日記に戻る | 2015年1月の日記に戻る

=2015-01-16=

認識は、経験的なものだ。

カントの言うように、人間は、経験と言うメガネでものを見て、認識している。

経験とともに、認識は変わる。

人間の共通意識と深層意識、経験から、人間のことが分かる。

良く分かっていないが、カントは相反する2つの命題を考える。

宇宙の無限性、ものの複雑性、法則の因果性、絶対者の存在について考えていたと思う。

あとは、可能性や確実性、複数と一つなどの、悟性のカテゴリーを作っている。

シェリングは、世界を世界精神にした。

ヘーゲルは、矛盾する命題を弁証法によって整理した。

また、世界精神を、歴史を貫く絶対精神の展開、とした。

あとは、フィヒテが自我の哲学を展開している。

ヘーゲルは、自己意識として、意識の変転を展開している。

そういうものが、おそらくはドイツ観念論だ。

観念論とは、理性や経験ではなく、精神として世界と人間を見る、というドイツの発想だ。

大陸合理論は、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、パスカル。

イギリス経験論は、ロック、ヒューム、ベーコン、バークリ。

あとは、功利主義、実存主義、分析哲学、構造主義など、色んな分野がある。

良く分かっていないので、違うかもしれない。

社会学的には、社会契約論や、ヘーゲル右・中央・左派、社会主義・マルクス主義、などがある。

もっとあると思う。

仏教などの日本の思想や、当たり前に古代ギリシャなどもある。

高校の倫理の本に書いてあるから、参考にして欲しい。

あとは、想像力でものを作り、使い、経験し、学習するのを書いていた。

概念、イメージ、表現、知恵、工夫、方法、応用、共有、体験、経験、理性、感性など。

色んなことを言っていた。

色んなものを作って、成り立たせていた。科学は、概念と分類と考え方だ。

あとは、あまり考えず、分析して書いていた。

もの作りは、組織と知識と方法と決まりであり、機能性と実現性の向上だ。

言語は、意味と決まりであり、その時その時における、場と論理構造の表現だ。

国家は可能性だ。宇宙は、あらゆる全ての向上を含む、存在の全てだ。

時に、国家など、ある必要が無い。

国家は、性悪説の人間を成り立たせるために、処罰と支配を行うだけだ。

あとは、経緯や歴史、愛と不安などを書いていた。

日本語は、最後に分かる。分からないのは、分かる気が無いからだ。

最後の「ですます」を言って分かるのが、日本語だ。

それを分かると、日本が滅びる。それが怖いから、日本語が分からなくなったのが、最近の自分だ。

自由とは、任されていると知ることだ。皆、何も分かっていない。自由に任されている。

何をするかは、自分次第だ。

平等とは、皆を愛することだ。それぞれが本当に出来ることを、与えてやるべきだ。

王は、出来るだけ自由に決めるべきだ。

血筋で決めると、不平等なのが悪い。

だが、同じ血が永遠に続く、と考えると、それもおかしくはない。

ただ、一般の国民より王の方が、命が大切だと考えるのは、おかしいだろう。

本当に平等の方が良い。

皆、一緒になって、平等に働けば良い。その方が良い。

自由は悪い。自由で賢いのは、人間的でない。そんなに頑張る意味が無い。意味が無い努力が多い。

賢い人間なんか居ない。ビルゲイツだけ意味も無く賢く見える。

それぞれの自由は良いが、勝者と敗者に分かれるだけだ。

民意に委ね、それぞれの個人の自由を尊重するのは、平等の方が出来ている。

ただ、明らかに平等は悪い。ソ連や中国、北朝鮮は、独裁者の帝国になっている。

もう良い。そういう、平等と自由の争いは、分かっても意味が無い。

平等が良い。国なんかどうでも良い。皆同じ人間だ。

自由の良いところは、合理的で、賢いところだ。出来る人間にやらせて、賢い人間が勝つ。

そんなに理想にしても、何も出来ない。きちんと正しく考える自由が、出来る社会を築く。

自由はキモイ。平等の方が良いと思う。

それぞれの可能性は、平等に一番多い。自由は、可能性があるようで、面倒が過ぎるだけだ。

昔なんか、自分が出来て、経験したかっただけだ。

地位の高い人間なんか、キモイだけだ。そういう馬鹿が自由だ。

自由にすると、自浄作用で、悪いものが全部無くなる。だが、きちんとしなければ、悪いもので溢れることもある。特に、コンピュータ関係がそうだ。

皆と同じことをすれば分かる。何もしなければ、分からない。

何でも出会いだと考えれば、何とも出会わずとも、世界と出会うことが出来る。

国の支配や関与がされたくないのは、おかしくはないが、それでは何も出来ない。そういうわけで、支配者の自由もおかしくはない。だが、支配者は、全部の国民に対して、平等であるべきだ。

