」を行うことができます。
普通のノルマでは、農業や工場における労働のような、国家を維持するための最低限の労働を、みんなにできるだけ平等に割り振ります。ノルマをきちんと果たす人間には、毎日の生活に必要な物資が何不自由なく与えられます。
ですが、特別労働は、労働しても労働しなくても自由です。その代わり、自分の完全に好きな労働を行うことができます。
たとえば、歌手だとか、芸術家やデザイナーとか、小説家とか、科学者とか、哲学者とか、どんなに天才しかできないような賢い仕事であっても、特別労働の中ではその労働を行うことができます。
特別労働においては、その人のその労働を献身的にサポートする「スタッフ」がつきます。スタッフはどんなことであっても親身になって教えてくれます。そして、レッスンを受けるのに授業料は必要ありません。すべて無料で特別労働を行えます。その代わり、特別労働で対価である給料を得ることはできません。対価が欲しいなら、通常のノルマをこなさなければなりません。
ガンダーラには学校はありません。なぜなら、学校と同じことは特別労働によって行えるからです。子供たちのための特別労働は、「特別初等教育」とされ、この特別初等教育に子供たちは原則加入します。大学の勉強であっても、ドイツのマイスターのような親方に教えてもらう労働であっても、すべてこの特別労働に統合されます。そのための財源は通常のノルマによる労働生産によって賄われます。
2024.05.27
なぜ、このようなソビエト的な新しい社会主義経済を、失敗するかもしれないのに行う必要性があるのでしょうか。
それは、未来の資本主義が、「超極富裕人」の登場によって崩壊するからです。
未来においては、たったひとりの超富裕層、あるいはひとりであるため「層」というより「人」というべき人物が、この地球上の99.99%の富を独占するようになります。
それ以外のすべての人類が貧困層となり、超極富裕人たったひとりに仕える奴隷のような存在になってしまうのです。
なので、もう一度、今度こそは絶対に平等な社会主義経済を行い、成功させなければなりません。
それこそが、ガンダーラの目標です。
そして、ガンダーラは、シリウスの神フレイによって考案され、シリウスの大統領でありスピカの女神フレイヤによって実現されます。
シリウスの神あるいは大統領というように、彼らは地球人ではなく、一等星シリウスからやってきた宇宙人です。
通常、星の侵略は宇宙の妖怪警備隊であるロキによって禁止されていますが、滅びつつある地球を救うために、ベガの大学の学長であるオーディンに、フレイは地球の侵略行為を特別に許されました。
そのような、フレイとフレイヤによる、シリウスの偉大で進んだ文明が、地球を最後に救います。
ガンダーラは成功します。この地球を、かつてソ連が目指していた理想のユートピアにします。地球よりはるかに進んだ文明を持つ星、シリウスの神フレイおよびフレイヤならば、それができるのです。
後日注記:超極富裕人というたいそうな名前を付けましたが、要するに資本帝国主義のことです。今のところまだそうなってはいませんが、未来において必ず、たったひとりの帝王が世界のほとんどの富を独占するようになり、資本主義は崩壊します。
2023.04.29
2024.05.27編集
本当のことを言えば、ガンダーラを作ってはいけません。
なぜなら、人類の歴史が終わってしまうからです。
ガンダーラを作ると、最高の楽園になります。
人類は、これまでの人類史の中で、「最高の楽園」というものを作るために努力し、度重なる犠牲者を出しながら、戦争や革命を起こしてきました。
ですが、彼らには、最高の楽園を築くことはできませんでした。
ガンダーラは違います。ガンダーラを作ることで、人類がかつて目指していたにせよ、成功しなかった、「最高の楽園を作る」という事業を達成することができます。
ですが、ガンダーラを作ってはいけません。
それは、人類、ひいては地球の生物というものが、意味をなくし、価値をなくし、滅びてしまうからです。
これは、シリウスを見れば明らかな事実です。
シリウスは、フレイヤと呼ばれる女性大統領によって、最悪の王国になりました。
町はセックスの表現であふれ、人々は誰彼構わずセックスをし、もし子供が産まれたらその子供を施設へと預けることで、「子供を作っても育てなくていい世界」をフレイヤは作りました。
すべてが最高の楽園など、そのような最悪の王国にしかなりません。
確かに、ガンダーラを作ることで、この世界は誰も見たことのない「最高の楽園」にはなるでしょう。
ですが、そのような最高の楽園を作ったところで、人類に意味などなく、「地球の生物にはなんの価値もなかった」という未来しか待っていません。
ガンダーラは作ってはいけません。最高の楽園などというものは、宇宙において必要ないのです。
