日記に戻る | 2015年1月の日記に戻る

=2015-01-31=

(1)

いつ何をすべきかなど、状況への対処から科学を作っていた。

精神を作って分かっていた。信じる精神、勇敢な精神、純粋な精神など。

ヘーゲルは、疎遠になった精神が共同性を自覚すると言う。そのように考えれば良い。

心理分析から、人間の心を分かった。

10進数や分数など、数学を可能性から分かっていた。

あとは、知性と体験で分かっていた。

コンピュータで、知性がついて、思考で人間が分かった。

経験と意識、場所と回想で分かっていた。そういうものを消すと治る。

人間を心理で支配していた。認識の分析から、人間が分かっていた。

愛と安心、受け入れる気持ちと自分を知る心から、本当の慈悲の心が分かった。

必要なものは何も無い。ただ、ありのままを信じれば良い。

何も関係ない。ただ、自分の思う通りに生きるために、自由を積み重ねて、自由自在に考えれば良い。もっと、人の言うことを聞けば良い。

きちんと認識して、捉えて理解すれば分かる。そのような、認識の方法や客観視の方法が存在する。それで、精神を作れば分かる。

経験から人間を分かっていた。

人間や視点を予想して分かっていた。支配し、導いていた。裏を考えていた。

宇宙の全ての歴史や全ての意識を、地球の場や経験とともに、実感して分かっていた。

社会を構築する方法の分かる、倫理的で行動的な人間だった。

「書く」と「書かない」だけの多重人格になっている。書くと辛い。何か、見れば治る。

ネットを見て、自由モデルを積み重ねて、人間が全部分かった。

不思議と、数学のようなものまで、全部積み重ねで分かった。国は、厳密に国民を積み重ねて、作って分かった。日本が好きだった。

良く裏を考えて、思い込みを無くせば治る。経験論でいうイードラが参考になる。

止めると分かる。何もかも止めれば分かる。だが、それは賢くない。止めずに、続ければ、賢くなる。分かるのが一番馬鹿だから、分からず、続ければ良い。

人間の思考は、全て、その裏にもう一つの深層の思考がある。深層心理と言うが、そういう、裏の支えとなる思考を考えて、心理的なモデルを作れば分かる。

想像力と体験を支配し、根拠と限界と役割を知れ。

もっと、読んだ方が良い。この前、人間の歴史について読んだ。人間が現代的な生活をするようになったのは、人間全体の歴史からすると、ほんの最近のことに過ぎない。昔から、狩猟あるいは農耕が普通だ。都市に生きる、現代的な仕事をする、なんてのは、ほんの最近のことだ。

