日記に戻る | 2015年1月の日記に戻る

=2015-01-25=

インターネットの掲示板のように、1つ1つの時間とコメントを考えて分かっていた。

人間の自由を辿って分かっていた。

現実的に、それぞれの支配と自由を考えて分かっていた。

戦争は重要だし、悪い。左翼のデモは、重要でないし、どうでも良い。

そのように考えていた。

村や共同体を書いて作っていた。

生命は、虫が進化して植物になった。

波は生きている。僕の心は、波になっている。生命は、海が創造した。海のある星なら、宇宙にも生命は居る。

ブログやネットで、色んな人間のことを分かった。

ジェームズが心理主義的プラグマティズムを言っているが、相対的、心理的な真理の把握は、昔の自分に多かった。

プラグマティズムとは、行動から観念が明らかになると考える現代の哲学である。パースが提唱した。アメリカの新しい哲学だ。パース、ジェームズ、デューイなど。

また、同時に現代の英米で主流になっているのは、ヴィトゲンシュタインの分析哲学である。言語的な批判と分析によって、全ての哲学を包括していると良く言われる。

経済は、社会の可能性を考えた。王の上に聖書を置くとか、大学で全部するとか、計画経済の資本主義にするとか、色んな馬鹿な発想が多かった。

本当に馬鹿な発想の一つが、水道に牛乳を流す、だ。それで生きられる。人生主義、と言っていた。ノルマは、自由にして、色んな仕事をすれば良いと言っていた。それこそ、そういう発想が一番馬鹿なのが、分かっていない。

仕事は、一つの仕事を極めたいものだ。師弟制度は、工業大学で成り立つだろう。

公社を自由に作る、4か月政治をする、など、おかしな発想が多い。全部、50万のノルマにすれば、平等になる。それで良いのに、60万や70万のノルマを作っていた。それでは、平等で無い。あとは、全部ソニーとイオンだけにする、と言っていた。

良く、日本語を考える。日本語に英語やスペイン語の要素を取り入れれば良い、と考えていた。英語的、ドイツ語的、フランス語的な語順を可能にする。冠詞を多様にする、と言っていた。

数学、物理、経済、生物などの分野で、色んな分析と提案をした。まるでヴィトゲンシュタインのように、分析して全ての科学を分かっていた。

あとは、自由や相対性を書いていた。教育を解決し、社会の問題を考えた。また、共有の世界観を考えて、世界モデルを分析して、国家主義のない共産主義を目指していた。

それくらいしか考えていない。ただ、共産党は止めた方が良い。一番悪い。

あとは、神を信じていた。

世界は、フランス、ドイツが終わって、イタリアになっている。

自分は、ドイツ人の後に、イタリア、ロシア、フランスになっている。

そろそろ、アメリカが終わる。

神は、そういうことを言う。神は、ユダヤ人だ。

黒人や宇宙人、ドイツ人、ユダヤ人、ロシア人など、神は色んなものに替わる。

世界は、そろそろイタリアを止めるべきだ。新しい国になれ。

神は、500人ぐらい居て、その内100人は自分で、100人はキリスト、100人はスターリン、100人はレーニン、後の100人は色んな人間だ。

宇宙は、27個ある。自分は、イスラエルの王になりたかっただけだ。

そういう、間違った嘘の科学が、神だ。何も正しくない。

過去のある時点に立ち返って、思い出して分かっていた。

革命で分かっていた。

競争を滅びであると言って、ファシズムと戦っていた。

もうきちんと普通に思考出来る。神ではなく、普通の人間や家族に言う方を言えば良い。

僕は、独裁者は嫌いだ。もっと、平等に、自由にした方が良い。

神の他に天使が居て、それはそれで、色んなことをやっている。

人間は、死ぬと天使になる。生命は、意識のレベルである。

物理的、数学的、遺伝子的、経済的、社会的に、気づきと考え方の構築と説明から考えよ。

思考によって、全てを把握し、実証せよ。

行動と習慣から、経験を知り、教育を高めよ。

愛とは、知り、信じ、戦い、教え、許し、導き、築き、助けることだ。

頭の中で真理を作っていた。経験から分かった。

体験の共有と共存から、助け合いが生まれる。

認識の相違と吸収から、自由が生まれる。

抑圧と解放は、正しいプロセスと愛の信念によって、解決出来る。

自由が悪い。自由のせいで分かっていない。

ネットの経験をいくらでもして分かった。

想像力を想定した。

宣言して分かった。

全ては、自由に任されている。提案をすることで、誰でも変えられる。提案は、きちんとすれば受け入れられる。人間の分かったことは、少ない。

あらゆることは自分のためになる。意味のないことや無駄なことは一つもない。

平和は、あらゆる愛と法律から生まれる。そこでは、多様な視点と意図があるべきだ。

変化は、法則性、改善性、可能性から生まれる。

純粋認識、純粋意識、純粋感情、純粋経験から、複合的な考え方が捉えられる。

全ての可能性は、場における実現と法則だ。

自由とは、良く考えることだ。自由とは、平和であり、あらゆる可能性の模索だ。