2023.05.22
僕が信じているのは、「支配者は平等であるべき」ということです。
支配者は、国民の誰かを特別に優遇したり、国民を差別してはいけません。
国民のことを平等に統治すること、それこそが民主主義の指導者に課せられた「使命」です。
自由という言葉は、あくまで支配者が平等である、ということを前提に言える考え方です。支配者が平等だからこそ、国民に自由な権利を与えるべきである、という考え方を支持できるのです。
不平等な支配者の自由など、なんの意味もありません。
さて、資本主義においては、富めるものと貧しいものが一定数存在します。
富めるものには大きな力があり、貧しいものには生活に困るほどに力がありません。
社会を良くしたいのであれば、富めるものではなく貧しいもの、強者ではなく弱者を救うべきです。
たくさんの人に助けられている人よりも、誰にも助けてもらえない人を助けるべきなのは、当然の理屈です。
しかしながら、資本主義においては、逆に、富めるものを助け、貧しいものを虐げています。
その理由は、国家の利益になるからです。
富めるものには余裕があり、消費だけではなく生産のためにその富を使うため、富めるものをさらに稼げるようにすると、会社や国内経済、ひいては国家全体が豊かになります。
貧しいものをいくら助けても、それは生活費に消えるだけです。特に、貧しい人々は母数が大きいため、ひとりひとりに与えられる富の上限は限られます。なので、貧しい人を助けたところで、富は日々の生活に消えていくだけなのです。
そのように、資本主義は「国家が豊かになる」という意味では合理的です。
ですが、富めるものをさらに豊かにし、貧しいものをさらに貧しくした結果起きるのは、「格差の拡大」です。
富めるものがさらに豊かになり、貧しいものがさらに貧しくなると、「富裕層」と「貧困層」にはっきりと分かれてしまい、その両者の距離がどんどん遠ざかっていって、二極化してしまいます。
国家の経済が豊かになるためには、富めるものが効率的に巨大な富を稼げるようにすることが必要です。
同時に、競争原理の社会では、コスト、特に人件費の抑制が必要となるため、労働者はどれだけ働いても少ない賃金しか稼げなくなります。
その結果、「金持ちは楽に巨大な富を儲けて、労働者はいくら働いても貧しいまま」という状況を生み出すのです。
残念ですが、これが資本主義の現実です。
ですが、日本は比較的そのような社会ではありません。多くの人々が基本的に最低限以上の生活をしており、格差もアメリカのような西洋の資本主義国家よりも低いとされています(最近は日本でも格差が酷いとは言われるが、アメリカほどではない)。
その理由は、「中間層」という層を平等に豊かにしたからです。
すなわち、社会全体を平等に改善することで、富裕層と貧困層に分かれるのではなく、その間にある「中間層」を最低限生活できるように豊かにしていくことで、日本の資本主義社会は、格差が少なくみんな平等でありながら、貧困層よりは豊かで、みんな生活に不自由しない世界を目指しているのです。
ですが、このような日本の平等な社会は、もはや資本主義であるとは言えません。なぜなら、そのような「みんな中間層」の社会は、ソ連や東ドイツのような社会主義国家の目指したものと同じだからです。
確かに日本は資本主義国家ですが、実際は日本は社会主義国家に近い考え方をしています。「事実上の社会主義」とか、「社会主義の面の皮を被っている」と言われても仕方ありません。
ですが、日本はそれでも資本主義国家です。それは、社会主義国家のように、国家が豊かになることを放棄しなかったからです。
日本が目指しているのは、単なる平等な中間層ではありません。日本はそれを基盤としながら、「国家も豊かになること」を目指しています。すなわち、貧困層を豊かにするという目標だけではなく、富裕層の富を増やすのと同じこと、すなわち「国家の経済を豊かにすること」を同時に目指しているのです。
これこそが、日本の現実社会における「日本型資本主義」です。日本は資本主義の現実をただ受け入れるのではなく、資本主義でありながら資本主義の理想と社会主義の理想をどちらも実現することを目指しているのです。
2023.05.31
そして、僕がガンダーラで目指すのは、そのような「日本型資本主義」と、僕の独自に考える「新しい社会主義」の融合です。
僕は、このように、日本だけが目指している、「日本型資本主義」を否定しません。
ガンダーラは、日本型資本主義を継承し、日本型資本主義の実現しているすべての理想を、壊すことなく継承します。
ガンダーラは、資本主義を破壊した上に築かれる社会主義経済ではなく、日本型資本主義を継承した上で築かれる、新しい経済です。