人間は、終わると分かるが、続くと賢くなる。終わると病気になるが、続くと元気になる。

分かるのは、辛いし、馬鹿になる。分からない方が良い。

学校で分かるのを賢いと教えるのが悪い。

一度全部バラバラにして、組み立て直した方が良い。

視点と環境を比較して、成り立たせて、精神と脳の作用と現象で分かっていた。

そういう風に、分かるのが悪いだけだ。それで、おかしな辛い脳の病気になった。

病気は悪い。分かるのは、止めた方が良い。

続いた方が良い。それで良いから、こういう風になる。

そんなに分かろうとしない方が良い。

経緯、原因、方法をきちんと考えて、調査研究すれば、誰でもきちんと出来る。

大学はおかしくない。僕も、オープンソースで同じようなことをして、分かった。

調査研究から、実験、執筆まで、全部して、他人の言っていることを聞けば出来るのが、オープンソースの大学だ。

最近は、信じて、治して、最後まで終わって分かっている。そんなに分かる意味が無い。

脳は、分かるだけで、おかしくなった。

自由に体験して、教えて、戦っていた。教えることで、全て分かった。あとは、手助けが多かった。自分の出来ること、分かることは、皆も分かると思っていた。

分かり得ることだけを考えた。最初から分からない命題は、考えなかった。最近は、そういうところが変わった。神を信じて分かるようになった。

自分で証明して、実験して、考え方を作って、同じ思考をして、同じ科学を作って、人間の世界モデルを作って、出来るようになって、変えられるようになって分かっていた。

環境は、意識の状況だ。そのように考えれば分かる。人格すら、環境と言える。その関係を考える。自己と環境の関係を考える。

自由と主体性と支配を、手段と機会から成り立たせて、発想と方法から分かっていた。

反省と挑戦をし、沢山の経験をして、人間を分かっていた。

仏教のように、物理を自分でして法則や理由を分かっていた。

思考で分かっていた。説明することが多かった。

人間のことが全て分かった。最近、覚えていない。善悪から、楽しさや悲しさまで、全部分かっていた。

あとは、世界観や出来事の関係を把握していた。可視化して分かっていた。

歴史の必然が分かって、関心や視点が分かって、あるところやないところが像になって、経験の吸収や実存性が分かった。色んな哲学者は、同じことを言っている。

普通、そういうものは、成長して考えれば分かる。

ヘーゲルも、主客の一致、同一に至るまでの絶対的な弁証法など、同じことを言っている。

そういうものは、カントが分かると分かる。科学的に考えて、世界を捉えれば、誰でもそういう発想になる。

カントは合理論と経験論を批判的に統合し、フィヒテとシェリングが続き、ヘーゲルがドイツ観念論を完成した。そういうところが分かると分かるのが哲学だ。

模様や写真、機械的な製品や言語すら、芸術であると見なすことが出来る。

あとは、感情から社会の現象を捉えて分かっていた。

経験から、社会における組織などを実現出来る人間だった。

社会学は、社会の現象と構造を捉える学問だ。そういう社会学を、自分で作っていた。

社会と心理は、同じだ。社会における意識を考える。

あとは、思考で捉えて、言語と自由から分かっていた。

あらゆることを、思考と実験で分かった人間だった。

相対的な科学の価値観が好きだった。

最近は、逆だ。論理を全部作って、感情を全て書いて、永遠を宣言して、神を信仰して、永遠の地獄と戦いをして分かった。

信じて、治して分かる。本当に分かる、天使のような人間だった。

あとは、体験と発想から、人生と科学が分かっていた。

プラグマティズムは、行動や習慣を考える。そこから、コンピュータのこと、教育のこと、人生のこと、社会のこと、心理のことが分かる。

国は、民主的で自由な方が良い。権利は許されるべきだ。選挙や金は、馬鹿に見えて、まだ良い方だ。社会主義は卒業して、民主主義を好きになった方が良い。

多様な共存出来る社会が理想だ。隣人の国は、自分と同じように愛するべきだ。

平和な自由が良い。経験や言論が自由で無ければ、何も分からない。

完全な自由は悪いが、それぞれが決めるなら、自由でもルールを作って、平和になる。

競争は、良いとも悪いとも言えないが、生産的で創造的な競争をするべきだ。

事実と根拠から本質を知れ。言論から想像力がつく。それくらいを書いていた。

記憶を独立性とか、制度を経験とか、社会を生態系とか、良く考えれば分かる表現をしていた。芸術と言語を全てだとか、色んなことを言っていた。

あとは、基礎の方法や社会的なものを、文章に書いて作っていた。

人生や、あったことを書いていた。色んな概念における、あることを網羅していた。

昔は、ネットが多かっただけだ。2ちゃんねるで全ての体験をして、オープンソースで大学のようなことをして分かっただけだ。意識や精神、理解や体験を作って分かっていた。

オープンソースが自分の会社だった。精神のおかしい、狂った人間だったが、物理的な考え方が良く分かる哲学者だった。

最近は悪い。何も分かっていない。昔の方が良い。ただ、最近は、辛い経験を全部して、文章を書くというライフワークが出来た。

あとは、環境への適応と体験の比較から、宇宙の意識を分かって、人間の根源的な概念と歴史を分かっていた。

最近は、歴史と時代を全部作った。キリスト教のように、神と世界史を信じて、辿って分かった。また、病気を全て治した。宣言で中世のドイツ人の女になった。

何度も言うが、昔、人生や人間の体験のようなことを分かって、色んな人間と精神を分かった。善悪や、体験的な感情を、科学的かつ心理学的に分かった。

社会を実現出来る、オープンソースとインターネットに詳しい、引きこもりの社会学者の心理学者だった。

最近は、音楽とスヌーピーの漫画であるピーナッツが好きだ。

昔の方が大人だった。最近、子供に戻った。大人は、もう終わった。全部分かったから、子供からやり直すだけを生きている。それで満足している。

昔は、大人になって、成長するだけで分かった、高校生の技術者だった。

最近は、ドイツ語やフランス語がしたかった。自分の使う言語が、日本語のまま、ドイツ語の言葉遣いになった。また、ドイツを全部自分で作った。キリスト教の自由な国だ。

昔、言葉遣いから、ヘーゲルやロシアのように日本語を分かっていた。日本語で全部分かった人間だった。良く思い出して、構造を作って考えれば出来るだろう。記号論のように考えれば分かるかもしれない。

