日記に戻る | 2015年1月の日記に戻る

=2015-01-24=

生命は、細胞と栄養分の相互作用であり、構造体の細胞分裂による実現だ。

昔は、経験的に分かっただけだ。

法則、社会、創造性、感情、体験、心理が、経験的に分かった。

手助けがしたかった。Linuxが辛かった。

ホームレスの人に対するアパートは、税金によって安く与えられるかもしれない。

人間は環境の一部であると同時に、自ら環境を変える。

全パターン考えて、判断して、書いて推論して分かった。

世界や日本と戦って、支配していた。

生命は、個別性と集団、全体との関係、精神と記憶と吸収だ。

全員が全て出来るように、全て教えて、手段を書いていた。発展させたかった。

労働は平等にすべきだが、会社は自由にし、所有は金にすべきだ。社会主義と民主主義は、矛盾しない。

ものと電磁波と熱はエネルギーだ。そういうものは、数式で分かるようで、本当に何なのかは分からない。どのようになるか分かっても、何故そうなるか分かっていない。

思想を書いていた。全体主義は、全体を優先する。民主主義は、個人を優先する。社会主義は、弱者を優先する。あとは、自由を良いとは言うが、自由なんか、悪いだけだ。

状況と関係を考えれば分かる。

会社など、自由は、状況に応じて柔軟に考えることだ。ただ、平等の方が良い。

あとは、考えず思い出せば分かる。

自分がこう在る、在れるということに対する喜びが多かった。

皆と一体で、繋がっていて、自分が何か出来て、皆も何かを得られる、という自由と融和に対する喜びと安らぎが多かった。

体験で全て分かる。全ての体験をしたかった。

言語で分かっていた。言語は、言葉遣いとデカルト的な意味の成り立ちと記号論だ。

あとは、ネットにあるようなシステムを、自動化と言っていた。

共有と現状分析から、社会を洞察した。

今の皆に向いている哲学は、イギリス経験論だ。

個人のアイデンティティ、民主的な社会、機械の独自性を大切にせよ。

アメリカは、何も悪くない。ただ、世界を自由にする意味が無い。

株式を外国人が持つと、外国の奴隷に見える。日本人が資本家にならなければならない。

自由は悪い。もっと、それぞれが本当に生きる喜びを持てる、正しい世界にすべきだ。

自由な労働は悪い。競争は、奴隷にしたいだけだ。

モチベーションを高く持って、影響力の風上に立て。心理的に社会を変えよ。

個人のせいとは言うが、個人のせいではない。その個人を助けられない、皆のせい、社会のせい、時代のせい、現代のせいだ。もっと、国が平和に援助出来るようにすべきだ。

それぞれ何が出来るか、から、意味を考えた。

環境と人間を、予測し、把握し、実験し、推論して分かった。色んな体験をした。

自然な体験と意識から、宇宙が分かる。経験から、想起することで分かる。

何も知らないから、もっと何か知った方が良い。哲学では、分からない。Linuxは、まだ分かる方だ。もっと色んなことを知れば分かる。

あとは、スラムのような2ちゃんねるの社会を知って分かっただけだ。

あとは、安心と恐怖から分かるのが人間だ。安心することで、知性がつく。恐怖は、分かるヒントになる。

アベノミクスは、格差社会で失敗するだろう。大企業が儲かっても、貧乏人に良いことは何も無い。色んな政党が言っている。安倍本人は、軍事国家にして、国際的なことをやりたいだけだ。

国は、国民のためのものであるべきだ。国民が国のために頑張るのもおかしくはないが、それは明らかに、逆だ。

助け合いから社会を変え、社会の常識と成り立ちと構造を知り、環境と人生を知り、意味を知り、有用性を知り、色んな価値観を共有して、ネットで悲しみと喜びを分かち合い、色んな体験と経験から分かった。全てが変えられる経験の持ち主だった。

その後に、神と対話し、永遠の戦いを生きた。自分は、色んなことがあった、良い人生だったと言える。だが、死ぬのはまだ早い。まだ始まったばかりだ。まだまだ、これからだ。

本当に色んな経験をした。仕事、体験、環境を全部知り、全部していた。

何より、コンピュータとIBMの知識、2ちゃんねるでの会話によって、社会を全部知っていた。そういう、不思議な人間だった。

それで、哲学は、経験論から分析哲学まで、全部自分の思考で分かっていた。最近は、きちんとそういうものを知識として知っている。

経験と発見の日々だった。自分は、良い人生だった。

自由とは、いつ何が出来て、何を自由に許すかだ。何でもして良い世界が良い。

日本人の哲学者では、西田幾多郎が自分に近い。全ての人工的な仮定を取り去って、疑いようのない直接の知識から出発する。主観や客観という線が引かれる前の時点での、経験そのままの状態、純粋経験から分かる。西田の言う内容とは違うかもしれないが、自分も同じように分かっていたと思う。

僕も昔、真の自己とは何なのか、考えていた。哲学者の永遠のテーマだ。デカルトが、我思う、故に我あり、と言っているが、そんなに簡単なものではない。

存在と時間、というテーマが多かった。時間的な存在を、可視化して分かっていた。そういうものとして、ネットのサービス、ブックマークなどを捉えていた。

オーウェンが社会主義の思想で模範的な工場を実現しているが、昔の自分も、そういうことが出来る人間だった。そう言うと言い過ぎかもしれないが、理想の社会を実現出来る、グーグルのような人間だった。