ただ、Linuxは自由な方が良い。勝手に作っていればそれで良い。GNUが見ると、自分の所有するコンピュータは自由に習得・経験・共有出来るべきだし、ソフトウェアは本来自由であるべきだ。それはそれで、おかしくはない。Linuxは自由な方が良いと思う。

国が自由な方が良いというのは、アメリカに支配されたり、苛酷な王に支配されたりすることが無く、正しい独立政権が生まれるべきだからだ。そういう発想は、悪くは無い。

そういう発想は、平等にも多い。

だが、国の平等は良くない。特に、共産党政権は、完全に失敗して、破たんした。つまり、平等の方が良いとは言うが、共産党は悪い。それが正しい。

自由、平等、博愛の理想は、どこにでもある。その上で、正義と進歩があるべきだ。

ただ、Linuxも悪い。ただのWindowsのパクリOSになっている。きちんと作るためには、ITは金にするしかない。IT全体が悪い。

情報産業は、大本のIBMから金儲けだから、大学でやる意味が無い。情報は金儲け、それが正しい。

UNIXが特別、金儲けで無かっただけだ。それを目指している馬鹿がGNUだ。情報は金儲けか、UNIXか、どちらかが正しい。

自由なんか、どうでも良い。最初から、自由と言う発想がおかしい。自由や平等の理想は、学校だけでやっていればいい。大人には、社会をきちんと支配する、という発想しかないものだ。

言論の自由は、あるべきだと思う。それくらいの理想が無いと、それはそれで悪い。当たり前の権利ぐらいは、あるべきだ。そういう国が、フランスのように、良い国になる。

Linuxが悪いのは、作る人間に正当な報酬を払わないのが悪い。努力したものには、報酬を払うべきだ。社会主義は、それがおかしい。強制労働なんか、キモイだけだ。

むしろ、自由な方が良い。国家は、民主的でなければ、悪いことをする。国民のための国になるべきだ。ただ、自由な選挙も、ポピュリズムになることがある。大衆に耳障りの良いことだけを言うのは、良くない。

競争も競争で悪いから、自由は良くない。平等には、人権が無い。どちらも悪い。

数字にすると、アメリカは10から5まで色んな人間が居るが、ソ連は全員1になる。だが、たまにアメリカにも1が多い。そういうものだから、自由の方が良い。

むしろ、社長が考えるのが、一番賢い。ビルゲイツのような賢い社長が居れば良い。普通に、どこの会社にも居るのが、賢い経営者だ。

中国は悪くない。全員5の国だ。1が居ない。それに、中国やソ連には、争いごとが無い。共産党は勝手に決めるし、国全体を悪いとはいうが、戦争や人殺しをしない。ただ、独裁者のせいで、そういう悪い国にも見えるのが社会主義だ。

中国は、社会主義に見えない。日本は、中国と変わらない。7から5ぐらいの国だ。

昔は、この世界が全部変わる理想と自由が分かっていた。自分がどうすべきか、皆をどう出来るか、正しい自由は何か分かっていた。

あとは、基礎を作って説明する、メタ思考が多かった。覚えていない。

全ては、証明と初期投資だ。

いつ何が出来るか、皆に何が出来るか、の自由を積み重ねれば分かる。

自由が良い。自由にすれば、自分が皆を変えられる。皆も、僕と同じように、皆を変えられる。会社は、自由な方が出来る。

自由が良い。実力でビルゲイツに勝てば良い。オープンソースを改良すれば、勝てる。開発者を増やして、デスクトップ環境を改善すれば良い。

会社は、創造性、実現性、可能性、手段、世界の変化と支配、利益と競争、技術と歴史だ。

会社は、従業員の権利と自由、参加と決定、自由な給与と労働だ。

会社は、多様性と平等、法律と金儲けだ。

会社は、生産手段の保有と、搾取だ。

会社は、組織、管理、技術の考え方と実現だ。

会社は、発想と企画の実現だ。

会社は、資本と投資と経営や買収だ。

僕の声なんか、いらない。世界を保持しなくなる。

宗教や社会主義は悪い。ニーチェのように、力が全ての方が賢くなる。それが自由だと思う。

昔は、あとは相手の裏を読んでいた。

最近は、何でも成り立たせる。自由は、品質を高めるべきだ。

自由にすると、全体の上限が増えて、出来るようになる。

自由とは、想像力を高め、対処法を知り、愛を与えることだ。

言い争いをしているだけだ。

滅びても、良くなるだけだ。

平和とは、人生を知り、子供を愛することだ。

視点と場を想定して、何故とどうしたら、理由を良く考えると分かる。

感情で考える。いじめは、平等にすれば良い。

思い出して、学習を辿って、視野を広げて、思考して分かっていた。

経験から記憶を洞察して、類似性と気づきで分かっていた。