滅びを殺す。滅ぼす人間を消す。それでもう滅びない。
下に下がって、ロボットになって文章を書いていた。辛くても、頑張った。
自由によって、世界を見通していた。
概念とは、自由な共有と変化と意志だ。
場とは、自由な多様性と創造性の構築の存在だ。
感情とは、自由な恐怖と悲しみの克服だ。
国とは、自由な発展と平等だ。
もの作りとは、自由な設計と構築による機械の創造だ。
研究とは、自由な探究だ。
会社とは、自由な金儲けと技術開発のための組織化だ。
あとは、概念を網羅していた。
自由とは、概念、認識、変化、統一、融和と分裂、因果性だ。
人間は、仏の力によって生かされている。生きるべき間、死なない。
風景や情景は、心の本質を見せている。鏡には、自分が映る。
あとは、可能性のようなことを言っていた。
自動車は、エンジンと言う原理の発明だ。
自由な所有は、いくらでも好きな物を得て、買うことが出来る。
制度は、社会的な発明だ。
社会は、共有と生産手段によって、別の社会になれる可能性がある。
自由とは、制限されず、自由な可能性の中で、限界と基盤を高めることだ。
設計図の共有によって、システムを発展させることが出来る。
科学は、知と発見の方法だ。
生命は、細胞による、自由と平等、愛と循環、生と死の具体化だ。
人間は、言葉によるコミュニケーションと、生産・研究手段と思考と学習の存在だ。
そのように、色んなことを成り立たせて作っていた。
手段と見通しの欠落した自由では、意味のない自由が生まれる。
自由には、賢い意味と手段が存在するべきだ。
あらゆる不平等は奴隷だが、あらゆる平等もまた、奴隷だ。
自由な社会は、奴隷か、無意味か、空虚か、戦いか、孤独によって、関係性と社会性が断ち切られる。
そのような、何かを見なして、説明するようなことから、考え方を分かっていた。
この世界にある宇宙や生命観は、人間の認識と知覚の中にある。本当の宇宙は、全く違う姿をしていて、全く違う宇宙が幾千とあるだろう。
そのような、認識や知覚のようなことを考えていた。想像力と感覚から考えていた。
歴史は、ものや文化から分かる。
人生と生活を構造化すれば、何でも書ける。人間を全員作れば良い。
哲学者は、歴史と数学をするべきだ。それで人間が分かる。
また、哲学者は、外国語と心理学をするべきだ。出来れば、物理や生物も知っておくべきだろう。また、他の有名な哲学者に関して、哲学書などの文献を読むべきだ。
自分を参考にするのであれば、考え方を沢山切り替えて、コンピュータのことをしなければならない。また、経済学や日本のことは、分からなければ、哲学者は出来ない。
哲学者と政治家の違いは、主観と客観の違い、理性と支配や抑圧の違いだ。
賢者と愚者の違いを分かることは、哲学者となるための道と言える。
ただ、哲学者は、そんなに良い物ではない。大人になりきれない、子供のような存在だ。悪く言えば、理性だけにとらわれ過ぎて、悪魔となった餓鬼のような存在だ。
独り孤独となって、社会から一歩距離を置いて世界を見て、色んなことを考えながら、試し、発想して、世界について考えてみて欲しい。そこでは、豊富な情報源を活用して、色んな考え方で考えて欲しい。この世界が何なのか知るために、哲学的に考えて欲しい。
ものの歴史は、重要ではないように見えて、重要だ。ものにも、沢山の歴史があるし、色んな方法や結果が存在する。人間にも、時間軸と経緯がある。そのように時間を考える。
哲学者と宗教家の違いは、真実と嘘、考えることと信じることの違いだ。
信じることは、悪くない。だが、考えないことが悪い。ただ、特に、賢く考えないことが、賢いこともある。宗教家は、悪くは無いが、神と人間倫理についての観念は、哲学的に考える必要があるだろう。
自由に、当然に考えれば分かる。
分かることから、当たり前に考えれば良い。
自由は、個人の自由を尊重しながら、民意に委ねるべきだ。
だが、組織化する自由はあるべきだ。しかしながら、個人の権利は尊重され、平等であるべきだ。
あとは、フッサールは、認識を確信の共有と言う。
そのように、認識の関係や吸収をすれば分かる。
このブログは、公開したり消したりをしている。読者の方には、申し訳ない。だが、公開した方が良いか、しない方が良いか、悩んで、迷っているから、仕方ない。
あとは、経験と感覚と想像力で、洞察すれば分かる。もっと、間違った人間で良いなら分かる。
最近は、世界を支配して、神と戦って、文章をいくらでも書いた。