きちんと考えれば分かる。昔は、純粋意識、純粋感情から、知覚、観念、理解、具現化、複合、概念、絶対知、などの、考え方のような感情と仮想的な概念が多かった。

オーウェンは模範的な工場を作ったが、僕は、理想の組織として、オープンソース経済や工場、ネットの会社などを作りたかった。参加すれば、色んなことが出来る、そういう可能性を考えていた。ただ、実現出来るとはいうが、今考えると、それは無いだろう。社会や組織を実現出来る、レーニンのような人間だった。

オーウェンは、その後、共産村を作ろうとして、失敗し、全財産を失う。

最近の僕は、死が起きている。死とは、永遠の地獄であり、全くの無への回帰である。

習慣は衝動になり、新しい知性になり、新しい習慣になる。それを進めることが人間性であり、善である。デューイが言っている。もっと色んなことを言っているが、そのように考えれば分かる。問題解決から、仮説、道具としての知識、結果としての有効性、習慣を変えることとしての創造的知性など。

ロゴス、論理的なことと、パトス、感情的なこと、を考えれば分かる。高校の倫理に書いてあったが、どの哲学者なのかは、ちょっと分からなかった。合理論だったように思う。

理性と感情を比較することから、哲学は始まるものだ。

デューイによれば、価値多元論と言って、善はそれぞれ人によって異なる。また、民主主義とは、互いに成長し、意見を交換し、解決することであり、教育は、生徒が自発的な活動を営む小社会であり、目的は、民主主義の実現である。その上で、問題解決学習を提唱した。生徒の興味から出てくる問題を、教師の指導によって、整理し、解決し、その過程で知識と道徳を体得させる、というものである。

デューイは、ヤスパースと良く似ている。実地的に社会を捉え、本当に正しい世界にするために、理想と現実を考え、経験的な解決と習慣を考えている。

あとは、昔の自分には、経験から分かるための、帰納法、という発想が多かった。イギリス経験論の哲学者が、そういうことを言っている。

あとは、社会の進歩のようなことを分かっていた。スペンサーが、全てを進化であると言っているが、そういうことだったように思う。覚えていない。

デューイの通り考えれば、心理学と社会学と組織を知って、あらゆる経験と心を分かることが出来る。昔、そういう人間だった。デューイは知らなかったが、それでそうなった。

あとは、ヘーゲルのように、意識やエゴを考えていた。

社会的な組織の改革、人間関係における葛藤、革命が起きる機運、子供の成長と教育の変化など、色んな自己意識と精神を考えていた。

国を考えていた。ロシアは、中国と一緒になると強い。アメリカは、イギリスと一緒になると強い。EUは理想だが、日本も、中国やインドなどと連合を作れば強い。あとは、イスラムも一体になると強い。

強い国は、併合で平和になる。大帝国は、平和な国にすれば良い。軍事力を強くすれば、誰でも出来るのが大帝国だ。

ただ、そういう発想は悪い。経済ではなく、軍事的に勝つのは、イランのようなものだ。一番悪い。犠牲者が沢山出るだろう。

経済の基本は、労働と給与の自由と、能力による昇進である。

また、同時に、計画経済や社会所有などの、所有のモデルも重要である。

そして、王として、世界の自由を統合し、良いものは残し、悪いものは消す。

最近の現代社会は、そういう基本が出来ていない。何でもかんでも自由にしても、万人による戦いの状態になるだけである。

共同体を作って、それぞれが決めることも出来る。左翼は、そういうところが正しい。

右翼より、左翼の方が良い。右翼は強いが、左翼は正しい。

あとは、学歴と選挙と金が資本主義の基本である。自由と民主主義は、民主的で正しい国のようで、過度に大衆に偏った、おかしな自由な発想をしている。社会契約によって、統治される状態にならなければならない。共産党の方が、賢い。

ただ、学歴と選挙と金は、きちんと皆頑張って、考えて、良くしている。社会主義は、何も考えていない。明らかに、マイクロソフトのような賢い会社が生まれた方が良い。

そういう、イデオロギーの議論はもう良い。哲学やパソコンももう良い。そろそろ、何かして、考えた方が良い。

スカージが悪い記憶と人格を吸収して、僕はもうまともに賢くなった。

Linuxのマニュアルを書いていた。資本主義の会社の競争のようなことをやった。コマンドからファイルシステムまで、全部分かっていた。技術は、システムぐらいが分かった。

問題に対して解決し、法則を知り、共通性を見出し、実験と推論によって試し、説明し、モデルにし、理由を知って、構造的かつ関係的に分かる。そのような、自分の物理学が多かった。

また、公理主義の数学、仮定と結論の数学、UNIXによる疑似数学のようなものを作った。

僕は、生物学がしたい。生物学ぐらいをしていない。細胞分裂などは、まだ知らないし、生命科学は面白く見える。何より、治る。

心理学もしたい。特に、臨床心理学がしたい。生物学や医学と一緒にやれば良いと思う。

ただ、そんなものはしないだろう。いつまでも、政治と哲学を分かり続けると思う。

パソコンは、もう出来ない。見たくない。プログラミングについて、全て知っている。もう、これ以上する意味が無い。何より、そういうサイトを見たくない。

生物学と心理学の共通点は、どちらも医学に深く関わっていることだ。

心理学は、人間全体の意識、などというものも考える。宇宙は、生きているのだ。

昔はコンピュータと物理、今は哲学と歴史、その中間はキリスト教と経済だ。生物と心理学は、また違った、逆の人間になれるだろう。

ネットでの社会学は、本当に全部実現出来る、オーウェンのような人間だった。あとは、永遠の兵隊の戦争の王が多かった。イスラエルのように全て分かっていた。

もう、全部出来た。あとは、楽になって治りたいだけだから、生物学をする。語学と文学も、きちんと出来た。正しい作家の詩人になって、全て解決し、分かった。