僕が考えるに、日本はまったく間違っていません。日本型資本主義は、ソ連の遅れた社会主義でも、アメリカの格差社会の資本主義でもなく、両者のよいところをきちんと融合した、正しい保守的な資本主義を行っています。
僕は、そのような日本型の資本主義を、ガンダーラにおいて継承していきます。
日本型の資本主義は、決して間違っていません。日本で自民党がどんなことがあっても勝利するのは、自民党の経済は平等だからです。自民党の経済は、社会主義並みに平等な政策を常に行っており、日本は資本主義国家の理想と社会主義国家の理想をどちらも両立させた国家を築いています。
ガンダーラを作る上で、これほど素晴らしい日本の経済を、完全に破壊して抹消してしまうのは、もったいないと僕は思います。
ガンダーラでは、計画経済を行いますが、今までの日本経済を否定し、新しく計画経済をゼロから作ることは行いません。今までの日本の経済と会社組織をそのまま継承し、そのままの状態で計画経済に移行します。
ガンダーラが成功するためにもっとも大切なのは、日本型の資本主義を継承することです。決して、資本主義を完全に否定してはいけません。それはガンダーラを築く上で、絶対によい結果にはなりません。今の日本の資本主義を愛し、継承することでしか、ガンダーラを成功させることはできないのです。
2023.05.31
実際のところ、ガンダーラを成功させるのは容易ではありません。
それは、全社長の分だけ頑張らなければいけないからです。
資本主義社会では、会社のトップには社長あるいはCEOがいて、それぞれの社長がそれぞれの会社の経営を頑張っています。
SONYならSONYの社長、パナソニックならパナソニックの社長、トヨタならトヨタの社長が、みんな自分の会社の経営を最大限、24時間必死になって考えて頑張っています。
ガンダーラの計画経済を成功させるには、それらの社長を全員分頑張らないといけません。
そして、ソ連にはそのような人間がいました。誰でも知っている独裁者、スターリンです。
スターリンは単なる殺人鬼ではありません。単なるソ連をいじめ国家にした主犯だと考える人間は間違っています。スターリンは、そのような、「ソ連のトップの全員分を頑張る」という仕事をきちんと行ったのです。
その結果、ソ連は確かにアメリカや西側諸国よりも遅れた国になりましたが、アメリカに匹敵する超大国になることはなんとかできました。
そう、ガンダーラを成功させるためには、そのようなスターリンと同じことをしなければならないのです。
ここで必要なのは、本当にひとりだけで独裁しようとしないことです。独裁すれば、ひとりだけですべてのことを簡単に決められますが、そのような誘惑に乗ってはいけません。そのような誘惑に乗った時点で、スターリンと同じ道を歩んでしまいます。
必要なのは、自分の国の優秀な経営者たちを信頼することと、ひとりが分からなくてもみんなが分かるような平等な組織運営をすることです。
ここでも、民主主義のほうが優れた点は多いです。スターリンは、気に入らない人間たちを粛清し、共産党の党員の集まる大会で銃殺することすら行いましたが、そのように、ひとりだけですべてを突き進めるのには無理があります。
民主主義の政治家たちは、きちんと自国の経営者を信頼しています。「単に金を儲ける市場のなるように任せているだけ」とは言えるかもしれませんが、それでも、それぞれの会社の社長やCEOは、自分たちに与えられた仕事を自分たちの責任できちんとこなしています。
社会主義の指導者は、彼ら民主主義の組織運営を学ぶ必要があります。ひとりだけの絶対的独裁者は、ガンダーラの成功には必要ありません。むしろ、みんなの代表として、きちんとした憲法を決めることで、大統領が何をしようが基本的にみんなの力で上手くいくような、明文化されたルールを定めるべきです。それができなければ、絶対にスターリンと同じ失敗を繰り返すでしょう。
結局、ガンダーラを成功させるためには、国家の会社の社長やCEOを全員分頑張らなければなりません。今のロシアのプーチンは、主にそれを頑張っています。僕はプーチンの仕事を高評価はしませんが、あの最悪のスターリンを乗り越えて、ロシアはよく頑張っていると思います。
2023.05.31
ここまで、ガンダーラ経済をなんとしても成り立たせるようなことを言いましたが、実際は僕は首相になったとしてもガンダーラ政策はしません。
なぜなら、東ドイツのホーネッカーと同じことになってしまうからです。
東ドイツの評議会議長ホーネッカーは、東ドイツの経済を破綻させ、政権が絶対に立ち揺るがないための反動政策を行い、その結果多くの人を密告に基づいて逮捕しました。
僕は、そのようなホーネッカーと同じことはしたくありません。
ですので、どんなにガンダーラが素晴らしい構想であったとしても、日本経済が破綻するリスクがあるのならば、僕はガンダーラ経済を実践することはありません。