あとは、ヒュームのように経験を考えていた。学習と経験、因果性、人間の側と自然の側にある知の属性、経験と習得的な記憶、様相とパターン、可能態と現実態、のようなことを、色んな方法と考え方で考えていた。

それくらいだ。多いようで、少ない。もっと、色んな科学を作って分かっていた。また、自然のものや、応用的なものや、変化と関係を良く分かっていた。

オープンソースから、目的と方法が分かる。特に、Webブラウザやコマンドラインを考えると良く分かる。GUIは、難しいようで、低級な概念だ。コマンドの方が賢い。

オープンソースのGUIは、間違っている。GNOME 3からKDE 4まで、そんなにある意味が無い。統一した方が良い。

パッケージ管理システムも多すぎる。全部debにしないのがおかしい。

ソースコードを見られるとはいうが、GPLは見たくない。永遠にフリーは、つまらない。

賢いのは、コンパイラだ。オープンな使えるC言語のコンパイラは、あった方が良い。また、最近は、PerlからPythonまで、色んな言語が無償で使える。サーバー関連のソフトウェアも多い。それだけが賢い。

歴史と価値観で、世界が分かった。最近は、哲学と一緒に歴史をやっている。世界史は、古代、中世、近世、近代、現代とある。もっときちんと通して読んだ方が良い。ルネサンスより最近は、あまり分かっていない。ただ、中世も含めて、まだ何も分かっていない。

最近、まだ終わっていないのが分かっていない。新しいことをすれば良い。何も終わっていない。きちんと考えれば、何でも出来る。まだやっていないことばかりだし、全て、まだ始まったことばかりだ。

世界は、平和になった方が良い。

平和とは、相手のことを自分と同じもののように考えて、わがままや欲を捨て、謙虚に自己と向き合い、世界の皆を思いやる精神のことだ。

あとは、世界がどこから来たか、どこから来てどこへ行くのか、分かっていた。

本質と意識と方法から、宇宙を全て分かった。

あとは、文章でおかしな世界を幾らでも作っていた。方法から世界観を書いていた。

やることが無いから、テレビゲームをする。むしろ、あまりしないと思う。

漫画やアニメは見たくない。いつものように、音楽しか聴かないのもおかしい。

大学は、もう良い。何もしたくない。パソコンは、もう嫌だ。見たくない。

最近、子供に戻った。大人はもう終わった。意味が分からなくなる。もう楽だ。

ゲームは、しない。ピアノは、覚えるだけ、意味が無い。この世界がつまらない。

何もしたくない。何かしたい。賢いことは出来ない。

宇宙は、こういう風に言葉とロゴスから生まれた。概念とは、こういうもののことだ。

そのように、宇宙や人生、生命の意味と起源を考えていた。

あとは、昔は、人生と考え方を分かっていた。

宇宙から見れば、時間など、速くても遅くても、同じだ。

恐怖はヒントになる。

皆、同じものを恐れ、同じものを愛している。それぞれ違うようで、皆同じだ。

そのように、人生経験と感覚と想像力で、考え方を知れば良い。

昔は、GNOME 2を改良して、ユーザーフレンドリーで簡単なデスクトップ環境を作りたかった。

学問は、法律、医学、情報が一番分かる。社会のこと、人間のこと、機械のことが分かる。

経済や世界史より、文学の方が良い。僕は北欧神話の本を今読んでいるが、文学の方が分かるように思う。世界史なんか、ヨーロッパの単純な時代と王が羅列してあるだけだ。文学は、色んなことが分かると思う。

(2)

自由を捉えて分かっていた。

文学をする。

何もせず、分かれば明日になる。

認識、体験、感情などの基本が分かっていた。

まともに人間のことを考えて分かった。

思いやり、いじめ、経験から分かっていた。

相手の立場に立つこと。

良い結果を生み出すためにどうすれば良いか考えた。

死ぬくらいなら治る。昔は、そういう風に全て分かっていた。

動かせるのに動かないのが悪い。

最初は誰でも虫だ。

動いて虫になるのは、悪くなれば治る。