ものを関係と可能性で緻密に考えていた。
ものは、ものとの関係と道具と方法から生まれる。
ものの関係から、社会、人間の関係を考えた。
森羅万象の関係を考えていた。
やり方と結果を把握した。
場からものと属性を全て創って、法則にしていた。
イスラム教のキリスト教をやった。
社会は、栄えること、滅びること、争うこと、信じることが全てだ。
自由とは、信じ、組織と個人となり、立場や見方を変えることだ。
知をモデルにして、メタ的に説明して分かっていた。
学習を考えて、全ての人間になった。宣言で、神の永遠を実現した。
体験と環境の変化から発見出来る。
人間とは、認識し、知り、考え、感じ、行動し、何かになり、何かとして在る生命だ。
自由とは、もののあり様と考え方を考えることだ。
創造的で、体験的で、平和的で、幸福的な社会を創れ。
愛とは、真実、自由、考え方、適正、本性、公平、慈悲、許し、解放、平等だ。
全ては、本当に良いと信じて、本当にそれになるための、経緯と努力だ。
昔は、思考と創造、最近は、気づきと説明から、科学の体系を作った。
それくらいで、あとは、普通の考え方を書いていた。
それで、そろそろ終わりだ。永遠を成り立たせて、詩を書いていた。
ソ連やイスラムは止めた方が良い。今戦っている。辛いだけだ。
社会の全てを、自由から国を成り立たせて作っていた。
考え方は、全て分かっていた。
嘘と虐待は、もっと禁止した方が良い。そのように、全体の構造を作って分かっていた。
体験と実感の、経験と理性の科学を作っていた。
自由が好きだった。自由な中で考えれば、何でも出来ると思っていた。
全てが出来る自由のために、全てを賭けて、戦った。それは、むしろ、平等だった。
僕は、自由と平等が好きだ。
自由と平等は、どちらが欠けても意味のない、それぞれが求めあう、大切な概念だ。
あとは、社会の考え方をモデルにして分かっていた。
それぞれ協力し、関係し、決まったことをやる。それを、皆で決めて、それぞれの好き勝手が出来るようにし、必要なところを協力して与えるようにする。
一体になって、ボトムアップにして、価値観の違いを、考え方の複合から、克服する。
複合して、一貫性のある、包括した考え方をする。そのように関係から考えていた。
あとは、生命などを分かっていた。
生命は、水の中にあらゆる生命要素を包括した、それぞれが独自に主体的となって生きる、地球の循環要素だ。
そのようなことを考えていた。
経緯と考え方から、人間のことを分かっていた。
経験で全員が分かった。昔は人間が分かっていたが、最近分かっていない。
ネットで人間が分かっていた。最近は、そういうものが嫌いだ。
もっと人間のことを分かった方が良い。色んな人間や感情を分かると良く分かる。
前提や立場とは、色んな人間の考え方のことを言っていた。そういう風に分かれば良い。
皆、昔のままだ。皆と同じになれば、すぐに分かる。
神のせいで分からないから、神を消した方が良い。
白人は全く違う。日本人になって、それぞれ違うと思えば分かる。
視野を広げて、概念を増やして、思いや信念の裏の理由と法則を分かると良く分かる。
考え方と自由を積み重ねることで、全員を把握出来る。
あとは、科学を作っていた。賞味期限や製造者のようなものを、世界にある科学と同じように、きちんと構造と考え方を作れば分かる。
あとは、多い。色んな感情を分かれば良いし、色んな地域の文化とか、日本独自の精神とかを、見聞きし、会話し、社会を知って、必然性と同じ発想、同じ本質から分かる。
色んな環境のことを分かって、自分も出来るようになれば、理想だ。
あとは、自由で包括的な発想が多かった。聖書とコーランを選べるようにするとか、共和国の中で独立国家を作りやすくし、企業の独立性も高めるとか、自動車をハイブリッドにするとか、そんな感覚で作って分かっていた。包括することが自由だ。
あとは、色んな考え方が多い。機械を作る機械を作るとか、文字を話すコンピュータとか、あるいは、主観と客観の一致を目指すとか、記憶の客観視が想起であるとか、多かった。
自己を創造する自己とか、宇宙は意識によって生まれるとか、色々と賢く考えていた。
芸術や科学、文化的な発想が多かった。ピカソなどを分かっていた。方法を考えて、手段を成り立たせ、発想を思い出して、全部考えていた。
子供にも、王にも、色んな経験をさせるべきだ。王、役人、大臣、教師、農民、武士、科学者、作家、宗教家など、色んな経験をさせて、色んな学習と体験をさせれば良い。
色々考えていた。自由ノルマとか、4か月政治とか、政治家のローテーションとか、師弟制度とか、色々考えていた。
人間の心を考えていた。思考と作用から分かった。いじめは悪い。思いやりを持って、全員を平等に幸福にするべきだ。
あとは、考え方と本質から、社会を洞察して分かっていた。
平和な国は、自由から生まれる。自由が分からない人間は、分かっていない。
ただ、最近考えると、自由なんかただの馬鹿だ。
そんなに自分を賢いと思うのが間違っている。馬鹿と思うのもおかしい。
普通、何も思わない。世界を見ていれば、誰でも普通のことが分かる。そんなに分かっても、意味が無い。
自由は賢い人間になるが、平等は偉大な人間になる。キリスト教は、分かる人間になる。
そういう風に、色んな人間を分かれば良い。
哲学者、教師、宗教家、政治家、作家、などにしか、分からない。
悪い記憶があるだけで馬鹿になる。悪いものを何も見ていないと、賢くなる。
悪いものを見ていると、分かる人間になるが、すぐに馬鹿になる。
正しい方法として、色んなことを経験してから、文章を書くようにすると良い。
書いて記憶を消しながら、大切なものを思い出すことで、きちんと新しい記憶を作ることが出来る。
人間不信は、自分のことを信じられず、疑うことも出来ない、不安から起きる。
いじめは、学校への不信感と、社会への反抗、自由と平等への不信感から起きる。
また、自分が悪いのが、他人のせいである時に、起きやすい。
そのように、色んな人間や社会の問題を考えると、人間が良く分かる。
いじめを、いじめられる相手の気持ちに立てと言うが、時に、いじめる相手の気持ちに立つことも、大切なことだ。
ただ、もっと何か幸福の要素のある社会で、きちんと平和で共存出来る社会なら、いじめなんか起きない。社会のそれぞれの大人が、戦っていて、格差が広がっていて、パソコンなどもあるから、起きるのがいじめだ。
いじめはどうでも良い。戦争や虐殺など、大人も大人で、自分を守るために、相手を虐げたり、奴隷にしたりする。本当に平等で良い世界には、ならない。平等も平等で、悪い。
もっと、色んなことを考えれば良い。
人間関係が間違った方向に向かうのは、正しい関係や社会の構築の方法を知らないからだ。
もっと正しい関係を築くためには、お互いがお互いのことを良く知り合って、何が出来るのか、協力し、信頼し、助け、支えることが出来るのか、互いに考えるべきだ。
昔は、いじめの原因を、経験が無いから、自分の置かれた状況を分かっていないから、だと思っていた。それはむしろ、教師に言うべきことだ。