誰か、他人がガンダーラを実践するならば、それを応援することがあるかもしれませんが、僕自身はガンダーラ政策を一切することはありません。
2023.08.05
結局、社会主義などというものは、幻想の産物にすぎない。
資本主義の腐ったこの世界だからといって、社会主義を目指すことは間違っている。
現に、この世界で成功した社会主義国家というのが、かつて人類の歴史においてひとつでも存在したのか。
すべての社会主義国家は、革命家の独裁政権になり、政治家や役人の腐敗と経済の破綻、そして国民の飢えや生活必需品の不足によって失敗したのである。
ガンダーラも同じである。どれだけ机上の空論を信じたところで、ガンダーラなどというものは「絵に描いた餅」にすぎない。決して社会主義国家の楽園を、「実際に食べられる餅」であると信じてはいけないのである。
社会主義は幻想であり、そしてテロである。社会主義者は資本主義者と戦うが、そこにあるのは「社会主義という幻想を盲信するテロリスト」である。
単なるソ連のような共産主義だけではない。社会主義はすべてテロである。これにはLinuxやオープンソースも含まれる。オープンソースを信じるものはドットコミュニストであり、ほとんどテロリストと同じだ。オープンソース活動家はテロリストだと認定できる。
そう、そのように、社会主義は幻想でありテロである。どんなに腐った社会であっても、現実の資本主義社会しか、わたしたちが生きることのできる世界は存在しない。貧乏人が日々の生活に困りながら、金持ちは一切生活に困ることなく、逆に金の使い道に困るほどの金を享受して生きる社会、それしか、わたしたちが生きられる「まっとうな楽園」は存在しないのである。
そう、世界を救う最後の楽園、救済のユートピアであるガンダーラは間違っているのである。
2023.08.08
僕がかつての不登校の時代より考えていたこととして、「政府ではなく国家を築く方法」というのがあります。
すなわち、政府が強制的に国民を支配するのではなく、もっと別の形で政府を実現できないでしょうか。
政府は、税金と予算によって行政の公共サービスを提供しますが、それ以外の方法として、政府を実現する方法というのを、かつてより僕は考えています。
僕は昔から、そのような「自由な世界」というものを、望み続けています。
必要なのは「生産手段」であるということは分かっています。ですが、僕は社会主義のように、平等を目指してユートピアを築きたいのではありません。僕が理想とするのはあくまで自由な国家であり、平等な世界を作るのはいいことかもしれませんが、自由よりも優先順位が低いのです。
なぜ自由を目指すのか、それは「僕と同じ人生を生きられる国」を作りたいからです。
僕という人生は、不登校で引きこもりだった僕にしか生きられない人生です。ですが、この人生は、誰よりも偉大で賢い人生でした。仏教でいえば「縁覚」になるのでしょうが、僕はこのすべてのことを経験し悟ることのできた人生を、自らだけが享受するのではなく、世界全員が同じような正しい人生を生きられるような、「誰にとっても普遍的な人生」にしたいのです。
そして、そのために自由が必要であり、その自由の実現のためには社会主義経済が必要なのです。
そのような、僕と同じ最高の人生を誰もが生きられるような社会を目指す主義について、僕は「人生主義」という名前を付けました。
そして、ガンダーラはそのような人生主義を目指す国家です。人生主義においては、「自由意志に基づく選択」が重要です。なぜなら、僕と同じ人生を同じように生きられるようにするためには、単に僕の人生を強制的に押し付けたのではいけないからです。人生主義においては、自由な選択で自由に生きる中で、自らが経験したことに基づいて自由に発見し、自由に「縁覚の悟り」へと気付いていくような、そのような自由な人生が絶対に守られなければならないのです。
人生主義は、不自由な平等な経済を否定します。そのような人生では、国家のお飾りになることを強制されてしまい、正しい人生を生きることができません。誰もが同じ平等な人生を生きるというソ連の平等は、人生主義においては「間違った人生」です。人生主義は、僕と同じ人生を目指すと言っていますが、実際のところは、誰もが自分だけの特別なオリジナルな人生を生きられるようになります。そのような最高の人生を生きた僕という人間が考えるに、この人生はすべてをそっくりコピーすることはできません。それでも、僕は自分だけが素晴らしい人生を獲得するのではなく、みんなにも僕の人生で分かった大切なことすべてを分け与えてあげたいし、自分の人生だけでこの夢を終わりにするのではなく、この世界全員に僕の偉大な人生を引き継いでほしいと考えているのです。
2023.09.09
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