出来ないようなら、聖書を信じて、文章を書いて戦えば良い。書くことが無いなら、自分のことを書いて、考えたことを思い出して書けば良い。
AAAが言う、偽りを塗り固めた箱庭の、終わりのない迷宮だ。
塗り重ねただったか、出口のないだったか、ちょっと分からない。AAAは、自分のことは言っていない。
昔がハリケーン・リリで、今がボストン・マリで良く見えるが、まさにどうでも良い。
最近は、昔へ逆戻りする。それが難しい。
物理は、全体と一部を見ながら、特性、分類、作用、一部を考えれば良い。
やりたいことが無い。哲学は、気づきになるだけで、したくない。
フランス語やプログラミングがしたかったのは、今見るとしたくない。
フランス語の本や、C言語の本を読んでも、何も思わない。全くしたくない。
数学や物理も同じだ。全くしたくない。テレビもネットも見たくない。
音楽は、AAAは本当に良いと思う。コナン(アニメ)と感じが良く似ている。
哲学は、意味が無い。少年が2ちゃんねるをして同じことが分かるだろう。
なるか、ならないか、含まれるか、除外されるか、包括されるか、突出するか、などを考えれば良い。
本当にそうか、違うか、一部か、ただ一つか、いくらかの集団か、全体と一部の違いは何か、などを考える。
あとは、可能性や普遍性を考えれば分かる。それから、矛盾から本質を考えれば良い。
何もしたくないのはおかしい。普通、出来るようになりたい。もっと、職業のようなことをして、道を究め、技術力を高めれば良い。要は、本当に実用性の方が良い。要は、仕事や労働の方が良い。
昔から、感情で状態を考えて、どうなるか分かっていた。
自分を変えれば良い。いつまでもおかしな劣った自分で居たいのがおかしい。
制限の無い、自由な空を自在に生きれば良い。
ゲームはつまらない。昔は、ゲームを作りたかっただけだ。ゲームなんか、要らない。
音楽を作る、という発想は無い。それでも良いようで、顔が不細工だから止めた方が良い。
本当にやることがない。哲学なんかしたくない。ただ、まだやりたいのは、唯一哲学だけだ。
哲学はつまらない。2ちゃんねるの昔の自分に見える。本当に、何もしたくない。
パソコンや大学はもう良い。もうしたくない。そんなものは、もう終わった。
何か、楽しいことをすれば良い。だが、ゲームや漫画、スポーツなどの娯楽はつまらないと思う。
楽器は、家に電子ピアノと安物のバイオリンがある。あとは、スケッチブックはある。ノートとペンと本もある。それで芸術でもすれば良いが、出来ないと思う。
テレビでホームレスにパンを与える物語をやっている。僕は、格差社会は嫌いだ。
世界が馬鹿なのがつまらないだけだ。言う意味が無い。
21世紀の資本と言う本は、読んだことは無いが、流行っている。格差社会は、貧民に利益をもたらさない。格差社会は、一番悪い。
この社会はおかしい。誰も考えていないし、分かっていない。皆、悪くは無い。皆、何も出来ないだけで、救いを待っているだけだ。政治家には、分からない。
姉はプログラマで、ゲームやオセロに強い。だが、自分は先日、オセロで姉に三連勝した。自分は賢い。新聞の間違い探しも、この前すぐに7つ見つけた。
オセロのコツは、角や取られないところを取って、相手に取られなくすることだ。打てなくすると、終盤で自分のペースになって、オセロで勝てる。
ヨーロッパやアジアなど、それぞれの州別に自治区を作って、世界政府の委員会を作り、思想は民主主義にすれば良い。ただ、労働だけは平等にする。
数学は、全ての方法をエクステンションにして、基本数学と応用数学を拡張的に分けて作る。
ただ、そんな発想が現実になるわけがない。昔から、そういうおかしな発想をする。
会社は、必要に応じてその時作られるような、そういうものになる。
昔は、何もしていないが、賢い。
今は、馬鹿だが、頑張っている。
どちらも経験が多い。どちらが賢いか、分からないが、どちらが賢い。
昔は分かる人間だった。最近は、戦いと意識の地獄を克服した。
賢くない。パソコンすら出来ていない。
本当は違うところが素敵なのが自分だ。AAAが言う。
あとは、力業や回想や気づきで分かっていた。良く思考し、仮定した。経験から想定した。視点を変えた。
自由と経験と積み重ねと掘り下げで分かっていた。
ネットで社会と人間を知りながら、空想した。感覚と想像力で考えた。
最近は、判断と文章で、一瞬で永遠が出来るのを作った。分かる。それが辛いだけだ。
最近は、ロボットだ。思考のパターンの機械だ。
社会の倫理観を考えれば分かる。
自分のことを考えず、相手のことを考える人間だった。何でも改善出来た。